エピソード 3ー4

 上級妖魔は雨宮様に任せ、私は中級妖魔と相対する。

 中級妖魔は決して油断出来る相手ではない。

 さっきは負ける気がしないなんて言ったけど、簡単に勝てるとも思えない。私の手首にはいまも、魔封じの手枷が填まっていることを忘れてはならない。


 重い手枷が文字通りの枷となり、魔封じの効果は私の聖女としての力だけでなく、私が得意とする魔術――回復や、自分や仲間の身体能力を向上させる類いの魔術も封じている。


 一応、常時発動型(パッシブ)のスキルで、自然治癒や身体能力が少し向上しているけれど、それは手枷というハンデを覆すほどじゃない。

 こんなことなら、手首を痛める覚悟で魔封じの手枷を破壊してもらっておけばよかった。


 だが、どれだけ悔やんでも後の祭りだ。

 私は中級妖魔に詰め寄り――っ。刀を振るう寸前、反射的に身をかがめた。

 私のすぐ頭上を中級妖魔の鋭いかぎ爪が通り過ぎた。


 ――速い。

 影は濃いが、身体が細いタイプの妖魔。

 中級は中級でも、この中級妖魔は速度に特化した個体のようだ。その分、攻撃力は低いのかもしれないけれど――当たればどのみち一撃だ。


 私はその攻撃を避け続けるが、手枷の重さに振り回され、反撃を放つには至らない。このままでも負けることはないが、あまり時間を掛けてもいられない。

 そう思ったそのとき、中級妖魔の身体が弾かれたように仰け反った。


「まだだっ、レティシアさんに中級妖魔を近付けるな!」


 味方の声。彼らが小銃で攻撃して助けてくれたのだと遅れて気付く。中級妖魔から意識を外していなくても、弾丸が飛んできたことに気付かなかった。

 やはり弾速が恐ろしく速い。

 だが、いまはその攻撃が頼もしい。

 小銃による波状攻撃が仕掛けられ、中級妖魔が足を止める。


「ありがとう、もう大丈夫です。みなさんは雨宮様に近付く敵の掃討を!」


 私はそう叫ぶと同時、中級妖魔に躍り掛かった。中級妖魔が迎え撃とうと腕を振るうが、負傷したせいか、その速度はさきほどまでよりも遅くなっていた。


 私はギリギリでその攻撃を回避、相手の攻撃が終わるよりも速く距離を詰めて刀を振るった。鋭い刃が中級妖魔の硬い皮膚を切り裂くが――思ったよりも切れ味が悪い。


「レティシア、刀は叩き切るのではない! 引くように斬れ!」


 私の疑問に答えるように、雨宮様が声を上げた。別々の敵と戦っていても、彼が私を気に掛けてくれていることが分かって胸が熱くなる。


 その上で、雨宮様の言葉の意味を考えた。

 叩き切るのではなく、引いて斬る……そうか、だから刀身がまっすぐではなく、弧を描いているんだ。それによって、自然と引いて斬れるように。

 寸止め前提の模擬訓練では気付かなかった事実。


 私はそれを試すために、再び前に出る。中級妖魔がカウンターに爪を振るうが、私はその堅い爪を斬り飛ばした。怯んだ中級妖魔が一歩下がる。

 私は更に距離を詰めて刀を一閃。

 中級妖魔の胸から鮮血が吹き出した。


 致命傷だったはずだ。

 だが――それでも、中級妖魔は私に手を伸ばす。それが、私の目には救いを求める子羊のように見えた。だから――私は歯を食いしばり、返す刀で中級妖魔にトドメを刺した。


「……安らかに、眠りなさい」


 同情して躊躇えば味方の命を危険に晒す。

 なにより、ここまで妖魔化した人間に人の心は残っていない。妖魔が助けを求めているように見えたのは、私の弱い心が見せた幻だ。そう自分に言い聞かせた。


 憐憫の情は心の片隅に追いやり、私は新たな妖魔に立ち向かった。続けて襲い来る下級妖魔は刀による一撃で排除し、その隣にいた下級妖魔は味方の小銃による一撃で沈んだ。

 乱戦の中においても、特務第一大隊の隊員達は的確に敵を排除している。


 だが、それほどの練度を誇っても無傷とはいかない。戦線を維持できているのは回復ポーションのおかげだろう。負傷した隊員は後方に下がって回復し、再び前線へと復帰する。


 そうして私達が中級以下、押し寄せる妖魔に対処していく中、雨宮様がついに上級妖魔を撃破した。凶悪な力を誇るそいつは断末魔をあげて倒れ伏す。

 隊員から歓声が上がり、妖魔達が一斉に怯んだ。


 私も、その束の間の一瞬は安堵し、思わず笑顔を浮かべた。

