第8話 庇う者、庇われる者

 メダルドの姿を目にした時のロレンシオの反応が恐ろしく、配下が隠れ家に着く前に姿を隠せ、と指令を飛ばしたかったのに彼との繋がりが絶えたのをセルファチーは感じた。主従の間で遠話が届かない距離ではない。

 戦慄を禁じ得なかった。それはモルガーヌとの繋がりの絶え方と同じだった。

(知ったのか猫の耳飾りの秘密を⁉)

 胸の内で舌打ちする。

 どうやってその事を知ったのか。モルガーヌが話す訳がない。

 持ち主であるファヴァッリの話を立ち聞きしていた人間がいたのをセルファチーは知らない。その彼の死霊がメダルドに告げたのだ。

 セルファチーの思考は答えを見付けられぬままぐるぐると回った。直ぐに奪えると彼女を泳がせて作品作りにうつつを抜かしていたのが失敗だった。自由になれたことに浮かれて楽しみ過ぎた。

「どうかなさいましたか?先生メドゥサン

 ご主人様と呼ばれるより先生メドゥサンと呼ばれるのをセルファチーは好んだ。ヴァランタンは製作早々に水槽から出さねばならなかったがよく保っている。

 作品は奪われ昔捕まった時のように創造主である彼を裏切っているだろう。

 翼猫のイヤーカフを取返してこんな忌々しい国をさっさと捨てるべきだった。後悔しても遅い。メダルドの報復を受ける可能性がある。モルガーヌとは比べ物にならない彼の力をセルファチーは恐れた。連中がモルガーヌを捕えても何の意味もない。それをどうロレンシオに取り繕えばいいのか。こうなったからにはイオアンネスの至宝を諦めて聖ルカスに向かうべきだろう。

「私を守るんだヴァランタン」

「はい先生」

 従順に返すヴァランタンだとて捜査官に渡れば憎しみを込めて彼を裏切る。彼の継ぎ接ぎは真似出来ないが、主従関係を解呪する方法は編み出されているからだ。裏切らせない為にはどう作ればいいのか、今後はそれが課題になるだろう。机に向かい紙面を余人には理解不可能な暗号文字で埋めていく。

「先生、外が騒がしいです」

 思考を中断させられてセルファチーは苛立った。気になったとて外に出て確認させてはもらえない。

「暴れるんじゃないじゃじゃ馬が!」

 何かが壁に当たった震動がある。

「この小娘が!」

 声が痛みを堪えていた。

「手伝えアックアーリョ」

 知らない声だ。

 こんな時に誰を捕まえて来たというのか、小娘ということはモルガーヌではない。

 静かになった。物音が一行が一つ向こうの部屋に入ったことを教えてくれる。

 廊下での囁きが中断された《沈黙の帳》が降ろされたのだ。

「何があったのでしょう?」

「分からんが良いことではないな」

 一瞬メダルドかとヒヤッとしたがそうではなかった。

 誰も説明に来ないし外の見張りも定位置にいる。

(八方塞がりだ…)

 言い繕う言葉が見付からない。メダルドに復讐されるかもしれない、ロレンシオに告げて守ってもらうとしても、メダルドがセルファチーの支配をどうして脱したのか理由を訊かれるだろう。イオアンネスの至宝のことを打ち明けねば彼が無能な所為になってしまう。それは嫌だ。

 元来臆病な癖に自負心の大きいセルファチーは有効な説明も考えつかず復讐も恐ろしく、小刻みに震えて何も手につかなくなった。

「先生大丈夫ですか?」

「私を抱きしめるんだ」

「はい」

 それを部屋に拵えた監視穴から覗いたロレンシオは唾を吐いていた。



 昼食時、人前で食事を摂らないダンテは外で時間を潰す。大抵は茜府の近くの公園で読書している。昼食を摂らずに辛くないかと訊かれると、修行で断食は慣れていると答えていた。

 トゥーサンがダンテを捜すと公園のいつもの場所に仔羊はいた。何処かの事件に引っ張り出されていなくて幸いだった。

「ダンテ頼みがある」

 サッとダンテは料金表を取出した。それを受取ってポイっとトゥーサンは捨てる。

「アーッ」

「幾らでも払う!だから娘を助けてくれ⁉」

「何があったって?」

「ここでは言えん。付き合ってくれ」

「はいはい」

 大人しくダンテは従った。

 ディズヌフの捜査は終了していた。ヒクマトは何とか阻止しようとしたが、セルファチーの件はソワソントヌフに捜査権が移り、ディズヌフの誰もが納得出来ないまま中途半端な結末を迎えたのだ。勿論極秘事項として理由も説明されない。

