幕間

Interlude 二匹の獣


 二〇二〇年七月の終わり頃の事だった。

 埼玉県某所にある聖バレリ学院の教室にて。

 休み時間、自分の席で熱心にスマホをのぞき込むのは東藤綾であった。何やら難しい顔をしながら首を傾げ「うーん」と唸っている。

 そんな東藤の様子を心配し、前方の席の佐島莉緒が振り向いて彼女に声をかける。

「どうしたの、アヤちゃん?」

「あ、莉緒……これを見て欲しいの」

 そう言って、東藤は佐島に自らのスマホを見せた。

 それは、どこかの会議室か教室のように見えた。

 横向きのアングルで画面右側に立つ制服姿の少女が、キャスターつきのホワイトボードに教鞭きょうべんの先を当てていた。

 左側には長机が並んでおり、そこには同じ制服姿の少女たちの姿があった。どうやらホワイトボードの前に立つ少女の話を熱心に聞いているようだ。

 どこかの見知らぬ学校の生徒会か課題の発表会、もしくは、文化系の部活……であるかのように思えたが、注目すべき点はそこではなかった。

「ねえ、これ……桜井梨沙じゃない?」

 その佐島の言葉に東藤は頷く。

 画像の中でホワイトボードに教鞭を当てている小柄な少女こそ、東藤綾にとって永遠の目標である桜井梨沙その人であった。

 ただ、その表情は、東藤と佐島が知っている彼女のものとは大きく違っていた。

 試合中でも常に薄らぼんやりとしていた目付きはキリリとしており、リムレスタイプの眼鏡をかけていて、なんだか賢そうに見えた。

「アヤちゃん、この写真って、どこから見つけてきたの?」

「うん。藤見女子高校のホームページの部活紹介に載ってたんだけど。オカルト研究会の『部活動のようす』だって」

「オカルト!?」

 佐島は目を丸くする。

 そして、自分のスマホを取り出し、同じページを開いた。

「……部員の名前は書いていないわね。部員数は十三名……けっこう多い」

 このホームページに掲載されているオカルト研究会関連の情報のほとんどが嘘である。

 部員十三名の大半が幽霊部員で、さっきの『部活動のようす』に写っている部員らしき女子たちも茅野による合成であった。

 しかし、そんな事は知るよしもない佐島は更に読み進める。

「えっと、部の活動目的は……『オカルトというのは、何も心霊や宇宙人、超能力などの超常的な現象だけを指す訳ではありません。オカルトの研究というのは隠された知識、隠された真実の探求にあります。具体的には我々の世界における様々な物事や疑問を形而上学的けいしじょうがくてきな観点から読み解き、その研究の成果をレポートにまとめ、定期的な発表会を開く事を主な活動としています』だって」

「莉緒……なに言ってるのか解らない」

 東藤が首を傾げ、佐島は苦笑する。

「私も何となくしか解らないけど、ずいぶん、お堅い真面目な文系の部活っぽいね……」

 嘘である。

 しかし、そんな事を知るよしもない東藤は、うっとりとしながら……。

「桜井梨沙って、強いだけじゃなくて、頭もいいのね」

「まあ、この藤見女子って、けっこう偏差値高めな学校みたいだしね」

 と、肩をすくめる佐島。

 因みに、この聖バレリ学院も、まあまあなお嬢様学校である。

 そんな中で座学が壊滅的な東藤綾は、スポーツ特待生枠でこの学校に入学を果たした。

 その自他ともに認める脳筋娘が、似つかわしくない思案顔で俯く。

「……もしかして、桜井梨沙の強さの秘密は、オカルトに関連があるのかしら?」

「いや、関係ないと思うけど」

 佐島が突っ込むも、その言葉は東藤の耳に入った様子はなかった。

「むしろ、あの強さがオカルト……なるほど……」

 そして、しばらくぶつぶつと何事かを呟きながら、考え込む東藤。

 その真剣な表情を見て、佐島は思った。

 これはまた、ろくでもない事を考えているに違いないと。

 そして、彼女のろくでもない考えに巻き込まれるのはいつも自分であると、よく自覚していた。

 佐島は、やれやれ……と、諦観ていかんの籠った溜め息を吐いた。





 二〇二〇年八月五日の事であった。


「はーい。反省してまーす」


 などと、知能指数の低そうな感じで言い放ったのは、桜井梨沙であった。

 そこは、県警本部庁舎内にある一室だった。普段は会議室として使われている部屋である。

 桜井と、その隣で澄まし顔をする茅野循。

 その二人と長机を挟んで向き合うのは、冷たい印象の女性と、銀縁眼鏡をかけた理知的な風貌の青年であった。

 冷たい印象の女性の名前は篠原結羽しのはらゆう。普段は県警の警備部に所属している。階級は巡査部長。

 そして銀縁眼鏡の青年の方が、穂村一樹である。

 彼は、四月下旬に起こった加納憲一郎の不可解な失踪についてや、六月下旬に阿久間市で発覚した殺人死体遺棄事件、および、先日の福島との県境で発生した鬼猿関連の事案に関する事後処理、そして関係各所への説明の為に、警察庁よりわざわざ出向いてきた。

