【15】後日譚
それから数日後の八月初週だった。
その日の夜、桜井梨沙は自室のちゃぶ台の上でノートパソコンを立ちあげ、ビデオ会議アプリに繋いでいた。
画面に映るのは茅野循と九尾天全である。
『……という訳で、けっきょく、おにぎり坂は心霊スポットでも何でもなかった訳だけれど』
茅野が事の経緯をすべて説明し終わると、九尾は呆れた様子で頭を抱え、深々と溜め息を吐いた。
『……何というか、けっきょく、あなたたちは心霊スポットであろうが、なかろうがどうでもいいのね』
そう言って、ぐい、と切り子のグラスを
因みに、まだ飲み始めで
そんな彼女の言葉に桜井は、素直な気持ちを述べる。
「いや。スポットだった方が楽しい事は楽しいよ」
すると、九尾は苦笑を返した。
『普通は逆でしょ』
『まあ、それはそうと……』
そこで、茅野が話題を転換する。
『最後に残った謎は、岡村さんが、お父さんの倒れた日に学校で目撃したドッペルゲンガーね。彼女は、それを母親の霊だと思ったみたいだけれど。だったとしても、彼女はいったい何のために姿を現したのかしら?』
その提示された疑問に対して九尾はしばし考え込むと口を開いた。
『普通に考えたら、身内の不幸を告げるためなんだろうけど……』
「でも、けっきょく、そのせいで岡村さんはお母さんの事を調べて、それで死んじゃった訳だし……」
桜井が眉をハの字にして言うと、画面の向こうの茅野は珈琲カップを手に取って神妙な表情で頷く。
『もしかして、十和子さんが勘違いしていただけで、彼女が見たのは母親の亡霊などではなく、死と破滅を予兆する本物のドッペルゲンガーだったのかもしれないわね。真相はもう確かめようがないのだけれど』
「まさに“死人に口なし”だねえ……」
と、桜井は呑気に言って、
……この夜のリモート女子会は、酔っ払った九尾が寝落ちするまで続けられた。
更に数日後の夜だった。
そこは藤見警察署内の二階にある取調室であった。
藤見佐々野河川敷少年殺人事件を担当する県警の小手川刑事は、自ら製作した調書を読み終える。
すると、スチール製の机を挟んで対面のパイプ椅子に腰をおろした茅野循が頷く。
「内容に、特に問題はありません」
この日は、くだんの事件の事情聴取が行われていた。
茅野も、桜井も、凄く嫌そうな顔をしてはいたが、いたって協力的であった。
「じゃあ、ここに署名と
そう言って、小手川は茅野にペンと朱肉、調書を渡す。
慣れきった様子で署名と捺印をこなす茅野。
「これで、よいかしら?」
調書を返してもらい、不備がないか確認したのちに、小手川は顔をあげる。
「……ああ。ありがとう。今日はこれで終わりです」
「
心底めんどう臭そうに顔をしかめる茅野に対して、小手川は苦笑する。
「すまないね。また解らない事が出てきたら、話を聞かせてもらいますが」
「そうならない事を願うわ」
ふん……と不機嫌そうに鼻を鳴らし、茅野は立ちあがる。
そのまま取調室の入り口へと向かった。小手川も続いて部屋をあとにする。
すると、外にいた所轄署の
それを聞いた茅野は「そう。ありがとう。それなら、とっとと帰らせてもらうわ」と言った。
そのまま、一礼したのちに薄暗い廊下の奥に見える階段の方へと歩いてゆく。
その見るからにつんけんとした後ろ姿を眺めながら、小手川は「うーん」と唸り声をあげる。それを
「どうしたんすか?」
「いや。ついこの前、ニートの男が両親を殺して、爆弾作ってた事件、あったでしょ?」
「ああ……あの県北の野干村の一件ですよね?」
小手川は頷く。
「そのニートの男の証言がまた意味不明でしてね。スナッフビデオがどうした、デスゲームがどうこうと」
「うわぁ……頭いっちゃってますね」
渡貫が笑う。
「で、その証言の中で“背の高い女と小柄な女の二人組にぶちのめされた”と。もちろん、事件とは関係ないし、どうせ戯言だろうと取り合わなかったのですが、あの桜井と茅野の二人を見てふと思い出してしまって……」
「その頭のいってるニートをぶちのしたのも、あの二人の女子高生だと……?」
「ああ」と小手川が返事をして、
「……いや、すまない。聞き流してください」
すると、渡貫は鹿爪らしい顔で口を開く。
「案外、そうかもしれませんよ?」
「どういう事です?」
意外な返答に驚きつつ、問い返す小手川。
「あの二人、実は藤見署内じゃ、けっこう名が通ってるんですよね。さっきの背の高い子は、海洋生物学で有名な茅野夫妻の娘ですし……」
「ああ……」
茅野夫妻の名前は、何となく聞き覚えがあった。詳しい事は覚えていないが数年前に、何かの研究で成果をあげて、それがニュースで報じられていた。
「あの小さい子は、もう怪我で引退してるらしいですが、女子柔道の未来の金メダル候補とか、最終兵器なんて言われてて、テレビで特集された事もあったぐらいで……」
「なるほど、それでか……」
小柄な少女が身長百八十はある岡村進を制圧したなど、未だに半信半疑であった小手川だったが、ようやく合点がいった。そして、彼は思い出す。
それは、二〇一六年の中学生女子柔道全国大会の決勝だった。
その試合で、現在の日本代表であり金メダル候補でもある“無敵の女王”東藤綾を相手に、時間ギリギリで山嵐をぶちかまし、逆転勝利を収めた選手がいた事を。その試合は柔道界では半ば伝説となっている。
「それで、この藤見一帯でおかしな事件が起こるとですね……何かあの二人が絡んでいる事が多くて」
「おかしな事件?」
眉をひそめる小手川。
すると、渡貫は神妙な表情で頷く。
「例えば、四月にあったでしょう? 加納憲一郎の……」
「ああ……」
小手川は顔をしかめる。
当時、県警で勾留中だった加納憲一郎が脱走した一件だ。
けっきょく彼は民間人に取り押さえられたのだが、そのあと、この藤見署内の留置場から
この加納が再逮捕されたあとの不可解な失踪に関しては、警察庁より直々にお達しがあり“なかった事”になったのだが……。
因みに加納は未だに都内の精神病院で療養中である。
「……その加納を捕まえた一般人というのが、あの二人らしいんですよ」
そう渡貫が言うと、小手川は
「それは、本当ですか?」
「はい」
その渡貫の顔は、冗談を言っている者の表情ではなかった。
「そ、そうか……」
小手川はぞっとしない表情で、茅野循が立ち去った廊下の先を眺めるしかなかった。
(了)
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