【04】一人目


 五人は河原を下る。

 一応、各々がスマホやカメラ、タオルなどを入れたショルダーポーチやウェストポーチ、肩かけ袋などを持っていたが、五人ともかなりの軽装であった。

 先へ進むと渓流の幅は次第に細くなり、やがて水面から突き出た大きな岩の列が見えてくる。いちばん大きなもので軽自動車ぐらいはあり、なだらかな山なりの形をしていた。

 岩と岩の間隔は狭い。よって、次の岩へと移るのに大きな跳躍ちょうやくの必要はなかった。

 五人は靴を脱ぎ、順番に浅瀬を渡って最初の岩へとよじ登る。

 そこから、次の岩へ……次の岩へと移り、特に何事もなく対岸へと辿り着く。

 そうして、全員が再び靴を穿き終わった頃に、池田がふと思い出した様子で言った。

「昔はもう少し下流に吊り橋が架かっていたのでありますが、遭難者の下顎が見つかった事件のあとに、なぜか撤去てっきょされたんですよねぇ……」

 ぎひひ……と、不気味な顔で笑う。

「それじゃあ、この渓流の向こう岸には、それ以来、ほとんど人が立ち入ってないって事か」

 と、言ったのは堤川である。

「まあ、村の裏側にある頽場岳の方から、こっちにこれますけどね。その発見された下顎の持ち主も、元々は頽場岳で行方不明になったらしいですし」

 池田の言葉に、ぞっとしない表情で口を開いたのは森山であった。

「その山の方から何かに追われて、村の方へ逃げてきた……とか」

 そこで、前沢が余裕たっぷりに鼻を鳴らした。

「取り合えず、村に早く行ってみようよ。モタモタしてたら日が暮れる……」

 と、スマホを取りだし、画面を見ながら舌を打つ。

「何だよ、ここ圏外じゃん」

「あー、何かあの渓流を挟んで、こっち側はネット繋がらないみたいなんですよね……」

 池田がヘラヘラと笑いながら肩をすくめる。

 そして、全員の顔を見渡した。

「それじゃあ、行きましょ。確か、こっちに道があったはず」

 河原の奥にある山肌へと向かう。

 そこには、辛うじて道といえなくはない登り坂が木立の間を割って延びていた。

 足元は粘土質で滑りやすく、まるで五人の行く手をさえぎるかのように、左右から木々の枝が張り出している。

「あと少しで村につきますよ」 

 そう言って、池田が転ばないように枝を掴みながら坂道を登り始めた。

 前沢、柊、森山、堤川の順番で、彼のあとに続く。

 その山肌に消えてゆく五人の隊列を渓流の向こうからひっそりと見つめる者がいる事に、彼らは気がついていなかった。




 やがて道は平坦になり、少しだけ幅を増す。足元はかなりぬかるんでおり、五人の靴跡がはっきりとついた。

 柊は歩を進めながら、自身のコンバースが汚れゆくさまを目の当たりにして顔をしかめる。

 しかし、ここで愚痴を漏らせば、それこそ誰かが上着を脱いで、地面の上に敷きそうな気がした。真っ平ごめんだったので、柊は口を閉じるしかなかった。

 そうして、渓流のせせらぎと冷えた空気が、後方へと遠ざかった頃であった。視界が突如として開ける。

 そこは、かつては村を取り巻く畑だった場所だが、今は背の高い雑草が生い茂っている。その奥にぽつぽつと民家の屋根や電柱がうかがえた。

 馬頭村である。

「それにしても、酷い草だな……」

 前沢が顔をしかめた。

 すると、池田がショルダーポーチの中から、刃渡り二十センチはありそうなサバイバルナイフを取り出してさやから抜いた。

「これで、何とかしましょう」と言って、目の前の雑草を刈り取り、前に進もうとする。

 そこで声をあげたのは、柊であった。

「……ねえ、もうよくない? 帰ろうよ」

 もう充分だった。

 そもそも、原因は何であれ、この村では人が死ぬような出来事があったのだ。