 本来なら、このご時世であるし、できる限りはリモートの指示で、すべてを済ませるつもりではあった。

 しかし、こうも立て続けに事案が発生してしまうと、いよいよ色々と対応できなくなり、こうして穂村自身が出張でばらなくてはならなくなってしまった。

 そして、何より、彼自身が一度、会ってみたかったのだ。あの九尾天全が認める逸材に……。

 そんな訳で、馬頭村での一件の聴取を行うという名目で、桜井と茅野を県警本部庁舎に呼び出した次第であった。

「……それにしても、この手の案件は警備部の担当なのね」

 と、物珍しげに言ったのは茅野循であった。

 この彼女の言葉に篠原が首を横に振る。

「そう言う訳では、ありません。あくまで通常の警備部の仕事とは別となります」

 こうした地方の県警では、穂村のような専門の担当官はおらず、篠原のように他の部署で事情に通じた者の手を特別に借りる場合がほとんどである。

「それよりも……」

 と、そこで眉毛を釣りあげ、篠原は厳しめの口調で言葉を続ける。

「もう一度、言いますが、この手の危険な場所にはみだりに立ち寄らず、まずこちらに一報をお願いします。解りました?」

「はーい」

 と、桜井が元気よく手をあげ、茅野の方は大変に真面目な顔つきで頷く。

「ええ。通報は市民の義務ですもの」

 篠原の小言は更に続く。

「それから、住んでる人がいない場所だからって、勝手に入れば不法侵入に問われる事にもなりかねません。あなた方が夜鳥島の件を初めとした数々の案件において、多大な成果をあげている事は把握していますが、それと、これとは話が別なんですからね!?」

「解ってまーす」

「勝手に私有地に立ち入った事はこれまでに一回もないわ」

 などと、しれっとした顔でのたまう。

「……本当に、解っていますか?」

 と、ジト目で問う篠原の言葉に対して、桜井と茅野は視線を見合わせ、同時に言葉を発した。

「はーい。だいじょぶでーす」

「だから、反省しています」

 穂村は思った。


 これは、絶対にまたやる……と。





「……で、警視。あの二人、本当にどうします?」

 話が終わり、桜井と茅野が立ち去ったあとの室内で、疲れた様子で篠原が言った。

 穂村は表情を変えずに淡々と、彼女の問いに答える。

「……まあ、インターネットで余計な情報を拡散したりしなければ構わないだろう」

「ですが……」

 当然ながら、その辺りも口を酸っぱくして言い聞かせた。

 心霊スポット探訪を始めたばかりの二人は“霊の姿をカメラに収めて、それをSNS上で晒してイキリ倒す”などと息巻いていたが、それは既にどうでもよくなっていた。

 もしも、その辺りの心境に変化がなければ、篠原や穂村の苦労は今の何倍にもなっていた事だろう。

 ともあれ、穂村は立場上、一応は篠原の口から二人の部活動に対して釘を刺す形を取らせたが、基本的にはこれまで通り黙認する事にした。

 なぜなら、穂村の立場からして、二人の心霊スポット探訪は、何かの迷惑になるどころか大きなプラスにしかなっていなかったからだ。

 あの日本最大級の心霊スポットであった夜鳥島攻略を初め、伝説の呪物“ヨハン・ザゼツキの少女人形”の確保、隠首村の巨大な禍つ箱の発見、六年前の『Shalomシェローム』店主殺害の現場から消えた呪われたワインの回収、そして先月頭の清戸村の一件など、霊能力のない素人とは思えない大金星をあげ続けている。

 加納憲一郎の件については、完全に茅野のせい・・・・・・・・で面倒な事になっているのだが、それでもメリットの方が大きいと穂村は判断していた。

 兎も角、彼の所属する部署は人員も予算も少ない。

 そういった実状から、猫の手も借りたいというのが穂村の本音であった。

「それにしても、管理官」

「何だ?」

「普通の年頃の女の子にしか見えませんでしたね。私には、まだ信じられません」

 その言葉に鼻を鳴らす穂村。 

「ああ。まったくもって同感だが、あれは猛獣か何かだと思った方がいい」

「実際、猛獣くらい危険な、あの鬼猿を退けたんですよね……霊能力とかないのに……」

 その篠原の言葉に穂村は頷く。

「ああ。あなどってかかれば、確実に舐められる」

「もう、完全に舐められてましたけどね……」

 篠原は、うっそりと言葉を吐き出すしかなかった。






(了)

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