【01】あいつらの呼び声
二〇二〇年八月十八日の事であった。
県警本部警備一課に所属する篠原結羽は朝から庁舎に出勤し、
警察は何をやるにも何らかの書類を制作しなければならず、その
場合によっては一つの案件において、腰を浮かせている時間よりも、パソコン画面に向かっている方が長くなる事も珍しくはない。
この日の篠原も黙々とキーボードを叩き続けて、馬鹿げた分量の書類を延々と制作し続けていた。
結果、集中できた事もあり、仕事はそれなりに
閑散としたオフィスの一画で、椅子に腰をおろしたまま思い切り背筋を伸ばす。ちらりとモニターの時計に目線をやり、帰り支度を始めようとした。
すると……。
「あー、篠原、ちょっと……」
突然、直属の上司である
「はい、何ですか?」
篠原は傍らに立った上司の顔を見あげた。
すると、彼はどういう訳か、憐れみのこもったような、申し訳なさそうな顔で、次のような話を切り出してきたのだった。
「すまんが、今から
「屋見野ですか……」
「ついさっき、向こうの
連絡があって、お前に来て欲しいそうだ」
「私に?」
屋見野は篠原にとって馴染みのない土地だった。近くを通り掛かった事はあるが、足を踏み入れた事は一度もない。
「用件はいったい何ですか?」
と、
「……何でも、一時間ほど前に、あちらの管内で発見された変死体の第一発見者たちが『県警の篠原結羽に直接話したい事がある』と言っているのだそうだ」
「はあ……」
いまいち、事情が飲み込めず、気の抜けた返事をする篠原。しかし、彼女は上司の次の言葉ですべてを悟る。
「……その第一発見者というのが、
「あぁ……」
篠原は思い切り顔をしかめた。
「すぐに向かいます」
と、気力を振り絞って言うと、北村は軽く右手をあげて苦笑する。
「頼む。詳しい話は向こうから聞いてくれ」
そう言い残して、去って行った。
そこで、篠原はスマホを確認すると、あの茅野循から着信が入っている事に気がつく。
そして、桜井からも『今、ひま?』というメッセージが届いていた。
このスマホは彼女個人のものでデスクワークのときは、だいたいマナーモードにしているのだが、それが
篠原は眉間にしわを寄せながら、そそくさとオフィスをあとにした。
篠原が屋見野署に到着したのは、それから更に一時間後であった。
空きスペースに黒のアリオンを停めて、煌々と夜闇に輝く警察署の玄関へと向かう。
そのあと受付で用件を告げると、一階ロビーに姿を現したのは、スーツの似合わない童顔の男の刑事だった。彼は
定型的な挨拶を交わしあったあと、篠原はさっそく、その場で話を切り出した。
「……で、二人は?」
と、質問すると、森山は苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「元気ですよ。今は相談室の方にいます」
話によれば、どうやら例の二人は午後十九時過ぎに山間の瀬倉トンネルという場所で女物のポーチを拾ったらしい。そのポーチの中にあった免許証の住所を訪ねて、屋見野市内にあるアパートへと辿り着く。
玄関の表札にあった名前からポーチの落とし主の部屋を特定し、呼び鈴を押したところ反応はなかった。
そこで、何気なくドアノブを握ったところ鍵が開いていたので、様子がおかしいと感じた二人は室内に侵入。寝室で死体を発見したらしい。
因みに通報者はアパートの大家なのだという。彼は近くの自宅からコンビニへと買い物へ行く途中、アパートの前を通りかかったところ、部屋から出てきた二人とばったり出くわして不審に思い、通報したらしい。
「……と、まあ、経緯は以上の通りです……特に二人の証言に
どうにも、胡散臭い……そう言いたげな顔で、森山は奥の廊下へと視線を移した。
「それで、私に話があるというのは……」
篠原が問うと、森山は苦笑いしながら頭をかいた。
「それが……どういった話なのかをこちらが訊こうとしても『話にならない』と口を閉ざしてまって……悪戯か冗談かとも思ったのですが……」
きっと、彼は本当に篠原なる人物がここにやって来るとは思っていなかったのだろう。もしかすると“県警の篠原結羽”なる刑事の実在すら信じていなかった可能性すらある。県警に連絡を入れたのは念のためにという意味合いしかなかったはずだ。
しかし、本当に“県警の篠原結羽”がやって来た事に戸惑っている……篠原には、そんな風に思えて苦笑を漏らした。
「とりあえず、あとは、あの二人に話を聞いてみてください。……こちらになります」
森山がロビーの奥へと歩きだす。篠原も彼のあとに続いた。
「あの二人、何なんです? 死体を見たっていうのに、やたら落ち着いているし……一応、未成年なんで親御さんにも連絡したんですが」
「親……」
あの二人の両親がどんな人物か興味があった。まさに、親の顔が見たい。篠原は少し前を歩く森山に問う。
「どんな感じでした? 普通の人でしたか?」
「ええ。ただ……まるで自分の娘が学校で校則違反を犯して、その事について教師から電話を受けたときのノリっていうか……何か軽いんですよね。だって、娘が変死体を発見したんですよ? こちらが警察であると明かしたときも大して驚いてないんですよね。どちらの親御さんも」
「なるほど……」
きっと、慣れているか呆れているか……もしくは、その両方なのだろう。篠原は得心して深々と頷く。
すると、今度は森山が質問を口にした
「……で、何なんです? あの二人って」
「あの二人は、
各県警本部にある警備部の業務は、機動隊の運用や
森山は流石にぎょっとした様子で「あんな女子高生が……」と独り言ちた。
どうやら、彼は盛大な誤解をしているようであったが、フォローを入れる前に目的の部屋の前へと辿り着く。
森山が扉を開いた。
「どうぞ」
すると、観葉植物くらいしか色味がない、簡素な部屋の中央にあるテーブルの向こうに、肩を並べて座る二人の少女の姿があった。
「カツ丼食べたい」
「梨沙さん、カツ丼は自腹で頼まなければいけないわ」
桜井梨沙と茅野循であった。
篠原はデスクワークで疲れた頭を抱えながら深々と溜め息を吐き、室内へと足を踏み出した。
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