 だが――


「レティシア、後ろだ!」


 雨宮様が必死の表情で私に手を伸ばした。突き飛ばされた私が見たのは、小柄で、だけど濃密な影を纏う妖魔。雨宮様が撃破したのとは異なる個体の上級妖魔だった。


 上級妖魔が、私を庇った雨宮様にかぎ爪を振るう。雨宮様はかろうじて刀でガードするも、そのまま吹き飛ばされてしまった。


「雨宮様っ!」


 吹き飛ばされた雨宮様は、近くの大木にぶつかって血を吐くと、そのままくずおれた。私は雨宮様の下へと駆け寄り、即座に彼の容態をたしかめる。

 全身を強く打ち、折れた骨が内臓を傷付けている。血を吐いているのがその証拠だ。生きてはいるが、見た目以上に危険な状態に違いない。


 すぐに手当が必要な状況だけど、それをさせじと上級妖魔が迫ってくる。味方が上級妖魔に一斉射撃を始めて足止めをするが、それもいつまで続けられるか分からない。


「レティシア、俺にかまわず、にげ、ろ……」

「馬鹿なことを言わないでください!」


 雨宮様を見捨てるなんて出来るはずがない。

 魔封じの手枷がそのままなので回復魔術は使えない。回復ポーションを取り出そうとするが、在庫はすべて第一大隊に提供してしまった。


「誰か、回復ポーションを!」

「雨宮副隊長の腰に吊された革袋に入っているはずです!」

「――雨宮様、失礼します。……いたっ」


 革袋に差し入れた指先に鋭い痛みが走った。

 回復ポーションを入れた瓶の破片だ。大木にぶつかった衝撃で割れてしまったようだ。中身はすべて、革袋の底からしたたっている。


「瓶が割れています。誰か、回復ポーションを持っていませんか!?」

「おいっ、誰か回復ポーションが残っている者はいないか!」


 誰か、誰かと、回復ポーションを求める声が広がっていく。だがそれは、誰も回復ポーションを持っていないと言うことだ。

 ここまでの激戦で、自分、あるいは誰かのために使ってしまったのだろう。


 最悪の可能性が脳裏をよぎるが、幸いにして残っていた回復ポーションがあったようで、私の護衛を務めていた兵が小瓶を持って駆け寄ってくる。


「雨宮様、回復ポーションです、飲んでください!」


 受け取った回復ポーションを彼の口元に運ぶ。だが、意識がもうろうとしているせいか彼の動きは緩慢だ。最初の一口は咽せて吐き出してしまう。


 いつ、上級妖魔が襲いかかってくるか分からない。ここで迷っている時間はない――と、私はポーションを口に含み、口移しで雨宮様に嚥下させた。

 雨宮様の呼吸が少し安定する。

 だが、それを見た上級妖魔が銃弾の雨に晒されながらも詰め寄ってきた。


 私一人なら逃げられるけど、雨宮様を抱えて逃げるには時間が足りない。

 このままだと雨宮様が殺されてしまう。

 時間を稼ぐ必要があるけれど、部隊員達に上級妖魔と渡り合うだけの実力はない。足止めには、彼らの命を引き換えにする覚悟が必要だろう。

 だけど――


「ここは我らが引き受けます。レティシアさんは雨宮副隊長を連れてお逃げください!」


 上級妖魔から雨宮様を守るように、第一小隊、第二小隊の隊員が一列に陣形を敷く。

 彼らはとっくに覚悟を決めていた。


 覚悟を決めていなかったのは私だけだ。

 私は頬を叩いて気合いを入れ直し、その場で勢いよく立ち上がった。


「そこのあなた、雨宮様を下がらせて、残りの回復ポーションを飲ませてください。傷はほどなく塞がりますが、意識の回復には多少の時間が掛かるので注意してください」

「それは無論ですが、レティシアさんはどうするつもりなのですか?」

「私は……私も、自分に出来るコトをします」


 雨宮様を彼の部下に預け、私は小銃による攻撃で足止めをしている者達の列に混じる。妖魔達と激戦を繰り広げていた彼らが私の存在に気付いた。


「レティシアさん、雨宮副隊長は?」

「命に別状はありませんが、回復には少し時間が掛かります。なので、あの妖魔を相手にして、しばしの時間を稼ぐ必要があります」

「問題ありません。我らは、雨宮副隊長のために死ぬ覚悟は出来ています!」


 彼らは決死の覚悟を抱いている。このままでは、時間を稼ぐことは出来ても、部隊の壊滅は免れないだろう。だから私は、危険を承知で一歩前に出た。

 そうして、背後にいる彼らに問い掛ける。


