第8話 クロム・ロックウェル
……真っ暗闇の中、手探りで歩き続けてどれくらい時が経ったのだろう。 肺が痛み足が棒のように痛みだしても、目指すゴールは見えない。
『--もうやめたら?』
『止まって一度考えてみない?』
『このまま進んだら後悔するよ?』
頭の中で誰かが語りかけてくる。
そんな誘惑に負けそうになる度。
『クロム……止まるんじゃねぇぞ』
『--諦めたら絶対に許さない』
『出て行け、お前はロックウェル家の恥だッ!』
過去の思い出が甦り、足を止めることを許してはくれない。
だからどんなに絶望に
意識が
「--ッ、間違いない。 あれは出口だ! 」
気がつけば痛みも忘れ、光に向かって走り出していた。
やっとこの地獄から抜け出せる。 その喜びに疲れ果てた体が嘘のように軽くなり、あっという間にたどり着いたオレの前に、ふたたび絶望が立ちはだかる。
それは巨大な鋼鉄の柵だった。 全長十五メートルぐらいの城門が、鋼鉄の柵を下ろし道を塞いでいたのだ。
柵に阻まれ強い憤りを感じたオレは、無謀にも手をかけ持ち上げようとしたが、ビクともしなかった。
当たり前だ。 これほど巨大な柵ならば何十トンもあるだろう。 人間のオレが持ち上げられる重さじゃない。
なら、どこかに開門するためのレバーがあるハズだ。
そう考え辺りを必死に探す。 しかしいくら探しても、そんなレバーは見つけられなかった。
クソッ! なんとかして開ける方法を見つけないと、--もう時間がない。
時間がない?
なぜそう思ったのか、自分でもよくわからなかったが、焦る気持ちだけがどんどん加速して、中に誰かいないか大声で呼びかけてみる。
「お~い! 誰かいないのか !? ここを開けてくれ、誰か--ッ!」
……沈黙だけがオレに答える。
『--ジリリリリン! お待ちかねのショータイムの時間だよ』
突然、頭の中で音が鳴り響いた。
ショータイム? なんのことだ、意味がわからない。
理解が追いつかず戸惑っていると、柵の向う側から、地響きの様な大歓声が響き渡り、オレの体を震え上がらせる。
導かれるままに、柵に顔を埋め中を覗き込むが、目が眩んで何も見えず動揺する。
一体なにが起きた? 誰がいるんだ? とにかく誰でもいい、はやくここを開けてくれ!
光に慣れ中の光景を目にしたとき、忘れていた記憶が鮮明によみがえり、ここへ来た理由を思い出した。
記憶の回帰と共に鼓動は高鳴り、大量の汗が吹き出し全身を濡らす。
そこは闘技場。
ヴァーミリオン帝国、首都デュランダルに建設された円形闘技場だ。
そうだ、あの日も満員御礼だった。 三万人の大観衆の下、何十もの試合が行われ、オレがトリを務める予定だった。
だが、試合の時間になってもオレはそこには現れることはない。 皇帝陛下が直々に観にくる大舞台に間に合わなかったんだ。
……だから、だからアイツが、弟が、オレの名誉を挽回する為、代わりに……。
闘技場の中央には、膝をつき頭を垂れる弟ビスマルクと巨人が立っていた。
試合は一方的だったのだろう。 巨人には傷一つ付いていない。
ビスマルクの鎧は凹み、傷つき、兜の隙間から血が滴っていた。
巨人は持っていた大きな戦斧を振り上げる。 あの時と同じ光景を目撃し、オレは必死に叫んだ。
「……やめろ、やめろッ! やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ----ッ !! ここを開けろ! テメェ、弟に手を出すんじゃねぇ。 誰かここを開けやがれッ!」
感情の赴くまま、激しく柵を揺さぶり殴りつけた。 拳に痛みが走ったが気にせず殴り続けた。 皮は
必死な願いが通じたのか、「ゴゴゴゴッ」と重厚音が鳴り響き、柵が上がり始める。
待ちきれず潜り抜けられそうな隙間が開くと、無理やり体をねじ込み中へ入った。
三万人の観客が、異物を見るような目でオレを見る。
心が張り裂けそうになるのを必死に耐え、弟に向かって走り出そうとした時、ふたたび大歓声がわきあがり、頭の中で声が響いた。
『……だから後悔するっていったのに』
同時に巨人の戦斧が振り下ろされる。
そして、あの日と同じように首のない弟の亡骸を抱きしめながら、自分に憤り、自分を憎み、誰よりも自分へ殺意を抱いた。
まだ、オレは生きている。
命を絶つ理由は幾らでもあった。 それでも生きているのは、簡単に死んでも弟に許されない気がしたんだ。
だから、その答えが見つかるまで、この地獄に耐え続けるしかないんだ。
ふと我に返る。
眩しい光と歓声が、オレの意識をハッキリさせてくれた。
ゆっくりと起き上がり、辺りを見回したオレは、あまりの滑稽さについ愚痴をこぼした。
「--ハッ、 目が覚めても地獄かよ」
ここはヴァーミリオン帝国北方領にある大監獄【インフェルノ】に作られた円形闘技場の中。
インフェルノは北方山脈の一部をくり抜いて作られ、収容人数は約一万人。帝国内で捕まった犯罪者のほとんどが、ここへ収容され刑に服している。
そんな囚人のひとりであるオレ、クロム・ロックウェルは、闘技場で開催される殺し合いに参加していた。
なぜ監獄内で殺し合ってるのかって?
