エピソード 2ー6

「雨宮様、なにを……っ」

「おまえはそうやって、多くの悲しみを背負ってきたのだな。だが、この国の重荷をおまえが背負う必要はない。辛ければ俺が変わってやろう」


 雨宮様の繊細な指先が、慰めるように私の背中を撫でる。

 恥ずかしさと心地よさをないまぜにした不思議な感覚。聖女である私に救済を求める人はいても、こんな風に私を救おうとしてくれる人はいなかった。

 ややもすれば、このまま甘えそうになってしまう。


 だけど、私は聖女だ。

 たとえその力を封じられていても、私は聖女なのだ。苦しんでいる子供を前に逃げ出すことも、その苦しみを誰かに押し付けることも出来ないと、雨宮様の肩をそっと突き放した。


「お気遣いありがとうございます。でも、これは私が言い出したことですから」


 私は逃げないと、彼から離れようとしたそのとき、雨宮様の指が私の頬を撫でた。


「投げ出すつもりがないのならそんな顔をするな。少年のためになることをしろ。あの少年が望んでいるのは、おまえが一緒になって悲しむことではないだろう?」


 関わると決めたのなら、うじうじするなと叱られてしまった。不器用な慰め方だなぁと笑いそうになる。でも、いまの私にとってはとっても励みになる言葉だ。

 私は男の子のために胸を張る。


「やはり、魔物化と妖魔化は非常によく似ています。これはあくまで私の感想でしかありませんが、おそらくは同質の現象だと思います」

「つまり、瘴気に侵された魔石を浄化することで妖魔化を防げる、と。聖水や回復ポーションには、浄化の力があると報告を受けているが……それだけではダメなのか?」

「魔石に作用する薬ではありませんから。飲んでも影響が少ないんです。ですが、巫女ならばあるいは、と考えています。確証は、ありませんが……」


 魔石を浄化するには聖女の術か、司祭による儀式が必要だ。だが、私が聖女の術を封じられているいま、そのどちらも使える者は存在しない。

 可能性があるのは、巫女の術だけだ。


「たしかに、巫女ならば可能かもしれんな。そもそも、召喚の儀で巫女を招いたのは、聖なる巫女が邪を払って世界を救ったという古文書を見つけたからだ」

「そうなのですか?」

「ああ。その古文書によると、大昔にも妖魔が現れた時代があったそうだ。そして、そのときに世界を救ったのが、召喚された巫女という訳だ」


 巫女召喚の儀は、その古文書に記された儀式を再現したものだそうだ。藁にも縋る思いでおこなった儀式が成功したと言うことで、雨宮様は非常に驚いたらしい。


「ではやはり、巫女が妖魔化を止められる可能性は高いと思います。雨宮様、あの男の子を、巫女に任せることは出来ませんか?」

「それはつまり、あの少年を特務第一大隊に引き渡せと言うことか?」


 表情を険しくする雨宮様を前に、私はゴクリと喉を鳴らした。


「勝手なお願いをしている自覚はあります。ですが、聖水やポーションは気休めでしかなく、なにより数に限りがあります。彼を救うには、巫女に任せるのが一番だと思うのです」


 誰かを特別扱いするのがよくないのは分かるけど、弟に似た彼を放っておけない。だから、たとえ特別扱いだったとしても、男の子が助かる可能性が一番高い方法を願ってしまう。

 そして、いま男の子を救える可能性があるのは、巫女の力を持つ美琴さんだけだ。

 だからお願いしますと頭を下げる。

 そうして頭を下げ続けていると、雨宮様が小さく息を吐いた。


「……頭を上げろ、レティシア。ダメと言うつもりはない」

「そう、なのですか?」

「おまえには、その程度の要求を通す程度の功績はある。ただ、特務第一大隊の開発局に引き渡すことが少し心配だっただけだ。隊長が隊長だからな」

「……たしかに、それは心配ですね。ですが……」


 特務第一大隊の高倉隊長はあまり好きになれない。彼が隊長である第一大隊に預けるのは不安だけど、巫女は特務第一大隊にしかいないのだから他に選択肢はない。


「まぁ、救える可能性が高いのは事実か。問題は、引き受けてくれるかどうかだが……レティシアから与えられた知識の一端を引き換えにすれば受けてくれるだろう」

「……よろしいのですか?」


 特務第一大隊の隊長は、特務第八大隊のことを見下している。特務第八大隊で回復ポーションの技術を独占すれば、彼らを見返す絶好の機会となるはずだ。

 だけど、雨宮様は問題ないと笑った。


「達次朗の大佐殿に許可を取る必要はあるが、レティシアの願いを無下にはしないだろう。それに、気に入らねぇのは隊長とその周辺のヤツだけだ。下の連中が、俺達と同じように、命懸けで帝都を守っていることに変わりはないからな」


 雨宮様の言っていることは事実なのだろう。だけど、自分達の利益にならない男の子の保護と、貴重な情報を引き換えにする理由にはならない。

 私の想いを汲んでくれたのだろう。

 だから私は、感謝しますと、深く頭を垂れた。



 蓮くんの移送手続きは雨宮様にお願いすることになった。私は蓮くんに説明をするために踵を返し、「そうだ――」と肩越しに雨宮様を見た。


「そういえば、男の子の妖魔化が始まったのは、帝都に入ってからのようです。もしかしたら、帝都に妖魔化の原因があるのかもしれません」

「妖魔化の原因、だと?」

「瘴気溜りが原因のパターンが一番多いんですが、それにしては帝都に現れる妖魔が少ないので、別の理由……瘴気に侵された土地で育てられた食物が出回っているのかもしれません」