「私が、参謀としてここにいることは知っていますね?」


 ――嘘だ。

 だが、この状況で、それは事実ですか? なんて確認してくる者はいない。あまりにも堂々と宣言する私に対し、彼らはその言葉が真実だと誤認した。

 それを利用し、私は雨宮様から預かった刀を天に掲げる。


「死ぬことはなりません! 雨宮様は時間を稼ぐための策を私に授けました。あなた方は雨宮様の命に従い、生きてその任をまっとうなさいっ!」


 凜とした声を響かせて、雨宮様の刀を上級妖魔へと突きつけた。


「第二小隊は上級妖魔の目を狙いなさい!」

「む、無茶です! この小銃では目を狙うような精密射撃は出来ません!」

「足止めが目的なので当たらずともかまいません。顔を狙って相手を怯ませなさい。当たるかもと思わせれば、相手の足は必ず止まります!」


 防御力に優れた魔族であっても目は弱点になり得る。そして、知性のある敵は万が一を恐れる。目に当たると思わせれば、人間と同じように恐怖するはずだ。


 そんな私の指示に、第二小隊の者達が上級妖魔の顔を狙って発砲する。

 上級妖魔は煩わしげな素振りを見せながら接近を試みていたが、銃弾の一発が顔に当たったことで呻き声を上げ、両腕で顔を庇って足を止めた。


「その調子です! 順番に射撃をして、弾幕が途切れないようになさい! 続けて、第一小隊は下級、中級妖魔の足止めです! こちらは足を狙いなさい!」


 私の指揮の下、第一小隊の隊員達が妖魔の足を狙う。胴に比べれば命中率は落ちるが、足を打たれた妖魔達は目に見えて動きが悪くなった。


「機動力さえ奪ってしまえばトドメを刺す必要はありません! そのまま射撃を継続しつつ、少しずつ後退なさい!」


 私の指揮の下、部隊はじりじりと後退していく。もちろん妖魔も迫ってくるが、先頭の妖魔が足を負傷していることでまえがつまり、敵の進軍速度が低下している。

 いまのところ、妖魔の足止め作戦は上手く機能している。


 とはいえ、稼げるのはわずかな時間だけだ。数分を稼ぐことは出来ても、数十分の時間を稼ぐことは厳しい。上級妖魔は知恵が回るため、すぐに対策を立ててくるだろう。


 雨宮様が回復するまで、おそらく十分はかからないはずだ。だけど、その時間が永遠のように感じられる。そんなとき、補給品が詰められた木箱を置きっぱなしなことを思いだした。

 妖魔が小銃を装備するとは思わないけれど、あれがなければ味方の補給がままならない。


 私は物資の前に立ち、木箱を異空間収納に片付けていく。その瞬間、小銃による弾幕で足止めされていたはずの上級妖魔が襲いかかってきた。


 とっさに横っ飛びで回避する。

 だが、上級妖魔は残った木箱を摑み、崖下へと放り投げてしまった。続けて、小銃の射撃にも怯まず、雄叫びを上げて私に向かってくる。

 まるで、私が残りの木箱――補給用の弾薬を持っていると理解しているかのように。


「撃つな、レティシアさんに当たる! レティシアさん、離れてください!」


 接近を許したことで、小銃による弾幕がなくなってしまう。私は距離を取ろうとするが、上級妖魔は距離を取らせまいと食らいついてくる。

 やはり、この上級妖魔は戦術的な考えを持っている。


 ――このまま放置しちゃダメだ!


 仲間の方へ逃げれば、なし崩しに乱戦になる。小銃を使えない味方が大きな被害を受けることはもちろん、雨宮様の身も安全ではなくなってしまうだろう。

 足止めを続けるには、上級妖魔を味方に寄せ付けずに排除する必要がある。


 交戦を決意した私に上級妖魔の拳が迫り来る。私はその一撃に刀を合わせる――が、あっさりと刀身が砕け散った。朝日を浴びた破片がキラキラと散っていく。

 目を見張った私の正面、煌めく破片の向こうから、私を一撃で殺しうる拳が迫っていた。だけど、刀を振るった体勢の私は拳から逃れるのが遅れる。


 避けられない!

 拳の狙いは私の頭部。その一撃を食らえば、私の人生はそこで終わるだろう。

 嫌だ、そんなのは嫌だ。


 なにか方法はと考えを巡らせた瞬間、上級妖魔がわずかに体勢を崩した。拳の軌道がわずかに逸れ、私はその隙に拳の軌道上から逃れる。

 私を掠めるように拳が通り過ぎ、風圧で頬がわずかに切れた。


 いまのは、小銃による攻撃?

