【06】後日譚


 それから数日後の昼だった。

 浅田柚葉が冷房の効いた自室でスマホをいじっていると、桜井梨沙から『今、電話していいかな?』とメッセージが届いた。

 構わないと返信すると、ほとんど間を置かずに着信があった。

 この前の件・・・・・だろうか……にわかに緊張が込みあげ、つばを飲み込む。

 浅田はひとつ深呼吸をして、ベッドに寝転んだまま、電話ボタンを押してスマホを耳に当てた。

『あ、ごめーん。この前の河童のやつなんだけどね』

 と、桜井は開口一番、切り出した。その口調がいたって呑気な物だったので、浅田は少しだけ肩の力を抜いて微笑む。

「あ、うん。どうしたの?」

 そう切り返すと桜井はあっさりとその言葉を口にする。

『浅田さんが大伯父さんの家で聞いた足音、河童じゃないみたい』

「……え? じゃあ、あれは何だったの?」

 彼女の耳には、どう考えても小さな子供のような何かがバタバタと屋根裏を駆け回っているようにしか聞こえなかった。

『あの足音はね。怒っていたみたい』

「え? 怒っていた?」

『だから、浅田さんを怖がらせたんだって』

「何が? 誰が怒っているの?」

 主語が抜けている。浅田は桜井の喋り方に少しだけ苛立つ。同時に嫌な予感が脳裏を過る。

 そんな事などお構いなしといった調子で、桜井は質問の答えを述べた。

『誰が怒っているって、そりゃあ、大伯父さん・・・・・だよ』

 その可能性を認めたくはなかった。

 だから彼女は河童の怨霊のせいだと決めつけた・・・・・

 黙り込む浅田。

 桜井は更に続ける。

『大伯父さんが、浅田さんに対して怒っている』

「な……何で」

 やっと、その言葉だけを喉から絞り出した。

『何かねー。半開きになった押し入れのふすまとみかん箱が見えたのね』

 浅田は、はっとする。もう間違いない。

『……それが関係あるみたい。よくは解らないけど』

 浅田が村瀬邸へ向かった本当の目的。

 それは、彼のコレクション・・・・・・・・していたレコード・・・・・・・・だった・・・




 浅田はあるとき、偶然にもネットで村瀬源時朗の所持していたレコードが、数万から数十万で取り引きされている事を知った。


 ……一枚くらいなら構わないだろう。大伯父さんからはよく小遣いを貰っていた。それと同じだ。きっと許してくれる。


 浅田は軽くそう考えて、様々な言い訳と共に村瀬邸へ侵入した。

 そうして、彼の私室の押し入れを開け、中からレコードのしまってあるみかん箱を取り出したところで、天井裏からあの音が聞こえた。

 後ろめたさを消しきれず、緊張状態だった浅田は驚いて逃げ出した。

 死んだ大伯父さんが自らの行いをとがめて怒っている。

 あの優しかった大伯父さんを怒らせてしまった。

 込みあげる罪悪感と後悔に心がきしむ。

 そこで浅田は思い出した。

 大伯父さんの死の状況が不自然であったという話を……。

 そして、それについて祖母が述べていた言葉。


 “河童の祟り”


 ……そうだ。あの足音は大伯父さんではなく河童の怨霊の仕業だ。


 浅田は、すべてを・・・・河童の怨霊・・・・・のせいにした・・・・・

 こうして、浅田は小学生時代にコックリさんを除霊したという桜井梨沙に会う為、オカルト研究会の部室へと足を運んだのだった。




『聞いてる? 浅田さん。おーい。もしもーし……』

「……あ、ごめん。それで、何?」

『いやだから、大伯父さんが死んだときスポーツドリンクを飲まなかった理由は、ペットボトルをカチカチに凍らせてあったから飲めなかったって話だよ。だから、今回の件に河童はいっさい関係がない。聞いてた?』

「あ、うん……」

 もうそんな事はどうでもよかった。

 浅田は恐る恐る桜井に尋ねる。

「それで、大伯父さんの霊は、どうなったの? まだ怒っている?」

『あ、だいじょーぶ。ちゃんと話つけておいたから』

「ほ、本当に?」

 桜井のあまりにも軽すぎる言葉に不安が増す。

 そんな彼女の心に、桜井は釘を突き立てる。

『本当だって。ただ、ひとつだけ忠告』

「な、何……?」

『もう、あのみかん箱に浅田さんは指一本触れちゃ駄目だよ? 今度は怒られるだけじゃすまないかも』

 浅田はごくりと唾を飲み込んだ。

 彼女のこめかみから冷たい汗が伝う。

「解ったわ。気をつける」

 やっとの事で、それだけ言うと、桜井は、

『んじゃ、報酬の一万円よろー。また連絡するからー』

 そう言って、通話は切れた。

 どっと疲れた浅田は、そのまま自室の天井を見あげたまま、大きく息を吐き出した。




 おりの中では長細い獣が、きーきーと音を立てて鳴いていた。チョウセンイタチである。

 その檻を、茅野は村瀬の私室にある書斎机に置いた。

「んじゃ、報酬の一万円よろー。また連絡するからー」

 彼女の隣で桜井が通話を終えた。

「これで焼き肉確定ね。それとも、いっそ寿司にする? 回らない寿司屋のカウンターで、あえてかっぱ巻きだけを注文しまくるの」

「いいねえ」

 と、笑う桜井。

「でも、今回は焼き肉で。東京X!」

「私もどちらかというと臓物系を食べたい気分だったの。血の滴るレアステーキも」

「さっそく明日、浅田さんの家に取り立てに行こう」

「……ええ。良いわね。じゃあ明日、あなたの補習が終わったらで」

 茅野はチョウセンイタチの捕らわれた檻の蓋を開けた。

「逃がしちゃうの?」

 桜井の問いに茅野はうっすらと微笑む。

「ええ。本当に鼬の仕業か確認したいだけだったし……それに鳥獣保護法やら狩猟法やら色々と面倒なのよ。この手の動物は」

 チョウセンイタチは猛烈な勢いで檻から飛び出すと、開かれたままだった押し入れのふすまの向こうへと消えた。

 しばらくがさごそと音がしていたが、静まり返る。

 茅野は檻を再び折り畳み、ビニールシートにくるんで小脇に抱えた。

「それじゃあ、帰りましょうか」

「うん」

「それにしても、同級生が犯罪者に堕ちるのを未然に防いだ金額にしては、お安い値段かもしれないわね 」

「そうだね。あたしたち良い事をしたよね」

「でも、不法侵入に霊感詐欺を働いた訳だけれど……」

「それはそれ、これはこれ、だよ」

「あら、梨沙さんにしては洒落た言い回しね」

「それはどうも」

「そういえば、弟も焼き肉パーティーに連れてきて良いかしら? 足が出た分は、こちらが持つわ」

「いいよー。そういえば、カオルくんと会うの久しぶりだ」

「店は速見さんの所でいいわよね?」

「値切れるしね」

 こうして、桜井と茅野は何食わぬ顔で村瀬邸をあとにすると、バス停へと向かったのだった。


 ……その後日、茅野循と桜井梨沙は思う存分、焼き肉に舌鼓を打った。





(了)

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