 捜査上の重要な報告をヒクマトが恣意的に遅らせたとして処分が検討されている、という嬉しくないおまけ付きだ。

 だからヴェシエール親子は休暇に出ようとしていた。イヴェットのバカロレア入試の翌日だったことがトゥーサンを安心させた。

 洗い物をしたくない残したくないから遅い朝食をイヴェットは買いに出ていた。トゥーサンは使い魔のマイスから緊急の交信を受け急いで現場に向かった。家からそう遠くない場所だ。

 そこでは娘が恋人を守って闘っていた。体術はトゥーサンが教えた。相手も強くて体捌きからプロだと判った。男女の三人組だ。

「何してる⁉」

 大抵はトゥーサンを目にすると敵わないと判断して逃げるのだが、連中は逃げもせずにモルガーヌを捕まえようとしていた。

「逃げて⁉」

 またもやモルガーヌは逃がされた。しかし今度はそうはいかない。トゥーサンの娘なのだ。だが連中から放たれた魔法とイヴェットの魔法がぶつかり後ろに投げ出された。すかさずトゥーサンが捕まえて後ろに庇う。

「貴様ら、俺の娘に怪我の一つでもさせたら死んだ方がマシな目に遭わせてやるからな」

 長年犯罪者を相手にしているだけに凄味のある啖呵だった。虎の子の使い魔を召喚する。

 現れた持ち主を越す背丈の不気味な化け物に三人組は怯んだ。

「あれはモルガーヌの男だ」

「捜査官のヴェシエールか?」

 イヴェットは《魔法の紐グレイプニル》に捕えられている。

 目撃者は殺すのだが捜査官とその娘では跡が面倒だ。だが捜査官はモルガーヌの恋人だという。

「娘を返して欲しければその女を渡せ、取引だ」

「分かったわ」

 立ち上がって前に出ようとしたモルガーヌをトゥーサンは制した。

「トゥーサン!」

 の声に

「人が来る!」

 一味の女が告げる声が被さる。

 地面から鳥の翼が生え、ズズズと巨大な鳥が四人を乗せてせり上がった。

「待て!娘を返せ!」

 召喚獣に飛行能力はない。

「おって連絡する」

 三人組はイヴェットを捕えたまま飛び去った。

「トゥーサン、ごめんなさい…。何もかも私の所為だわ」

「ああ、今度こそ全て話してもらうぞ」

 彼女には告げなかったがイヴェットには追跡用の使い魔モップを付けおいた。気付かれねば三人組の行く先が分かるだろう。

「で、場所は判った?」

 声に感情をダンテは込めなかった。

 三人組はセリーヌより遥かに優秀で、程なくモップの存在は気付かれて始末された。

 高祖母から譲られた使い魔をどちらも失ってしまった。

「ご愁傷様。で、何すればいいの?」

「協力してくれるか?」

「仕事でなくて人助けだから、それなりに…」

「全面協力してくれ、金は後で幾らでも工面する。恩に着るぞ」

「皆さんそう仰って踏み倒されます」

 トゥーサンも薄々その結果は分かっていた。が、ここは何としてもダンテの協力がいる。正規の部下達を使えない現状ではダンテに頼るしかないのだ。

「そこを頼む」

 深く頭を下げた。

「取敢えず友情協力で出来る部分で考えようか」

 返答はつれなかったが協力はしてくれるのだ。

「その代わり嘘偽りなくが原則だから。バレた時点で協力は終わる」

「了解した」

「じゃあ彼女からも話を聞きましょうか」

 覚悟していたが指名されてビクッとする。

 普段ダンテの肩で大人しく眠っている蛇どんが興味深げにモルガーヌを見詰めていた。

「もう聞いたのか?」

「いや、二度手間になるし時間も掛かるから一緒に聞くつもりだった」

「じゃあまず彼女の正体を訊いていいかな?」

「正体?」

 モルガーヌならずともドキッとする。

「俺には解らないんだ。人間だと思うのに違和感があって、人間だと言い切れない感じがある」

「俺には人間としか思えない。他の何物の感じもない」

 それは二人の実力差であることはトゥーサンも察していた。

 彼に促されてはモルガーヌは遂に全てを打ち明けた。

 捜査に当たってトゥーサンは『継ぎ接ぎロラン』の事件の記録を丸暗記していた。その中に確かにモルガーヌという継ぎ接ぎから作られたセルファチーの妻はいた。

 続く七十年以上の孤独な逃亡生活。そこまでは受け入れるのは容易かったが、「イオアンネスの至宝」ともなると思考がぶっ飛んでしまった。それがセルファチーの支配から彼女を脱させて今日まで命を永らえさせたなどと。

