第3章 悪役令嬢が乙女ゲームのシナリオを辿るまで

第1話

 ――ユリア・ヴェッケンシュタイン、十五歳。九月。 

 王侯貴族たちの学び舎、王立学園の入学式。今日は高みを目指す数多の貴族の子女たちの晴れの日だ。

 だが。


「あああついに来てしまった……」

 わたしといえば、ドナドナされていく子牛のような気持ちでいた。




 *




 王立学園。

 シルヴィア王国の中で最も規模が大きく設備が素晴らしく、だがしかし門戸が狭いとして有名な、五年制の全寮制の学び舎だ。

 形態としては日本で言うところの高等専門学校が最も近いだろうが、普通科の高校のようなシステムも見られるのが特徴だ。たとえば、単位制を取ってはいるものの、一・二年生の間は選択授業はほとんどなく、基礎の必修科目ばかりであることなどがそうだろうか。

 ……ちなみに学園を卒業すれば、高学年で選択した分野の学位が取れるようになっているので、学者を目指す優秀な生徒の登竜門としても知られている。


(ああ〜やだな〜)

 正門で馬車から降りると、わたしは大きく溜息をついた。

 ……嫌だけど、そろそろ腹を括らなきゃいけないよね。気を抜けば絶望の表情になりそうなところを、なんとか悪役令嬢らしくキリッとした表情で取り繕い、歩き出す。

 目の前には、これは本当に学園なのかと思うような豪奢な建造物。白亜の城とみまごうほどの巨大かつ美しいその建物こそが、シルヴィア王国教育機関の顔、王立学園の本校舎だ。

「ねえ、あの黒髪に赤い瞳の……」

「あの方ってもしや、ヴェッケンシュタイン家のユリア様?」

「社交パーティーで何度かお見かけしたことがあるけれど、やはり綺麗な方ねぇ……」

 講堂に向かって足を進めていると、周りからちらほら聞こえてくる噂話。スパイとして聴覚を研ぎ澄ませる訓練もしているわたしにとっては、ひそひそ声でも耳に入ってしまって、なんだか居たたまれない。


 ……実は、ヴェッケンシュタイン公爵家令嬢ユリアの評判は、家の外ではさほど悪くない。

 家の者や親戚には、ユリアはとんでもないワガママ令嬢、という認識がこびりついたように残っているようだが――まあ認識を払拭する前にスパイになったので当然である――叔父に『引き取られた』あとも、わたしは父の意向で最低限は、社交界に顔を出してはいた。貴族の集まるパーティーでヘマをした記憶はないので、まあ少なくとも『とんでもねえ性悪』とまでは思われていないだろう。あってもユリア公女は高飛車お嬢様だ、という噂くらいではなかろうか。

 ――それでも新入生らしき令嬢たちは、わたしに話しかけに来てはくれない。ちらっと視線を投げれば、ささっと逸らされた。え、傷つく……。

 やっぱり、目か。目付きが悪いからか。ユリアの顔は美人だと言えるが、悪役令嬢顔であることは否めない。

 それに、黒髪に赤い瞳も人目を引くとは言い難く、華やかな印象を受けることはないだろう。美人だけど、なんか陰湿で怖そうだもんな、ユリアの顔。ハハッ、泣きそう。



 ――パイプオルガンが美しい講堂に着くと、暫くして入学式が始まった。

 そしてわたしはというと、貴族の新入生が集められたグループの、中央の席に座っていた。壇上で挨拶をする先生や先輩の顔がよーく見えるその位置は、先ほどまでこの辺りにいた新入生が譲ってくれたものだ。

 入学式なんて別にどこで見ようとどうでもいいやと思っていたのだが、わたしが姿を現した途端、モーセの海割りのごとく新入生が道を開け、ついでに今わたしが座っている席を空けた。その様子はさすがに見物だったので、「公女の肩書きすごいなァ」なんて現実逃避じみたことを考えながら、わたしは空けてもらった席に座った。つんと澄ました表情で、「ありがとう」と一言だけ告げて。

 ……なんか行動が、まるきり立派な悪役令嬢になってしまっている気がするな。でも公爵令嬢として、あそこで遠慮するというのも不自然なようにも思える。

(はー、クルトや先輩方が恋しい)

 レイモンドさんをはじめとして、零課の諸先輩方は一癖も二癖もある変人ばかりだ。だが、今となっては物凄く彼らと会いたい。零課のフンイキが恋しい。

 同僚で相棒であるクルトもこの講堂にいて入学式に出席しているはずだが、特待生のクルトと公女のわたしでは単純に席が離れているので、どこにいるかさえわからない。そして、学園生活が始まっても、わたしと彼が大々的に接触することもできない。親しく会話をしても騒ぎ立てられないようにするには、『知り合いになる過程』を丁寧に演じなければならないのだ。非常に面倒臭い。

 初っ端から気が滅入る……と肩を落としたくなった時、不意に壇上が明るくなった。新入生代表の挨拶だ。

「あ……」

 わたしはその新入生代表の姿を見て、思わず声を漏らした。

 柔らかそうなウェーブを描く、ミルクティーブラウンの髪。そして、見るもの全てを魅了するような薔薇色の瞳。白磁の肌に、愛らしくも美しい顔立ち。

 見たことがある。わたしは彼女を知っている。

 そう、『メサイア・イン・アビス』の集合絵で、中央の中央を陣取っていた彼女こそが――ヒロインのシャルロットだ!

(う、うわあ〜、めちゃくちゃ可愛い子じゃない、ヒロインちゃん)

 まさに輝かんばかりの美少女。

 ユリアとは方向性が全く違う美しさなので、一概に悪役令嬢とヒロインどちらが綺麗であるかは言えない。が、正道ヒロインらしい容姿をしているのは間違いなくシャルロットの方だ。

 新入生代表の挨拶をしているということは、シャルロットはあの難関入試で首席だった、ということだ。入試を受験せずとも入学資格のある貴族は基本入試を受けないが、たまに腕試しで試験を受ける者もいる。彼女はどちらだろう。所作が美しいので後者だろうか。

(わたしもあの顔に生まれたかったな〜)

 皆に注目されながらも滞りなく新入生代表挨拶を終え、優雅に頭を下げて壇上を降りていくシャルロット。

 あちこちからその愛らしさにほう、という溜息が漏れ出している。特に男性諸君は彼女に釘付けで、そのせいでか女子の視線は少々尖っているようだが。

 生徒会役員の一員であるハインツ殿下は入学式に参加している。彼はどうだろうとチラ、と視線をやればシャルロットをじっと、熱心と言えるほどに見つめている。ほほう……? 

 初っ端から好感度が高いようだが、もしかしてもしかするのだろうか。あるいは、この入学式がイベントで、ミッションに成功すればその場にいる攻略対象の好感度が上がる仕様だった、とか。

 ユリアも彼のあの目を目の当たりにしたとするのなら、なるほどそりゃ荒れるわけだ。五歳までの記憶を鑑みるに、ゲームのユリアはハインツ殿下にベタ惚れだったようなので。……まあ、今のわたしには正直、ハインツ殿下=処刑執行人としか思えないのだが。

「それでは新入生の皆様、寮にご案内致しますので、案内に従ってご退場くださいませ」

 そんなことを考えている間に入学式は終わったようで、響いてきた教師の声にはっと我に返る。

 椅子からゆっくりと立ち上がった時、既に移動を始めているクルトとばちりと目が合った。微かに頷き合うと、それぞれすぐに視線を元に戻した。

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