ゆるコワ！ ～無敵の女子高生二人がただひたすら心霊スポットに凸しまくる！～

【03】落とし物

　左には法面（のりめん）モルタルの崖。右にはガードレールと針葉樹の生い茂る下り斜面。

　だらだらと傾斜した坂道を二人は自転車で登る。

「どうぶつのビスケットのやつ、あれ好きなんだけど、最近なかなか売ってないんだよねえ」

　平然と雑談をしようとする桜井と……。

「そう……ひぃ……はぁ……ど……どうぶつの……ぜぇ……はぁ……」

　息も絶え絶えの茅野であった。

「ところで循」

「な……なあに？　梨沙しゃん」

　思いきり言葉を噛んだ。

　桜井は噴き出しそうになるが、ぎりぎり堪える。

「……あとどれくらいで着くの？」

「こっ……この、坂を登ったら……すぐよ……ひっ、左に雑木林があって、登り坂があるから、そこを登るの……ぁああ……うんざり……そうすると、ひぃ……登山客向けの駐車場があるわ……そ、そこで……オェ」

「あ、ごめん。もういいよ。後で聞くよ」

　桜井は心底申し訳なさそうな顔で、律儀に質問に答えようとしてくれた茅野へと謝罪した。

　坂を登り切ると左側に連なっていた法面モルタルの崖は雑木林となった。

　しばらく平らな道を進むと、その雑木林（ぞうきばやし）を割って延びる細い登り坂が見えてくる。

　二人はその奧へと進み、木立と藪に囲まれた砂利敷きの駐車場へと辿り着く。

　駐車している車は一つもない。二人は隅っこに自転車を停めた。

　その駐車場から細い未舗装の道が山深い森の向こうへと延びていた。

「……ここからしばらく行くと道が二手に別れていて、その片方が五十嵐脳病院に通じているわ」

　どうやら茅野は、スポーツドリンクを口にしてひと息着いたようだ。

「でもさ。何でこんな山奥に病院なんか建てたの？　流石に不便じゃない？」

「まあ、臭いものには蓋（ふた）をしろ……という訳じゃないけれど、昔は今以上に心身の障害者に対しての差別意識が強かっただろうし、この手の病院が人里離れた場所にあっても、それほど不自然ではないわ」