理由は簡単だ。 一万人の犯罪者を収容し続ければ膨大な金がかかる。 そこで貴族のお偉方は少しでも人数を減らすため、囚人同士の殺し合いイベントを考えついたってワケだ。 貴族達を集めて賭けも行われている噂もある。
帝国では犯罪者に人権はない。 道徳がどうとか言う政治家もいなけりゃ、聖女様が祈りを捧げて救ってくれることもない。 インフェルノはまさに地獄と呼ぶに相応しい場所だ。
殺し合いは素手によるデスマッチ。
一日何試合も行われ、勝者には刑期軽減と名声が、敗者にはこの地獄からの解放、つまり死を与えられる。
でもよ、いくら人権がないからと言って、人間と巨人を生身で戦わせるか?
向かいで囚人達の声援に応えているのは、三メートルぐらいある亜人種、巨人だ。
たしか、試合開始早々前蹴りを食らって、壁まで吹き飛ばされた覚えがある。
そのせいで意識が飛んでいたんだろう。
巨人に蹴られた腹部に触れ、怪我の具合を確認する。
痛みはまだ残っているが、骨に異常はなさそうだ。これなら十分戦えるだろう。
立ち上がったオレに気がついた巨人は、叫びながら襲ってきた。
「ツブシテ、ダンゴニシテ、クッテヤル! ブッハッハッ」
巨人が丸太のような太い足で前蹴りを放ってくる。
「二十四歳の若者の死に方にしちゃ、ハードすぎんだろ」
巨人の前蹴りに対し、愚痴を零しながら飛び上がって避けると、顔面に膝蹴りをお見舞いしてやった。
完璧なカウンターが決まり、巨人の鼻は潰れ血飛沫が舞う。
派手に倒れた事で後頭部を痛打した巨人は、地面に転がり悶え苦しんでいる。
この一撃で観客の声援が一際大きくなった。
囚人が求めているのは血と暴力だ。 それを上手く見せれば人気者になれる。 いくら勝利を積みあげようと、つまらない試合をしたヤツは恨みを買い、裏で消されることもあるので、こういった演出も必要なのだ。
「悪いが、そろそろ決めさせてもらうぜ」
オレは演出のため観客に手拍子を求める。
これでフィニッシュするぞ、という意思表示でお約束みたいなものだ。
激しい手拍子に合わせて闘技場のボルテージが上がったところで、痛みに耐え立ち上がった巨人に狙いを定め、オレは右拳に力を込め集中した。
非力な人間じゃ生身で巨人には勝てない。
それを補うため人間は剣や斧を生み出し力を得た。 次に武器を効率的に使うため、剣技や戦術が編み出されたワケだ。 大昔起こった戦争で殺しの技術が研ぎ澄まされ、とうとう技術が内側から生み出され始める。
それが能力者たち、英雄と呼ばれる存在だ。
オレもあらゆる場所で戦い、命のやり取りを繰り返すうち、力を得た。
それがこれだ。
「--己が魂に心血を注げッ! 憤怒の化身、【
オレの能力は【振動】。 揺れ動く事象を操り、あらゆる効果を発動する。
振動を込めた右拳を左胸に叩きつけ、心臓から送られる血液の流れを急激に早める。
勢いが増した血液が全身を駆け巡ると、体温の上昇と共に、内側から爆発的な力が溢れだすのだ。
これが、オレの身体能力を最大限に引き出す奥義【
全身を赤いオーラが包み込む。
赤いオーラは武器であり盾にもなるが、見ている者に恐怖を与える効果もある。
巨人がオレの姿を見て怯えた顔をしていた。知能の低い巨人でも、オレの恐怖を肌で感じ勝てないと悟ったのだろう。
だが、試合はデスマッチ。 負けは死を意味する。
恐怖に打ち勝ったのか、泣きわめきながら巨人はふたたび襲いかかってきた。
太い腕がラリアットのように薙ぎ払われる。 まともに喰らえば一撃で人間の骨を粉々に砕く威力だ。
だが、オレは左腕を振り上げ、簡単に巨人の腕を弾き飛ばした。
巨人の重量が乗った一撃は、巨大なハンマーみたいなモノだ。 普通なら接触した腕は粉々に砕け、吹き飛ばさせるだろう。
