2-8 ヴェルトロア王国王宮謁見の間で花瓶が・・
ピピピッ。ピピピッ。ピピピッ。
「おうう・・」
手で探った先にスマホが触り、取り上げる。6時だ。起きねば。朝ご飯とダンナのお弁当の支度だ。自分のお弁当も作るけど、それは残り物をガサガサ詰めるだけなので、どうでもいい・・職場の仲間は大体同じ境遇の主婦だから、皆どうでもいいお弁当を持ってくる(笑)・・
ん?
目をあけたら青い天井が見えて、思い出した。ここは自宅じゃなかった。
スマホのアラームを切って起き上がる。
ここは王太子様の部屋で、私はソファと布団を借りて寝ていた。ふと見ると、部屋の真ん中にローエンさんが立っている。そう言えば立ったまま寝てたんだった。大丈夫か?
立っていって声をかける。
「ちょっと、ローエンさん。生きてる?」
「・・うぬぉ・・まだ朝早かろう、ネレイラ・・」
「なんでネレイラさんが出てくるかな。」
ネレイラさんとはガルトニ王国に仕える女性魔導師さんで、ローエンさんのライバル?な人である。
「あれ?精霊さん達がいない。」
寝る前にわちゃわちゃと割れた花瓶を修復していた地の精霊さん達が、一人もいなくなっていた。そしてあの花瓶は元通りに、本当にきれいにキズ一つ無くくっついていた。新しく作られたルシッサちゃんの像も、継ぎ目も見えないほどなめらかに花瓶に貼り付けられて、前からそこにあったかのようだ。
「ふお~~すごーーーい!!」私はユッサユッサとローエンさんを揺さぶった。「これヤバいじゃないですか!!起きて早く見て下さいよ!」
「うぅ・・」
やっと目が覚めたローエンさんは、私の顔を見てなぜか飛び退いた。
「お、折田!」
「何ですか、人を見てびっくりするとか失敬な。それより、終わってますよ!めっちゃいい出来です!地の精霊ちゃん達、すばらしいですよ!」
できばえを見て、ローエンさんは安心したように息を吐いた。
「やれやれ、間に合ったか・・」
「これ、王妃様や王女様に知らせた方がいいですよね!」
「ああ。そうだな・・どれ。」
ローエンさんは花瓶に蓋をし、しっかりと布でくるんで結ぶと抱え上げた。
「自分で持ってくんですか?」
「うむ。まだ仕事がある。王妃陛下への報告はわしがしておく。お前は王太子殿下をお起こしせよ。」
「了解。」
立ったまま寝ていたローエンさんはどこやら痛むのか、よろよろと出ていった。
ほぼ入れ替わりでカルセドくんとエリオくんが戻ってきたので、王太子様を起こしてもらい、軽くお風呂に入って朝食をとる。
私も王太子様も肩の荷が下りて、非常にすっきりした気分で食後のお茶を飲んでいると、ノックの音がした。エリオくんが応対に出ると、王妃様と王女様がいた。
「おはよう、ラルドウェルト。おはよう、オリータ。」
「おはようございます。」
「おはようございます、母上、姉上。あの・・何かありましたか?」
時計は7時半。息子または弟の様子見に来たと言うには、ちと早い時間かもしれない。不安げな王太子様・・まさかローエンさんが花瓶を割ったとか言わないよね。
「食事が済んだのなら、私と一緒に来なさい、ラルド。すぐに打ち合わせです。」
「打ち合わせ?」
「今日は特使イルギリ侯爵との約束の日。花瓶も無事元に戻ったので、あとは貴方が最後の幕を引くのです。」
「え・・私が?!」
「貴方がお父様の名代で謁見した際に起きたこと故、最後まで面倒を見よ、とのお父様の仰せです。筋書きは用意しました。これからそれを覚えてイルギリ侯爵に相対してもらいます。」
「あ、あの・・ちなみに父上の腰は・・」
「まだ芳しくありません。故になおさら貴方が・・将来の国王たる貴方が、この件を収める必要があります。さあ、立って用意をなさい。エリオ、支度を手伝って。」
顔をこわばらせたまま立ち上がった王太子様は身支度をし、10分後にエリオくんとともに王妃様と出て行った。
「そんなに心配そうな顔をしないで、オリータ。」
残った王女様が、私の向かいのソファに座った。
