第19話 神様との邂逅

-3069/12/31-


 この日、統一国家デクトリアでは歴史的な大事件が発生した。


 決して許されない、神様と労働者が出会ってしまった。この神との邂逅は、この世界を大きく変える事になる。


 その変化の中心に、まさに自分が立っている。そう象徴するように、ユウキは光を背負い、マキナの眼前に現れたのだった。


 本来であれば、マキナは救うべき神様で、ユウキは救われるべき労働者。光を背負うのはマキナであるべきだ。しかし、今この瞬間、光を携え現れたのは、労働者のユウキだった。


 「情けねぇ声出してんじゃねぇよ」


 開口一番に、文句を言ってやろうとしていた割には、とても優しい言葉が口から出てきた物だ。そうユウキは思う。実際、やっと見つけたぞこのクソ女神。そう言ってやるつもりだった。しかし、あまりにも変わり果てたマキナを見て、そんな悪言が引っ込んでしまう。


 自分の声に気がついたのか、マキナは目をこちらに向ける。その目は赤く、腫れている。まるで、あの時ラスカが見せたような、焦がれるほどに待ち望んだ目。追い込まれている人間が、救いの手に向けるような、羨望と期待を抱いた目。あの時の、機械仕掛けの女神様マキナには無かった、温度のある潤った目。


 目の当たりにしたのは、うずくまりながら自分の名前をつぶやく、あの世間知らずのマキナの姿だった。しかし、そこに居たのは、女神様ではなく、年齢相応の15歳の少女としてのマキナにしか見えなかった。神々しくも無く、まさに労働環境にも居るような哀れむべき女の姿。ユウキには見慣れすぎた人間の姿だった。一体だれが、この惨めな彼女の姿に言葉の暴言をぶつけられるのか。目に飛び込んできたその光景と、かつての姿との差が、悪態と悪巧みを吹き飛ばしてしまったのだ。代わりにと言わんばかりに、困惑と混乱がユウキの頭を支配した。


 一歩、一歩と。床に張り巡らされたケーブルなどお構いなしにユウキは進む。足取りはどこか不安げで、迷いがあった。しかし、進む先は決まっていて、目の前で涙を流すマキナ以外に無い。その迷いは、変わり果てたマキナにある。なぜそこまで変わり果ててしまったのか、ただ、それを問いただしたかった。しかし……


 「来ないで」


 マキナのこぼした制止に思わずその足取りを止める。ユウキが扉から離れたことで、重々しく「箱」が閉じた。携えた光は分厚い大きな扉に遮られ、先ほどと同じような、闇と緑の監獄に閉じ込められる。


 たった二人だけの世界だ。外の世界の音は遮られ、液晶画面のブルーライトが、二人を闇の中から救い出している。いつしかユウキはマキナの元にたどり着いていて、ようやくその姿を拝むことが出来た。涙で腫れた目、僅かにやつれた頬、所々青くなった細い四肢。ボロボロになってしまったマキナは、労働者とさほど違いなく、近寄りがたかったその神々しさはもう見る影も無い。


「来ないでって……。俺に会いたかったんだろ。エクスのヤツが行ってた。何度も何度も俺の名前を呼んでたって……」

「ええ。会いたかった。でも、私には、貴方に会う資格なんてない」


 そういってマキナは目を背けた。目元からこぼれた僅かなきらめきが、ユウキを突き刺し、動揺させた。その涙をユウキは知っている。大切な人と離ればなれになるときの涙、労働者との禁断の恋に落ちた一般階級の人間が流す、言いたくても言えない、我慢の涙だ。到底、神様が流すべき涙では無い。


「どうしたんだよお前……。なんで、そんなに……」


 毅然と、女神様らしく立っていたのに、今のお前は? そう言ってしまいそうになる。今のマキナの姿はあまりにも人間らしい、いや、労働者らしかった。何もかもを奪われて、どうしようも無くなってしまった哀れな姿。どうしようも出来なくなってしまった、かわいそうな負け犬の姿だった。しかし、その言葉がこぼれ出る前に、マキナが割って入る。背を向けたまま、顔を見せぬまま。


「帰って……。ここに居てはいずれ見つかってしまう。貴方には死んで欲しくないの……」


 絞り出すようなかすれ声。虫の声より小さいが、間違いなくユウキの耳に届いていた。それは詭弁ではない。本心だと分かる。同じような言葉を、同じ物を孕む言葉をシュウゾウの口から聞いている。だからこそ……


「死んで欲しくない……だって……?」


 ユウキは憤慨した。


「どの口が……言ってんだよ。じゃあお前は……、なんで労働者俺たちを殺そうとしたんだよ」


 マキナは黙っている。つつかれたくなかったのか、合わない目線がより離れたように感じる。直感で、それが図星であり、先ほどまでのたまっていたのは、自分の保身の為の言い訳だと確信した。


「答えろよ。死んで欲しくないって……。俺以外はどうでも良かったのかよ……」


 死んで欲しくない、たしかにマキナはそう言った。それはまるで、自分以外はどうでも良い、そう言っているようだった。目の前の女は、あれだけ楽しそうに、希望を抱いて死んでいったラスカの姿を忘れ、そうのたまっているのか。忘れられたラスカの笑顔が、鮮明に脳裏に浮かび上がる。


 あれだけ埃まみれで、希望も何もなかった世界に光を点してくれていたそれはラスカであり、その夢を愚直に追いかける姿はいつしかユウキに光を与えていた。あれだけまぶしく、暖かい希望すら奪って見せた。その元凶が、まるで「自分のせいじゃない」と言いたげに泣いている。あくまで被害者であると言いたげなその姿に何かが引っかかる。


