正しいピースの作り方

ミドリのクロウサギ

  序章 目が光らない男たちの会話

―― 櫻和5年4月13日。


 夕方のサキモリ駅前は混み合っていた。

 帰宅ラッシュとは無縁となった今では、駅から出るのに行列ができることすらも珍しい。


 本来、数千人ほどのキャパシティしかないサキモリ駅に、数万の人間が集まり、改札から広く人があふれていた。

 御手洗勤みたらいつとむは、ロータリーのベンチに腰かけて、過ぎていく青い光の流れを見つめていた。


興味もないのに入り込んでくる雑踏の会話から推察するに、どこかでバーチャルアイドルが、オフラインライブを開催したという。長年ライバル関係だったボーカリストと、決着をつけるためのタイマンライブ。双方のファンが駅近くのライブハウスに集結したための混雑らしい。


「リンちゃんのライブ最高でしたー」

「ハイネ様の歌こそ日瑞の平和の象徴!」

「パックス!パックス!」

往来のど真ん中で立ち止まりソーシャルメディアへの配信を始める者が現れ始め、人の流れにさらなる淀みを生み出すと、双方の支持者が衝突し、さらなる滞留を生み出していた。

 

(バーチャルなのにオフラインイベントねぇ・・・)

 御手洗はネットに疎い。感覚が嫌いなのだ。

 頸椎に直接つなぐ携帯端末「Oz 」の普及で、人々は操作を飛び越えて、考えるだけで操作が可能になった。液晶パネルや空間投影技術も必要ない。大脳の視覚野に直接電気信号をつなぎ、網膜に投影される光景は、現実世界から隔絶され、文字通りプライベートな空間が確立された。

 ネットワークにつながれば、すべての行政手続きも脳内で一括して行える。戸籍謄本取得だけでも長時間待たされるというかつての風習は絶滅したのだが、それでも御手洗は往復2時間かかる行政区での手続きにこだわった。行政庁舎も、施設内の電子パネルに入力するだけで、館内には音声案内のサポートロボットがいるだけなのだが、御手洗は近くで事務所内で勤務している職員をわざわざ呼び出し、口頭での手ほどきを要望した。案の定職員から怪訝な顔で「こちらのAIコンシェルジュにお尋ねください」とあしらおうとしたので、「客を丁重に扱え」と押し問答になった。

 挙句の果てに警備役の平和執行官ピースキーパーを呼ばれ、長々とした事情聴取を受けるハメになり、1日をすっかり無駄にして帰途についたのだった。


 喧噪に満ちる無人タクシー乗り場から、次第に「いつまで待たせるんだよ」「さっさとしろよ」という声があふれる。わずか数分で新しい車両が手配されるのだが、首筋に張り付いた機械により極限までの効率化に飼いならされた人間にとって、数分間立ち止まることさえも苦痛なのだ。


これが、世界がうらやむ「平和の社会」なのだという。


誰もが不幸にならず、思い描いた自分を実現できる--。

誰もが安心・安全を担保された世界--。


日本という国名が「日瑞国」と改めたとき、当時の指導者が宣った演説が脳裏に蘇る。

「偽善者どもめ」

誰も、何も見えていない。

御手洗はそう思い、手元に視線を落とした。


 読みかけの文庫本からスリーブを外したとき、正面に人の気配がした。

「よろしいですか?」

 視線の先が急に暗くなったので驚いた。もし、正面に人が立ち向かい合っているのなら、Ozが網膜に投射しているころを表す青白い光が不気味に点滅するはずだからだ。

 顔を上げると、こげ茶色瞳がこちら見ていた。逆光に目が慣れてくると、陰には穏やかにほほ笑むせいかんな造詣が見えてきた。20代ほどに見える青年は屈託のない笑顔でこちらをのぞき込んでいる。

 一瞬、御手洗は飛びのいて逃げ去りたくなったが、電子警棒も電子手錠もない姿で向けられた言葉と光らない瞳のまぶしさが、数年ぶりに熱のこもった言葉を聞いた初老の男の腰をくぎ付けにした。


「それ、鈴寺風馬すずでらふうまの『専守防衛論』じゃないですか。流通禁止で印紙書籍でしか売ってない奴じゃないですか。どこで売ってたんですか?」

「……地元の古本屋」

 久しぶりにひねり出した穏やかな声色に声帯が盛大に躓いた。年甲斐もなく耳がつくなる感覚を覚えたが、青年の通る声が覆いかぶさってきた。

 古本屋!?地方ではまだ生き残っていたんですか。すごいなぁ、僕の周りだと全部つぶされちゃったから、修正不能のガラクタとか、不合理思想の温床とか。なんというお店ですか?ほかにはどういう本がありましたか――

 青年の一方的な質問攻めに御手洗は面食らったが、不思議と嫌な気分ではなかった。今日であった行政職員のような壁打ちのようなやりとりや、平和執行者ピースメーカーのように押しつぶすような尋問でもない。

 

人と話している。御手洗は思った。


「…兄ちゃん、珍しいな。その目」

 質問のはざまに、自分も質問を挟んでみた。青年はハッとして目の前の中年男性から顔を離したが、すぐに目じりを下げた

「でしょ? ぼく、好きなんです。この目」

「不便じゃねぇのか?」

「そこなのがいいんじゃないですか。煩雑さにこそ、かつての先人たちが残していた意味があるってもんですよね。ここまで電車できましたけど、窓から見える景色を、保存せずに記憶に残しておきたいんです」

「周りの人間だって」

「いいじゃないっすか。一人くらい不便が好きな人間がいたって」

「え?」

鴇任ときとう政権になって数年、国の人口もやっと回復してきてるんです。僕みたいなイレギュラーがひとりくらいいてもいいと思うんですよ。おじさんだってそうです。自分の思うように生きることは、とても、大事です!そういう生き方に僕は尊敬すら覚えます」

 無宗教を自負してきた御手洗は、初めて宗教に入信する人種の気持ちが分かったような気がした。わずか数分間話しただけの年下の青年の理解が、孤立していた自分の人生に差し伸べられた蜘蛛の糸のように感じられた。同時に、腹や心臓よりも深いところにある場所で、なにかが、ぐぎゅるぐぎゅる、と悲鳴を上げているような感覚に襲われた。


「そうだ。これ、あげます」

 呆然と持論を聞いていた御手洗に、青年はポケットから一枚の板を手渡した。焼き印で鳩の絵が施された、薄い木の栞だった。

「君…これは…」

「柊に星屑は、白き閃光となりて世界を照らす」

「僕の好きな言葉です。の人生にある小さな幸せが集まって、大きな希望の光になることを願っています」

 じゃぁ!と快活に言葉を切り、少年はきびすを返した。とっさにすがるように声が出た

「…あなた、名前は」

呼び止めた言葉に、青年は一瞬停止すると、くるりと振り返りさっきと同じ笑顔で、

「カンザキ。神崎鴎丞かんざきおうすけです」

そう言い残して、少年は人込みの中に消えていった。


御手洗は少年の残像を、青い濁流に重ねつつ、強めのため息をついた。

「そうか…」

ふと、カバンの中に押し込んだ印字書籍たちに視線を落とす。

数十年の時を経て、しわくちゃになり、日に焼け、手垢に汚れそれでも形を保っている。まるで自分のようではないか。


自分の人生に意味はあったのかもしれない。

御手洗は静かにまぶたを閉じ、栞に鼻を近づけた。


「ヒイラギ様の、心のままに」


瞬間、御手洗の体は閃光になった。











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