 聖ルカスの大宰相にして大魔法師イオアンネス。グアルテルスの帝位簒奪に際して姿を消して、以後の行方は不明となっている伝説の人物だ。

 魔法では金属、特に鉄を加工することは不可能だ。なのに聖ルカスの皇家テミス家は奇跡の金属オリハルコンに唯一魔法が掛けられる人類だった。その象徴が藤色の瞳孔だ。暗がりや一見したところでは気が付かないが、明るい外に出れば彼らの瞳孔が藤色なのが判別出来た。

 しかしだからといって誰でもオリハルコンに魔法を掛けられる訳ではない。同じテミス家で藤色の瞳孔を持つグアルテルス帝だとてオリハルコンに魔法は掛けられなかった。噂では一族のほとんどの人間にはその力が失われているという。

 オリハルコンも太古に海中に没した大陸でしか産出されず、現在ではごく少量が法外な値段で流通しているに過ぎない。トゥーサンの知識ではイオアンネスは古い家系の生き残りで、先祖からある程度のオリハルコンを受け継いでいた、というものである。殺害された先帝にしろその家族にしろ彼以外の当時の一族は、どんな形態にしろオリハルコンの細工物など公表していなかったからそう考えるしかなかった、というのもある。

 彼が魔法で作った物で有名なのは「イオアンネスの七振り」だ。だが、元は魔力が弱く寿命が短い身近な人間や功臣に細工物を与えたのが始まりらしい。それらの総称が「イオアンネスの至宝」である。

 細工物は贈られた者の寿命を延ばした。有名になるにつれ贈られた者達は口を噤んだから、実際に幾つ作られて誰に与えられたかはまるで解かっていない。

 ドワーフの細工物も不思議を起こすことで有名だが、イオアンネスはその技を身に着けていたのかもしれない。

 グアルテルスの簒奪でアルトワ・ルカスに亡命した人物の中にイオアンネスの細工物を持っている者がいてもおかしくはないが、それが自分に関わって来ることになるとは全く考えもしなかった。

〔「イオアンネスの至宝」を七十年以上持っていたと?あれは作った本人も意図せぬことをする〕

 初めて蛇どんの声を聴いたが、低い落ち着きのある美声であった。

「蛇どん、だったかな?意見を聴かせて欲しい」

 どれ程生きていたのか、蛇どんからは太古の魔法の息吹が感じられたから、いずれかなり魔力の強い魔物なのだろうと一目置いていた。

〔…魔法で作られ魔法生物となってイオアンネスの細工物を肌身離さず持っていたにしては不味そうだ〕

 蛇はトゥーサンに向き直って舌を出した。

〔お前は美味そう〕

「解からん」

「彼女からは持っているはずの魔力が感じられない、ってことだ。魔法生物では考えられない。先日回収した継ぎ接ぎだって魔法で作られたんだ。当人が使える使えないに関わらず魔法の匂いがプンプンしてた」

 蛇どんの主食は生物の持つ魔力だ。たくさん持つ程美味しそうに感じ、ない者には不味いと表現して一顧だにしない。

 つまりトゥーサンの感覚はおかしくなった訳ではない。彼女を継ぎ接ぎと見分けられなかったのも不思議はないことになる。

「死にたての新鮮な魂と死にたての肉体を天才が継ぎ接ぎして、イオアンネスの魔法とオリハルコンが作用した」

〔説明するならば、そうとしか言えぬだろうな。吾にしても不思議だ〕

 息を詰めてモルガーヌは聞いていた。

「それは、七十年もイオさんの細工物を持ってた所為で人間になった、ってことか?」

 大宰相で大魔法師の名をトゥーサンは省略する。仕方ない長い。

〔ほぼ…この女の正体を見抜ける者は只者ではなかろうな〕

「それは…人間として生きても差し支えない……ってことか?」

〔さて…それは人間の受け取り方次第だろうな〕

 肩に戻ると蛇どんはまた目を閉じた。

「おい、待て、寝るな、思わせ振りなこと言っといてほったらかしにするなよ」

 蛇どんは気にしない。

 続きはダンテが引取った。

「少なくとも彼女の幸せを願うなら、逃げた人工人間がここにいました、って通報しないことだな。警吏の正義の血が騒いでも。そんなことしたら彼女は人間ではなくなる。書類上な。メテオール・スエが狂喜乱舞して二度と会わせてもらえないのは確実。イカレてるのはあの部の連中全員だけど」