 「アイツには……。ラスカには夢があった。俺たちには到底たどり着けないようなすげぇ夢だ。アイツほどじゃないが、俺たちにも夢はあった。希望も、あったはずだろ。でも、それは奪われた。お前に、この世界に」


 あふれ出てきた怒りにまかせ、言葉を飛ばす。


「どうでも良かったのかよ!!」

「いいわけないじゃない!!!」


 怒りを込めたユウキの声は、さらにそれより大きなマキナの声に上書かれた。悲痛な叫びがより大きく「箱」に響き、その反響に引っ張られるようにマキナの目から涙がこぼれる。


「あの子が見せてくれた世界は、どれも私にとって鮮烈なものだった。ユウキ。貴方が見せてくれた世界も、ラスカ、彼が見せてくれた夢も、全部が尊く美しい。だから、壊したくなかった……。でも、するしかなかったの……。この国の言う事は絶対だから……」


 機械仕掛けの女神様マキナはそうしなければいけない。目の前の少女はそう言った。まだこの女は神様でいるつもりなのか。見た目も、状態も、人間と変わりないのに。あまりにも人間らしく、頼りないマキナに何を期待できるのか。


 「じゃあ、どうにかして見せろよ! お前が俺にしたように、アイツにかつてしたように。俺の仲間を生き返らせてみろよ。お前がまだ神様だって言うのなら、俺を救って見せろよ」


 なぜここまで期待してしまっているのか、ユウキはまだ期待していた。こんな少女であれ機械仕掛けの女神様。自分の命を救ってくれた過去がある。一度死んだはずの自分とラスカに、2度目の生を与えてくれた。だから、この惨状を無かったことにしてくれると、そう期待したかった。しかし、それは叶わない。


「もうそれは出来ないの」

「何で……?」

「総督も、今や機械仕掛けの神様だから」


それはあまりにも端的で、なによりも残酷な事実だった。マキナはロムルに権限を渡してしまっている。マキナとロムルはもはや同一存在だ。決断するには、2人の承認が必要になってしまっている。無論、ロムルがそれを許すはずがない。ユウキの最後の希望は、こうして潰えたのだった。その事実に打ち砕かれ、ユウキは崩れ落ちた。


「私が機械仕掛けの女神様デウス=エクス=マキナだから……。この世界の神様は、崇高で平等で、旧世界の神様とは違い、合理的でなきゃいけないの……。意思なんか持っちゃ行けない。総督が望んだ世界を、私は作らなきゃ行けないの……」


 消え入りそうな声で、「ごめんなさい」と、マキナは続けた。


 願わくば、自分たちのこの運命が、寸分の狂いも無い、完全で無欠な機械によって定められた仕方のないものだと、心のどこかで納得したかった。だがそれは叶わなかった。この不完全で未熟な神様もどきは、国の裏に潜む欲望に良いなりになっていた、いや、ならざるを得なかったのだ。自分たちの希望は、不完全で傲慢な人間の欲望によって人為的に奪われていたのだ。それはマキナも含めて。しかもそれを自分の責任だと言わんばかりに、目の前のマキナは罪を背負った。それがなぜかどうにも許せなかった。


「結局機械仕掛けなのかよ。この世界は……」


 どうしようも無い無力感がユウキを襲う。自分の心に従ってここまで到達した。だから、なんとかなると思っていた。しかし、ここに来て、一切の手段を失ってしまった。これがシュウゾウに教わった、詰みというものなのだろう。もう何も出来ないのだ。その事実が痛く突き刺さる。


 生まれ変わる前であれば、受け入れていただろう。だが今は違う。シュウゾウと出会い、ラスカに出会い、マキナに出会った。人としての成長か、受け入れられなかった。まだ、何か出来ないか、それを思案し続けていた。


 そして気づく。今、目の前に居る変わり果てた女に対し、ラスカのような大きな情念を抱いている。同情してしまっていたのだ。神様なんて信じないと、頭では思っていても、心がそれを拒んでいる。神様らしく助けて欲しいという望みは、自分の心が否定した。ユウキのかみさまは、マキナにこれ以上苦しんで欲しくない、そう言っていた。


そして、その大きな情念は口を突き、ユウキの体を動かしていた。


「どうしたかったんだよ。お前は」


 まだ胸に残るなにかの答えが分からないが故の、わがままであるのかもしれないが。それでも、先ほどよりも、込められたものは明らかに多かった。


「機械仕掛けで、自分の意思なんて何もない。それで言いわけがないだろ。目の前のお前に聞いてるんだ。お前は、どうしたかったんだ?」


 マキナは顔を上げ、まっすぐに目を向ける。その目に貯まった涙にディスプレイの光が反射して、ユウキの心に、よりまっすぐに届き、その光線はユウキの迷いと復讐心をかき消した。彼の心に残ったのは、苦しんで欲しくないという本心だけだ。マキナはその、腫れた目から涙をこぼしながら、胸の内を語る。デウスにも、エクスにも語らなかった、彼女の胸の内。


 「私は……」


 しかし、突然の轟音に遮られる。扉の開く音だ。「箱」が開き、再び外の光が入り込んでくる。先ほどユウキが背負ってきた物は、真っ暗な心に差し込んだ希望の光だ。しかし今回は違う。さながら、隠れ潜んだ二人の秘め事を暴く、降り注ぐスポットライトだ。その光を背負っていたのは間違いない。


 「ついに見つけたぞ。我が人生に仇なす害獣め」


 今やこの世界の神様に等しい、総督、ロムル=デクトルだった。

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