【13】破滅の序曲


 武嶋夏彦は車から降りると、アパート前の路上に立つ二人の少女の存在に気がついた。

 一人は背が高く、武嶋が大嫌いなといって差し支えない年齢であった。

 もう一人は小柄で幼い顔立ちではあったが、武嶋の個人的な尺度では、とうが立ちすぎていた。

 武嶋は、その少女たちに笑われたような気がして、急いで自室へと逃げ込む。

 汚れたスニーカーを脱ぎ、居間の畳に腰をおろすと、スマホのフォルダーを開いて福島みどりの凄惨な写真を舐め回すように見つめながら、犯行の記憶を反芻はんすうする――




 それは、福島みどりの遺体を遺棄したあとだった。武嶋の家に警察がやってきた。

 最初は驚いたが、話をするうちに武嶋を疑っているというよりは、事件の手がかりがなく、過去の関係者の証言を洗い直しているかのように感じられた。

 それでも根が小心者で、警察に捕まりたくなかった武嶋は、これ以降は少女に手を出す事をひかえる。

 武嶋は福島みどりのタイツを記念品として盗っただけではなく、変わり果てた姿を写真に残していた。

 画面の中の福島は、自分の事を馬鹿にしない、自分の事を嫌わない、彼にとっての完璧な少女であった。

 写真を眺め、犯行の記憶を思い起こすだけで彼は満足できていた。

 彼女の凄惨な写真は、彼にとっては効果の強力な麻酔薬と同じであったのだ。

 しかし、最近になって、その効果が薄れ、武嶋の中で再び殺人への欲求が目覚めつつあった。

 流石に五年と数ヵ月以上も前の記憶は色褪いろあせ、散々にみしだいたチューインガムのように味気を失っていた。もう限界だった。

 そろそろ、よい頃合いかもしれない。みんな忘れている。恐ろしい鴉がいる事を。仔猫も親猫も、警察の番犬共も……。 

「どうせ、また捕まらないさ……解りっこない。ふへへ……」

 武嶋は新たな犯行を夢想しながら、頬を上気させ、口元をだらしなくゆるめた。




 すっかり日が暮れていた。

 帰り道、二人は駅構内の本屋へ立ち寄り、その際に茅野が梶尾銀の本を購入する。

 因みに羽田は、まだ読んでいないらしい。毎日あんな夢を見ているせいで、ホラー小説など読む気になれなかったのだそうだ。

 それから改札を潜り抜けて在来線の下り列車へと乗り込む二人。

 乗車率九割ほどの車内で、搭乗口脇の二人がけの席に並んで座る。

 その二人を乗せた電車が、県庁所在地の駅を出てしばらく経ったあとだった。

 ずっとスマホに指を走らせて、何やら調べ物をしていた茅野がおもむろに声をあげた。

「それにしても、私は少し九尾先生の事を見くびり過ぎていたわ」

「そうだよね。流石のあたしも、今日のはびっくりだったよ」

 虚空にぼんやりと視線をさ迷わせていた桜井が答える。

「能力もそうだけれど、私だったら、絶対に適当な事を言って、わざと占いを外すわ」

「でも、センセはあたしたちの期待に充分すぎるほど答えてくれたよ」

「そうね。これが一流霊能者としてのプライドなのか、我々への友情によるものなのかは解らないけれど……」

「うん。どちらにしても、敬意に値するよ。九尾センセは」

「……これは、夜鳥島での戦い、絶対に負けられないわね」

 茅野が遠い目で、遠く彼方にある紀淡海峡を見すえながら力強く言い放つ。

 その隣で桜井も深々と頷いた。

「絶対に負けられない戦いだね……」

 ……などと、来るべき箜芒甕子との対決に向けて、意気込みを新たにする二人であった。

「是非とも、九尾先生の友情に答えてあげましょう」

「そだね。……でも、まずは目の前の敵だよ」

「それもそうね」

 二人は切り替える。

「……んで、お次はどうするの?」

 その桜井の問いに、茅野は顎に指を当てて考え込む。

「……それは、勿論」

 端正な口元が蠱惑的こわくてきな微笑みを形作る。

「だね」

 二人は顔を見合わせてほくそ笑んだ。




 その週の土曜日の事だった。

 電子音と金属音の豪雨。

 淀んだ空気と点滅する光に満たされたその場所は、パチンコ店『ユニバース』のフロアであった。

 パチンコ筐体の中央に表情されたスロットが回り、止まる……7、7、8。

「糞が……」

 がつん、と硝子の表蓋を右拳で叩き、ストゥールから腰を浮かせたのは武嶋夏彦である。

 夜勤前に少しだけ……と、武嶋は自宅近くの『ユニバース』へと足を運んだところ、わずかな時間で一万円が飲み込まれてしまった。

 ふと気がつくと、いつの間にか隣に座っていた三十代ぐらいの化粧の濃い女が、迷惑そうな表情で武嶋を見あげていた。

 糞女が……と、思わず怒鳴りつけてしまうところだったが、通路の向こうから厳つい顔つきのスカジャンの男がやってきて、その女の事を呼んだ。

「おーい。アキナぁーっ! 調子どーよ?」

「もう少しで、かかりそうなカンジ」

 女が答えた。

 武嶋は女に背を向けてその場を立ち去る。すると背後で……。

「見て! 入った! 激アツ確変モードぉ!」

 と、女の黄色い声が聞こえた。

 武嶋は舌打ちをして『ユニバース』をあとにする。自宅へと戻る。

 彼は危機感を覚えていた。

 最近、暴力性が高まりつつある。ふとした瞬間に内側からどす黒い何かが溢れそうになる。

 さっきも、そうだった。思わず反射的に女を怒鳴りつけそうになった。あの彼氏がこなければ、掴みかかっていたかもしれない。そもそも、普段ならば、パチンコ台を殴ったりなんかしなかっただろう。

 武嶋は自分が危険な状況にいる事を自覚していた。


 ……早く、新しい仔猫を見つけなければ。次の休日にでも、獲物を漁りに行こう。大人しくて、絶対に自分に逆らわない可愛い仔猫を――


 そんな事を考えながら、自宅の玄関の扉に鍵を差し込んだ。

 扉を開け三和土たたきで靴を脱ぎアパートにあがる。

 玄関の右隣の台所へと足を踏み入れたところで、背中に、どん、と何かが飛び乗ってきた。

 同時に、しなやかで小さい腕が毒蛇のように首筋へと巻きつき、更にもう一つの手が凄まじい握力で頭部を鷲掴わしづかみにした。

「うぐ……」

 頸動脈けいどうみゃくを圧迫された武嶋は、二秒ほど激しく身体を揺り動かしたが、すぐに膝を突いた。

 薄れゆく視界と、遠退く意識――。

 最後の瞬間だった。

 耳元で女が鼻で笑う声を聞いた気がした。

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