しかし、能力で底上げしたオレの筋力量は十倍まで引き上げられる。 その力が巨人の力を凌駕したのだ。
腕を弾き飛ばされ、体勢を崩した巨人の懐へ素早く移動すると、腹に手を触れ別れの挨拶を送る。
「……じゃあな。また会おうぜ」
そう言って掌から強力な振動を伝えた。
巨人の口から大量の血が吹き出し、ズドンと大きな音を立てて崩れ落ちる。
いまのは巨人の硬い皮膚に浸透し内部から破壊する技『波動』による攻撃だ。
審判は巨人が絶命したのを確認すると、勝者となったオレの腕を持ち上げる。
それに伴い大きな歓声がドッと沸きあがった。こうしてオレは巨人とのデスマッチに勝利した。
歓声に手を振り応えるも、オレの気分は晴れない。 殺さないと生き残れないから手を汚したまで。 心の中は罪悪感で一杯だし、この勝利でオレの刑期は五年縮まったが、残り三百四十年もある。
まったく、やってらんねぇよ。
自分の試合が終わり、部屋に戻ったオレに労いの声がかかった。
「お疲れ様、さすがチャンピオン。相変わらずの強さだ」
「うるせーよ。 今日の相手巨人だぞ !? 戦うたびに相手が化け物になっていくじゃねぇか。あと何勝すりゃあいいんだ、まったく」
愚痴をこぼした相手は同室のエリックだ。
見た目は長身痩躯の優男だが、コイツの正体は『デュランダルの切り裂き魔』と呼ばれる連続殺人鬼だ。自分の快楽のために男女問わず無差別に百人以上殺したイカレ野郎。
同室にされたことで命を狙われたことがあるが、死を恐れないオレに『死にたがりには興味はない』と一蹴され、唯一生き延びた男になった。 それ以来の仲だ。
そんな殺人鬼エリックが、オレに一枚の紙を手渡してくる。
「……ん、なんだこれ?」
「看守からキミに渡すよう頼まれたのさ。 さすが人気者、モテモテだね」
「嬉しかねーよ。 あん !? 『おめでとー! 勝利したお祝いに、キミをボクの部屋に招待するよ。 綺麗にして迎えが来るのを待っていてね。 あ……アゴの王? より』……なんだこりゃ、お前のイタズラか何かか?」
エリックは両手を上に向け、『さぁ』とジェスチャーで答えた。
コイツのイタズラじゃなきゃ誰なんだ。 なんだよ、アゴの王って。
まぁ、いっかと紙切れをクチャクチャに丸めベッドに潜り込んだオレは、疲れを癒すため眠りについた。
……目覚めたら見知らぬ天井が見えた。
起き上がり辺りを見渡す。 豪華なシャンデリアに、肌触りのいい絨毯が一面に敷かれている。 高級そうな家具がいくつも置かれ、まるで貴族の部屋のようだ。
お香が炊かれているのか、いい匂いが鼻をくすぐり、こんな状況でも落ち着いている自分に少し驚く。 ……まさか夢か?
「……おいおい。 悪夢はアレだけにしてくれ」
頭を抱え塞ぎ込んでいると、誰かがオレを呼んだ。
「おはよう。 キミがクロム・ロックウェルくんだね」
声は、部屋の奥に設置してある天蓋付きのベッドから聞こえてきた。 蚊帳が閉まっているため中が見えない。
一気に警戒心が高まったが、なにか違和感を感じる。
「まぁまぁ、そんな怯えないでよ。 ボクはキミの敵じゃあないよ」
敵じゃないと言われてもな……どう考えても怪しいだろ。
無理やり引きずり出しても良かったが、本当に子供だった場合バツが悪いので、軽く挑発を入れてみる。
「……怯えてるのはボクちゃん、お前じゃないのか? そんなところに隠れてないで出てこいよ」
「ふっふっ、やっぱりキミは面白い人だね。 あ! そう言えば自己紹介がまだだった。 ボクの名前はレオリオン・ラーシーツ。 大監獄インフェルノの王にして、二つの名の英雄、『
そう言ってベッドから姿を見せたのは、無邪気な笑顔が似合う獣人の子供だった。
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