【10】後日譚


「そもそも、色々と執着が強すぎるから生き霊になる訳であって、そういった情念の強さから、下手な死霊よりもずっと危険である事が多いのだけど……」

 と、猫脚ソファーに座り、胡桃ウォルナットの座卓に置かれたノートパソコンに向き合うのは、九尾天全だった。

 もちろん、画面に映るのは桜井梨沙と茅野循である。

 その二人に向かって、九尾天全はヘッドセットのマイク越しに語りかける。

「そこまで強力な物理干渉ができる生き霊なんて、わたしでも見た事はないわ」

 それは、八月七日の夜だった。

 都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン』の二階リビングにて。

 例のAWOにまつわる一件の話を茅野の口から聞かされた九尾は、いつものごとく大いに呆れた。

『……じゃあ、あの三人の霊は、もうこの世にいないのね?』

 その茅野の質問に九尾は頷く。

「ええ。この世に縛られていた原因がなくなった今、ちゃんと、魂は向かうべきところにいったようよ」

『そう。それはよかったわ』

 と、呟いた茅野の表情は、どこか寂しげであった。

 黒騎士アレスとの戦いのあとで再び部屋に戻ると、AWOにログインしたままだったパソコン画面には404エラーが表示されていた。

 九尾によれば、そのエミュ鯖自体が桐場の生き霊が作りあげたものだったらしい。

『……また、お別れの挨拶をし忘れたのは、心残りだったけれど』

 因みにあのあと、桜井と茅野は向かいの菅山さんの通報によってやって来た警察の応対に苦労させられる。

 “突如、発生した小型の竜巻が原因”と言い張り、何とか誤魔化す事はできた。

 しかし、そのあと帰宅した茅野薫は竜巻のせいだという姉の説明をまったく信じようとせず、“どうせ、また姉さんが何かろくでもない事をしたのだろう”としか思わなかったのは言うまでもない。

