第Ⅰ章 第12話 ~敵の進撃を喰い止めなくては……っ~

~登場人物~


ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手


ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹。女性。ヴァルテ小隊の術戦士で、霊力を自在に操る等の支援術の使い手


マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手


 ウォレン・ガストフ……ヴァルテ小隊の隊員で、戦士。男性。あらゆる術を無効化する術耐性の持ち主


 ノヴァ・パーレム……ヴァルテ小隊の隊員で、術士。女性。様々な攻撃術の使い手


 ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手


 ケアド……リステラ王国の高等神官であり、次期大神官の最有力候補者。大隊の隊長であり術士。男性。


 トドリム……王弟であり公爵。リステラ王国軍の総大将。男性。





 ノイシュは荒い息を吐きながら周囲を注視した。今朝方から出ていた霧はだいぶ薄れており、視界はそこまで悪いわけではないが未だに敵兵らしき人影を視認できない。


 額に多量の汗を感じ、ノイシュはたまらず服の袖で拭い去った。周囲の明るくなった景色から既に行軍を開始して半刻以上が過ぎているはずだった。体感としては優に五千歩を超えているのだが――


「何でも良い、視認できた物はすぐに伝えてくれっ」

 隣で速歩するマクミルが誰にともなく声を発した。


「了解……っ」

「分かりました」

 後列の仲間達からも緊張と疲労を混ぜた声が届く。何としてもレポグント軍が現れる前に味方の部隊へと伝令しなければ、彼等が敵軍の奇襲により深刻な損害を出してしまうことは容易に想像できた。


 本当は散会して周囲を捜索したいが、これ以上の速力は後衛との距離が開き過ぎてお互いにはぐれてしまう可能性がある。いや、そもそもこの情報自体が、敵の罠である可能性も捨てきれないのだ――



 口中に広がる苦い味をノイシュが飲み込んだ瞬間、不意に後方で続くノヴァの声が届く。

「今、右手から何かが光りました。もしかしたら……」


――そうだっ、術の発現かもしれない……っ

 急いでノイシュは彼女の告げる方へと双眸そうぼうを向けた。視界の先では自然の煙幕が少なからず残っており、上手く状況を視認できない――


 そう思った直後、遠くで閃光が瞬いた。遅れて次々と轟音が耳朶じだを打つ。間違いなく術の発現によるものだった。しかも一度にあれだけの術を発現させているということは――


「だめっ、既に交戦に入ってる……っ」

 すぐ後ろでミネアが悲鳴の様な声を上げた。次第に低い喧騒を聴覚がとらえ、時おり何かが破裂するような爆音が轟く。

 

 やがて喧噪は騒然とした雄叫びと狂騒の悲鳴に二分していく。そして圧倒的に多いのは、哭声どうせいの混じった狂瀾きょうらんだった――


 不意に視界が広がる。おそらく大量に放たれた術が周囲の霧を四散させたのだろう、まず眼に映ったのは崩壊しかけた味方の前衛部隊の姿だった。

 

 殺到するレポグント軍に耐え切れずに幾つかの隊列は既に引き裂かれており、続々と敵兵が隙間に入り込んで傷口を広げていた。このままいけば前線部隊は壊滅し、やがて後衛の術士隊にまで雪崩れ込んでいくだろう――


 眼前の光景にノイシュが息を呑むと、後方からウォレンの声が聞こえた。

「全員、前方左手を目視してくれっ、あれはケアド様の軍旗じゃないかっ」

 急いで声が示す方に目を向けたノイシュは、八百歩ほど奥で純白の一角獣がつづられた軍旗を視認した。


 朱い一角獣は王族、そして白い一角獣は神職の者だけが使用できる軍旗だ。つまり、あそこに高等神官ケアドがいるということになる――


「そんなっ、どうして高等神官様の部隊が最前線に……っ」

 すぐ脇で走るミネアが首を横に振った。彼女の反応も当然だった。高等神官ほどの術士ならば本来は後列で術士隊を率い、彼等と術連携を駆使して戦うのが最も効率的であり、戦いにおける定石のはずだ――


