皇太子編
第33話 いま一番注目の存在
エマ・バートンは今、この国の社交界で一番注目される存在だった。
その理由は簡単だ。
輝くような美貌の持ち主で、今まで一度も女性と踊ったことがないルーク・ヘイルズと、何度もダンスを踊る唯一の女性なのだから。
特にあの舞踏会の後に、別の会にルークのエスコートで参加して、当たり前のようにルークとダンスもしたから、さらに周りから注目されることになった。
周りが特に気になるのが、エマがルークにとってどんな存在で、なぜエマがヘイルズ家に住んでいるのかということだった。
広いわけではない社交界で、その話題は今一番注目の話題だった。
ルークが今の社交界の未婚男性の中で、一番格好良くて、家柄も良くて、将来性もあって、人気があったからだ。
そんなわけで、思いもかけずエマは女性たちの厳しい視線に晒されることになってしまった。
今日も通りすがりの女性に呼び止められて、鋭い視線と口調で聞かれた。
どうしてあの家にいるのか。ルークとはどういう関係なのか。
答えは簡単だ。
元同級生で、女官寮から追い出されたエマが困っていたのを、ルークがヘイルズ家に置いてくれた。
だけど、それで納得する人はいなかった。
そして、そんな言葉通りの関係ではないことは、エマだってわかっている。
元同級生にしては、親密だし。
困っていたのを助けたにしては、長く住まわせてもらっていて、ヘイルズ家から出る気配がない。
ルークは、はっきりとエマを特別扱いしている。
今日の人はエマを睨んで口を開いた。
「恋人でないなら、なんなの?」
苛立った瞳でため息をつく。
「あなたみたいな人が近くにいたら、彼に恋人ができないじゃない」
その言葉に胸が強く痛んだ。
だから最近、エマは考えてしまう。
あの家を出て行った方がいいのかもしれないって。
それがルークの幸せなのかもしれないって。
だけど下宿先を探すとは言っても、王女の側近なのだからどこでもいい訳ではない。王宮の近くにすむ、それなりの貴族の家の部屋を借りるのが良い。
けれど、エマにはそんな知り合いはいない。
王宮に近い、申し分のない貴族の家。
その条件にピッタリ合うのはヘイルズ家で、そう考えると今の生活は理想的ではある。だから、同じかそれ以上、と言われると本当に困ってしまう。
色々考えて、エマは暗い気持ちになった。
気持ちが暗くなるのは、下宿探しが面倒だからだと自分に言い聞かせた。
今日も仕事の合間に考え込んでいると、王女の声がした。
「エマ、あなた、何しているの?」
気がついたら、王女がエマを心配そうに見ていた。
「声かけても返事しないから。何かあったの?よければ相談にのるわよ」
ヒマそうにしていた王女は、興味深そうにエマを見つめた。
エマは王女の顔を見つめ返した。
「あの、どこかにいい下宿先、ありませんか?」
途端に王女は顔をしかめた。
「下宿先って何よ。あなた、ヘイルズ家を出ていくわけ?何かあったの?」
ソファから立ち上がると、王女はエマの肩をグイと掴む。
その目がとても心配そうにエマを見る。
「まさか…無理やりされた、とか」
エマは思わず王女を見つめ返した。
「無理やりって…」
「つまり、無理やりよ。その、同意なく行為に……」
王女の言いたいことがわかって、エマは慌てて王女の口を手で塞いだ。
あまりにも王女らしからぬ発言だ。
「無理やりって……あるわけないじゃないですか!」
それに、王女は大袈裟なくらいホッとした顔をする。
「……ついにあいつが暴走したのかと思った」
エマは俯いて息を吐いた。
「実は……このままずっとお世話になっていいのかって、悩んでいて」
王女は呆れた顔をした。
「良いじゃない。あいつがそうしたくて、そう仕向けている訳だし。おじさまたちもあなたの事気に入っているじゃない。最高よ」
「そうでしょうか……」
「あなたはもう、外堀どころか、両膝までどっぷり埋まっているわよ」
エマは首を振った。
「でも、甘えすぎているから」
「そう?他の人に甘えたら、あいつ、もっと怒るわよ」