「あ、すみません・・頼りないとか思ったわけじゃないんです。ただ・・」
「17歳の弟が狡猾なイルギリ侯爵に言いくるめられはしまいかと、心配してくれているのね?」
「まあ、そんなところです。」
「お母様と宰相殿も付くので、そんなに簡単に言い負かされないでしょう。先日は思わぬ言いがかりで、こちらも対応に手間取りましたが今度は準備があります。ただ・・そのことで貴女には謝罪しなければなりません。」
「謝罪・・?どうしてですか?」
「あとでウェルトにも謝罪しなければなりません。つまり・・」
王女様は説明を始めた。
ここは王宮の謁見の間。
通常国王が座る玉座に、威儀を正した王太子ラルドウェルトが座った。
向かって左に王妃と武官筆頭の騎士団長エドウェル・ランベルン、右に文官筆頭の宰相アルネス・マースデが座っている。2人はそれぞれ謁見の間の両脇に、謁見の間に入ることを許される高位の武官と文官を従えている。今日は、杖や件を身体の支えにしている者が多い。
そしてそれらに挟まれるようにツボルグ王国使節団が座っていた。特使のイルギリ侯爵は、これも杖を支えに座っているが、高圧的な態度は崩さない。
「国王陛下ご名代ラルドウェルト・ブリングスト・ヴェルトロイ王太子殿下にあらせられる。」
儀典長の声に、武官・文官が一斉に右手を胸に当てて礼をする。
ツボルグ王国使節団も同じく礼をするが、杖を使うイルギリ侯爵はその姿勢が辛そうだった。それでも、かすかな笑みを浮かべて話し出す。
「お約束の2日が過ぎましたので、エルデリンデ王女殿下のお輿入れの件についてのお返事をいただきたく存じます。ご出立はいつになりましたでしょうかな?」
「出立?」ラルドウェルトはにこりと笑う。「何の話か。姉上はどこにも行かぬが?」
イルギリは片方の眉をピンと跳ね上げた。
「はて。貴国は、我が国の友好の証である花瓶を破損させたのですぞ。王族同士の婚姻にて我が国との結びつきを深めることで、友好の明かしたる花瓶に換えるのです。さもなくば・・」
「我が国に侵攻でもするか?花瓶一つで大層な手間を取るものだ。もう一度言うが、姉上が貴国に行くことはない。その代わり、ツボルグ王国と我が国の関係は今まで通りだ。攻めもせず、攻め込まれることもない。」
「攻めもせず、攻め込まれることもない。」ぐい、とあごを挙げてイルギリはラルドウェルトを見やる。「誠にそうですかな?」
「無論だ。」
「ガルトニ王国王太子とエルデリンデ王女殿下の間柄・・我が国が知らぬとでも?」
「・・何を知っていると?」
「ガルトニの王太子が過日、エルデリンデ王女殿下に結婚を申し込み、それを承諾したと聞いております。」
「ああ・・」ラルドウェルトはちらりと母・王妃を見た。王妃も小さくうなずく。「内容は少々間違っているが、方向としては・・正しい、かな?」
「では、言わせていただきましょう。そうして大国ガルトニを味方につけて、いよいよ2国で我が国ツボルグ王国を蹂躙せんとの考えなのでは?!」
「そのような考えはないな。なぜそのように思われる?」
「我が国は小国ながら、隊商がこのエリオデ大陸全土に出かけて商業を展開するほか、天然の良港を幾つも保有し、エリオデ大陸のみならず、海を挟んだビジュー大陸にまで出かけてゆく・・国土は三王国の中で最小ながら蓄える資産はかなりのものです。現ツボルグ王家を放逐し、国を奪取した暁には貴国の国力は2倍、3倍に一気にふくれあがる!」
「ああ・・確かにそうなるだろうな。そうしようと思えば、の話だが。」
「やはり、そうであったか!!我が国に攻め込む算段、とっくについておられるといったところか!だが、我らもただではやられはしませぬぞ、この大陸には味方はなくとも、ビジュー大陸から豊富な資産で武器を買い付け、返り討ちにしてみせましょう!しかしながら・・戦中・戦後にかかる出費のあれやこれやを考えれば、やはり戦などない方が得策。ここはやはり王女殿下を・・」
