第2話 彼の気持ち

 好きか嫌いか聞かれたら、かなり長い時間迷うだろうけれど、

 おそらく、好きだと答える。


 彼女について聞かれたら、ルークは迷いながらもきっとそう言う。

 今も昔も長い時間をかけて悩んだ後に、でもそう答える。


 だけど、その答えを悩む時間は年々短くなって、彼女と会って10年経つ今となっては、聞かれてすぐに答える自信がある。


 ルークはエマが好きだと。




 ルークにとって、世界は退屈なものだった。


 生まれは良い。

 見た目も良い。

 勉強だって運動だって、少しやればあっという間に人より上手くできてしまう。


 生まれが良かったせいか、何をしても周りが誉めてくる。

 本当は叱るはずの大人も、張り合ってくるはずの友達も、みんなみんな自分の周りで称賛の言葉を繰り返すだけだった。


 そのせいか、自分はかなり冷めた子供になってしまったと気がついたのはちょうど魔法学校に入る少し前だった。


 その時の彼にとって世界はいつも色褪せていた。

 楽しいことも、強く心が動くこともなかった。

 こんなつまらない世界だから、魔法学校に入る意味なんてないと思っていた。

 どうせ教師も同級生も自分に媚びるばかりで、何もいいことなんてないだろう。そう思っていた。

 そもそも自分が成績一番であることは、間違えようのないことだと思っていたのだから、ルークも自意識過剰のかなり嫌なやつだったことは否めない。



 だけど、ルークのその考えは入学してすぐに改められることになった。

 そうさせたのは、一人の少女だった。


 入学試験の成績が張り出された時だった。

 結果なんて見なくてもルークには結果がわかっていた。だって、ルークはその問試験問題に一つもわからない問題がなかった。あまりにも早く解きすぎて、時間が空いてしまったから解説を開いたスペースに書いていたくらいだ。


 だから、成績表を見に行こうと同級生の伯爵家の息子に声をかけられた時には心の中でため息をついた。

 どうせ自分が一番で、そしてそれを見て周りの取り巻きたちが称賛の言葉を浴びせてきて、それに愛想を振りまかないといけないのかと思ったらうんざりしてしまったのだ。


 渋々向かった成績表の前で、やっぱり予想通りの状況となって、最初は上手く返事をしていたけれど、それが面倒になってきて、最後は適当に返事をした。

「ルーク、さすがだな」

 仲の良い男子生徒に声をかけられて、ルークは肩をすくめた。

「そうかな。別に大したことないよ」

 それは本心からの言葉だった。


 自分にとって試験なんて、それから試験で一位を取ることなんて、なんてことなかったのだ。


 だけど、その直後に強い視線を感じた。


 視線の方に目を向けると、そこにいたのは一人の女子生徒だった。


 茶色い髪に同じ色の瞳。特別に可愛いと目を引くような子ではないけれど、ものすごい目力があって、こちらを逸らすことなく見ている。

 しかも、その目には強い自分への反感が込められているのがわかった。彼女は全身で自分に何かを訴えていた。


 彼女と視線があって、ルークは思わず口を開いた。


「君、誰?」


 だけど、彼女は視線が合うと動揺したように体をびくつかせた。

「同級生?」

 首を傾げて尋ねると、彼女が口を開いた。


「わ、私…エマ・バートン」

「エマ・バートン?」

 知らない名前だな、と思って、でもすぐ後についさっき見た成績表の自分のすぐ下に書いてあった名前だと気がついた。


 二位の子か。


 そう思ったら、急に彼女がずいっと一歩近づいてきた。

 