「ふうん。昔の人ってクソだね」

「そうね。行きましょうか」

「うん」

　こうして、桜井と茅野は五十嵐脳病院へと向かった――

　それから、しばらく経った後だった。

　どん、どん、どん……と、車内から重低音を響かせて黒のハイエースが駐車場にやってくる。

　ハイエースは駐車場の真ん中で停まった。

　エンジンの排気がやむと、車内から三人の男が降り立つ。

　犬飼、牛野、猿川である。

　そして、犬飼が駐車場の隅に停めてあった二つの自転車に気がつく。

「おい、見ろよ。あの二人組のＪＫ、間違いなくここにいるぜ」

　牛野が自転車に貼ってある藤見女子高校の通学許可ステッカーを見て、にちゃあ……と笑う。

　犬飼がマルボロをくわえて、髑髏（どくろ）の飾りがついたオイルライターで火をつける。

「さぁて。狩りの始まりだ」

「どうする？」　

　と、牛野が犬飼に指示をあおぐ。

「しばらく、ここで待ち伏せするぞ。どうせすぐに帰ってくんだろ」

　犬飼は、五十嵐脳病院へと通じた山道の方を見やり、白い煙を蒸気機関車のように吐き出した。

　『五十嵐脳病院』

　雑草とおびただしい蔦（つた）に埋もれた門柱。

　そこに刻まれた文字が、かろうじて葉の隙間から窺（うかが）えた。

　門は錆びついた格子扉で閉ざされており、内側には雑草と低木がはえそろう敷地が広がっている。

　その奥に鎮座するのは凝洋風（ぎようふう）の木造建築だった。

　蔦や苔に侵食された壁面に並ぶギロチン窓の硝子は、ほとんどが割れ落ちている。中でも病室とおぼしき部屋の窓は、今も息苦しい格子で覆われていた。

　壁や瓦屋根が崩れ落ちている場所も見受けられ、玄関の庇（ひさし）は柱が傾き、今にも右側へ倒れて潰れてしまいそうだった。

「ふんいきあるねー」

　と、桜井がネックストラップで吊るしたスマホで、ぱしゃぱしゃと撮影を始める。

「まだ日本の景気がよかった頃は、この病院を文化財として保存して、観光資源に利用する計画もあったみたい」

「ふえー。そうなんだ」

「……でも、土地や建物の権利の問題、自治体の財政難から計画は頓挫（とんざ）して、それ以来、捨て置かれたままらしいわ」

　茅野はそう言って、格子の門を押し開いた。蝶番が軋（きし）んだ音を立てる。

「……あ、言い忘れていたけれど」

「何？」

「会報には、ここから先で撮った写真は使わないから」

「何で？」

　桜井が首を傾げる。

「下手をすると不法侵入で建物や土地の持ち主から訴えられる恐れがあるからよ。少なくとも中の写真を会報に載せたら、確実に戸田先生に怒られるわね」

「そうなんだ。じゃあ、もう帰る？」

　桜井は残念そうに唇を尖らせる。すると、茅野は不敵に笑いながら首を横に振った。

「いいえ。中に入りましょう。写真も撮りまくりましょう。動画は私が撮るわ。ここから先は部活動などではなく、純粋に私たち個人の好奇心を満たす為に行われる探索よ」

　そう言って、茅野はスクールバッグからデジタル一眼カメラを取りだして首にかけた。動画撮影の準備を始める。

　すると曇っていた桜井の表情が、ぱっと明るく輝いた。

「うん。ちょっとだけならいいよね？」

「そうね。それから、もしも、本物の心霊写真や心霊動画が撮れたら……」

「撮れたら？」

　桜井がきょとんとした表情で首を傾げ、茅野は胸を張る。

「どこかにアップして自慢しましょう！」

「それいいね！　絶対バズるよ！　いいねがいっぱいだよ！」

　……と、知能指数が低そうな会話を繰り広げながら、雑草に埋もれた石畳を渡り、傾いた庇（ひさし）の下を潜り抜けた。

　玄関の扉は床に倒れていて、入り口は開け放たれたままだった。

　二人は扉板を踏みつけ、五十嵐脳病院の構内へ足を踏み入れた。

　古びたベッド、襤褸布（ぼろぬの）のカーテン、色褪（いろあ）せたポスターや新聞、四つ足のブラウン管のテレビなどなど……。

　入浴室に並んだバスタブには黒黴がびっしりとこびりついている。いたるところの棚や戸棚には、未だに当時の薬瓶や怪しげなホルマリン漬けが並んでいた。

　硝子の注射器や包帯など、生々しさを感じる治療器具が散乱している。

　当時を思わせる光景を一つ一つ見て回る内に、桜井と茅野の胸に奇妙な懐かしさが込みあげてくる。

　彼女たちが、その時代を直接過ごした訳ではないにも関わらずだ。

「何か、鼻の奧がつんとするね」

　桜井は木製の机の上に無造作に置かれた聴診器の写真を撮った。

　茅野もどこかうっとりとした表情で、桜井の言葉に同意する。

「そうね。廃墟探索って……けっこういいわね。はまりそう……」

　そこは診察室のようだ。

　中庭に面した陽当たりの良い部屋で、木製の家具類や穴だらけになった布の衝立などあった。

　そして、茅野が布の衝立を退かした瞬間だった。

　衝立の裏にあった診察台の下から、何やら黒い小さな影が飛び出す。

「きゃっ」

　茅野は短い悲鳴をあげてたじろぐ。

　影は茅野の脇を駆け抜け木製の回転椅子の上に、ぴょん、と飛び乗った。

　そして、牙を向き出しにして、しわがれた声でひとつ鳴く。

　それは、青い目をした黒猫だった。

「何だ。にゃんこか」

　桜井が、ぱしゃりと写真を撮ると、黒猫は再び俊敏（しゅんびん）な動きで椅子から飛び降り、開かれたままだった部屋の入り口から何処（いずこ）かへ去っていった。

「ちょっとだけ驚いて声が出てしまっただけよ？　私は怖がってなどいないわ」

　と、胸をなでおろしながら言う茅野に対して桜井は苦笑する。

「誰に何の言い訳をしてるのさ」

「そんな事より、梨沙さん」

「何？」

「診察台の下に面白いものが落ちているわ」

　茅野は床に膝を突いて右手を伸ばし、それを掴み取る。

　診察台の下に落ちていたのはスマートフォンだった。五年前に発売されたモデルである。

「バッテリは死んでるわね……」

　電源を入れてみたが、タッチパネルは暗いままだ。

「肝試しにきた誰かが落としていったのかな？」

　桜井が茅野の脇からスマホを覗き込む。

「恐らく、そうでしょうね……」

「どうする？　警察に届ける？」

　茅野は首を振る。

「直接、持ち主に届けてあげましょう。警察に持っていってもいいけれど、そうするとこの場所で拾った事を言わなければいけないわ。それは、ここに入る前に説明した通り不味（まず）い事になるかもしれない」

「不法侵入だね？」

「そう。別に警察に嘘を吐いてもいいけれどバレるかもしれない。それなら、スマホのデータを確認して持ち主を特定し、私たちが直接届けた方が確実だわ。だから、私は他人のスマホの中身を覗（のぞ）いてみたいとか邪（よこしま）な事を考えている訳では、断じてないのよ？」

「だから、誰に何の言い訳してるの？」

「とりあえず、このスマホの事は後にして……」

　こほん、と茅野が咳払いをする。スマホをポケットに入れる。

「そろそろ、この部屋を出て、残りの場所も回ってしまいましょう」

「うん。そうだね」

　こうして、二人は診察室を後にしたのだった。