「思えば、と言っただろう。やるとは言っておらぬ。」はあ、とため息をついて手を振る。「あの花瓶をこれへ。」
「花瓶ですと?壊れたものをお返しいただいても、何の役に立ちましょう!」
「壊れてはいない。その目で確かめよ。」
「は・・?」
金の縁取りを施した赤布にくるんだ箱を持って、侍従のマーカスが進み出る。
「ご覧下さいませ。此度は、確かに無傷でございますれば。」
眼前のテーブルに不必要なほど恭しく置かれた包みを、イルギリは慌ただしくほどいて蓋を取り・・
「なんと!!」
驚愕する。
花瓶は完全に元に戻っていた。どこにもヒビ一つ無いばかりか、装飾として付いていた女性像が少し違って見えるような・・ちょうど正面に向いている女性、花の妖精ルシッサは薔薇を口にくわえ、花瓶の縁にほおづえをついていた。その表情は憂えるようでいて、それでいてすねているようでいて、なおかつ愛嬌がある。流麗に流れる衣と、しなやかに、そして絶妙な角度でひねられた身体には、かわいらしいつるバラが巻き付いている。二つに結い上げた髪は緩やかに背中から流れ落ち、足下で薔薇の花のように渦を巻いていた。
(はて、これほどまでに麗しくあったろうか?)
「手にとってしかとみるがよい。確かに貴国よりの贈り物かどうか、その目でとくと確かめるが良い。」
王妃がそう言ったが、手に取るまでもなく元通りで・・いや、元のものより明らかに、数段見栄えが上だった。
イルギリは愕然とした。
「こ、これは・・いったいどうしてこんな・・」
箱に手を差し入れ、イルギリは花瓶を取り上げる。
そして、じっくりと矯めつ眇めつ、様々な角度から点検した。もしや精巧な偽物か。だが、底に絵の具で描かれた印は確かにツボルグの窯元のもの・・ならばどこかに一筋のヒビでもありはしないか・・
「あ・・ああっ!!」
突然の叫びとともに、イルギリは突然花瓶を放り投げた。
慌てて拾おうと手を伸ばすが、腰に激痛が走り、悲鳴を上げて床に崩れ落ちる。
花瓶は入っていた箱の角にぶつかり、テーブルを転がり・・石の床に向かって落ちた。 甲高い音が謁見の間に響き渡る。
イルギリの目の前で、花瓶はルシッサ像もろとも粉々に砕けていた。
「何をする!!」ラルドウェルトは立ち上がって叫んだ。「そなた・・その花瓶をなんと心得るかっ!!」
「ああ・・ああ、王太子殿下・・その、これは決してわざとでは・・」
イルギリは弁解しようとするが、ラルドウェルトは激高していた。
「黙れ!それを修復するために我らがどれほど・・」
玉座の手すりを握りしめるラルドウェルトの手に、そっと何かが触れた。母である王妃の手だった。
「母上・・」
「お座りなさい。」
穏やかに言われ、ラルドウェルトは深呼吸する。
「・・申し訳ありません。母上。」
「良い・・特使殿に、私から一つお話ししたきことがあります。お座り下さい。」
従者に支えられて椅子に座ったイルギリに、王妃は話し出した。
「説話集『カエルの世間話』の中の一つ、『川辺の少女の話』の主人公ルシッサはご存じですか?相手が水面に映った虚像とも知らず、自分の薔薇を守るため虚像を追い払おうと叫び、あげくに自分の薔薇を失う・・愚かなことです。」
イルギリはなでさすっていた手を止めた。
「・・その娘が・・我が国だとでも言われますのか?我が国への侵攻は虚像であって、その虚像に吠えて・・失敗すると?」
「どのように解釈するかは貴君の自由ですが・・虚像に吠えて何も得るものが無く帰れば、ツボルグ王国の無様さが各国に伝わり評判に・・いいえ、推測はよしましょう。ここにはただ・・友好の証、それも我々が修復し、フロインデン女神の恩寵まで受けた花瓶を貴君が割ったという事実があるのみ。」
「フロインデン女神の恩寵?!」
「そうです。あの花瓶は、我が国の守護神フロインデン女神の手が最後に加わって仕上げられたものです。まあ、信じるか信じないかも貴君にお任せしますが、女神の手になる花瓶を割った貴君が一体どうなるか。女神様のお怒りなど・・いえ、やはり推測は止めておきましょうね。」