 メテオール・スエ、犯罪研究科魔法生物部のイカレ科学者だ。

「そんな…」

 モルガーヌが小さく声を上げた。

「……俺の見解はね」

「ああ、言ってくれ」

「純粋な人間ではないから子孫は残せない。魔力もないから寿命は精々五十年保てばいい方。老いはない継ぎ接ぎされたから。身体機能が低下してある日突然動かなくなる。それを『死』と形容出来るかどうかは取り方次第。実験で残された人工人間も死んだとは記載されないんだ、もう死んでるんだから。あの頃のスエに発言力が有ったらどんな目に遭ってたか分からないな」

「五十年も生きられるの?この身体で?」

 二年だと覚悟していたから吃驚した。

「推定だから短くなる可能性は大だ。そうなれば護符が無くても君の死霊は取出せない。無いし。うん、これは連中細切れにして調べたがるな。セルファチーは間違いなく天才なんだ」

「そんな言い方しないでくれ。彼女は継ぎ接ぎロランの被害者なんだ。分かった、モルガーヌは人間でいいんだな」

「…いいんじゃないかな。師匠だって彼女を探らないと分からないだろうし。俺の見解が正しいかどうかは分からないよ。もっと寿命が短いかもしれないし、死の間際には身体が腐ってきたりするかもしれない」

「承知した」

「それと、…一つ注意した方がいいと思うことがある」

「何だ?」

「神殿やらその関係者には近付かない方がいい気がするんだ」

「見破られる恐れがあるということか?」

「感じないか?彼女は人間だと感じるのに何処か違和感があるんだ。それは只者でも感じるんじゃないかな?特に宗教関係者はそういうの敏感に覚って、探り入れて来るから用心するに越したことはない」

「分かった。感謝する。口外しないでいてくれるんだな」

 何を引き換えにされても沈黙を買わねばならない。

「人の不幸の片棒なんて担ぎたくない。死霊にされてこれ以上の不幸を背負わなくてもいい。幸せになれるならなったらいいんだ。それに、モルガーヌ、君は誰も殺してないだろう?」

 汚れのない完璧な妻を欲しがったセルファチーは、手術を手伝わせたが彼女の手は汚させなかった。

 それはトゥーサンにとって嬉しい報せだ。

「善良な魂が死霊になったとはいえ人殺しをさせられたら心を病むんだよ」

 だからほとんどの仲間は処分されたがった。テレザも新しい人工人間達も支配が移って皆それを願った。セルファチーは生前善良だった者程汚れ役を振っていたのだ、仲間達のことを思い出さない日はモルガーヌになかった。

「君が幸せなのは、継ぎ接ぎロランに勝ったってことだ」

 その言葉はモルガーヌに刺さった。

 自分だけ、そんな思いが彼女にはあった。汚れ仕事をさせられず、セルファチーの支配から脱し、幸せを掴もうとしている。自分だけ幸せになって仲間達が許してくれるだろうか。許される訳がないではないか!なのに自分はトゥーサンと相思相愛になってしまった。許されないのに一時でも愛し愛される歓びを得てしまった。

 責め続けた自分に許しを得られた気がして静かに涙した。


「で、どうして欲しい?要求の報せはあった?」

 ようやく現在に辿り着いた。

「まだだ」

「いくら何でも魔法の残滓から行方を追えっていうのは無理だからな」

「それは頼まない。場所の見当はついてる」

「ほう?」

「以前少女の継ぎ接ぎに襲われたことがあると話したろう?」

「それな!美人だった?ロランの継ぎ接ぎは美形ばっかりだって聞いた」

 俄然ダンテは身を乗り出した。

「お前~~、無神経だと思わんか」

「話の腰を折らないようにその時訊くのは我慢したんだ。診療所に居たのは美形ばっかりだった」

 確かにそうだった。

「マノンに話してやろうか」

「うほへぇーー」

(なんつー驚き方するんだ。バレバレだぞ)

