第10話 もう会わないと思っていたのに
卒業式が終わった。
これでみんなともお別れだ。
ララとも、それから……ルークともお別れだ。
エマは国の魔術団に、ルークは王室の魔術部に勤務する。
長い腐れ縁もこれで終わりになる。
卒業パーティの時に、この先ルークと会わなくなったら寂しいかも、と数秒間考えてしまったことは、エマの心の一番奥の引き出しに鍵をかけて永久にしまっておく。
絶対に思い出したくない思い出の一つがまた、増えてしまった。
ちなみにエマの中の絶対に思い出したくない思い出の一位は、魔法学校の入学試験でルークに負けたことだ。
でも、とエマは思い直す。
そういえば、昨日最後にルークに自分の犬に似ているといって抱きしめられた。
あれも絶対に思い出したくない思い出の……かなり上位になる。
もしかしたら一番かもしれない。
もしかしなくても、今はあれが一位だ。
自分の苦い思い出の上位をルーク・ヘイルズが占めていることに、エマは大いに不満だったけれど、なんとかその思いを飲み込んだ。
だってもう会わないのだから、いいだろう。
卒業式の翌日は早速仕事だった。
国の魔術団に出勤して、制服の深い紺色のローブに着替えると他の新入魔術師とともに大きな部屋で挨拶と業務の説明が行われる。
……はずだった。
だけど、その部屋に入る前にエマは一人の職員に止められる。
「ああ。エマ・バートンさん?」
「はい」
「あなたはね……ちょっと配置換えがあったから、こっちに来て」
「はあ?」
そう言って廊下で捕まえられ、そのまま馬車に乗せられた。
はて、私は魔術団の新入魔術団員としてこれから一年寝る間も惜しんで働く予定だった。
だけど馬車に乗せられ、さほど長い時間でもない時間揺られて降りた先には、見たこともないほど豪華な建物がそびえたっていた。
これは…。
エマはごくりと唾を飲んだ。
これは自分でもわかる。
ここは多分……。
エマはゆっくりと隣の人に顔を向ける。
「あの、ここって」
エマを連れてきた男性職員はものすごく軽く笑って返事した。
「あ、そう。王宮」
それを聞いて驚かずにいられるほど、エマは大人ではない。
思わず目を見開いてその職員の上着を両手で握りしめた。
「え?どうして?私が?なんで?」
職員は苦い顔をした。
「ああ、ええとね。急に変わったんだよ」
「は?何に?私の仕事、なんですか?」
職員は苦い顔をして、エマから気まずそうに視線を逸らせた。そうしてチラリとエマに視線を向けると、早口で言い切った。
「パトリシア王女の専属魔術師」
「…………え?」
職員は頭に手を当てて誤魔化すように笑った。
「いや〜、王女の専属魔術師が急に体調崩して辞めちゃってさ。急いで代わりを探してたんだけど、王女が君がいいって言い出したんだよね」
「え?王女とか私、会ったこともないですけど」
「……それは知らないよ。だけど、君がいいってきかないから。急遽配置換えしたんだよ。こっちも大変だったんだよ」
「ええええ?」
エマは息を呑んだ。
パトリシア王女とは国王の3人の子供の中で唯一の王女である。一番下のしかも待ち望んでいた王女ということで、それはそれは大事に育てられたという。
……結果、とても気の強いわがままなお姫様が完成した。
確かエマの二つ年上で、本当ならもうとっくにお嫁に行っていてもいい年だけれど、その気の強さが災いしているのか、たまたま条件が合わないのか、いまだに結婚していない。
その王女がわがままを言うせいで、すぐに側近がやめてしまい、パトリシア王女の側近は目まぐるしく変わっているという事は、世の中のことに疎いエマでも知っていた。
ちょうど側近がやめて欠員がいて、向こうから指名があったら……逃げることはできないだろう。
だけど、その人の専属魔術師が、私?
