第6話 卒業式までには

 卒業式というのは一大イベントだ。


 先生や仲良く遊んだ友達と別れて別々の道を進む事になる。


 みんなにお礼を言ったり、最後に密かに想いを寄せた人に愛を呟く人もいる。

 色んな意味でとても重い行事なのだ。


 特に卒業式の後のパーティーでは、みんな自分の思い人をダンスに誘う。誰が誰と踊るのか、式の一月も前からみんなが浮き足立つのだ。


 だけど卒業式はエマにとってはどうしても避けたいイベントだった。


「え、行きたくない?」


 ララが驚いてエマを見た。そのくもりのない瞳を見てエマは居心地悪くなりながらも頷いた。

「そうよ、でたくないの。式もパーティもでたくない。いっそのこと、なくなればいいのに」

「どうして?」

 ララの問いにエマは思い切り苦い顔をした。


「だって…」


 卒業式で成績優秀者は表彰される。エマの成績を考えれば絶対に表彰される。

 でも、それがエマにとってはイヤなのだ。


 エマはもちろん表彰される。だけど、二位として表彰される。つまり

「だって一位はルークなんだもの!」

 自分の横で最優秀生としてルークが表彰される。

 ただでさえ自分がルークに負け続けたことが悔しいのにみんなの目の前でそれを公表されるのだ。

 最後の最後にみんなの前で万年二位という不名誉な称号を強調されるなんて……


「屈辱…」


 卒業パーティでは成績最優秀者の挨拶がある。

 誰が成績最優秀者かなんて明らかだから、エマの気持ちも落ち込む。

 目の前でルークがみんなから称賛されているところを見るなんて。


「やっぱり、私やめようかな」

「私はエマと行きたいな」


 ララは笑ってエマの肩を叩いた。

「だって卒業したら私たち、今みたいに会えないもの。最後は思い切りお洒落をして楽しく過ごしたい」

 エマとララの職場は異なる。エマは魔術団に入って、ララは王都の魔法学校の教員になるから、きっと今までのように気軽に会うことは難しい。

 だから最後に楽しく過ごしたいというララの気持ちはエマにもわかる。


 わかるけれども、嫌なのだ。


「でも……」

「ね。私のためだと思って。ね」


 エマは親友の頼みを断れなかった。


 結局エマはララとドレスを見に行き、アクセサリーを選び、それからの日々、一緒に勉強していた男子生徒を相手にダンスの練習をした。


 それほど踊りたかったわけではない。

 ララが誘うから練習してみただけだ。


「ダンス、つまらないじゃない」

 エマの言葉にララは苦笑いした。

「そうかしら?好きな人と踊ってみたいと思わない?」

 ララはそう言ってダンスのステップを踏んで、スカートをふわりと翻してくるりと回った。

 それは本当にお姫様が踊っているみたいに見えた。

 ララは女の子らしいから、とても女の子らしく見える。


「私、好きな人はいないし、モテない」

 ララは眉を上げてエマを見つめた。エマはため息をつく。

「私、可愛くないし。全然、モテない。男子生徒からはきっと嫌われているわ」

 それを聞いてララは苦笑いした。


 エマは十分可愛い。

 ちょっと気の強いところもあるけれど、性格だって素直で優しい。

 ただ、彼女がモテない理由をララはよくわかっていた。


 だってあんなにルークと毎日言い合いをしていたら……


 普通はエマとルークが恋人同士なのか

 もしくはエマはルークに恋をしていると思うだろう。


 ルークもそんなことをしていたら、他の男子生徒がエマに声をかけづらいとわかっているだろうけれど……

 多分、わかってやっているんだわ。

 ララはそう思っていた。



 ララは苦笑いしてエマに向かい直った。

「誰か踊りたい人、いないの?」

 ララはエマの顔を覗き込んだ。

「お世話になった人とか、……それから好きな人とか」



 その時、エマの頭に浮かんだ顔は一つだった。

