エピソード 3ー5
私が力を振るえない原因は、体内にある魔石が瘴気に侵されているからだ。だけど、その瘴気を払う秘薬、聖樹の雫を手に入れた。
それを飲めば、私はすべての力を取り戻すことが出来る。すべての問題を解決する希望が目の前にある。だけど、私はその秘薬を飲むことが出来なかった。
鬼の隠れ里への出立が早まったからだ。
この急な変更には訳がある。高倉の背後関係にあった組織が、鬼の隠れ里を襲撃しようとしている――という動きを情報部が摑んだのだ。
ちなみに、切っ掛けは高倉の尋問だったそうだ。
組織はいままで名前すらあきらかになっていなかった。けれど、高倉の尋問で組織名が『新しき血の盟約』であることを始め、いくつかの真実があきらかになった。
それをもとに、情報部が襲撃計画を摑んだ、と言うことのようだ。
結果、その情報を活かし、隠れ里が襲撃されるまえに鬼にそのことを警告して、恩を売って親交を図るという計画が立てられ、訪問が前倒しになったのだ。
でも、それでよかったのかもしれない。
理々栖ちゃんくらいの症状なら二、三日寝込むだけで済むけれど、いまの私ならもっと寝込むことになるだろう。五日後の出立なら、どのみち飲むのはためらわれていた。
そういう意味で、早く助けに行った方が気が楽だ。
――という訳で、柊木大将の邸宅を訪れた二日後。特務第八大隊の部隊が出立準備をしているのを横目にしていると、下士官が手紙を届けてくれた。
差出人は伏せられていたけれど、中を見ればすぐに分かった。便箋には、理々栖ちゃんが元気になったという主旨の言葉と、感謝の言葉で埋め尽くされていたからだ。
真ん中には、おそらく理々栖ちゃんが書いたであろう感謝の言葉も綴られている。
「そっか……私は、あの子を救えたんだ」
聖女の私は多くの人を救ってきた。でもそれと同じくらい、多くの人を救えなかった。だから、理々栖ちゃんを救うことが出来て本当に嬉しい。
私は手紙を胸に押し当てて、理々栖ちゃんを救えたという達成感を噛みしめる。
「……次は蓮くんだ。必ず、助けてあげるからね」
意気込みを新たにすれば、それに呼応するように出立準備が完了したと告げられる。私は力強く頷き、鬼の隠れ里へ向かう部隊の車両に乗り込んだ。
今回の作戦は鬼と会い、襲撃の警告をすることと、蓮くんを帰してもらうことだ。戦闘になる予定はないので訓練には向かないし、万が一戦闘になったら巫女を護りきれない。
そういう理由で、特務第一大隊や巫女の面々は参加していない。
そして第八のメンバーだが、雨宮様、紅蓮さん、アーネストくんの小隊だ。この人選は、私の秘密を知る人をあまり増やさないようにという思惑が影響している。
ということで、すっかり気心が知れたメンバー達と進軍を続けた。
前回の山中よりは少し遠くにある山の中。片道に数日はかかる距離だけど、異空間収納がある私に野営はお手の物だ。特に苦も無く隠れ里があるという森の近くに到着した。
「ここからは歩いて進軍する。第四小隊はここに残って車両を護れ」
雨宮様の指示の下、部隊員達が行動を開始する。私もそれに従い、雨宮様とともに森の中に足を踏み入れた。雨宮様達は軍服スタイルで、私は聖女の白き戦装束だ。
先頭の部隊員が獣道を切り開き、私達はその後に続く。
ほどなくして、少し離れた茂みの奥から葉擦れの音が響いてきた。雨宮様がハンドサインで行軍を止め、紅蓮さんが茂みの裏を取るように回り込む。
ほどなく、男の悲鳴と、大人しくすれば危害は加えないといった主旨の、紅蓮さんの声が聞こえてくる。それからすぐに、紅蓮さんが狩人っぽい男の首根っこを摑んで戻ってきた。
雨宮様がその狩人の前に立つ。
「鬼、ではないようだな?」
「鬼!? とんでもありません、わっしはただの狩人でございますだ」
少し鈍った口調で話すおじさんは、たしかに普通の狩人に見える。特務第八大隊の面々を前に怯えている様子も、とても演技をしているようには見えない。
「狩人か、ならちょうどいい。あんたに聞きたいことがあるんだが?」
「それに答えれば命を取らないでくだせえますか?」
「もちろんだ。それに俺達は帝国の軍人だからな。罪もないヤツに危害を与えたりはしないから安心しな」
「そう、ですか……」
狩人のおじさんはぎゅっと拳を握り締めた。
正体不明の連中が正規の軍人だった。そう聞けば、普通の人間は安堵するはずだ。だけど、狩人のおじさんは安堵するどころか、更に警戒する素振りすら見せた。
その理由として思い付く可能性はそう多くない。軍人に対して不信感を抱いているのか、あるいは後ろめたいことがあるのか……。紅蓮さんは後者だと判断したようだ。
へたり込んだ狩人のおじさんに詰め寄った。。
「てめぇ、なにを隠してやがる?」
「な、なにも隠してませんよ!」
「嘘を吐くな。俺達が軍人だと知って警戒しただろうが!」
紅蓮さんの糾弾に、視線を泳がせた狩人のおじさんは明らかになにか隠している。一般人を脅す姿は見ていて気分のいいものではない。ないけれど……と、私は昔のことを思い出す。
