第17話 体は大丈夫か?



 香ばしいパンの焼ける匂いが、空っぽの胃袋を強く刺激した。

 水面に浮かび上がるように、深い眠りから意識が覚醒していく。

 俺は大きく伸びをしようとして、柔らかな頭の下の感触に違和感を覚えた。


 チクチクする藁束の詰まった枕は、どこにいったのだろうか。

 寝ぼけた状態で腕を伸ばすと、優しく包み込むような手触りが伝わってきた。

 薄っすらと目を開ける。


 極上の美女がすぐ傍らで、俺に微笑んでいた。


 この世界で目覚める三度目の朝は、美人の添い寝付きだった。

 俺が目を覚ましたことに気付いたのか、テッサがそっと唇を寄せてくる。

 


 そしてその額の角が、俺のおでこにザクッと突き刺さった。



 痛みで少し顔をしかめた俺に、テッサは自分の失態に気付いたらしい。

 耳たぶが、一瞬で赤く染まる。

 こういうことに、慣れていないのが丸わかりだ。


 額の痛みで意識がハッキリしてきた俺は、ようやく状況を理解した。

 昨夜、テッサに部屋の鍵を渡して、そのままだったな。

 うーん、腰回りのすっきり感からして、どうやらいたしてしまったようだ。


「おはよう」

「……お、おはよう」

「体は大丈夫か?」

「……うん? ああ、へ、平気だ」

「……」

「……」

「腹が減ったな。朝飯、食いに行くか」

「……うん」


 もう少しロマンティックな会話でも出来れば良いんだが……。

 美女の引き締まった裸体を横目で拝みながら、脱ぎ散らかした衣服を手早く身につける。

 腕と足の脛にナイフホルダーを巻きつけていると、テッサが興味深げに覗き込んできた。


「それ気になってたんだが、ちょっと見せてくれないか?」

「ああ、いいぞ」


 右手首を捻って一本取り出し、テッサに手渡す。

 

「これは黒鋼くろがね製か。随分と重ねてあるな……。ふむむ、この細さでこの強度……。加えて絶妙なしなり……。切れ味も見事……」


 光を吸い込む黒い刀身は全長二十センチほどで、主に投擲や暗器として使い、両手首に三本ずつ仕込んである。 

 足の脛に潜ませている方は刃渡り三十センチ弱で、こっちは近接戦闘用だ。

 ともに極端に刃幅が狭い造りで、突き刺すことに特化している。


「……ふぅ。まいったな」

「どうした?」

「私はね。ザッグが他の女とよろしくやるのは、多分あまり気にならないと思う」

「そうなのか?」

「うちの父や兄も、そんな感じだったからね」


 そういえば大鬼族オーガは、一夫多妻制だったな。


「ただね、ザッグが使う得物だけは、私の物だけにしたかったんだ。でも、これだけの物を見せられるとね」

「そうか」


 鍛冶職人の矜持というやつか。

 心底悔しそうに呟いたテッサは、俺を睨みつけながらナイフを返してきた。

 首を横に振ってそれを断った俺は、逆に左手首と革靴からさらに一本ずつ取り出して手渡す。


「まさか! 良いのか?」

「昨日、ちょいと使いすぎた。研いでおいてくれるか」

「……期待させて。全く酷い男だよ」

「悪いな」


 まあ、テッサの腕前なら、そう遠からず同様の品を打てる気もするが。

 ご機嫌斜めのテッサを引き連れて、俺は食堂へ向かった。

 そして早速、階段下のカウンターで待ち構えていた女将に捕まる。


「おはようございます、ザッグさん」

「おはよう」

「井戸のところに置いてある荷車。あれ、ザッグさんのですよね? 早く何とかしてください。凄い臭いですよ」

「すまない。朝飯を食べたら動かすよ」

「それと部屋に女性を連れ込むのは……、その……」

「ああ、悪かったな」

「え? この宿屋は、女が泊まるのはダメなのか」

「いえ、そういうわけじゃないですけど……」

「じゃあ、何がダメだったんだ?」

「で、ですから……、男女でそういった……、いえ、別にそれも良いですけど、声とかが……」 


 天然っぽいテッサの質問に、女将の声がじょじょに小さくなっていく。

 これは不味い。後で思い返して赤面する流れだ。

 不憫に思った俺は、強引に流れを変えることにした。


「そういや、これ」


 懸命に上目づかいで助けを求めてくる女将に、俺は何気ない感じで銀貨三枚を差し出した。


「宿泊を十日延長するよ。ここは飯が美味くて、最高の宿屋だからな」

「はい。えっ! か、かしこまりました。二部屋、十泊ですね」


 何かを言いかけた女将だが、俺の率直な賛辞に困ったような顔付きで一瞬悩んだ後、微妙な笑顔で金を受け取る。

 厄介そうな客がやっと居なくなる安堵と、十日分を借りてくれる上客の有り難さが心の中の天秤で戦ったんだろうな。

 

「朝飯だけど、こいつの分も頼めるか?」

「はい、承りました。テーブルでお待ちください」


 さっと営業スマイルに切り替えて対応してくれる。

 流石、接客技能レベル3だ。 


 朝食は小麦団子と青豆のスープに、真っ白なチーズが一切れ。

 あとはリンゴと水菜のサラダに、濃いめのミルクが一杯付く。

 

