第2章 悪役令嬢が王立学園に入学するまで

第1話

 憲兵総局情報部。

 シルヴィア王国の治安を守る憲兵総局の中で、その名の通り『情報』を扱うその部署の活動内容は、平たく言えば諜報、つまり『スパイ活動』である。その活動の特異性から内情は他部署には殆ど知られておらず、一般に知られているのは情報部の頂点に立つヴェッケンシュタイン大佐が所属憲兵からその仕事まで全てを統括しているということだけだ。

 ――全ては国とその民の、平穏と発展のため。

 それを銘として胸に刻んだ情報部のメンバーは、日夜シルヴィアを守るための諜報活動に勤しんでいる。

 ……さて、そこで本題だ。

 その情報部には、実は、ヴェッケンシュタイン大佐自らが育て上げた生え抜きのスパイたちが所属する、表向きには存在しない部署がある。

 その名も防諜零課。異能者や、各特殊技能に優れた若いスパイたちが所属する、機密機関だ。


 そして。

 五歳の時、わたしが叔父ライナスに引きずり込まれたのが、

 この化け物スパイどもの巣窟、もとい防諜零課であった。




 *




「ホントなんでわたしこんなところにいるんだろ」

「やめろ馬鹿正気に戻るな、やってらんなくなるぞ」


 ユリア・ヴェッケンシュタイン。十五歳、夏。

 わたしが憲兵総局の隠し地下通路を歩きながらぽつりと呟くと、隣の少年――クルト・アーレントに頭を叩かれた。


 じろりと横を睨むと、クルトはふんと鼻を鳴らし、わざとらしくそっぽを向いた。……黙っていれば焦げ茶色の髪に翡翠の瞳の、非の打ち所のない美少年だというのに、口を開けば本当に腹の立つやつだ。まあ、同い年なんだけど。

「はあ~あ」

 文句の代わりに吐き出したため息が、地下通路に反響する。

 長年の訓練のせいで気配を消すのが癖になっているせいか、わたしはいくら腹を立てていようとも、足音高くズカズカと歩くことはできないようになっていた。ただでさえ音が響きやすいような地下通路であるのに、二人並んで歩いているにも関わらず足音が聞こえないというのは、自分がしていることであるはずなのになんとも気味が悪い。完全に職業病である。

「国のため、民のため。俺たちスパイに『私』はない。常に滅私の覚悟で任務に挑まなくてはならない」

 歌うように、しかし無表情でそう言ったクルトが、ふと立ち止まった。わたしも彼に倣い足を止める。

 地下通路の奥、行き止まり。そこにある鋼鉄製の扉を、クルトがリズムをつけてノックをする。零課の一員であることを示すノックの仕方に、中から「入っていいよ」と声がした。

 クルトがノブに手をかけながら、くるりとわたしを振り返った。

「けどまあ、お前は自分の『死』の回避のためにスパイになった――そう思っておけばいいんじゃね」

「そうだけど別にスパイになる必要があったわけじゃないんだよなぁ……」

 やってらんないなんて、そんなこと。この零課に(ほぼ)無理矢理加入させられてから、いや、前世の記憶が戻ってからずっと、思っていることなのである。



 ――ギイ、と、重い音を立てて扉が開いた。

 この先にあるのが防諜零課の本拠地だ。憲兵総局の建物の真下、零課のスパイしか知らない地下室。

(とっとと報告終えて寝よう……)

 今日は大きな仕事を終えて疲れている。早く帰りたい。

 わたしが今住んでいるのはヴェッケンシュタイン邸ではなく叔父の所有するセーフハウスなのだが、ムダに広い自宅よりもずっと落ち着く場所なのだ。帰ったらふかふかのベッドでようく寝て、おいしいものでも食べよ。

 と、わたしがそんなことを考えていると。


 クルトが鋭い声で「伏せろ」と小さく叫んだ。


「っ!」

 わたしは条件反射的にその場に伏せ、目と耳を塞ぐ。

 そして一瞬遅れて、バン! と何かが弾けるような爆音がしたかと思うと――瞑った目の外側で白い光が溢れたのがわかった。

 ……やがて光が止み、地面に伏せていたわたしたちはノロノロと起き上がる。クルトは「糞が……」と大変口汚いことをもごもごと呟くと、マフィアもびっくりな殺気を滲ませた目で、目の前に立つ青年を睨みつけた。


「一体なんのつもりですかレイモンドさん!」

「アッハッハッハ! よく避けたねさすがはクルト君!」


 顔を上げると、白衣を纏った赤髪の青年が、わたしたちの目の前で仁王立ちして馬鹿笑いしていた。「聞いてくれたまえ、今のが僕の最新の発明、投げつければ光と爆音を発する手投げ型の目潰し爆弾……名付けて『閃光弾フラッシュ・バン』だ! 威力はどうだったかい!」

「咄嗟に耳と目を塞いでなきゃどっちも暫く使い物にならなくなってたところですよ! 仲間が帰ってくるところにブービートラップを仕掛けるな!」

 ギャンギャンと噛み付くクルトを、「アッハッハッ」と再びの馬鹿笑いでいなすと、彼は掛けていたサングラスを上げてにんまりと笑った。

 ――彼の名はレイモンド・ヴァートレ、二十歳。機械工学担当。

 そして、


「……クルト君、ユリア君、任務お疲れ様。久々に大きな任務だったらしいね」


 防諜零課次席スパイ。

 ボスたる叔父の右腕であり、わたしたちの上司である。


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