 でも、位置的に背後からの攻撃じゃない。一体どこから……? と、予測した方角に視線を走らせれば、村の外れの高台に小銃を構える紅蓮さんの姿が見えた。

 その後ろにはアーネストくんも控えている。


 どうして、あんなところに?

 あそこから狙撃して私を助けてくれたの? 巫女の救出はどうなったの?


 様々な疑問が思い浮かぶが、いまは考えている時間はない。私と同じように、伏兵の存在に気付いた上級妖魔が、妖魔の一部隊を二人の下へと向かわせる。

 それを見届け――上級妖魔は再び私に襲いかかってきた。


 最初の拳は上半身を仰け反らせて回避。そこを更なる一撃に狙われるが、私はステップを踏んで追撃をも回避する。そこに放たれる三撃目、四撃目。

 上級妖魔は巧みに、高台からの射線に私を挟むように回り込んでくる。


 味方の狙撃はもう期待できない。

 拳による攻撃は、剣などよりも圧倒的に回転速度が速い。死に物狂いで回避するけれど、相手の攻撃も止まらない。私は徐々に追い詰められていく。


 そこに、再び放たれるジャブ。

 私が切り換えして回避したところに右ストレートが飛んできた。


「まだ――まだっ!」


 大きく仰け反って、その右ストレートをも回避する。逃げ遅れた前髪が、その拳圧で切断されてハラリと落ちた。恐るべき威力。そして、その連続攻撃はまだ止まらない。


 左、左、右と見せかけての左。

 スピードとパワーも人外級なのに、その戦術も人間に劣っていない。まるで、こちらの回避先を誘導するかのような攻撃に、私の回避行動はどんどんと制限されていく。

 そして――


 ――避けきれない!


 再び迫る濃密な死の気配を感じ取り、時間が引き延ばされたかのようにゆっくりとなる。上級妖魔が放った右ストレートの軌道は、完全に私の頭を捕らえている。

 だけど、その状況に陥るのは、さきほどに続いての二度目だ。


 対策は――思い付いている。

 私は死に物狂いで左腕を振り上げた。

 魔封じの手枷が重い。

 それでも、右ストレートが私の顔を捕らえるより早く、振り上げた腕と相手の拳がぶつかり合う。金属を打ち合わせたような音が響き、腕が凄まじい勢いで弾かれた。


 衝撃の何割かが肩を通して私の胴体に伝わる。その反動を利用して、私は右ストレートの直撃コースから自分の頭を退避させた。

 それでも、相手の拳は私の肩を掠め、私は大きく吹き飛ばされてしまう。


 雨宮様と違うのは直撃しなかったこと。そして、大木にぶつからなかったこと。衝撃に全身が悲鳴を上げているが、身体が動かせないほどじゃない。

 ただし、左肩は外れ、左手の骨は完全に砕けている。

 よろよろと立ち上がる私を前に、妖魔がにぃっと嫌らしく笑った。


「その目、知ってるわ。自分の勝利を確信しているのでしょう? でも、それは間違いだってことを教えてあげる。最後に笑うのは――私よ」


 無事な右手で頬を伝う血を拭い、それから左手首にはまる手枷を摑んだ。その手応えを確認して、私は妖魔と同じように口の端を吊り上げた。


 骨が砕けたいま、左手の太さは手首と変わらない。

 私は魔封じの手枷を、左腕から――引き抜いた。


 魔封じの呪縛から解き放たれる。

 魔力が全身を駆け巡り、身体がかぁっと熱くなった。久しく感じられなくなっていた聖女の力が、魔術師としての力が、身体の中心から湧き上がってくる。


「……ヒール」


 すぐさま左手や肩の負傷を癒やす。

 力ある言葉に、外れた肩や、砕けた骨までもが元通りになるはずだった――が、魔封じの手枷が片方残っているためか、それとも魔力素子が薄いためか、思ったよりも回復量が少ない。


「ハイヒール」


 上位の回復魔術を使えば、砕けた骨や、外れた肩も修復される。

 私は再び妖魔へと視線を向けた。


「よくも好き勝手に暴れてくれましたね」


 雨宮様が背中を預けてくれたのに、私はその期待に応えられなかった。

 自分の不甲斐なさに泣きそうになる。

 でも、それもここまでだ。


 私はもう迷わない。

 大切な人達を護るため、聖女の力でこの戦いを終わらせてみせる。

 

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