「あのね。今回はたまたまあなたが勝ったけれど、次は絶対に私が勝つから」

 言われた言葉に呆然とした。

 意味がわからなくて、思わず聞き返してしまった。

「………え?」

 だけど、彼女は大きく息を吸うと、今度はさっきより大きな声を出した。

「1回1番をとったからって、いい気になるんじゃないわよ。見てなさいよ」

 彼女はルークの鼻先に向けて自分の人差し指を伸ばした。


 いきなり剣で切りつけられたみたいな衝撃が走った。

 彼女はそのまままっすぐにルークを見据えた。


「次は絶対に私が勝つからね!」


 正直にいう。

 ルークはかなり驚いていた。


 その時までのルークの人生でこんなふうにルークにものを言って来た人間はいなかった。

 ルークに勝とうとして来た人間もいなかった。

 彼女の存在が信じられなくて、ルークは思わず固まってしまった。


 だけど、それを見て彼女は満足そうに腕を組むと大きく息を吐いて、くるりとこちらに背を向けて、颯爽と歩いていった。


「ちょっとなんだ、あの無礼者」

 そう言った公爵家の息子がとりなすようにルークに声をかけた。

「気にしてはいけませんよ。あんな失礼なやつ。次もルークが勝つよ」


 ルークはそれに返事をしなかった。


 彼女が後ろに一つに結んでいる髪の毛が、歩くたびにゆらりと揺れた。その髪に結んだ赤いリボンがルークの目には鮮やかに映った。


 ルークのセピア色の世界の中で、彼女のリボンの色が、彼女だけが色を持っていた。


 どこかぼんやりとした世界にいた彼を、彼女はこちら側に引き戻した。

 かなり強引に。


 だけど強い力でこちら側に引っ張られて戻ってきた世界は、思っていたほどつまらなくもなかった。




 エマ・バートンという女子生徒は、ルークにとって特別な存在だった。

 どこがどう、とは言えない。ぱっと見はどこにでもいる普通の少女だからだ。



 まず最初に、彼女は絶世の美少女というわけではない。

 成績がいいのは認める。性格は……悪くはないけれど、少しカッとなりやすくて、むこう水な所がある。おしとやかとは言えない。

 でも明るくて、力強い。何だか一緒にいるとパワーを分けてもらえるような気になる。


 見た目は……綺麗か可愛いかで言ったら、可愛らしい部類に入る。

 少なくても、ルークは可愛いと思っている。


 入学当時にはルークと同じくらいの身長だったけれど、あっという間にルークに抜かされて、それ以降はあまり伸びなかった。

 最初は自分の目線と同じ高さで話をしていた彼女はいつの間にか自分より小さくなって、今となっては自分を見るときに顔を上げる。


 形のいい額の下にぱっちりとした目が前髪の隙間から覗く。唇は自然な赤い色。顔のパーツがバランスよく配置されている。

 自分に文句を言うときに、興奮して頬を赤らめながら上目遣いで唇をちょっと尖らせるのが可愛いらしいとルークは密かに思っている。



 密かに、なのは、そんなことを面と向かって彼女に言ったら、きっとものすごく怒るだろうから、絶対に言えない。

 下手をするとしばらく口を聞いてもらえないかもしれない。


 ルークとしては、それは絶対に避けたい事態だ。




 だけど、エマは入学試験の一件以降ずっとルークをライバル視していた。


 ルークとしては、別にそれをなんとも思っていなかったけれど、それでも試験の前にはなんとなく彼女の顔が浮かんできて、思わず勉強に熱が入った。


 そして彼女は負けると、顔を真っ赤にしながらこっちに文句を言ってくる。

 それを言い返すのが、クリスの楽しみでもあった。


 彼女の言葉にそれとなく言い返すと、顔を真っ赤にして怒る。あんまり揶揄いすぎると拗ねるから、時々手を緩めてやる。

 そうすると少し時間が経ってこちらに近寄ってくる。


 なんというか、人見知りの猫を手なづけているような気になった。そのやりとりがルークには楽しいのだ。


 そして、その怒っている彼女の表情もルークは気に入っていて、それが見たくて言い合いを仕掛けてしまうところもある。

 これは我ながら反省すべきところだと思っている。


 でも可愛いと思っているのは本当だ。

 上目遣いで唇を尖らすのも、怒って顔を赤くするのも、それから勉強するときの真剣な顔も、全部可愛いと思っている。



 一度だけ、それを彼女に言ってみたことがある。

「君のそういう怒った顔もかわいいね」

 本当にからかいついでに言っただけだ。


 だけど、彼女はそれを聞いて驚くほど顔を真っ赤にして、そして動きを止めた。

 彼女が思い切り照れているのだとわかった時、思わずルークも照れてしまった。

 でも、それを気づかれる前にルークは平常心を取り戻した。

「もちろんそう言っていたのは僕じゃなくて……ええと、誰だったかな。あれ、そもそも可愛いのは、もしかしたら君じゃない子のことだったかな」

 それを聞いて、彼女は声を張り上げた。

「バカにしないで!」


 その日はその後、口を聞いてくれなかった。

 失敗した。

 本当に可愛いと思っていたのだけれど、一度冗談だと思われてしまうと、もう訂正することは叶わなかった。


 容姿を褒めてもそれをきちんと受け止めてもらえないと言うことは、それはつまりルークと彼女の関係があまり友好的ではないという証拠になる。





 だけど、これが恋かもしれないと思ったのは、出会ってからかなりの時間が経ってからだった。


 学生生活のほとんどを彼女をからかうことで過ごしていたルークは、卒業したら彼女ともう会わないのだと理解した時、心の中が急に空虚になるのを感じた。


 以前感じていたように、色のない世界がまた広がるのかと思うと恐怖を感じたのも事実であったが、それよりも彼女という存在が目の前からいなくなるのが信じられなかった。


 そうして思ったのだ。


 これは恋なのだと。



 失うことを恐れる時点で、それは恋だと。


 自分は彼女が好きなのだと。




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