 あっさり系のメニューをゆっくり噛み締めながら、俺は昨晩の件を思い起こしていた。

 いや、テッサとの蜜事じゃなくて、荒事のほうだ。


 現在、この体の思考は、なぜか現代人の俺が主流となっている。

 しかし荒っぽい行動の際は、基本的にザッグ本来の精神に切り替わっている。

 おそらく俺のみなら忌避感や恐怖や緊張なんかで、まともに動くのは不可能だったろう。

 だが、ザッグにはそれらが全くないせいで、行動に一切支障が生じない。

 とても便利ではあるが、とてつもなく恐ろしいことでもある。


 ザッグという男は、怒りや恐れといった情動とは本当に無縁だ。


 魔物と対峙した時も、門衛どもを手酷くやりこめていた時も、俺の心には負の感情は何一つ浮かんでこなかった。

 そもそもザッグが躊躇なく奴らを痛めつけたのは、無抵抗な相手に振るう暴力に酔っていたからでも、自分の獲物に手を出した憂さ晴らしでもない。

 そのやり方が、あの場で一番効果的であると熟知していたからだ。

 ザッグにとって暴力は単なる手段であって、それ以外の意味を持たない。

 一片の情を挟むことなく、綺麗に彼の中では殺人も暴行も割りきってあった。

 

 それは楽といえば楽なのだが……。


 以前にも危惧したが、今のままだと遅かれ早かれ、そのザッグ的な部分に馴染むか染まってしまうのは間違いない。

 そうなると待っているのは、只の虚無だ。

 それはそれで平穏かもしれないが、俺が望むのは植物のような生き方じゃない。


 あくまでも昨日のような達成感や喜びや、あと欲望なんかがあっての人生だ。

 そのために必要なのは――。


 スープを口に運びながら、俺は脇のテーブルでちゃっかり朝飯を食っているコボルトを見やった。

 俺の視線に気付いたのか、タルニコは尻尾をパタパタ振って挨拶してくる。

 頷き返した俺は、朝食をもりもりと平らげるテッサへ視線を戻した。


 今はまだ人材だの投資だのという名目でザッグも協力してくれているが、この先はわからない。

 不要と察したら、誰であろうと簡単に切り捨てようとするのは目に見えている。

 だからこそ、俺はもっとしっかりしないとな。


「どうした? ザッグ」

「いや、よく食うなと思ってな」

「うむ。ここの飯は、お前の言った通り美味いな」

「その食いっぷりなら、体の調子も元通りになったか」

「……もしかして、朝の続きがしたいのか?」

 

 サラダのリンゴをシャクシャクと噛んでいたテッサが、白い頬に赤みをさしながら尋ねてくる。

 どうやらワンピースの胸元を盛り上げる膨らみを、じっと見つめていたのがまずかったようだ。

 確かにそこもたいそう魅力的だが、俺が眺めていたのはその手前に映る文字の羅列だ。


――――――――――

 名前:灰銀のテッサ

 種族:鬼人種

 性別:女

 職業:鍛冶親方

 技能:鍛冶技能Lv4、土精技能Lv2、槌術技能Lv1

 天資:鍛冶神の加護、剛力

――――――――――


 以前と比べ、土精技能のレベルが1上っている。

 昨日、棘亀を倒したことと関係はありそうだが、これだけじゃまだ断定はできない。

 もうちょっと色々試して、データが欲しいところだ。

 

 だが、もし関連性があるのなら、魔物を倒すことに大きなメリットが加わるな。

 レベル1でもあれだけ有能だった精霊術が、レベル2になったことでどうなるか非常に楽しみでもある。

 はにかみながら俺の返事を待つテッサに、やれやれと肩をすくめながら、この機会に以前から感じていた疑問を尋ねてみる。


「なあ、テッサは俺の目付きは怖くないのか?」

「うん。怖いかもな」

「その割には嬉しそうだな」

「そうだな。ザッグに睨まれると獲物になった気がしてゾクゾクする。それが凄く怖くて楽しいんだ」

「よく分からん」

「私も良くはわからないな。だが、その目付きは大好きだぞ、ザッグ」


 いきなりの告白に不意をつかれた俺は、熱を帯びた首の裏に手を当てながら立ち上がった。


「もう行くのか?」

「女将さんにせっつかれてるしな。さっさと魔物の頭を、市庁舎に届けに行こうかと」

「井戸の荷物って、棘亀の首だったのか。いつの間にって、あ、昨夜の用事はそれだったんだな」

「そんなところだ」


 門衛どもをハメたことを説明すると長くなりそうだし、また機会ができたら話すことにしょう。


「それじゃあ私は一度、店に戻るよ。そのあと魔物の死骸の下取りの話しにいくが、ザッグも同席してくれるかい?」

「結局、仕事を休ませるみたいで悪いな」

「ドルス一人でも、店番なら大丈夫さ」

「こっちの話はそう長くはないと思うが、いつ頃行くんだ?」

「うーん、頼まれた研ぎは午前中いっぱいはかかるな。じゃあ、昼過ぎに南門前に集合でどうだ?」

「分かった。また後でな」

「ああ、またな」


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