「でも、この先ルークにも縁談が来たりして、他の女性とお付き合いするのに、私がいては邪魔になるから」
王女の返事がないことに気がついたエマが顔を上げると、王女は心底驚いた顔でため息をついた。
「あなた、本気なのね。恐ろしい」
エマは王女をじっと見つめた。
「王女、どこかいい下宿先、知りませんか」
エマの問いにパトリシアは猛烈に嫌な顔をした。
「ちょっと、私を巻き込まないでよ」
「いや、どなたかお知り合いを紹介していただけないかと」
パトリシアは目に見えて真っ青になった。
「あなた、私があいつに半殺しにされても良いわけ?」
ちょっと大袈裟すぎないかと思ったけれど、王女は真剣だった。
でも、今エマに頼れる人は王女しかいないのだ。だからエマも必死になった。
「……いや、王女しか頼れる人が」
「え、困る。やめて。聞かなかったことにするわ。私のこと巻き込まないで」
王女は耳に手を当てると、ソファに戻った。
「よく相談して。あいつに言えないなら、おじ様に話してごらんなさいよ。絶対に大丈夫だから」
「そうですかね」
「そうよ」
それでもエマがすっきりしない気持ちでいると、王女が珍しく神妙な顔になった。
「まあ、確かにいつまでもこうしてはいられないわよね」
妙に実感のこもった声で王女は息を吐いた。
エマはじっと王女を見た。王女は肩をすくめた。
「私やお兄様や、それからあなたが結婚したりしたら、きっと今みたいには過ごせないものね」
「そう……ですよね」
エマも苦笑いした。
今は4人で仲良くしているけれど、それがいつまでも続くわけではない。
時間と共に関係性も変わるのだ。
「エマ、あなた知っている?」
「はい?」
「お兄様、結婚するのよ」
それに、エマはとても驚いた。
パトリシアはエマに説明してくれた。
皇太子に隣国に婚約者がいる。
その婚約者とは隣国の王女で、美人で性格も良くて国中から愛される、理想的なお姫様なのだそうだ。
なんでも生まれてすぐに国同士の友好関係の証として結ばれた婚約で、ついに結婚するという。
「半年後くらいに結婚する予定で、準備しているのよ」
「そうだったんですね」
皇太子も理想的な王子だから、きっと絵に描いたような美男美女の組み合わせなのだろうと想像した。
お世話になっているし、お祝いを言わないといけないな、と思った。
翌日の朝、早速その話になった。
パトリシアがその話題を出した時、皇太子は珍しく顔を歪めた。
あまり話したくないって感じだった。
「そういえば、今度うちの国に来るのでしたっけ?」
「いや…来なくていいと言っている」
「どうして?来てもらえば良いじゃない」
王女は眉を寄せる。
「そうだ、婚約が決まったなら、お兄さまから贈り物もしないといけないじゃない。何が良いかしらね。ドレスとか、宝石とか」
悩む王女を見て、皇太子は本当にうんざりした顔になった。
「……勝手に選んでくれ」
皇太子はちゃんとしている人だから、相手のためにやるべきことをやりそうなものなのに、意外にもこんなことが面倒なのかとエマはおかしくなった。だからつい、口を挟んだ。
「その人が喜ぶ顔を思い浮かべて選んだら良いと思います」
皇太子はエマを見た。
「たとえば?」
「うーん。その人の好きなものを渡すとか、あとはその人に似合いそうなものが良いですね。その人には何がいいかなって考えるのも楽しいですよ」
「そんなものかな。ルークもそうしているの?」
急に話を振られたルークは少し固まった。
ちょっと視線を彷徨わせて、だけどすぐにいつものすました顔に戻った。
「そうですね。自分の好みを加えながら相手に似合うものを選ぶといいと思います」
王女がうげ、と顔を歪めた。
「なんかイラっとするわ」
だけど皇太子は困った顔になる。
「そんなものかな」
興味なさそうに言って、皇太子は息を吐いた。
「じゃあ、試しにエマが相手だったら、どうするかって考えてみたらどう?」
いたずらっぽく王女が笑った。
王女がエマの方を見る。
「お兄様の相手がエマだったら、何をプレゼントしたいと思う?考えてみてよ」