同じような状況で仲裁しようと割って入った聖女がいた。
そうして、不審者に背を向けた瞬間、その不審者に殺されそうになった。幸いにして護衛の兵が庇ってくれたけれど、代わりに護衛が負傷することとなった。
聖女はそのことを深く反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないように誓った。
……ま、私のことなんだけどね。
「紅蓮さん、少し待ってください」
私は二人を仲裁するべく声を掛けた。
私は同じ過ちを繰り返さないようにすると誓った。でもそれは、無実かもしれない人を脅してでも安全を確保するという手段を肯定した訳じゃない。
私は二人の間に割って入り、意図的に狩人のおじさんに背を向ける。
「レティシアの嬢ちゃん……っ」
「大丈夫です。私に任せてください」
紅蓮さんの方へ身体は向けながら、意識は狩人のおじさんから放さない。私の右手は戦装束の袖の影、異空間収納の中にある聖剣を摑んでいる。
もしもこちらの隙をうかがっていたのなら、これ以上の機会はないだろう。そういう環境を作り上げ、意図的に相手の行動を促すけれど、狩人のおじさんはなにもしなかった。
異空間収納の中にある聖剣をいつでも抜けるようにしたまま、人を安心させるような笑みを意図的に浮かべて振り返る。
「驚かせてしまってごめんなさい。大丈夫ですか?」
「あ、ああ、わっしは大丈夫だが……嬢ちゃんは?」
「私は救護兵です」
狩人のおじさんは私が身に付ける聖女の戦装束を見て、続いて他の部隊員達の軍服を見て、再び私に視線を向け、物凄く胡散臭そうな顔をする。
「……救護兵?」
「救護兵です」
「……そうか」
「はい」
笑顔で押し通した。
思惑通り、狩人のおじさんが露わにしていた警戒心が薄れている。
「ところで、おじさんはなにか心配事があるんですか?」
「あぁ、いや、その……」
「教えてください。お力になれるかもしれませんよ」
「いや、だから……心配事はあんたらがここにいる理由だ。あんたらがここに来たのは、鬼を退治しに来たからじゃないのか?」
「鬼のことをご存じなのですか?」
「ああ、もちろん知ってるさ」
その返答は予想外だった。情報が集まる軍部の中でもほとんど知る者がいなかった鬼の存在を、まさか田舎暮らしの狩人が知っているなんて思いもしなかった。
しかも、鬼退治に来たことを心配するってどういうこと? 私達が負けて、鬼が暴れることを心配してる? うぅん、もしそうじゃないとしたら……
「教えてください。鬼とはどういう存在なんですか?」
「わっしもよくは知らねぇ。ただ、この森にはときどき化け物が出やがる。大抵は弓矢でなんとかなるんだが、そうじゃねぇときもある。そんなとき、鬼に救われたことがあるんだ」
鬼が人間を救う。あのキリツグと名乗った鬼が蓮くんに危害を与えないと言ったときも驚かされたけど、こうして救われた人の声を聞くとやっぱり驚いてしまう。
でも、これが真実だ。
少なくとも、この狩人のおじさんはそう信じている。
「教えてくれてありがとうございます。私達はその鬼と交渉をしたくてやってきたんです。ですから、こちらから危害を加えるつもりはありません」
「そう、なのか?」
探るような視線を向けられるけど、私はやましいことはないと笑顔で受け止める。ほどなくして、狩人のおじさんは「信じるよ」と呟き、鬼の隠れ里の場所を知っていると口にした。。
「おじさんは隠れ里に行ったことがあるんですか?」
「一度の辺りに迷い込んだときに、隠れ里を見たことがある。立ち入るなと言われたんで、里の中にまで足を踏み入れたことはないけどよ」
そうして、おおよその場所を教えてくれる。その場所を地図と照らし合わせた私は、狩人のおじさんにお礼を言って紅蓮さんへと向き直った。
「という訳で、警戒していたのは鬼の心配をしていたからのようです。他に知っていることもなさそうなので、解放してあげてもよろしいですか?」
彼は苦笑いを浮かべて、「あぁ、そうだな」と肩をすくめた。
そうして、狩人のおじさんを解放した――振りをして、念のために隊員に後を付けてもらう。これで怪しい動きをすれば一発だ。見張りの隊員と無線でやりとりをするけれど、ひとまず、怪しい動きはなさそうだと言うことだ。
それを確認し、私達は鬼の隠れ里を目指して行軍を再開する。するとほどなく、紅蓮さんがなにか言いたそうな顔で私を見ていることに気が付いた。
「紅蓮さん、なにか私に用ですか?」
「いや、用って訳じゃねぇんだけど。なんていうか……さっきのは、あれだよな。あえて隙を見せて相手が不審人物かどうかたしかめたんだよな?」
「あぁ、はい、そうですよ」
「しかもその後は、相手の警戒を解くように、意識的に柔らかい口調を心がけてたよな?」
「ええ、まぁ、そうですが……」
それがどうしたのですかと首を傾げると、紅蓮さんはなにか言いかけて止めるような仕草をする。ホントにどうしたんだろう?
