20.指の隙間からこぼれ落ちる
まさかこんなことになるとは思っていなかった。集まった人たちを見て頭を抱えたのは私と浜口くんだ。
ファミレスのトイレ前で「日程決まったら教えろよ」と言った弓弦くんの叶える義理のない命令を、一応、と美絵ちゃんーー白坂さんーーに聞いたのが良くなかった。
絶対に「同級生だけで集まろうよ」と返ってくるだろうな、という予想に反して、美絵ちゃんは「いいじゃん!なら合コンする?」と思わぬ方向からの返事をくれた。戸惑い焦った私を放って、美絵ちゃんは「女の子は私が集めるから、男の子はその"ゆづるくん"に頼んでみてよ!」と話を進めた。
今度は弓弦くんが絶対に「めんどくせー、なら行かねーわ」と断ってくると思ったのに、まさかまさか「……わかった」と渋々ながらも承諾したのだ。その返事に酷く困惑し、思考が停止した。あり得ない。どこがどうなれば、私と弓弦くんが合コンすることになるの?しかし決まってしまったものは仕方ない。腹を括った私は気が重いながらも今日この日を迎えたのだ。
「なんでこんなことになってんだ?」
「ごめん……気づいたらこんなことに……」
集まったメンバーたちを前にして浜口くんがこそりと私に耳打ちをした。そんなの私が教えてほしい。本当に気づいたらこうなってたの。
「にしてもすげーな、白兎の友達?ゆづるくん、だっけ?」
浜口くんの視線の先を追うと、待ち合わせ場所で既に女子メンバーに囲まれている弓弦くんがいた。なんだか当たり前すぎて最早私は驚かない。
「すごいよね、モテモテだ」
「あんだけ顔が良けりゃ性格がヤバくても寄ってくんだもんなぁ?不公平だわ」
「性格……ふふっ。でも優しいよ、弓弦くん」
「まじで?信じらんないんだけど!」
「うん。基本的には無茶苦茶だけど、基本的には優しい」
「?どゆこと?」
怪訝そうに顔を歪めた浜口くんに笑いかける。私も言っておきながら意味分かんないな、って思ってるんだけど。弓弦くんって本当にそうなんだよ。
私たちが談笑していると、美絵ちゃんが「みんな集まったから行こっか!」と歩き出した。5対5の合コンはどうやらカラオケルームで開催されるらしかった。
真ん中に大きなテーブル。それを挟み両脇に長椅子。とりあえず最初は男女に分かれて順に奥から詰めて座った。
絶対に美絵ちゃんの隣に座りたかった私は、入室前に彼女にそのままをお願いしていた。もちろん美絵ちゃんは快く受け入れてくれたわけで、私は出入り口の近くの美絵ちゃんの隣の席を勝ち取ったのだ。私の今日の仕事はこれでおしまい。後は歌ってる人に手拍子をしたり、みんなが話してることに相槌を打ってればいい。ふぅ、と一息ついて部屋を見渡せば、ふいに弓弦くんと目が合った。そんなことに胸を熱くして、でもそれが辛くて、私はすぐに目を逸らした。
自己紹介から始まった合コン。女の子は美絵ちゃん、浜口くんと同じ飾東高校の2年生。男の子は弓弦くんが通っていた中学校の同級生。つまりみんな同い年なわけだ。
最初はぎこちなかった合コンも、一人が歌い始めたり、誰かがトイレに立ったりしたことで席順もバラバラになり、気がつけば男女が交互に座っているという合コンの王道スタイルになっていた。
そんな中でも私は最初に座った場所を誰にも譲っていなかった。出入り口付近というだけでなんだか落ち着く。それは万が一発情した場合のことを考えてもだが、ただ単に私の性格に起因しているものだった。
「ここいい?」
