【09】魔術師VS茅野循
扉がゆっくりと開き、工房の主である魔術師hogが姿を現す。
その面差しは白マントのフードにすっぽりと覆われており、一見してよく解らない。
hogは室内のシンクの前で倒れる二人にそっと近づくと、横向きで静かに眠る少女の顔を
率直に綺麗な顔だと思った。長い黒髪が流れ落ちるように床に垂れている。
なぜ、彼女たちがこの場所に入り込めたのか……いくつかの原因は想像できたが、単なる偶然だろうと、hogは深くは考えようとはしなかった。
ときおり、これまでにもそういう事があったからだ。
そうした迷い人たちは
この少女たちも、きっといい素材になる。
hogは、ほくそ笑む。
そして、長い黒髪の少女を運ぼうとマントの下から革のグローブに包まれた両手を伸ばした瞬間だった。
不意に少女と目が合う。
「なっ……」
思わず声が漏れた。
こいつ、起きている……hogは危険を感じて、
それと同時に少女の右手が素早く振りあがった。刹那、青白い閃光が瞬く。
隠し持たれていたスタンロッド……その一撃をかわして、距離を取るhog。
黒髪の少女は不敵な笑みを浮かべながら悠々と起きあがる。
「素早いわね」
そう言って上着の
そこでhogは、この少女が只者ではないという事を悟る。
どういう訳か少女は嬉しそうに語る。
「……梨沙さんが膝を突いたときは焦ったけれど……あの、
……何を言っているんだ、こいつ。
hogは唖然とするしかなかった。
すると、それを好機と捉えたのか少女がスタンロッドを振りあげながら、突っ込んできた。青い電光をまとった鉄の棒が弧を描く。
hogはどうにか飛び退き、その打撃をかわす。
「観念なさい!」
少女の攻撃は続く。そのままじりじりと後退を続け、しばらくすると、どん、という衝撃を背中に感じて足を止めた。
壁際の棚の前まで追い詰められてしまったのだ。
「もらった!」
少女が踏み込んで、スタンロッドを振りおろす。hogはくるりと身体を回転させて右横へ逃げようとした。
しかし、左手首を掴まれる。
「もう逃がさないわ」
少女がニタリと不気味に笑った。hogは背筋に冷たいものを感じる。
本当に、こいつはいったい何なのだ。
スタンロッドが空を斬り首筋へと迫る。寸前で掴まれていた左手の革のグローブを脱ぎ捨てて飛び退く。
更に折り返しの追撃がくる。身を屈めるhog。
頭上スレスレをスタンロッドが通り過ぎてゆく。
その一撃は急下降し、屈んだままのhogに振りおろされようとした。
しかし、どうにかスタンロッドを握った少女の右手首を左手で掴んで受け止めた。
しばらく、そのまま力比べとなる。
「諦めなさい……」
少女の顔が
まるで、この状況を心底、楽しんでいるかのような……。
それを見たhogは思った。
この少女は、とてつもない危険人物だ。
きっと、自分なんかよりも、ずっとたくさんの人間を殺しているに違いない。この状況を楽しめるのは、そういう者だけだからだ。
そんな怪物に目をつけられてしまった不運を心の底から嘆いた。
もちろん、盛大な勘違いである。
しかし、そうとは知らないhogは、何とか逃亡をはかる事にした。
彼女が何者であれ、自分の術を打ち破る方法を知っている可能性が高い。そういった者とは、できるだけ争いたくなかった。
hogは渾身の力でスタンロットの右手を押し返し、突き放す。
そのままバランスを崩した少女に背を向けて、階段のある部屋へと通じる扉とは反対側の扉を開けた。
「待ちなさい!」
その恐ろしい少女の声を背中で聞き、hogは扉口の向こうへと姿を消した。
茅野循はhogのあとを追う事はせずに、使い込まれた
