【06】逸話


「……それはきっと、最初の話では幽霊の服装は“映画の貞子とかが着ているようなワンピース”という意味だったけれど、噂が伝播でんぱするうちに“幽霊が着ているような服”になり、それを聞いた人が、葬式などで遺体に着せる経帷子きょうかたびらを思い浮かべたのではないかしら? そして、最終的に“白い和服を着た幽霊”になった」

「じゃあ“口から血を吐いた”っていうのは?」

「単に誰かが勝手に話を盛っただけでしょうね」

 それは、翌日の早朝の事だった。

 桜井は再び朝起きると、ジョギングで夢乃橋記念公園へと向かった。

 すると、そこには茅野循の姿があった。どうやら桜井を待っていたらしい。

 再びベンチに並んで腰をおろす二人。

 桜井は昨日の放課後に第一目撃者の蛯沢佑都の元へ聴き込みへいった事を茅野に話す。

 茅野は噂話が変化している事について解説してくれた。

「……このように噂というのは簡単にねじまがってしまうものよ。噂を聞いた人間が自分の勝手な解釈や間違った認識をつけ加えたり、逆に内容を省略したりして次の人に話す事で、大元の話とはまったく違うものになったりする。変化というより劣化コピーかしらね」

「ふうん……」

 桜井がぼんやりとした返事をした。

 すると、茅野は眉を釣りあげる。

「貴女、私の話を聞いているの?」

「ああ。噂は伝わるときに、余計な情報がくっついたり、逆に省略されたりして、どんどん劣化コピーされてゆくみたいな話でしょ?」

 桜井が事もなげに言うと、茅野は目を丸くする。そして、素直に謝った。

「ちゃんと、聞いていてくれたのね……ごめんなさい」

 首を横に振る桜井。

「あー、別にいいよ。あたし、よく人の話を聞いてなさそうな顔って、言われるんだ」

「そうなの?」

「人の話を聞くのは嫌いじゃないから、だいじょうぶ。特に君みたいな、頭のいい子の話は聞いてて楽しいよ」

 その言葉を受けた茅野は面食らった様子で頬を赤らめる。

 そして、すぐに、おほん、と咳払いをした。

「ま、まあ、それは兎も角、貴女も中々やるわね。一番最初の目撃者に話を聞きに行くなんて」

「何か幽霊に会えるヒントがあるかもしれないからね」

「まさか、ここまで本格的に取り組んでくれるとは思わなかったわ」

「勝負だからね。受けたからには真剣にやるよ」

 虚空に向けてワンツーを放つ桜井。

 それを見て、茅野は目を細める。

「ありがとう」

「へ?」

 突然の感謝の言葉に桜井が目を丸くする。

 茅野は柔らかく微笑みながら……それでいて、その瞳に闘志を宿らせながら言う。

「貴女みたいに全力で遊んでくれる人、大好きよ」

「それは、どうも。あたしも、ちょっと退屈していたところだったからねえ。久々にたぎるよ」

 その桜井の表情も心の底から楽しげだった。

「それは、何よりだわ。ところで、例の幽霊の話なんだけれど」

「あー、うん。何?」

「実は私も色々とこの公園について調べてきたのだけれど……」

「おお。そうなんだ」

「今から二十年も前の話なんだけど、この公園の池があるでしょう?」

「うん。ふなとかこいとか釣れるよね。あたしは大抵、雷魚狙いだけど。名前が強そうだから」

「そう。それは、まあどうでもいいとして、あの池は、地図上では藤見池と言って、この公園が造られる前からあったらしいんだけど……」

 夢乃橋記念公園は、昭和五十年に県内で名の知れた『夢乃橋製薬』が、藤見市に寄贈したものらしい。

 そして、元々この土地にあった池は、本来の自然を残しつつ整備され、今の姿に生まれ変わったのだという。

「ふうん……」

 と、公園と池の来歴を聞いた桜井が相づちを打つと、茅野は呆れ顔で笑う。

「本当に貴女、ぜんぜん人の話を聞いていないみたいな顔で人の話を聞くわね。逆に感心するわ」

「それは、どうも。……で?」

「ああ。えっと、それで、この池にはもう一つ呼び方があって……『あやめ池』というのだけれど」

「あやめ……何で?」

 桜井が首を傾げると、茅野は意味深にほくそ笑む。

「実は戦後まもなくの事なんだけれど、ある酒乱の博奕打ばくちうちが自分の妻を殺してしまったらしいの。その妻の遺体は、この辺りにあった廃寺の古井戸に捨てられたんだけど……」

 因みに、その博奕打ちは死体を遺棄したあと『妻は間男と駆け落ちした』と、知人に触れ回っていたのだという。

 しかし後日、なぜか古井戸に捨てたはずの妻の遺体が藤見池に浮かんだ。そして、腐乱した彼女の右手には博奕打ちのシャツのボタンが握られていたらしい。

 そこで警察が事情を聞いたところ、博奕打ちは観念して己の罪を認めたのだという。

 この一件から人々は、その井戸と藤見池は地下で繋がっているのではないかと噂しあった。

「……その殺された博奕打ちの妻の名前が“あやめ”というらしいわ」

「ふうん……」と、相変わらずまったく話を聞いていないような顔で、気の抜けた返事をする桜井。

 茅野は既に慣れたらしく、もう突っ込まなかった。

「で、実は、そのあやめさんは、白いワンピース姿で胸を滅多刺しにされて殺されたらしいの」

「じゃあ、この記念公園の幽霊は、そのあやめさんの幽霊?」

 桜井の問いに茅野は頷く。

「そうである可能性は高いわね」

「でも、あやめさんは、井戸に捨てられて池に浮かんだんだよね? ならば、なぜあの銀杏の樹のところに?」

 もっともな疑問である。

 茅野はしばらく思案顔を浮かべてから答える。

「これは、確証のない私の想像だけれども、たぶん、その井戸と繋がった地下水路は、あの銀杏の下を通っているんじゃないかしら?」

「あの銀杏の……」

 桜井は、例の植え込みの方へと視線を向ける。

「恐らく井戸に落とされて、藤見池に辿り着く途中、何らかの要因で、あの銀杏の下にあやめさんの魂だけが取り残されてしまったとか……」

「おおっ。それっぽい! 凄い!」

 桜井が真剣に感心した様子で、パラパラと拍手をした。

「……因みに、その古井戸は?」

「今はもう、埋め立てられているらしいわ」

「そなんだ……」

 と、残念そうに桜井は言うと、首からかけたキッズ携帯を開いて時刻を確認した。

「とりあえず、もう行くよ。そろそろ戻ってご飯を食べなきゃ遅刻しちゃう」

「ええ。幽霊退治の参考になったかしら?」

「うん。取り合えず、明日は柔道の練習があるから、明後日から柔道のない日は、夜八時くらいにここへきてみる事にするよ。蛯沢さんの話だと幽霊を目撃したのはそのくらいの時間だって話だし」

「会えるといいわね。幽霊に」

 茅野は天使のように微笑んだが、その目はまったく笑っていなかった。

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