神の怒りと聞いて息をのむイルギリだったが、それでも何とか立ち直る。
「し・・しかし!!妙だったのです!私が持ち上げた瞬間、急に花瓶の表面が熱くなり、とても持ってはいられず・・」
「花瓶が熱く?何故にそのようなことが起きるのです。それこそ信じられましょうか。貴君が取り落とし、割ったことに変わりはありませぬ。友好の証たる花瓶をそのように扱われたのでは、貴君に、ひいては貴君を派遣した国に娘を託すなど、到底出来かねます。」
王妃は厳然として言った。
「その割れた花瓶を持ち、帰国されるが良い。安心なさい、修復を無碍にされたなどと、そんなつまらぬ理由で侵攻などしませぬ故。つまらぬ疑いなど捨て、これまで通りの対等な友好・通商関係を続けることこそ最も損失のない、上得策でしょう。宰相マースデ殿。」
「は、これより後は万事良きように取りはからいます。」
「頼みます。ラルドウェルト、私達はこれで。」
「あ・・はい・・」
二人は静かに立ち上がり、従者達とともに使節団の脇を歩き去った。
「では、これより少しお時間をいただきます、特使殿。今後のことをゆっくりと話し合いましょう。」
宰相が言うと同時に、両脇に1列ずつになって座っていた武官・文官達が椅子を移動し、円を描く。
囲まれ、視線を一身に受けてイルギリはがっくりと肩を落とした。
「・・ということで、今頃花瓶は砕け散っている頃かと思われます。」
「・・・・・・・・・・・はあ。」
ポッポー、と鳴きそうになった。鳩が豆鉄砲を食った気分である。
「本当にごめんなさい、オリータ。フロインデン女神様にも、今朝クローネとカルセドを使いとして供物を持たせ派遣し、お詫びさせました。」
「えーと・・人選に味わいがありますね・・」
何を言ってるんだか自分でもよくわからない。
花瓶が、あの手間ひまかけた花瓶が、女神様が手伝ってまで完成したあの美しい花瓶が今、木っ端微塵になっているという事実で頭がいっぱいである。
怒る気にはならなかった・・でも、心が空っぽというか・・昔、めちゃくちゃ気合い入れて描いた美少年の顔に墨をこぼした時以来の虚無感である。
が、心底申し訳ないという顔の王女様を見たら、それも薄らいだ・・
19歳の王女様にこんな顔をさせていつまでもグダグダ言うのは、いい年の大人のすることではない。
「あれですよね・・この方法が一番、その・・要らない労力を使わないというか・・」
「ええ。」王女様はうなずいた。「お父様や重臣達と縷々協議しました・・様々な案が出ましたが、我が国の国力に見合い、出来るだけ民にも負担をかけないとなると・・」
「ちなみに他にはどんな案が?」
「そうですね・・花瓶の修復が間に合わなかった、もしくは修復された花瓶で交渉が破綻した場合の措置を考えていたのでが・・特使殿を人質とし、命と引き替えにこれまで通りの関係を要求する、特使殿を極秘に呪って帰国させ、ツボルグ王国に災厄をまき散らす、私が乗り込み直接国王を呪い関係を元に戻させるなど・・最悪の場合はヨシュアス殿下に書簡を送り、ガルトニの戦力を借りてツボルグをおびやかすことまで考えましたが、これは現在の殿下とそのお父君のお心には沿わない上、狼の威光を笠に着る狐のごとき浅ましき行為なので、出来るだけ避けたく・・」
「そうですねー・・」
出た案がどれもまあまあ殺伐としていたので、なるほど、犠牲になるコストが花瓶が一個に対する労力だけですむなら、そっちの方がいい。
「王太子様は大丈夫ですかね。」
心血注いだ花瓶が、目の前で割れるわけで。
「お母様から筋書きを聞かされているとは言え、実際にその場面になれば頭に血が上るかもしれませんね。でもお母様が側にいらっしゃるので、多分大丈夫でしょう。心の傷は残るでしょうが・・これも王族としてはやむを得ません。」
これも仕方ないだろうな・・傷つかない人生なんて無いし、あのポーションのように、キツくても無理矢理飲み込まなければならないこともあるのだ。
