【11 】後日譚


 二〇二〇年七月二日の夜。

 都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン』の二階リビングにて。

 九尾天全はヘッドセットを被り、胡桃ウォルナットの座卓の上に置かれたノートパソコンに向き合っていた。

 画面に映るのは、もちろん桜井梨沙と茅野循である。

「今回は、ありがとうね。助かったわ」

 九尾は素直に礼を述べた。すると、桜井がばつの悪そうな顔で言う。

『いやあ、あたしは、おじさんをロッカーから出したりしまったりしただけで、何もしてないし』

「お、おじさん……?」

 茅野の方もどこか申し訳なさそうな表情をする。

『指紋の件は偶然だし、今回はなかなか危なかったわ。あのミックスお香がなければ、私たちも栄光の手の材料にされていたかもしれない』

「いや、あなたたちは別に罪人ではないでしょう」

 九尾がそう言うと、なぜかさっと目線を逸らす桜井と茅野であった。

「……何か心当たりがあるの?」

『いや、私たちは不法侵入という罪を犯している訳だし、栄光の手の材料としては適合しているのではないかしら?』

「いいえ。そう簡単でもないのよ。ああいうのは材料になった人の罪の質や量によって魔力の強さが変わったりするから……」

『ああ……なるほど』

『だから、わざわざ、素材となる人間に盗みを繰り返させていたのね?』

「そうよ。あの手の黒魔術というのは、そういった手順がとても大事なの。だから、不法侵入ぐらいならば、たぶん、材料にならないと思う。……まあ、それならそれで、別な魔法の触媒や薬の素材にされていたんだろうけど」

『ふうん』と、気の抜けた相づちを打つ、まったく怖がっていない様子の桜井。

『……それで、けっきょく、あの旗竿地からは、もうhogさんのアジトには行けないの?』

「ええ。たぶん、その入り口は閉じられてしまったと思うわ」

 あの旗竿地は、異界に存在するhogの隠れ家に通じた入り口の一つであった。

『そういえば、今も航空写真地図に例の古民家が映っているけれど……』

 茅野がスマホに指を這わせながら言う。

「あれは、一種の心霊写真みたいなものよ。たまにああして写ったりする事があるの。この世ならざる存在がね」

『へえ。なら今度、もっとよく見てみよっと。ストリートビューとかも』

『新たなスポットが見つかるかもしれないわね』

 ……などと、はしゃぐ二人を見て、九尾は盛大に呆れ返る。

「あのねぇ、あなたたちねえ……今回はこっちも助かったけど、殺されかけたのよ? ちょっとは自重しなさいよ……」

『だいじょうぶ、だいじょうぶ』

 桜井が大丈夫さを微塵みじんにも感じない口調で言う。

 茅野の方は、どや顔で胸を張り……。

『この私が開発したミックスお香があるわ。これさえあれば、何がきても怖くはない』

 その言葉を聞いた九尾は額に手を当てて、溜め息を吐く。

「ああいうお香は微妙な調合の変化でぜんぜん効果が変わるの。“相性”によっては効かなかったりする事もあるし」

『じゃあ、このミックスお香も?』

 がっかりとした様子の茅野。

「そうね。試してみない事には解らないけど、あまり期待しない方がいいわ」

 そして、次の九尾の言葉に桜井と茅野は目を丸くする。

「……次は・・hogの方も対策はしてくるだろうし」

『んん……? センセ、どゆこと?』

次は・・?』

「ああ……」

 そこで、九尾はその話を言いそびれていた事を思い出した。

「実は今朝、連絡があったんだけど、hogが拘置場内で死んだらしいの」

『まじか……自殺?』

『死因は?』

 桜井と茅野の矢継ぎ早の問いに九尾は首を横に振る。

「解らない。外傷はまったくなかったらしいけど……今、司法解剖に回されてる」

『……でも、死んだんだよね? なら、次とかないじゃん』

 桜井のもっともな言葉に、九尾は己の見解を述べる。


恐らくhogは・・・・・・・身体を捨てた・・・・・・のよ・・


 ぎょっとした様子の桜井。

『転生とか、なろう系かよ……』

『そんな事って、できるものなの?』

 その茅野の疑問に九尾は答える。

「普通はできないわ。ここまで高度な魔術を操れる術者なんか、聞いた事もない……本当に何者なのかしら?」

『もしかして、あたしたちのとこに報復にきたりする?』

「どうかしらね。油断はできないけど、hogは私怨で動いたりするタイプじゃなさそうだし、流石にしばらくは大人しく身を潜めているとは思うけど……注意は怠らない方がいいわ」

『でも、躊躇ちゅうちょなく技が振るえそうな相手だよね』

 桜井が無邪気な笑みを浮かべながら、しゅっ、しゅっ、とウェブカメラに向けてワンツーを打った。

 続いて茅野がスタンロッド取り出して、青い火花を散らした。

『次は当てる』

 それを見た九尾は、色々と諦めて嘆息たんそくする。

「兎も角、何か変わった事があったら、わたしに知らせてちょうだい……」

『はーい』

『解ったわ』

 桜井と茅野は元気に返事をした。


 ……後日、二人はオカルト研究会部室にて、九尾から許可のおりた範囲の情報を西木たちに明かした。





 それは、どこかの山深い土地の中にある古びたログハウスの屋根裏だった。

 暗闇に沈んだ室内が唐突に明るく照らされる。

 部屋の四隅にあった燭台しょくだい蝋燭ろうそくに、突如として炎が灯ったのだ。

 その明かりのお陰で部屋の床に記された、おびただしい記号や数字が照らされて浮かびあがる。

 古代ケルトに伝わるルーン文字によく似たそれらは、部屋の中央に鎮座ちんざする木製の棺の周囲を渦巻き状に取り囲んでいた。

 そして、屋根を打つ雨音を押し退けて棺の蓋が、ごとり……と鳴り、開き始める。

 棺の縁を掴む青白い指。

 中から起きあがったのは、ナイトガウンを身にまとった十代半ばの少女であった。

 金色の巻き毛に碧眼へきがん。白蝋じみた血の気の失せた肌には、メデューサの頭髪を思わせる青白い血管がうっすらと浮いている。

 彼女はのそりと立ちあがり棺を出る。

「……やれやれ。死んで生き返るのは、五十年振りぐらいだったか」

 大きな欠伸を一つ。目尻に涙をにじませた。

「……しばらくは、のんびりするとしよう」

 そう言って、少女は屋根裏の床の蓋を開けて梯子はしごをおろし、下階へと姿を消した。

 すると、燭台の蝋燭は消え、再び屋根裏は一寸先も見通せない暗闇に包まれたのだった。






(了)

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