 場所か、あるいは食事が原因である可能性が高い。妖魔化する人間が多い土地、あるいは妖魔化した人間が食べていた食事を避ければ、蓮くんの妖魔化は止まるかもしれない。


「なるほど、想像以上によい情報だ。こちらで調べてみよう」

「お願いします。それと、出来れば他の部隊にも伝えていただけますか」

「ああ、特務第一大隊にも伝えておこう。……ちょうど、対価が必要だったからな」


 雨宮様がニヤリと笑った。

 対立している特務第一大隊に有益な情報を教える義理はないが、国益を考えるのなら教えておく必要があるだろう。どうせ教えるなら、対価に蓮くんのことを頼もう、という訳だ。


「意外と策士ですね」

「このくらいは当然だ。それより、早く少年に伝えてやれ」

「ありがとうございます」


 私は感謝を言葉にして、今度こそ蓮くんのもとへと戻った。



「お待たせ、蓮くん」

「お姉ちゃん、どうなったの? 僕はここから出られるの?」

「うん。と言っても、いますぐじゃないんだけど。キミの病気を治してくれそうな人が見つかったの。だから、その人のところへ連れて行ってもらえるようにお願いしたよ」

「僕の病気を治してくれる……人?」


 首を傾げる蓮くんに、妖魔化がある種の病気であると伝える。病気という表現を使ったのは、その方が彼に伝わりやすいと思ったからだ。


「このままだと、蓮くんの病気は悪化して、取り返しのつかないことになってしまうかもしれないの。だけど、そこで治療をすれば、きっとすぐによくなるよ」

「そう、なんだ……」


 決して不治の病ではないと強調してみるけれど、蓮くんは表情を曇らせたままだ。


「それから、これを渡しておくね」


 彼の死角で異空間収納を使い、いくつか残っていた聖水の小瓶を取り出した。

 それを格子越しに蓮くんに渡す。


「妖魔化の兆候を感じたらそれを飲んで」

「これを飲めば、妖魔化しなくなるの?」

「だったらよかったんだけどね。それは少しマシになるだけなの。だから、ちゃんと治療してもらおう。そうしたら、心配する必要はなくなるから」


 瘴気に触れなければ、魔石がこれ以上穢されることはない。

 妖魔化した人間のいない場所で、妖魔化した人間が食べていない食事を取って生活すれば、蓮くんの症状は少しずつ改善していくはずだ。


 だけど、瘴気に侵された原因が分からない以上、出来るだけ早く魔石を浄化する方がいい。そう説得していると、蓮くんが縋るような目を私に向けた。


「僕、お姉ちゃんに病気を治してもらいたい」

「えっと、それは……」


「残念だが、レティシアは医者ではない」


 戸惑う私の横で雨宮様がそう口にした。


「あれ、雨宮様。移送手続きに行ったのでは?」

「それは後でしておく。少し、心配だからな」

「えっと……その、ありがとうございます」


 心配されるのがくすぐったい。

 でも、いまはそれより蓮くんのことだ。

 雨宮様の説明で、蓮くんはまだ幼く、医者――ここでいう医者とは巫女のことだが、病気を治せるのは特殊な技能を持つ者だけだと言うことを理解していないのだと気が付いた。

 でも私は、聖女である私が助けを求められているように感じてしまった。


 私に魔封じの手枷が付けられていなければ。あるいは、魔封じの手枷を外す目処がついているのなら、私が蓮くんを救ってみせると啖呵を切ったかもしれない。

 だけど、いまのは私には不可能なのだ。

 だから――


「蓮くん、私には無理なの。でも、その人がきっとキミを救ってくれる。だから、私を信じて、その人に治療してもらおう?」

「……本当?」


 鉄格子の向こう側。蓮くんが不安げに私を見上げた。

 だから私は、「絶対の絶対に本当だよ」と笑みを浮かべる。


「じゃあ……もし、病気が治らなかったら?」

「そのときは、必ず私が助けてあげる」

「……ホントに? 約束してくれる?」

「うん、もちろん」

「じゃあ……はい」


 鉄格子から、蓮くんが右手の小指を差し出してきた。


「……えっと、これは?」


 知らない仕草に戸惑う。背後から雨宮様が、子供が約束するときにする、指切りという仕草だと教えてくれた。そうして勧められるままに小指を差し出す。

 蓮くんの小さな指と、私の指が交差した。


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切ったっ」


 蓮くんがそう言って指を引っ込めた。


「お姉ちゃんのこと、信じるね」

「うん、約束は守るよ。それじゃ、さっそく部屋を移れるようにお願いしてくるね」


 私はそう言って立ち上がる。そうして部屋を退出しようとしたところで蓮くんに呼び止められた。私は振り返って「どうしたの?」と問い掛ける。

 蓮くんは少し恥ずかしそうに、だけど私の顔をまっすぐに見上げて満面の笑みを浮かべた。


「あのね。お姉ちゃんが止めてくれなかったら、僕、殺されてたって聞いてるよ。だから、その……助けてくれて、ありがとう。レティシアお姉ちゃん!」


 無邪気な笑顔が、生き別れた弟の笑顔と重なった。


「どういたしまして、だよっ!」


 ちょっぴり泣きそうになりながら、私は満面の笑みを浮かべて応じた。そうして、今度こそ雨宮様と共に蓮くんの部屋を後にする。

 それから車に乗って、再び司令部へと戻る。

 その道の途中、ふと気になったことを雨宮様に問い掛けた。


「そういえば、指切りげんまん――って、どういう意味なんですか?」

「嘘を吐いたら指を切り落とし、一万回殴り、針を千本呑ますという意味だが?」

「こわっ!?」


 どうやら、知らず知らずにとんでもない約束をしてしまったみたいだ。

 なんて、最初から約束を破るつもりなんてないから問題はないね。

 

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