「ところで、特使さんが花瓶をうっかり落とすって、どうやるんですか?」
「魔導師殿が小さな魔方陣を花瓶の中に展開し、地の精霊を数人潜ませました。特使殿が手をかけたら、高温を発するように言い含めて。」
「まだ仕事があるって言ってたのは、それだったんですね。」
ふむ、ローエンさん、やるじゃん。性格はアレだが、仕事はきっちりやる人だな。
「あ、でももうちょっとポーションの味付けを何とかしてほしいなあ。効き目はそこそこあるけど飲みにくくて。」
「番号は何番?」
ローエンさんは番号でポーションを識別している。
「“10番”ですね。苦みと甘みが全く分離してるヤツです。」
「それは以前、試験勉強で使ったわ。確かに飲みにくかったわね。」
「やっぱり・・あ、王族の方にも試験勉強があるんですか?」
「ええ。初等学院(小学校程度)、高等学院(中・高程度)までは、王宮から学院に通って勉強します。その時に幾度か試験を経験しました。初等から高等に進級するときも進級試験があります。高等学院の上に学術院があるのですが、もちろん入学試験があります。私も今はそこの学生です。公務との兼ね合いが大変ですが。」
王都ヴェルロワの居住地区は噴水の広場を中心に放射状に延びる通路で、ピザカッターで切ったピザのように分けられている。噴水広場を中心に同心円状に商業地区、庶民の住宅地、貴族や騎士の住宅地が広がるので、ピザ一切れに付き、必ず庶民と貴族・騎士階級が含まれる。
「もちろん、地区ごとに一般国民と貴族・騎士階級の比率が違ったり、人数の違いはありますが、授業は同じ教室で受け、身分の違いによるひいきも差別も許されません。5代前の国王陛下の時代に整えられた学制ですが、これには身分に依らず優秀な人材を発見し、登用するという目的もあります。今の宰相殿もそのようにして登用された、王都の商家の出身です。宰相に任命されたときに第一文爵家に認定されました。ただし、“第一”はいつまで持つかわかりませんけれど。」
武爵・文爵の前に付く第一や第二の序列は当主一代限りのものであり、後を継いだ子どもが不甲斐なければ、後々降格か悪くすれば剥奪もあるそうだ。
「世の中甘くないですなあ・・」
「長く高い地位にとどまれば、初志とは違うところに行き着く者もいます。それを防ぐためです。話を戻せば私が城下の学院に通うことは、様々な人々の中でもまれる中で、己を見つめ、王族として何をなすべきか考えるよい機会でした。今はラルドウェルトが高等学院にいます。それから・・」
と、ノックの音がした。それからエリオくんの「ただ今戻りました。」という声も。
私と王女様は顔を見合わせ微笑んで、私が立っていってドアを開け、入ってきた王太子様に言った。
「お疲れ様でした!!さ、座って下さい!」
「オリータ・・」
王太子様の目が少し赤くなる。
「花瓶・・が・・」
「聞きました。」
「すまぬ・・お前があれほど力を尽くしてくれたのに・・」
「いいんですよ。理由があってのことなんだし。次はもっといいものを作りましょう!」
「次・・」
「そうです。確かにすごい花瓶・・というか、ヒギアが出来ましたが、あれは最後に女神様の手を借りちゃいましたからね。今度は王太子様だけでいいものを作るんです。」
私も必死こいて墨をこぼしたコマに紙を貼り、悲しみを乗り越えるためにも、もっと素敵な男の子を描こうとした。創作してる者には、そういうポジティブシンキングが必要だ。
「そうですよ、ラルドウェルト。」後ろにいた王妃様が息子さんの肩に手を置いた。「あの花瓶は女神様の手になるもの故に、女神様の元に帰ったのです。」
お母さんに言われて、王太子様はやっと微笑んだ。
「お茶でもいかが、ウェルト?お母様も、エリオも。」
王女様がお茶の用意をし始めて、付いてきていたナナイさんと私も手伝う。王女様はお茶を入れるのが上手だ・・前に、ガルトニのヨシュアス殿下も感心してたしね。
