五話目 知識の整理

 日が傾くくらいの時間に、ようやく街につくことができた。

 歩きなれない森の道に私が苦戦したせいで、余計に時間を取らせてしまった気がする。ただでさえ気を使って歩いてもらってるようだったのに、重ねて申し訳なかった。


 私は普段から運動をする方ではない。

 元の体であったら、間違いなく途中でへばっていたことだろう。

 しかしこの若い女性の体は疲れ知らずで本当に助かった。案内してもらっておいて休ませてくれなんて言い出しづらいもの。


 ラルフ青年は、街につくやいなや、最初に靴を買ってくれた。裸足で歩くのにも慣れてきたところだったのだが、街を歩くのには流石にみすぼらしいと思ったのだろう。


 彼が用意してくれたのは、それだけではなかった。なんと今日の宿まで用意してくれた。

 ちなみに一人部屋で、彼はここに泊まっていないらしい。はたしていくら支払ったのか、果たして私にそれを返すことができるのか。一方的に与えられ続けるのも、それはそれで不安である。


 ベッドに腰を下ろし、メモ帳を広げ、筆記用具を手に取る。今日ラルフ青年から教えてもらったことを、忘れないうちにメモしておこうと思ったのだ。これらももちろん彼に用意してもらったものだ。胃が痛くなりそうな予感がするので、恐らく私はひもには向いていない。


 まずは今いるこの場所。北方大陸のやや南に位置する、【独立商業都市国家プレイヌ】という国の〈オランズ〉という都市らしい。宿に来るまでの通りは、活気があり市場の呼び声には勢いがあった。さながら日本の祭りの屋台や、商店街の活気を見ているようで、とても楽しかった。


 日本では、スーパーやデパートが増えて、昔ながらの商店街がずいぶん減ってしまったから、こういった光景はなんだか懐かしい。

 【プレイヌ】は商人組合と、冒険者ギルドのお歴々による合議で成り立つ国なのだそうだ。そのため、この辺りの国では一番自由があり、何より実力が重視されるという。


 少し西へ行くと、【神聖国レジオン】という宗教国家があるらしい。右も左もわからない状態でそちらに向かわなくて幸いだった。宗教というのは厳しい決まりごとがあることが多いから、思わぬ行動が命取りになりかねない。


 さらに北には巨大な【ディセント王国】、南には軍事力の高い【ドットハルト公国】がある。細かい話はいずれ本でも読んで学んでみるつもりでいた。


 さて、私はこの国で生計を立てていかねばらないのだが、そのためには仕事が必要になる。なんとこの世界には、身分関係なく、登録するだけでなれる職業があるのだ。


 その名もずばり、冒険者である。


 魔法が使えるのなら、食いっぱぐれることはないだろうというのが、ラルフ青年の見解である。

 どうやら私は目立つ容姿をしているらしく、変な輩に目をつけられては大変だとも言っていた。冒険者になって、仕事をこなし庇護者を早く見つける。あるいは、魔法を積極的に使用して、実力を他者に示したほうがいいらしい。


 無秩序のアングラな世界で生きていける自信がない無戸籍の私は、冒険者ギルドへの案内を彼にお願いした。

 嫌な顔一つせずに受け入れてくれた彼は、明日の朝に迎えに来てくれるらしい。   


 感謝の気持ちとして、ラルフが去って行った方向に手を合わせて拝んでおく。


 ところで冒険者というのは、十級からはじまり、数が減るにつれて強くなっていくものなんだとか。しかし、一級が一番というわけではなく、更にその上に特級という化け物じみた人達がいるらしい。


 一級冒険者の時点で、街や国を左右するレベルの冒険者だそうだから、特級なんて言うのは、もう想像もつかない。


 一人で国の軍隊を滅ぼしたとか、ドラゴンを退治したとか、王様を殺して挿(す)げ替えたとか、ろくでもない伝説を持った方々らしいから、関わらないのが吉である。


 そんな触らぬ神に祟りなしみたいな方々に、名前と特権を与え、細い手綱をつけておこう、というのが特級冒険者という階級の正体なのだそうだ。つまり、冒険者として目指す一番上は、実質一級冒険者なのだろう。


 幾人かの特級冒険者の名前と二つ名なるものを教えてもらったので、忘れないようにメモを残しておく。

 ここに書いてある名前を耳にすることがあれば、何も聞かなかったことにしてさっさと家に籠ることにしようと心に決めた。

 この名前にピンときたらというやつだ。私の心の中では指名手配犯とそう変わらない。


 魔法についてもいくつか教わった。ラルフ青年は魔法を使うことはできないそうだ。

 使うのにも向き不向きがあるのだとか。


 せっかく異世界にきたというのに、魔法を使えなかったらきっとひどく残念な気持ちになっただろう。


 使えないラルフ青年には申し訳ないが、私は魔法を使えることにこっそり胸を躍らせていた。


 彼は魔法を使えない割には、色々と詳しかった。魔法使いと争いになることもありえるので、よくよく普段から知識を蓄えているらしい。

 魔法とは世界中に満ちている魔素を操作して、何かしらの現象を起こすこと全般を指すそうだ。

 確実にこうだとわかっていることは少ないらしく、属性分けをしたものの、人によってどの属性が得意といったことはないらしい。

 ただ、一般的な魔法には、一つ一つ名前が付けられており、詠唱ののち、その名を告げながら魔法を発動させるのだそうだ。


 実にわかりやすい説明だ。大変結構である。


 しかしだとするならば、私が先ほど発動させていたものはいったい何なのかという話になる。詠唱はしていない、名前も言っていない。だからこそラルフ青年は、知らない魔法を使う私のことを大層な魔法使いと思ったのだろうし、こうして親切にしてくれているのかもしれない。


 よくわからないうちは、魔法を使用する前に、ごにょごにょと人に聞こえないくらいの声量で、詠唱をするふりでもすることにしよう。


 他にも、使える魔法の数によって魔法使いの呼び名が変わるだとか、接近戦が得意な冒険者でも魔素を利用して戦ったりもする、みたいな話も聞いた。


 メモにわかったことを書き連ねながらふと思う。

 こんな風にどん欲に知識を欲したのはいつぶりだろうか。生活を成り立たせねばと、追い詰められて頑張ったのは、いつぶりだろうか。


 私は社会に出て独身貴族となりもう長い。

 気づけば、強く何かを求めることも、欲しいもののために努力することも、長らく放棄していた。ただなんとなく食べたいものを食し、与えられる娯楽に時間を飲み込まれて生きてきた。


 そんな私だから、元の世界への執着なんてほとんど存在しない。

 ため息が宿の天井へ吸い込まれていく。

 突然別の世界に、別の体で放り出されてしまったのに、大して取り乱さないのもそのせいかもしれない。

 一度それを意識してしまうと、今までの人生がなんだか随分とちっぽけな気がして、妙に悲しい気持ちになった。

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