 悔しいけれど、好きとか嫌いとかの前に


 たった一つだった。


 が、その顔が浮かんだ瞬間、エマは思い切り顔を歪めて首を横に振った。



「いない。いない。絶対いない」

「そういえば、エマと恋の話をしたことはなかったわね」

「だって、好きな人とかいないし」


 ブンブンと頭を振るエマをみて、ララは笑った。

「そう?じゃあ、その時にエマの踊りたい人と踊りましょうね」

 ララはそう言ってエマの手を引いた。

「踊る準備はしておかないと、エマを誘ってくれる男性に失礼だからね」


 誘ってくれる人なんているのだろうかと疑問に思ったことは、ララには秘密だ。




 と、言ってもエマがダンスの練習を頼むと男子生徒は軒並み嫌な顔をして、そして無理やり練習相手になってもらっても、すぐにいなくなるから、エマのダンスは相変わらず下手くそなままだった。



「ダメだ。こんなんじゃうまく踊れない」

 それは卒業式を間近に控えたある日の放課後。何事にも真面目なエマは、同級生を誘ってダンスの練習をしていた。

 だけど、ようやく捕まえた練習相手は、1回踊ると逃げるようにいなくなった。

「私が足を踏んづけたからかしら」

 思い切り3回も踏んだことを怒っているのかもしれない。そう思ってエマは暗い気持ちになった。



 このままだと、ダンスは技術的に踊れないかもしれない。



 校庭のベンチに座ってため息を吐いた。

 そこに影が降りて、知っている人ならダンスの練習をお願いしようと思ってエマは顔を上げた。



 だけど、目の前の人がどちらかといえば会いたくない人間だったから、エマはさっきよりもっと大きなため息をついた。

「随分元気ないね」

「あなたには関係ないわよ」

「いつも威勢のいい君が黙っていると、何か悪いことが起きそうで不安になるから気になっただけだよ」

 相変わらず馬鹿にされていることに気がついたけれど、その時のエマはそれどころではなかった。


 だからいつもなら景気良く買っているケンカも、今日はスルーした。



 でもそれがルークは気になったようで、眉を寄せてエマの顔を覗き込んだ。

「お腹すいたの?」

 呆れ果てて返事をするのもやめた。よりによって空腹と間違えるなんて失礼すぎる。エマは黙ることにすると、ルークがまた声をかける。

「驚いた、本当に元気がないんだ」

「……」

「僕に相談してごらんよ。この僕に相談すればきっといい考えが浮かぶはずだよ」

 ジロリと見上げると、ルークは自信満々でエマを見つめる。


 エマはため息をついて、それから観念して口を開いた。




「あのね、ダンスが上手くならないの」

「……は?」

「だから、ダンスよ。卒業パーティで踊るじゃない。そのダンスが上手くならないの」

 勇気を振り絞って言ったのに、ルークは呆れたように肩をすくめた。

「なんだ。そんなこと」

「そんなことって何よ。あのね、上手に踊るのって大変なのよ」

 ルークは大きな息を吐いた。

「あのね、君は知らないだろうから教えてあげるよ」

 そう言って立ち上がった。

「ダンスの出来っていうのは本人だけじゃなくて、パートナーの技術も関係する。だから上手い人とダンスすれば、下手な人だって上手く見えるんだよ」

「……何それ、じゃあ、上手い人とダンスすればいいってこと?」

「まあ、そうだね。たとえば、僕……」

 ルークの言葉を全部聞く前に、エマは立ち上がった。



「この学校でダンス上手い人はいるかしら。その人たちと卒業式まで練習するわ」

 そう言ってうんと頷く。

「とりあえずダンスの上手い人と片っ端から練習しよう」

 口を挟んだエマをルークは面倒そうに見つめた。

「あのさ、君わかっている?全員と踊るの?そんなわけないよね。ダンスの上手いパートナーを決めて、その人と踊るのが一番だって言いたいの。お互いの癖もわかるし、その方が上達も早い。とても踊りやすいよ」