 能力の割に大人げない。前から感じていたが、ダンテは意外と若いかもしれない。

「人工人間の女性に興味津々だった、てな」

「止めてトゥーサン。セリーヌは綺麗な子だったわ。ロランは娘を初恋の人に似せてるの」

 モルガーヌは苦い笑みを浮かべた。

「昔もそんな娘がいた記録があるな」

 その時は歳の近い美少女姉妹だった。声は上擦っていたが早くもダンテは精神的再建を果たしていた。

「昔話は後に取っておけ、話を進めるぞ。襲われた時にモップに追わせたんだ。地下の、絶対行きたくない区域だ」

 勝手知ったるトロザだが、その場所を知ってトゥーサンは眉を顰め直ぐに捜査は行わなかった。

 その一画は地下の住民でさえ近付かない危険な上に危険な場所だ。

 非合法な実験で捨てられた失敗作や召喚されて穢されたものの浄化が面倒で捨てられた魔物、そこに潜り込んでさらに酷い実験を繰り返す凶科学者や魔法師等々が暗闇に蠢いている。

 一人では危険この上ないが事情を話せないから部下は呼べない。そうなれば口の堅そうな人間で、地下で彼をサポート出来るのはダンテだけしか浮かばなかった。急に引っ張り出されたりするから居なくても不審がられないし深追いもされない。

 一旦別れて再合流すると、いつもと違う被り物でダンテは現れた。

「蛇か、仔羊よりはいいな」

「ただの蛇じゃない。グローツラングだ」

 南のアクスマ大陸の伝説の怪物で、宝石のような瞳でダイヤモンド鉱を見付けるとも守っているとも謂われている。宝石のようにキラキラ光る魔晶石が目に嵌め込まれていた。

 それにはノーコメントで細長い円筒形の魔法灯の中に火を灯して階段を降りる。グローツラングの目が光ってダンテに魔法灯はいらない。

 モルガーヌと離れるのは不安だったが、ダンテが守りを置いてくれたので取敢えずは安心だ。何を置いたのかは教えてもらえなかったが。

 地下を流れる川が地中を削った為に大地が陥没した場所に、当局によって地下に降りる階段が作られ、鉄扉で堅く閉ざされている。そこから入るのが目的地に一番近い。管理局に借りた鍵で開けるとムッと饐えた空気が押し寄せて来た。

「くっせぇな~」

 何百回来ても臭いに慣れることはない。そこは地下への前室のようになっていて、対面にもう一枚扉があるのに頭がおかしくなりそうな臭いが充満している。目にも攻撃が来て目をしばたたいた。