「?あ、はい、どぞ」
私の隣を指差した男の子ーー確かみなとくん?ーーが私の返事を聞いてゆっくりとそこに腰を下ろした。
「えっと、みちるちゃん!は、弓弦と仲良いの?」
「仲良くはないです……!」
「えっ?!そうなんだ!同じ高校で合コン一緒に来てるから仲良いと思ってたよ」
みなとくんは明るい声で笑う。爽やかだ。
「私の幼馴染と弓弦くんが仲良いので、それで、」
「へぇ。ね、あいつ高校でもめっちゃモテてるっしょ?」
"でも"ということは中学でもモテていたのだろう。そりゃあ、弓弦くんのこと追っかけて高校入学してくる子がいるぐらいだもんな。当たり前か。
私がみなとくんの質問に頷けば、「でも弓弦はみちるちゃんのことが好きなのかなぁ?」と揶揄うような笑い声で私の耳元にそっと唇を寄せた。
「ひゃっ、近い!です、」
「ああ、ごめん。でもちょっと弓弦のこと揶揄うのに付き合ってよ」
「え?」
「ほら、見てみ?弓弦の顔、めっちゃ怒ってる」
ククク、と肩を震わせ笑っているみなとくんの声に導かれて、私が弓弦くんの方を見るとバチンと音を感じるほどしっかりと目が合った。だけどみなとくんが言うように怒ってるかどうかは分からない。だって弓弦くんが私を見る表情はいつもだいたいあんな感じ。眉間に皺を寄せて不機嫌そうなのだ。
「だいたいいつもあんな顔してるので、」
「ぶはっ!面白すぎる!弓弦って損な性格してるんだよなぁ!」
ついにみなとくんは耐えられないといった様子で声をあげて笑う。各々に楽しんでいたみんなが思わずこちらを見るぐらいの笑い声の大きさに、なんだか私が恥ずかしくなった。
「あ、ごめんごめん。続けて」
とみんなに謝ったみなとくんの目尻にはうっすらと涙が滲んでいる。どこがそこまで面白かったのだろう。謎だ。
「いやー、面白い。あ、俺弓弦と幼馴染なんだよ」
「へぇ、そうなんですか、幼馴染……」
「そう。だからあいつには幸せになってほしくてさぁ」
言ってることとやってることが合致してない。
そんな人格者みたいな尊い願いを口にしながら、みなとくんは私の耳に髪をかけた。そして露わになった耳にまた唇を近づけ「ごめんね、付き合わせちゃって」と吐息たっぷりに囁いたのだ。
ごめんねなんて絶対思ってない。この人楽しんでる!と苛立ちを覚えるのに、耳にかかった息に思わず体を震わせてしまう。私、耳弱いんだ、と新発見してる場合じゃないのに。
「はい、ストーップ。湊、お前なに企んでんの?」
ぎゅっと目を瞑り、拳を握りしめて耐えていた私の頭上で声がした。顔を見なくても誰だか分かる。不機嫌そうな声がみなとくんの行動を咎めた。
「いや、なにも?みちるちゃん可愛いなーって、ちょっかいかけてただけだよ?」
「お前なぁ……おい、詰めろ」
「はいはい。みちるちゃんもちょっとこっちにおいで」
みなとくんに導かれるまま奥に詰めれば、今まで私が座っていたところにどかりと弓弦くんが腰を下ろす。
やめてよ、という困惑した気持ちと、嬉しくてどうにかなってしまいそうな気持ちがごちゃ混ぜになって、私の心を乱していく。
「お前さぁ、こいつのこと可愛いとか、そんな趣味悪かったっけ?」
「えー、それみちるちゃんにめっちゃ失礼じゃん!ね?みちるちゃんは可愛いよ」
「可愛くねーよ」
「かわいいよー!ねー?」
いや、もうどっちでもいいので。私が可愛くても可愛くなくてもほんとどっちでもいいので、私を挟んで言い合いするのやめてもらっていいですか?!