 そんな場所に好んで足を踏み入れようとするのは、余程の馬鹿か、頭がおかしいやつのいずれかである。ここで引き返すのが妥当な選択だろう。柊はそう思った。

 しかし……。

「もう目の前だし、ここで帰るのは、ちょっと……」

 森山が申し訳なさそうに異を唱えた。

「でも、本当に熊が出たら……」

 柊は即座に反駁はんばくする。

 そこで声をあげたのが堤川だった。

「大丈夫。熊はね、基本的に臆病な動物なんだよ、明日菜ちゃん。こんな大人数でいるところに、向こうから出てきたりしないよ。むしろ嫌がって逃げると思うよ」

 などと、これでもかという得意気な顔で、何かの受け売り染みた浅い知識を披露する。

 正直、ぞっとした。

 そして、柊は内心で違和感を覚える。

 いつもなら、彼女が異を唱えれば、前沢たちは必ず前言をくるくるとひるがした。

 だから、柊は彼らの前で自分から意見や提案を口にしないように気を使ってきた。

 しかし、今回ばかりは本当に帰りたかったので、その旨を真っ先に訴えたのであるが……。

「安心して。何があっても、俺がキミの事を守るよ」

 前沢が柊の肩に手を置いて微笑む。

 アニメかゲームの美形キャラが発した台詞ならば、胸の奥をときめかせた事であろう。

 しかし、その彼の言葉は恐ろしく空虚で醜く聞こえた。


 こうして、五人は池田を先頭にして藪の中を渡り、馬頭村へと足を踏み入れたのだった。




 長く伸びた雑草が、アスファルトの割れ目や沿道のブロック塀の向こうから溢れていた。

 電柱には蔦が這い、廃屋の屋根の錆びたテレビアンテナにとまった鴉が、不気味な目つきで眼下の路地を行く五人を見おろしていた。

 雲の流れが早い。驟雨しゅううの予兆を感じ、柊は空を見あげながら眉間にしわを寄せた。

 そんな彼女の思いとは裏腹な軽い調子で、先頭の池田が言った。

「たぶん、ここを真っ直ぐに行けば『廃村の屋根の上で』で言及されていた広場に出るはずです」

 その彼の背中に前沢が問いを投げかける。

「なあ、池田……」

「何であります? 前沢氏」

「ちょっと、気になってたけど、お前、この村にきた事あんの?」

「ありますよー。中学生までは、この辺りに住んでいましたから。よい遊び場でした。ただ、大人にバレるとこっぴどく怒られましたが」

 あっけらかんとした口調の池田。

 そこで、柊は恐ろしい事に気がついて、思わず立ち止まる。

「……ねえ。堤川くんは?」

 池田、前沢、森山も歩くのをやめて振り返る。

 すぐ後ろを歩いていたはずの堤川の姿が見当たらない。

「おいおいおいおい……冗談だろ?」

 前沢が引きった顔で笑う。

 すると、テレビアンテナに止まっていた鴉が、死を告げるかのように鳴き声をあげて羽ばたく。

 その直後、黒い羽根が一つ、ひらひらと舞い落ちた――。



 

 八月二日八時二十七分――。


 人の死に関わる出来事があった場所へ平然と足を踏み入れる、余程の馬鹿か・・・・・・頭がおかしい・・・・・・女子高生二人組・・・・・・・は、キャンプ場の下流にある岩場から渓流を渡り、山肌の坂道を軽快な足取りで登りきった。

 そして、ぬかるんだ山道へと差しかかった直後であった。

 泥の地面に浮き出たそれ・・を目にして立ち止まる。

「循、これは……」

「ええ。梨沙さん。面白くなってきたわ……」

 二人の目に映るのは数人の・・・・靴跡と・・・獣の・・足跡であった・・・・・・

「これ、くまさんのやつじゃないよね?」

 桜井が獣の足跡を指差して問う。茅野は思案顔で答えを口にする。

「ええ。こんな足跡は見た事がない。でも、しいて言うならだけど」

「しいていうなら?」


猿の足跡に・・・・・よく似ているわ・・・・・・・

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