「そんな人、知らないし」


 今までのエマの練習相手は特別うまいわけではなかった。

 それどころか踊りながら怯えたような顔をして、キョロキョロして、終わるなり走っていなくなるのが常だった。



「ああ、もう無理。そんな人、いない」

「そもそも君がそんなにダンスをしたいと思わなかったよ」

 エマはちょっとムッとした。

「だってみんなが踊るっていうし、最後だったらそれくらいしてもいいなって。もう会わない人もいるし」

「……誰かと約束したの?」

 不意に低い声でルークに聞かれて、エマは苦い顔をした。



 相手がいるわけではない。

 でもそれは素直にいうことはためらわれた。だって相手も決まっていないのに練習するなんてバカにされそうだ。



 だけど黙っていると、隣から鋭い視線を感じた。

「ねえ、誰かと約束したの?」

 視線を向けると、ルークがじっと見ている。その視線にごまかせないものを感じて、エマは渋々事実を答えることにした。


「まだ、決まってないけど」

 だけどルークは小さく息を吐いて表情を緩めた。

「そうだよね。君と踊ろうとする変わり者がいるなんて思えない」

「どういう意味よ」


 仲の良かった人もそうでない人もいる。

 だけどこれでお別れになってしまうのなら、最後くらい踊りながら話をしてもいいとみんなが思うはずだ。だからエマにだって声をかけてくる人はいると思う。


 ……多分。



 座り込んだエマの前に影が差して顔を上げるとルークが立っていた。

「自慢じゃないけど、僕はダンスがうまいよ」

「……自慢じゃない」

「自慢じゃない。れっきとした事実だよ」

 エマが目を丸くして見上げると、ルークはわざとらしい大きな息を吐いた。

「そんなに困っているなら練習相手になってあげてもいいよ。この僕が」


「え?」


「僕は夜会で踊ったこともあるし、この学校で一番ダンスがうまい自信がある。だから僕が練習相手になってあげてもいい」

 そう言って差し伸べられた手を、エマはじっと見つめた。


 確かに、この人は運動神経が良かった。

 だからダンスだってうまいだろう。

 夜会で踊ったこともあるなら、慣れていそうだし……。


「ほら、早く」

 さらにずいっと目の前に手を出されて、つい、エマはその手を取った。


 二人で向かい合って立つ。ルークがエマの右手を握って、左手をエマの腰に添える。


 二人の体が急に接近した。

「ちょっと、近寄りすぎ」

 思わず距離を取ろうとしたエマを、ルークの左手が抑える。

「何言っているの。ダンスなんだからちゃんとくっつかないとダメでしょう。ほら」

 そう言ってグッと右手を引くから、エマの体はルークの体にぶつかった。


 ルークの体は大きくて、そしてしっかりしていて

 エマがぶつかってもびくともしない。


 ごめん、謝ろうとして顔を上げたら、目の前にルークの顔があった。



 神様の悪戯みたいに整った顔が。

 そして澄んだ空の色の瞳がエマをじっと見つめていた。



 突然、エマの心臓がドクンと大きく鳴った。


 人生でこんなに大きく心臓が鳴ったことはなかった。

 そして、大きくなっただけじゃなくて、心臓がまるで全速力で走った後みたいに早く打っている。


 どうしたの。

 私の心臓、どうしたの。

 エマは頭の中で自分を叱るけれど、体は全くいうことを聞かない。


 固まったままのエマを、ルークが覗き込んできた。

「何?最初のステップもわからないの?」

「え……」

「あれ、なんか君、顔が赤くない?」

 言われて初めて気がついた。


 だけど、言われたらもっと頭に血が上っていくのがわかった。

 これは、確実に顔が、赤い。



 どうしていいのかわからなくて、エマは咄嗟にルークの手を払い除けた。



 驚いた顔のルークがエマをじっと見つめていた。

「な…どうしたの?」

「あ、あの…」


 エマは慌てて口を開いた。

「わ、私やることを思い出した。だから、練習はいい」

「は?何言っているの?もう卒業式まで時間がないんだって。いいの?」

 ルークは不満そうにエマに近づく。


 だけどそれより早く、エマはルークから離れた。


「だ、大丈夫。ダンスはいい。じゃ、じゃあ!私いくから!」

「は?ちょっと……エマ!」


 驚いているルークを置いて、エマは走ってその場を去った。



 心臓はずっと早く打ったままで

 顔は赤いままで



 どうして自分がそうなってしまったのか、エマは分からなかった。



 だけど、それは何かの始まりだったのだけれど、


 エマにはわかるはずもなかった。

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