 するとダンテは肩から下げた頭陀袋を探りバンダナを差出した。

「消臭バンダナ、どうぞ」

 茜染めされている。

「メルシィ、気が利くなお前」

 鼻と口を覆うと本当に臭いを感じなくなり、目に沁みる刺激だけが残った。

〔形容し難い臭いがする〕

 美声に振り返ると蛇どんが頭を擡げていた。

「どんな匂い?」

〔旨そうな匂いにも感じるが、腹を壊しそうな予感もある?…時によって風化することなく淀んで変質した黒魔法の匂い、と言えば理解し易いか?食えるが珍味だ〕

 人型を取らない魔物が話す時の独特の響きが地下でさらに響く。

「食べたい?」

〔吾にはこの上ない馳走だ〕

「マジか!とんだ悪食だな。食えそうなら食っていいがな」

「ちょっと待ったトゥーサン!蛇どんの資質少しは理解してます?蛇どん今のは無し、無しね」

「特別強力な魔物でそんじょそこらの魔物じゃないな。だが悪い気は不思議と感じない」

 ちゃんと心得て発言したつもりだ。それにここは悪いモノしか巣食っていない場所だ。

「それは食料として人を食べることを悪だと考えてないからだ。人の生死なんて俺達にとっての魚の生死と同じなんだ。食欲を解放させたら見境なく食べちまう」

〔そんなことはない〕

 蛇どんが反論する。

〔面倒だが人間は区別してやろう〕

「ホントにぃ?」

 ダンテの口調は疑わし気だ。

〔うむ、約束しよう〕

「……なら俺らの仕事を邪魔しないことが第一条件、そして食べていいか俺に訊いてからにすること、いいか?」

〔応じよう〕

 と言いつつ前室を抜けると蛇どんはスルスルと制止する間もなくダンテから離れてしまった。

「こらこらこらぁ!」

〔人は喰わん人は喰わん、それは必ず守る〕

 細い隙間に入ってしまって捕まえられない。

「守るでしょうけども!トゥーサンが余計なこと言うからだ!」

 きちんと誓わせておかなかったことを後悔する。

「何だ坊ちゃん心細いのか?」

「俺は寂しがり屋なんだよ!」

 揶揄っただけのつもりだったのに、意外に直球で返されてトゥーサンは驚いた。

「そうなのか?全然そんな風には見えなかった」

「シャイで寂しがり屋なの!仕方ないなぁ、キュイア」

 コックェリコ

 と応えて現れたのは黒い尾羽の褐色の雄鶏だった。

「???????」

 トゥーサンは果てしなく謎だった。何故今雄鶏なのか?デカくて強そうではあるが、いざという時の囮にでもするつもりか。

「美味しそうだろ?」

 クェェッ

 責めるように雄鶏が鳴いた。

 答えに戸惑う。何となく人語が解かる気がする答えずにいた。

「じゃあ行こっか」

 羽根を散らしてキュイアは飛び上がると、ダンテの頭を跨いで両肩を掴み鼻息を噴かした。巨大な鳥が蛇を捕獲している。蛇を食べる鳥もいることを考えると雄鶏は美味しい鳥ではなく鷲の如き迫力を持った猛禽に変じた。

(お前、人知れず喰われたい願望でもあるのか?)

 使い魔とはいえ常に蛇を身体に巻いたり、選ぶ被り物は草食系だ。密かに同僚の嗜好が心配になった。

「重いよ」

 先に歩きながら乱暴にダンテは雄鶏を払い落とした。

〔いってぇぞゴルァ〕

 ガラガラ声で叫ぶ。

(喋れるのか!)

「気にしないでいい。寂しいから出しただけで愛情も何もないから」

〔てんめぇ、言っていいことと悪いことがあんぞゴルァ〕

「はあ?お前俺のこと愛してんのか?気色悪いから止めろ」

「え、おい、こいつって」

 何気に雄鶏を感知して思わず声が上がった。

(七十二柱?え?七十二柱?ホントか?俺間違ってないか?)

「おいダンテ、こいつって…」

 蹴りを放ったキュイアを躱して翼を掴むとダンテは乱暴に投げた。

「前に俺に喧嘩吹っ掛けてきたから雄鶏にしてやったんだ」

(え~~~~~~えええええ~~~~)

 驚愕は声にならずトゥーサンを凍らせた。

 召喚に立ち会ったことはあっても、未だかつて七十二柱の悪霊を使い魔にした者に出会ったことがなかった。魔物界を代表する魔物達なのだ。それなのに雄鶏にしてやったなどと、下っ端でも七十二柱なんですけど?と俄かに信じ難いがダンテならやるかもしれない。

 常々魔力が強い奴だとは思っていたが桁違いだ。

「おま、お前、何者だ?」

 ようやく精神的な解凍がなされて慌てて追い付く。

「?お見知りおきのシャイなダンテですが?」

〔いつからシャイの意味が変わったよゴルァ⁉い~つ~か~この仕返しはしてやっからな!〕

「師匠が言ってた。いつか、なんて言ってたらその日は来ないってな」

〔黙れ黙れ黙りおれーーっ、小童が⁉〕

「そうね、三千歳だっけ?もっとかな?幾つになっても若々しいですね、お爺ちゃん」

〔吾輩は五万年の時を存在してきた〕

「五万年ですか、そりゃ脳味噌もボケ通り越して若返り過ぎて幼くなりますな」

 クエエエエェェェェッ

 奇声を上げて蹴りかかるが躱されて細長い首を掴まれてしまう。

 奇声や魔法の波動に釣られて嫌な感じの気配が四方から近付く気配がした。

「ダンテ騒がせるな。下手なのに邪魔されたら堪ったもんじゃない」

 相手に気付かれる恐れもある。

 するとキュイアは嘴枷で静かにさせられリードを付けられまるでお散歩の体だ。

(神霊物質で嘴枷作りやがった)

 破格の才能だった。

 その間にトゥーサンは先に立って案内する。とはいえ彼にも不案内な場所ではあるのだが。

 と、とある一画の気配がゴッソリと消えた。

(蛇どん…なのか?そうなんだろうな)

 もう驚くまいとトゥーサンは気を引き締めた。

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