で、しばらくささやかな祝勝会がお茶とケーキで開かれた。
祝勝会の後、王女様の部屋に移動して新作ウスイホンを貸し、新人作家さんのプレゼンもした。湖畔のヴィオラさんはシルスさんの評価に違わず、すばらしい文章を書く人だった。古典の名作ででもあるかのような格調高い文体なのに、少年同士の恋愛は純愛その者で胸きゅん必至の初々しさがあって、心洗われるような読後感があった。
「まあ・・そう、なの・・」
「湖畔のヴィオラさんの本も置いていきますね。あ、それで、ちょっと、その・・」
「どうかして?湖畔のヴィオラに何か欠陥でも?設定が陳腐?言葉の選択が安易?」
「いえ、うーん・・実は、その・・都合が悪かったら聞かなかったことにしてもらいたいんですが。王女殿下の立場もありますから・・」
月下のベルナさんのことである。
話を聞き終えた王女様は目をぱちくりさせていた。でも、美しいので美人は得である。
「ローエンさんの危惧が取り越し苦労なのは、私が保証します。ただ、捕縛命令を王女殿下の権力で覆すのは、どうかと思うので・・」
「そうね・・万が一があって捕まってしまったときの方が私が介入しやすいと思うわ。でも無実の証が立つまで、ベルトロアには来ないように・・ああ、でも、新作が入手しづらくなる・・でも、しかたないのね・・彼女の作家生命に関わるのだから・・」
ほう、王女様はため息を付いた。
「私がヨシュと普通の結婚生活を送れると証明すれば、魔導師殿も考えが改まるかもしれないわ・・お付き合いにあまりゆっくり時間をかけていられないかもしれないわね。」
「ヨ・・ヨシュ?とは?」
「あ・・」王女様の頬がポッと染まった。「ヨシュアス王太子殿下のことです。お手紙を交わすうちに、互いの名前と称号を長々と書くのが煩わしくなって、“エル”と“ヨシュ”と呼び合うことにしたのです。」
「あらまー・・」
自分で言って、恥ずかしくなって真っ赤になった頬に両手を当ててうつむく王女様・・初々しくてかわいいったらありゃしない。こういうのを”尊い”というのだろか。
帰る前に、王様と王妃様のお呼ばれも受けた。
「此度はすまなかったな・・花瓶を壊すことに寛容を示してくれたこと、また、王太子に力を貸してくれたこと、礼を言うぞ。」
王様はベッドに横向きに寝たまま言った・・対策会議の無理がたたってぎっくり腰をこじらせたのだ。
「お気になさらないでください。それより腰をお大事に・・私の父もよく腰をやってましたので、辛いなのはわかります。」
「わしも老いたということであろう。故に此度はラルドウェルトに最後まで表に立たせた。」王様は笑った。「息子は少し甘えたところがあるのでな。将来の王としては今のうちに、出来るだけそのような部分はそいでおきたかったのだ。それでわざと辛い目を見せた。辛いばかりと思わず、何か得るところがあれば良いのだが・・」
ああ、そういうことだったのか。
前回の訪問で、王女様のお嫁入りにそわそわするのを見ていたので、もしかして子どもに甘い人かと思っていたんだけど、そうでもないのか。
「大丈夫・・だと思いますよ。王子様は人の気持ちも思いやれますし、いったん気持ちが決まれば最後までがんばれます。いい王様になると思います。」
同じ、子を持つ親として、私はそう答えた。お世辞でも忖度でもない。親しい人にそういうことをするのは嫌いだ。
「そなたはわしや王妃の目や手の届かぬところで、子供らを導いてくれるな・・これからも何かあれば頼むぞ。」
「は・・はあ・・」
引きつる笑顔のこめかみの辺りを、冷や汗が流れる。
ご期待はありがたいが、たぶん導くスキルや分野には問題がある。
まあでも。
こんなしがないオタクに、何かお役に立てることがあるのなら。
「私に出来ることなら、お手伝いします。」
「うむ。」
王様に礼をし(この国風のやり方で!)、王妃様とも微笑みを交わし、私は辞したのだった。
最後に城下で買ったお菓子の箱を携えて、ローエンさんの工房へ行った。