って、言えない、己の気の弱さが恨めしい。
「はぁ、そんな意地張ってると本当に欲しいものが手に入らなくなっちゃうよー?」
「はぁ?んなことないからー」
ヒートアップしてきた2人の会話にいつの間にかみんなが注目をし始め、それを聞いていた女の子が「でも弓弦くんって、振られたことなさそう」「分かる。欲しいもの全部手に入りそうだよね」と、弓弦くんへ援護射撃をした。
「まぁね、この顔があれば大抵はそうかな、って思うよ。だけどこいつは性格がややこしいから」
とみなとくん。彼はどうやらこの不毛な言い争いを止める気がないようだ。
「はぁ……うるせー。はいはい、俺にだってあるよ、ある。一番大切にしたいものがどうしてもダメなんだよ」
弓弦くんの突然の告白に部屋中がシン……と静寂に包まれた。それはたった一瞬で、その直後には「キャーキャー」と悲鳴にも近い歓声が沸き起こったけれど。
その中で唯一、私だけが下唇を噛んで耐えていた。弓弦くん、好きな子いるんだ。ものって言ったけど、絶対に人だ。一番大切にしたい人って誰……ダメってことは、遠山さんじゃないよね……。え、弓弦くんに言い寄られて断る子っているの?グルグルと思考が回る。あ、れ、なんか体が変だ……これって、あ、この感じって……。
「おい、白兎、」
「あ、ゆづるくん、」
「……っ、とりあえずこの部屋出るぞ」
さっきまでのまとまらない思考が嘘みたい。今はただもう、弓弦くんとのセックスのことしか考えれない。
薄暗い階段の踊り場。だいたいの人はエレベーターを使うので、この階段はほぼ人が通らないらしい。だけどそれはお客さんに限ってて、従業員はそこを利用するのだ。
夕方にもなっていない時間帯、お酒も入っていない未成年がそこで一心不乱に唇を重ね合わせている。そんな光景を目にすればそりゃ驚いて一瞬足を止めると思う。しかし「そのような行為は他のお客様のご迷惑になるのでおやめください」と注意されなかったのは、恐らく私たちのキスが鬼気迫るものだったからだろう。
「あっ、ゆづるくん、ごめんなさい、」
「……うっせー」
「んっ、あっ、キスだけじゃやだ、セックスしたい、セックス」
「んっ、できるかよ、アホか」
「やだ、ゆづるくんっ、ゆづるくん、」
舌を絡ませるキスの合間、私たちは短い会話を交わした。分かっている。早く抑制剤を飲まなければいけないこと。なのにそれをしないのは私の弱さと狡さなわけだ。もう少し、病気を盾に取って、もう少し、弓弦くんのそばにいたい。弓弦くんを感じていたい。
「薬飲めよ、早く」
「やだやだ、のみたくない、」
飲んだらまた他人だ。どれだけ理由づけしても触れることさえ許されない他人だ。
「飲めよ、頼む、どこにある?」
ここか、と弓弦くんの手のひらが私のズボンのポケットを無遠慮に弄る。
「あっ……、もっとさわって、」
と、そんなことでも気持ち良くなって。なんて浅ましい。幻滅される。
弓弦くんの眉間が苦しげに皺を刻んで、「どこだ、鞄か?」と私が肌身離さず下げていた鞄に視線をやった。
こんな風に困らせたいわけでも、傷つけたいわけでもなかったのに。私、自分勝手に何やってんだろう、と辛そうな弓弦くんの表情に悲しくなって、ようやく人の心を取り戻す。
我に返って鞄の中に入れている抑制剤を飲み、そして久しぶりの発情は終わりを迎えた。
その場にへたり込み息を落ち着けている私の視線に合わせるように、弓弦くんもその場にしゃがみ込んだ。
汗でベッタリとおでこに張り付いた私の前髪を、弓弦くんの指先が丁寧に剥がしてゆく。
「弓弦くん、私、」
「悪かったな」
「え?」
「俺、お前のこと上手に助けられねーわ」
呆れたように鼻で笑ったそれは、私ではなく不甲斐ない自分自身を責めているようだと思った。
抱きしめたい。悲しみと情けなさに今にも消えてしまいそうな弓弦くんを抱きしめて、「そんなことないよ」と救い上げることができたなら。
だけど彼を拒絶した私がどうしてそんなことできるだろう。彼にこんな悲しい思いをさせているのは、他でもないこの私なのに。
そんな私が弓弦くんへ手を伸ばせるわけがなかった。
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