第4話 彼女の学生生活について

 エマの学生生活はとても充実していた。

 だけどその学生時代は最初からエマに優しかったわけではない。


 上級貴族で人気者のルークといつも言い合いをしているエマに、最初は周りの視線は冷たかった。

 ルークと気安く話していることへの妬み。下級貴族が成績優秀であることへの反発。


 特に女性からの嫌がらせにはうんざりすることが多かった。

 女性というのは厳しいからエマの洋服から髪型から顔についても言われたい放題だった。


 だけどエマはそれにも負けずに努力を続けた。

 勉強も実技もルークに負けまいと寝る間も惜しんで頑張った。


 そんな姿を見て、いつの間にか彼女を応援してくれる人もでてきた。特に同じクラスのララはいつもエマを応援してくれた親友だ。

 彼女と知り合って、エマの学生生活は楽しいものになった。


 ララの他にもサポーターはたくさんいて、授業の後に遅くまで質問に付き合ってくれる先生や、それからいつしか成績が今一つの人を集めてエマが授業をするようになった。その人たちが成績が良くなると、エマも自分のことのように嬉しくなった。


 最初は自分の成績に自信満々で、それを自慢するだけだったエマも成長して、それなりに思慮深い、常識のある大人になりつつあった。

 つまらなかった魔法学校もいつしか楽しいものに変化した。


 ララは女の子らしい女の子だった。

 手先が器用でエマに刺繍を教えてくれた。もちろん、勉強以外不器用なエマは刺繍があまり上手にはならなかったのだけれど。

「いつかエマにも素敵な人ができたら、刺繍したハンカチをプレゼントするといいわ」

 ララの言葉に私は首を傾げた。

「そう言うもの?」

「そうよ。男の人は好きな女の人からもらったものって嬉しいのよ」

 ふふ、とララは笑った。女のエマが見てもかわいらしかった。

「私、下手なのよ」

「エマが下手なのは知っているわよ。でもそれでもいいのよ。男の人は、好きな女性からもらったものはなんでも嬉しいのよ」

 そんなものかしら、とエマはぼんやり思った。

 もちろん、エマの刺繍はみれたものではないから、嬉しいかもしれないけれど、自慢できるかは疑問だ。



 見た目にあまり構わないエマの世話を焼いてくれたのもララだった。

「エマ、髪の毛を結んであげる」

 そう言ってブラシを手に複雑な編み込みも簡単にこなしてしまう。

「ララ、すごい」

「そんなことないわよ。エマももっと着飾ったらいいのに」

「私、そんなに可愛くないわ」

 照れるエマにララは首を振った。

「そんなことないわよ。エマは可愛いわよ」

 その言葉に激しく照れながらも、嬉しかった。

 そう言って赤いリボンを髪に巻いた。


 そのリボンはいつもエマが使っているもので、別に高価なものでもない。エマはいつも伸ばしたまっすぐの髪を後ろで高めの位置で一つに結んでリボンを結んでいるだけだ。


 だけどララが髪を綺麗に結ってくれて、リボンもきちんと巻いてくれると自分がどこかのお嬢様にでもなった気分だった。


 ララはエマの姿を鏡に映す。

 鏡の中にはいつもと違うエマがいた。

「ほら、可愛い」

 ララはそう言って笑顔になった。

 エマも笑顔になった。


 自分の容姿を責められていても、そんなのどうってことないと思っていた。だけどエマも女性として、やはり可愛いと褒められると嬉しかったのである。



 その後、エマはいつものように図書館に行って勉強していた。調べ物のために本を探していると、本棚のところで一人の女子学生に会った。


 ルークをずっと追いかけている子爵家の令嬢で、いつまで経ってもエマに嫌がらせをする彼女のことは、エマはずっと苦手だった。

 だけど今更避けることもできなくて、エマはそのまま本を探しているふりをした。だけど、彼女はエマの近くに歩いてきて、そして目の前で立ち止まった。

「今日はいつもと違っておしゃれしているのね」

 それが嫌味だと言うことくらいはエマにもわかる。


 どう返事をするものか考えていると、彼女はずいっとエマに近づいた。

「そんな格好をして、ルーク様の気をひこうってこと?」

「そんなことしないわよ」

「そうかしら?いつだってつきまとっているくせに。嫌ね」

 つきまとっているのはエマではない。エマがいつも使っている席で勉強しているとルークがやってきてちょっかいをかけてくるのだ。

 はああとわざとらしいため息をつく彼女を、エマは無視することができなかった。

「そんなこと、してないわ」

 そう。エマは別にルークのことなんて何とも思ってはいない。言うなれば一度くらい一位になってあいつを悔しがらせてやりたい、としか思っていない。

 こんなのが恋愛感情だなんて笑ってしまう。