部屋の中にはローエンさんはじめ、お弟子さんが数人いた。その中にケミスさんもいた。ひとしきりポーションのお礼など言ってから、箱菓子を差し出す。
「わあ、これ“ヒナギクの里”の“小さな四季のケーキ”ですね!」
箱の中には、様々な花や植物をかたどった、いかにもこの国らしいプチケーキが30個ほど入っている。お弟子さんにはまだ十代と見える女の子がいて、その子が真っ先に食いついた。
「こらこら、パリア、先生が先だろう。」
ローエンさんはすでにやってきて箱の中をのぞき込んでいた。
「ローエンさん、甘いものは大丈夫ですか?」
「先生はむしろお好きですよ。」
ケミスさんが笑いながら言い、パリアちゃんがキラキラした目で箱とローエンさんを交互に見ている。他のお弟子さんも作業の手を止めて集まってきた。
ローエンさんはやっとひとつ、真っ赤な椿の花みたいなのを選び出して、後ろに引いた。パリエちゃんが我先に飛びついて品定めを開始する。
「美味しいですか?」
私も少し引いて、一口でお菓子を食べきったローエンさんに尋ねる。
「殿下方の趣味を野放しにしておることに目をつぶるための賄賂としては、上等だな。」
「またあ・・王太子様の方は彫刻の趣味として認知されてるし、王女様の方は病のままでも実害はないからいいみたいだし、いいじゃないですか。これは、お礼とねぎらいのお菓子ですよ。ケミスさんなんて破片の接合も手伝ってくれたし、ポーションも一杯作ってくれたし・・ローエンさんだって地の精霊さん達の件、お疲れ様だったじゃないですか。」
「ふん。王国を守るため、なすべきことをしたまでだ。わしにとっては当然のことだ。」
「おお・・」
「故あって陛下に命を助けられて以来、わしの魔術はこの国のために役立てると決めておる。だが、一人ではなかなかかなわぬこともある。だから折田、お前も出来るだけ力を貸せ。」
「あー・・まあ、私で出来ることなら。」
「とりあえず呼んだらすぐ来い。」
「それとこれとは別です。」
まったく執念深い。
しばらくのにらみ合いはローエンさんが鼻を鳴らして、終了する。
「まあ、弟子達が喜んでおる故、一応菓子には礼を言うわ。・・おい、今日来ていない者の分も残しておくのだぞ?」
はあい、と言ったパリアちゃんはちゃっかり両手に一つずつ持っていて、皆の笑いを誘っていた。主は頑固でぶっきらぼうでおおざっぱだけど、お弟子さん達は皆明るくてよく笑う、居心地のいい工房だった。
さらに翌日。
コンビニ店員の制服に着替えたクローネさんと、ようやくひまわりマート三口店に帰ってきた。
「いやあ、お疲れ様でした、折田さん。今回は長丁場になりましたね。」
「まあ、でも何とか丸く収まって良かったよ。あ、そのフィギュアを・・」
「はい、お任せを。」
クローネさんは何事もなかったかのようにカウンターに入り、鍵を持ってきて、“愛と桃花の戦士”フローレちゃんのフィギュアをそっと元に戻した。
「ありがとう。じゃ、私は帰るね。ほら、柳沢さんの激励動画をこれから誰かに見せることになるから。」
「そうですね、柳沢さんの掃除ももうすぐ終わるでしょうし。では、また後日。えーと、毎度ありがとうございました、またどうぞ!」
外に出ると、外の空気が・・秋の涼しい夜風がすうっと肌を撫でていった。
駐車場で待っていた愛車の軽自動車に乗り込み、ふうっと息を吐き、エンジンをかける。
今回はフィギュア作りにも関わっていい経験が出来た。
なんか知らないけど、女神様まで出てきちゃって・・
ふと助手席を見た。
このコンビニに来る前にスーパーで買った、豆腐の包装が見えた。
(ふむ・・)
オリータの仕事は終わったが、折田桐子はこれからまた一仕事である。
今日の晩ご飯は麻婆豆腐と青椒肉絲だ。ピーマン嫌いの子ども達も、青椒肉絲なら食べるんだよね。
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