『……それにしても、よく鏡が弱点って解ったよね』

 と、そこで桜井が夕食後の豆大福をもぐもぐやりながら声をあげた。

『今回は事前にヒントをもらっていたから』

『ヒントって?』

 首を傾げる桜井。茅野は彼女の問いかけに答える。

『カエデがチャットで言っていたでしょう? “彼に現実を見せてあげて”と』

『ああ』

 桜井は得心した様子で、ぽん、と両手を打ち鳴らした。

『それと、裏口の扉を閉める前に、洗面台の鏡に映り込んだ彼の姿が見えたのだけれど、それは、黒騎士アレスとは、かけ離れたものだった』

『あのときか……』

『あそこで彼に鏡を見せる事を思いついたの。まさか、あんなに効くとは思いもしなかったけど』

 そう言って、茅野はくすくすと笑った。

 そこで桜井が腕組をして、難しい顔で眉間にしわを寄せる。

『それにしても、今回は、思い知ったよ……』

『あら、何かしら?』と茅野。

『いや、まさか、あたしの打撃が通用しない相手がいるだなんて……まだまだ修行を積まないと……』

「いやいやいやいや、何か霊に物理攻撃が通用するのが普通の前提で話してない!? おかしくない!?」

 九尾の全力の突っ込みに対して、桜井が鹿爪らしい顔で怪しい身振り手振りを交え、何やら説明を始める。

『いや、こう……相手が物理干渉してきた瞬間、同時にこうして、こう……』

「いや、ちょっと何言っているのか解らないです」

『つまり、相手がこちらに触れるなら、こちらも向こうに触れるはず……』

『そこに気がつくとは、流石は梨沙さんね』などと、茅野まで冗談とも本気ともつかない顔で言い始める。

 更に桜井は真顔でのたまう。

『りろんはできている。あとは技術を磨いて実践あるのみ……』

「いやいやいやいや……」

 そんな事は、できるはずがない。

 しかし、かぶりを振って否定しつつ、九尾天全は己の認識している現実が大きく揺らぐのを実感するのであった。




 ちょうど、その頃だった。

 そこは大宮駅近くの路地の一画であった。

 かつては『みなしのビルディング』と呼ばれたそのビルは、あの七年前の事件のあとに改装を経て『大宮ガーデンプラザ』に生まれ変わっていた。

 今では居酒屋やラーメン屋などの店舗が軒を連ねているが、三階だけはずっと空いたままだった。

 すべての窓に板が打ちつけられ、エレベーターのボタンも三階だけが外されている。

 どうも、この三階では事件の直後から奇妙な事が立て続けに起こったのだという。

 その為に改装工事がまったく進まなかったのだとか。

 そこで、業を煮やしたビルのオーナーが、三階を丸々閉鎖したのだという。

 現在その三階へ行くには非常階段を使う以外にない。当然ながら普段は鍵がかかっており、立入禁止となっていた。

 普段は誰もいないはずなのだが、そのほこりっぽい闇に、足音と懐中電灯の明かりが二つ……。

「当時のまんまらしいけど、本当みたいだね……」

 と、暗闇に浮かびあがるすすけた壁を眺めながら、緊張気味に言ったのは佐島莉緒であった。

「莉緒、もうちょっと、ゆっくり歩いてよ……」

 その上着の裾を掴みつつ、恐る恐る後ろに続くのは桜井梨沙を永遠のライバルと目する東藤綾である。

 なぜ、二人がこんな場所にいるのかといえば、東藤の思いつきに端を発する。

 桜井梨沙がオカルト研究会の部長をやっていると知った東藤は、自分もオカルトに触れれば、もっと強くなれるのではないかと考えた。

 そこで佐島に「心霊スポットに行きたい」などと言い出し、こうして急遽きゅうきょ、肝試しをする事になった。

 当然ながら佐島は、彼女の提案に乗り気ではなかった。

 面倒臭いし、どう考えても心霊スポットに行ったところで強くなれるとは思えなかったからだ。

 しかし、東藤は昔からこうと決めたら一直線のところがあり、それこそ放っておけば、単身で富士の樹海にでも乗り込みかねない。

 こうして佐島は悩んだ末に、かつての『みなしのビルディング』の三階に関する逸話を思い出す。

 あそこなら近場だし、行ってみて何もなければ東藤も飽きるだろうと……。

 因みに、ここのビルのオーナーは佐島の叔父にあたる人物で、事前に許可はちゃんと得ている。

 であるからして、どこぞの女子高生たちのように不法侵入をキメている訳ではない事を、ここに明言しておく。

 そんな訳で、二人はゆっくりと慎重な足取りで暗黒の中に沈んだ『サフラン』の廊下を進んでいる最中だった。

 すると、じきに問題のルーム07の扉口が見えてくる。

 何でも叔父の話では、このルーム07に出るらしい。七年前の事件で惨死した被害者たちの霊が……。

「それじゃあ、行くよ……」

 佐島が振り向いて東藤の方を見ると、なぜか彼女は右掌に一生懸命『人』の文字を書いて飲み込んでいた。

 佐島は呆れ顔で肩の力を抜く。

「アヤちゃんさあ、それ緊張するときにやるやつだから……」

「ごめんなさい」

 と、東藤は小動物めいた瞳を向けてくる。柔道の試合で無双しているときとはまったく違う彼女の様子に頬を弛ませる佐島であった。

 お陰で、彼女の中にあった恐怖心が霧散むさんする。

「もう、帰る?」

「ううん……」

 東藤が激しく首を横に動かす。

「それじゃあ、行くよ? 次の右手の部屋がルーム07らしいから」

 佐島は東藤が頷くのを確認してから歩みを進める。

 そして、開け放たれたままの扉口の前に立って、ルーム07の室内を懐中電灯で照らした。

 その瞬間、甲高い悲鳴が轟く。東藤が突然、抱きついてきた。

 佐島は肝を潰され、凍りつくが……。

「なになに、どうしたの? アヤちゃん……びっくりするから」

 東藤の腕を振りほどきながら、佐島は蒼白な顔で彼女に問い質した。

 すると東藤は涙目になって答える。

「何か、怖くて悲鳴あげちゃった……」

「もう……」

 佐島は唇を尖らせて、懐中電灯でルーム07の中を照らす。

「ほら、見て。何もないでしょ? アヤちゃん」

「本当だ……」

 東藤が恐る恐る室内の様子をうかがう。

 当然である。

 つい昨日、この部屋に出現していた三人の霊は茅野により解き放たれ、もう存在していないのだから……。

 焼け残った物は既に撤去され、そこにはコンクリートがむき出しになった八畳程度の閑散とした空間が広がっているだけだった。

「じゃあ、もういい? そろそろ帰ろ?」

 佐島の言葉にゆっくりと頷く東藤。

「ただひたすら怖いだけで、何も得るものはなかったわ……」

「そりゃそうでしょ」

「時間の無駄だった。こんなところに好き好んで凸するやつなんて、きっと頭のおかしいやつだけね」

 その東藤の感想に、佐島は声をあげて笑った。

 こうして、二人のごく普通の肝試しは幕を閉じたのだった。






(了)

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