すると、眠りについていた彼女の鼻が、次第にひくつき始めて目蓋が持ちあがる。
「このエキサイティングな香りは……」
「どうやら、お目覚めのようね」
その茅野の言葉を聞いて、がばっ、と、上半身を起こす桜井。
「……何で、あたし、床に寝転がっていたの?」
「恐らく栄光の手の力よ。梨沙さんは眠っていたの。私はどうやら、このミックスお香を事前に嗅いでいたから、その難を逃れたらしいわ」
「……栄光の手、恐るべし」
桜井は目尻をこすって、呑気に
「それで、ここの主らしき者と一戦交えたけれど、逃げられてしまったわ」
「どんなやつだった?」
「白マントにフードを被っていて良く解らなかった」
「そなんだ」
「……因みに奴が逃げ込んだのは、あの扉よ」
そう言って、茅野は指を差す。
桜井が、その扉を狩人の眼差しで睨みつけ、慎重な足取りで近づく。
「まだ暴れたりないから、精一杯、やらせてもらうよ」
ドアノブを掴んで勢いよく開くが……。
「ありゃ……?」
そこにあったのは、コンクリートの壁だった。
「完全に逃げられたわね」
茅野が苦々しい表情で言った。
すると、そこで、がんがん……と、バケツを打ちならしたときのような音が鳴り響く。
「……何だ!? この臭いはっ! クサっ、おいっ! おいっ!」
どうやら、箱の中の小谷内も目を覚ましたらしい。
「おじさんも、出してあげようか」
桜井の言葉に茅野は同意する。
「そうね。取り合えず、いったん外に出ましょう」
二人は小谷内を箱から出してあげた。それから、再び喚き散らす彼を、どうにかなだめすかし恐怖の工房をあとにした。
スクリュー錠を開けて玄関の戸を開くと、すでに外は真っ暗だった。
そして、それは小谷内が二人の少女の後ろから、玄関の敷居を跨いだ直後の事だ。
「え……」
視界の横に見えていた古民家の
驚いた小谷内は咄嗟に振り向く。すると、そこには何もない。旗竿地を取り囲む住宅の窓から漏れる光と、雑草の生い茂る空き地があるばかりだった。
「……な、何なんだ……これは、何なんだよ……!?」
足元を突然、すくわれたかのような強い恐怖。
小谷内は唇を
「消えちゃった」
「まあ、これで、通報しても無駄だろうし警察に説明しなくてもよいわ」
「取り合えず、明日にでも九尾センセに話してみよ」
「そうね」
……などと、二人の少女は、やはり大して驚いていない。
小谷内は、泣きそうな顔で笑うしかなかった。
「なあ、お前ら、本当に何なんだよ……なあ……」
本人たちの自称によれば、肝試しにきた普通の女子高生らしいのだが……。
「お前ら、絶対に違うだろ……」
唖然とする小谷内を尻目に、少女たちは旗竿地の入り口へと歩いてゆく。
そして、立ち尽くして呆然としたままの小谷内の方を振り向く。
「どうしたの? おじさん」
「怪我はなかったようだけれど……」
もう、この二人と関わりたくなかった。まっぴら御免だった。
「あっ、ああ……大丈夫だ。ちょっ、ちょっと……疲れただけだ」
ぎこちなく笑う小谷内。
すると、小柄な少女がきょとんとした顔で問う。
「それなら、よかったけど。車、乗ってく?」
「いや、その、あれだ。いいわ」
その言葉をどうにか絞り出す。
すると、気を悪くした様子もなく「んじゃ、解散で」と、まるで仕事終わりのような調子で背を向ける小柄な少女。
そのまま再び歩き始める。
そして、黒髪の少女が、ぞっとするような微笑を浮かべて一言。
「全部、忘れなさい」
彼女も小柄な少女のあとを追って歩き始めた。
小谷内誠は、二人の姿が見えなくなるまで一歩も動き出す事ができなかった。
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