会ったことも、そもそも王女は私の名前だって知らないはずなのに、どうして……。
納得できない思いでいると、隣で明るい声がした。
「まあ、とりあえず。君がいいって王女が言っているらしいから。よかったね」
エマをここに連れてきた職員はそう言ってエマを強引に引き剥がすと、そのまま王宮の使用人口から中に押し込んで中の人に引き渡すと、あっという間に消えていった。
******
「では早速ですが、パトリシア王女のところにお連れします。王女は今、朝食後にお茶を飲んでいますので、そこに行きましょう」
見るからに厳しそうなメイド長に連れられて、あっという間に王宮の重厚なドアの前までやってきた。それを見て、急にエマは緊張する。
パトリシア王女って確かとってもわがままで意地悪だって噂だ。
もしも……何かあったら、どうしよう。
緊張で足が竦む。帰れるものなら帰りたい。
「では行きましょう」
メイド長がそう言って、ドアをノックした。
大きくて見たこともない豪華な部屋にはソファが置いてあって、そこに女性が座っているのが見えた。その反対側にもソファがあって、そこにも人が座っていて、王女はその人と話をしていた。それ以外にも側使えや護衛らしい人が立っている。
「新しい魔術師をお連れしました」
そう言ってエマを中に入れるとメイド長はいなくなった。
「ああ、あなたが」
視線の先にあるソファから女性が立ち上がってこっちへ歩いてきた。
間近で見たパトリシア王女はエマとちょうど同じくらいの身長で、肌が驚くほど白くて、可愛らしい顔立ちをしていた。だけどちょっとつり目がちの目が、気の強さを表しているような気がする。
その目でじっと見つめられて、エマは息をのんだ。
「私、あなたにずっと会いたかったのよ、エマ・バートン」
エマは挨拶をしたのちに思い切って口にする。
「あの、私と王女様がお会いしたことって……」
王女は持っていた扇で手を叩いた。
ぱしんという音が部屋の中に響いた。
「会ったことなんてないわよ」
王女はキッパリと言い放った。
「でしたら、なぜ」
「だってずっとあなたの話を聞いていて、そんなに面白い人なら会いたいって何度も言ったのよ。でもまだ学生だっていうから、我慢したの。でも昨日学校を卒業したって聞いたから、それで呼び寄せたの」
「え?それって」
誰に?誰に聞いたの?
誰が、私を面白いなんて言ったの?
エマがあっけに取られていると、部屋の中にくすくすという堪えた笑い声が聞こえた。
その笑い声になんというか、聞き覚えがあった。
つい最近、聞いた気がした。
でも、いつ?
頭の中で記憶をたどりながら、笑い声のした方へ顔を向ける。
そこには長身の黒いローブを着た人の姿があった。こっちに背中を向けているので顔が見えない。
この国では王族は一人一人に専属魔術師がつくから、このソファに座っている人の専属魔術師かもしれない。
その笑い声は少しずつ大きくなって、そのうちに腰を折って、はっきりと笑いだした。
まさか。
エマはとても、とても嫌な予感がして、その人の顔が見える場所まで体をずらした。
その気配を察したのか、その人がエマのいる方を振り返った。
「あっ!」
その人の顔を見てエマは思わず大きな声を出した。
目の前にいたのは、つい昨日、もう会わないと言ったばっかりの
ルーク・ヘイルズだった。
ルークはエマを見て、今度こそ大笑いした。
それを見てソファに座っていた男の人がルークを振り返って、諌めるように声をかけた。だけど、ルークは止まらない。
エマは猛烈にカチンときて、ここがどこかも忘れて思わずルークに詰め寄った。
「ちょっと、あなた笑いすぎじゃないの?」
「いや、……だって君があまりにも驚いているから」
「あ、当たり前でしょう?大体……あなたどうしてこんなところにいるのよ」
笑いすぎて涙が出たのか、ルークは片手を上げて目元を指で拭った。
「僕?僕は皇太子の専属魔術師だから。君もさ、もう学生じゃないんだから、今までみたいに僕に喧嘩をふっかけるようなマネはやめて」
「何を言ってるの?今のはあなたが先に喧嘩を売ってきたんじゃない。そもそもあなた以外の人と喧嘩したことなんてないわよ!」
「そうだっけ?」
「そうよ、人を乱暴者みたいに言わないでちょうだい!」
ルークはそこでフーンと考え込むような顔をした。
「そういうこと言っていると……、もうご褒美はなしだよ」
「……ご褒美?」
エマがキョトンとすると、ルークはにこっと笑ってエマにだけ聞こえる声で付け加えた。
「うちの犬」
さすがのエマもルークが何を言いたいのか瞬時に理解した。