 だけど彼女は馬鹿にしたように笑った。

「わざとらしく色気付いて、おかしい」

「あなたに言われたくないわ」

 エマは無視して彼女の脇を通ってその場から離れようとした。だけどすれ違うときに、彼女がさっと手を伸ばしてエマの髪からリボンをするりと解いた。


「あ、返して」

 だけど、彼女はそれを手に握りしめた。

「返して!」

 彼女は手を上に伸ばした。彼女より背の低いエマには彼女が握りしめたリボンが届かない。

「返して!」

 エマが手を伸ばして、だけど彼女が手をさっとスライドさせて、エマの手が宙を切る。ニヤリと彼女が笑ったのが見えた。


 そんな私たちに声がかかった。

「何をしているの?」


 その声の持ち主を、顔を見なくてもエマは言い当てることができる。


「る、ルーク様」

 振り返った彼女は後ろにいるルークを見てさっと顔を笑顔に変えて体をしならせた。さっきまでの怖い顔はどこにいったのだと思うような変わり身の速さだった。

「こんなところでどうしたの?」

「いえ、何でも。本を探していたら、彼女が邪魔をするんですの」

 それを聞いてエマはゲンナリした。嘘を言うにもほどがある。


 ルークは彼女とそれからエマを見て、ほんのわずかに目を見開くと、もう一度彼女に目線を移した。にっこりと愛想のいい笑顔を浮かべて彼女を見つめる。

「ここで話すとうるさいから、図書館をでて話そうか」

 あろうことか、こいつは私の目の前で女性に誘いをかけるのかとエマは信じがたい思いだった。

「そうですわね、ルーク様」

 彼女はころっと笑顔になってそのまま体を翻した。そしてルークと共にその場を離れる。彼女がルークと並んでエマの隣をすれ違う時、勝ち誇ったように笑うのを見て、カチンときた。


 ルークもルークよ。彼女の言い分ばっかり聞いて、私には話を聞かないなんてどうかしている。それに、何?最後のあの顔。彼女に寄り掛かられて鼻の下を伸ばして。

 何よ、あんなにデレデレしてもう絶対に許さない!


 怒りを込めて思いきり二人の後ろ姿に舌を出して、エマは勉強に戻った。



 翌日、図書館で勉強するエマのところに、ルークがやってきた。エマをじっと見つめている。それに居心地が悪くなった。

「なによ」

「昨日の髪型は、もうしないの?」

 そのルークの顔にエマは驚いて、だけどすぐに首を横に振った。

「別に色気付いているわけじゃないわよ」

「ふーん」

 当然のように隣に座ったルークにエマは苦い顔をした。

「何か言いたいことがあるの?」

「いや、別に」

 ルークはそういうと顔を逸らせたから、エマは机に広げた本に視線を落とした。

「リボン、ちゃんと返してもらえた?」

 赤いリボンは昨日の夜、彼女に掛け合って取り返してきた。最悪捨てられるかと思ったのに、意外にもとても素直に返してくれた。

「返してもらったわよ」

「そう」

 ルークは思わずこっちがいやになるほどじっとそれを見ていているから居た堪れなくなってエマはルークを睨んだ。

「あのさ。このリボンがどうしたの?」

「別に。いつも赤だな、と思って」

「これが気に入っているのよ」

「他の色も似合うんじゃない?」

 はあ?とエマは首を傾げた。だけどルークはエマを見て、それから視線を逸らせた。


「例えば、青とか。晴れた空みたいな青い色」



 晴れた空みたいな青い色。



 それを想像して、パッと浮かんだものがあった。

 だからエマは途端に顔をしかめた。


「私はこの色が気に入っているの」

「ふーん。そう」


 ルークはそれ以上は何も言わずに立ち上がった。ようやくどこかへ行ってくれるのかとエマはホッと息を吐く。

 だけど、立ち去ると思ったルークはエマの横で足を止めた。


 顔を上げるとこっちを見るルークの青い瞳と視線があった。


「なに?」

「別に」

 なんでもない。そう言ったくせに、ルークはもう一度足を止めた。

「昨日の……似合ってたよ」




 いつもとは比べ物にならないくらい小さな声でそう言って、ルークは今度こそ離れていった。


「なんのこと?」


 エマは首を傾げた。そうして窓の外を見上げる。



 窓の外には晴れた空が広がっていた。



 その澄んだ綺麗な青い空を見て、

 すぐについさっきまで間近で自分を見つめていた瞳を思い出した。



 綺麗な薄い、澄んだ青い空と同じ色の瞳。



 だけどエマは頭をぶんぶんと大きく振って、勉強に戻った。



 あの色が好きだなんて一瞬でも考えた自分はどこかおかしい。



 あれは、あの人の瞳の色。



 大嫌いなルークの瞳の色だ。



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