と、紅蓮さんの奥にいたアーネストくんが笑顔で口を開く。
「レティシアさん、とっても策士ですね」
「――っ」
う、うぐ。なんか、腹黒聖女って副音声が聞こえた気がするよ。いやでも、アーネストくんがそんな遠回しな嫌味を言うはずないよね。なら、額面通りの褒め言葉、なのかなぁ?
いや、無邪気な一言だからこそ、胸に突き刺さったりするんだけどね。というか、紅蓮さんも笑ってるし! さてはアーネストくんと同じことを考えてましたね!?
紅蓮さんにジト目を向けると、奥にいたアーネストくんが「え? え?」って感じで動揺している。やっぱりアーネストくんの方は無邪気な一言だったみたい。
それを見た紅蓮さんが更に笑う。
「もぅ、紅蓮さんは今度からケーキ抜きです」
「なっ、ま、待てよ、レティシアの嬢ちゃん。それはあんまりだろ?」
「あんまりなのは紅蓮さんの方ですよ」
「すまなかった、この通りだ。もう腹黒なんて言わない!」
「……腹黒は聞いてませんよ。思ってたってことですか?」
「い、いや、それは……」
「やっぱりケーキ抜きです」
「待ってくれ、謝る。謝るからそれだけは許してくれ!」
紅蓮さんの悲鳴が森に響き渡った。
「紅蓮小隊長、あまり大きな声を上げると鬼に見つかります」
批難の声を上げたのは天城さん。雨宮様の副官で、最近は私の護衛をすることが多い彼は、いまも周囲に意識を張り巡らせている。
「相変わらず堅いな、天城は。考えてみろ。これだけの部隊がこそこそ動いてたら、それこそ鬼の連中に警戒されるだろうが。だから、油断を誘うくらいがちょうどいいんだよ」
「まさか……そこまで考えて?」
天城さんが意外そうな顔をして、紅蓮さんが眉をひそめた。
「てめぇ、俺のことを考えなしだと思ってないか?」
「いえ、まさか、そんなことはありませんが……」
視線を逸らす天城さん。
横で再びアーネストくんが無邪気な顔で口を開いた。
「でも紅蓮さんって、ときどき考えるより先に行動しますよね?」
揶揄しているようには見えない。見えないけれど――さっきの私と同じだ。紅蓮さんはなんとも言えない顔をして、「アーネスト、てめぇ!」と掴みかかった。
「え、ちょっと、なにするんですか? 僕は褒めただけじゃないですか!」
「てめぇのそれは褒め言葉になってねぇんだよ!」
完全にじゃれ合っている。だけど――と、私が周囲に意識を向けた瞬間、雨宮様が足を止めた。同時に紅蓮さんとアーネストくんもじゃれ合いをピタリと止めた。
いつの間にか、周囲から虫や鳥の声が消えている。
「警戒しろ、囲まれている」
雨宮様の声に、他の隊員達が一斉に武器に手を掛けた。
「決してこちらからは手を出すな。そして俺達を包囲している鬼達よ。こちらに交戦の意志はない! 武器をしまって話に応じてくれ」
「黙れ! 今更なにをぬけぬけと!」
雨宮様の言葉に、返されたのは弓から放たれた一撃だった。
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