皇太子は顎に手を当ててエマを見ながら、考えた。
でも、そのすぐ後にあげた顔はとてもにこやかだった。
「エマなら、簡単だよ」
「そうなの?」
「相手がエマなら、たくさん思い浮かぶ」
皇太子は自信ありげに頷いた。
「まずは、チョコレート」
「え?いきなりお菓子ですか?」
ついエマは不満の声を上げてしまった。
「そう、チョコレート」
そう言って国で一番有名なお店の名前をあげた。
いきなり食べ物ってどれだけ食いしん坊だと思われているのだ。
恥ずかしくて不貞腐れるけど、皇太子は笑顔のまま話し続けた。
「エマはチョコレートが好きだし、他にも甘いものを食べている時、とても嬉しそうな顔をするから、まずはお菓子をプレゼントしたいな」
「そ、そうですか」
まるで子供の扱いではないかと、我ながら恥ずかしくなる。
皇太子はそんなエマを見ながら笑った。
「それから……ドレスかな。エマはこの間の舞踏会のドレスも似合っていたけど、他にも似合う色があると思う。赤とか……それから、もっと濃い青も似合う。背は高くないけど、全体の身体のバランスがいいから、この間とは違うイメージの細身の大人っぽいドレスも似合うはずだよ。そのドレスで一緒に踊ってみたいかな」
へえ、とエマは驚いた。
驚くほどよく観察されている。
学生の頃は好んで赤いリボンをしていたし、赤や青は似合うとずっと言われていた。
それから、この間の舞踏会でドレスを選ぶときに、エレノアも細身のドレスとどっちにするかで悩んでいた。
結局、ダンスに映える方を選んだのだけど。
センスのいいエレノアと同じことを言っているから、きっと本当のことなのだろう。
「あとは、以前使っていたかんざしもよかったよね。あれから、エマは決まった髪飾りはつけていないから、プレゼントしたいね。できれば……夜会につけるようなものではなくて、普段使いできるものがいいな。やっぱり、毎日つけてほしいからね」
卒業式のかんざしか、とエマは思い出す。
あの事件でどこかに行ってしまったのだった。
でも、普段使いできるアクセサリーをプレゼントって素敵だと思う。
なんだ、色々考えられているじゃないか。
そう思って安心した。
だけど、そこでエマの隣に座るルークが、少しだけ、周りにはわからないくらいだけど、でもはっきりと、反応したのがわかった。
ふっとルークの周りの空気が張り詰めた気がした。
思わず振り向くと、ルークは驚くほど無表情だった。
何を言おうかと思っていると、先に王女が口を開いた。
呆れたように笑う。
「いやあね。お兄さま。今の話を聞いていたら、まるでお兄さまがエマのこと……」
そこまで言った時、パトリシアは急に何かに気がついたように目を見開いて、慌てて口を閉じた。
その顔がはっきりと強張る。
素早くルークの顔を見て、目を逸らして、そしてすぐに笑顔になった。
「え、と……まるでエマが妹みたいじゃない。おかしいの」
はは、と王女はぎこちなく笑った。。
皇太子はそんな王女を見て、突然ハッとしたように口をつぐんだ。
その顔が真っ赤になって、俯いた。
そのおかしな空気にエマも何か言おうとしたら、その前に隣から伸びた手に腕をつかまれた。
「エマ、今日の帰りは迎えに来るからここで待っていて」
「え?」
「いつもより早く終わらせるから、買い物に行こう」
驚くほど張り詰めた顔でルークがエマを見ていた。
その様子にエマが戸惑っていると、ルークは立ち上がってエマの目の前を通って皇太子に近寄った。
エマの目の前で黒いローブがカーテンのように広がる。
それ以外何も見えなくなった。
「もう執務に入る時間ですね。行きましょう」
「……そうだな」
二人がドアへ向かう気配がした。
そっとエマが顔を寄せると、ドアを出る前にルークがエマを振り返って、そして視線があった。
だけど、何も言うことなくルークはそのまま出ていった。
ドアの閉まる音が静かな部屋に響いた。
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