それは今となってはほんの数時間前の昨日の夜のこと。
エマの中の絶対に思い出したくない思い出、暫定一位。
よりによって、目の前のこの人に抱きしめられたこと。
それを言っているのだ。
エマは反射的にルークの肩を叩いた。
「私は犬じゃないって言っているでしょう!」
軽快な音を立ててルークがその手を受け止めたところで、エマはハッと気がついた。
ここは、そんなことをする場所ではない。
自分は王族の前でとんでもないことをしているのではないか、と。
急に冷静になって当たりを見回すと、パトリシア王女もソファに座っている——おそらく皇太子と思われる人も、呆然とエマとルークを見ていた。
「あ…いや。これは……」
エマは背中を冷や汗が伝うのを感じた。
王族の前でこの騒ぎはどう考えても、まずい。
その時、推定皇太子が口を開いた。
「ルーク。からかうのはその辺にしておけ」
そしてルークを見てため息を吐いた。
だけどその口元ははっきりと笑っている。気まずくてエマが視線を彷徨わせていると、今度はパトリシア王女と目があった。
王女は驚いた顔をして、じっとこっちを見ていた。
「……エマはルークと随分仲がいいのね」
「あ、いや。仲がいいなんて」
「そうよね。だってあんなにいつもあなたの話ばっかりしているんだもの。仲がいいはずよね」
王女は一人納得したように頷いた。
「いえ。本当に私たちは……」
そこでエマは、はた、と止まる。
ただの同級生。いや、もう同級生ではない。
友達?え、私たち友達って言えるの?
ルークとの新しい関係性をなんと呼んだらいいのかわからなくて、エマの頭は混乱する。
ただの知り合い?
違う、そんなんじゃない。
とりあえず、仲は良くないんですよ、絶対に。
でも王女はそこでニンマリと楽しそうに笑った。そして振り返ってソファに座る皇太子に声をかける。
「ねえ、お兄様。これから楽しくなりそうじゃない?」
「……そうだな」
そういって皇太子が初めてエマを見た。
金髪の下の青い瞳はルークのものよりも少し深い青で、その顔立ちは年齢のせいか落ち着いていたけれど、ルークとよく似ていた。
だけどルークよりも少し冷たい感じがして、思わずエマの背筋が伸びた。
「よろしく。エマ・バートン」
少し低めの声で呼びかけられて、エマは慌てて頷いた。
王女はため息をついて、ルークに視線を移した。
「ルークがこんなに楽しそうにしているのを初めてみたわ」
王女はそういってルークの顔を覗き込む。
「あなたでもこんなことするのね」
それにルークは不満そうに視線を逸らす。そしてエマへ視線を移した。
だけどエマと目が合いそうになって、慌ててそらす。
その目尻が少し赤い気がする。
窓の光のせい?
それだけじゃない気がする。
部屋の中に王女の声が響き渡った。
「あなた、気に入ったわ」
王女はエマの手を取った。
その目がキラキラ輝いて、期待に満ちている。
「……は?」
「よろしくね。エマ」
王女の笑顔に、エマは引き攣った笑みを浮かべた。
「楽しくなりそうね」
その笑顔に、なんだか深い意味があるように感じてしまうのは……エマだけだろうか。
エマは頭の中で考える。
これから王宮仕えってことは……
もしかして皇太子専属のルークとも、また毎日のように顔を合わせるってこと?
卒業したらルークとは、もう会わないと思ったのに。
エマはため息をついて、思わず天井を見上げた。
嫌だと言っているけれど、でも少しだけ、本当に少しだけど……
ルークに会えて嬉しいような気もする。
でも、そう思ったことも、心の一番奥のルークヘイルズに関わるたくさんの苦い思い出の中にまとめてしまっておくことにする。
しっかり鍵をかけて。
そしてその時のエマの予想通り、皇太子専属魔術師のルークとは、ほぼ毎日のように顔を合わすことになった。
今も学生生活と変わらない、会えば喧嘩ばかりの日々を送っている。
あんなにお別れだと思っていたけれど、結局別れていたのは1日にも満たない時間だけだった。
エマ・バートンはルーク・ヘイルズのことが好きではない。
エマはルークが大嫌いだ。
今も昔も、そしてこれから先もそれは絶対に変わらない。
……はずだった。
大人になるにつれて二人の関係が変化して
実はエマの心の中には、本当はたくさんの『嫌い』以外の感情があるのだけれど……
もしかしたら、それ以外の感情の方が多いのかもしれないのだけれど……
エマはまだ、それに気がついていない。
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