 ノイシュは眼を細めて眼前の光景を見据えた。この戦局が勝敗の帰趨を決めるのは間違いない、現にレポグント兵は次々とケアド旗下へと殺到している。ケアド旗下の精鋭部隊が何とか隊列を持ち堪えているが、それもいつまでか分からない――


「みんな聞いてくれッ」

 再びマクミルの声が耳に届き、ノイシュは顔をそちらに向ける。

「これよりケアド様が率いる部隊の援護に向かうっ……今、敏捷増強術を行使している俺とノイシュ、そしてミネアが先行する。他の者達は後に続くように……っ」

そう言って隊長がまっすぐにこちらを見据えてくる。ノイシュは義妹に視線を向けると、彼女が小さく頷いてきた――


「――分かりましたっ」

「はいっ……」

 その直後、マクミルが地を蹴るや瞬く間に速力を上げてこちらとの距離を引き離していく――

「行こうっ、ミネア」

「うん」

 ミネアが頷くのを見届けると、ノイシュはすかさず身体の動きを速めていく。


 視界に映る風景が素早く流れていき、一千歩近く離れていた高等神官の率いる部隊の姿が一気に大きくなっていく。更には先行する隊長との距離さえも縮まっていくのに気づき、ノイシュは眼を細めた。もちろん自分の霊力が隊長を上回るからではないし、そもそも自分は支援術を使えない――

――ミネア、君の宿す霊力は一体……っ


「ノイシュ、戦闘術の詠唱開始ッ」

 こちらの接近に気づいたのだろう、不意に張り上げる隊長の声が耳に届いた。ノイシュが慌てて視界に意識を向けると、既にケアド隊のすぐ近くにまで迫っている。一気に速度を落とすと、素早く術句を唱えつつ意識を集中させていく――


「我こそはヴァルテ小隊隊長、マクミル……ッ」

 次の瞬間、隊長が最前線にいる敵兵へと跳び込んでいくのをノイシュは視認した。


 視界の先で攻撃の間合いに入った隊長が鎚矛を一気に薙ぎ払うと、周囲に骨肉の爆ぜる生々しい音を響かせながら敵戦士数人が崩れていく。マクミルが斃れた敵兵を踏み締めながら着地するや、すぐに体勢を立て直していった――


「――高等神官ケアド様をお守りするべく、今ここに参上したっ、バーヒャルトを踏み荒らす武人もののふ共よっ、我が一撃をもって神の怒りを知るがいいッ……」


「――発現せよっ」

 ノイシュが術句を結び終えた瞬間、燐光が自らの身体を包んでいくのに気づく。大剣を大きく上段に構えながら、霊力を刀身へと伝えていった。標的は、マクミルと対峙している敵戦士達――


「衝撃剣っ……当たれぇェ――っ」

 ノイシュは渾身の力で長剣を振り下ろした。白刃から分離した光芒は瞬く間に剣先の軌道に沿って弧を描き、掻き消えると同時に甲高い音を立てる衝撃波となって敵兵へと殺到した――


「マクミルッ、左に身体を逸らせッ」

ノイシュが言葉を発するや、すぐさま隊長は身体を捻りにながら横に跳躍した。次の瞬間、マクミルの脇をすり抜けた不可視の破壊力が敵戦士の一人に激突し、その身に着けた鎖帷子くさりかたびらの破片を散らしながら後方へと吹き飛ばされていくのが見えた――


 突然の闖入者によって最前線の敵兵がにわかに浮き足立っており、敏捷術を身にまとったマクミルが次の目標を定めるには充分過ぎる時間だった。刹那せつなの後にマクミルは残像を引きそうな速力で次の相手へと肉薄していき、一気に鎚矛が振り下ろす。鈍音が周囲に広がり、敵戦士が新たに崩れていった――


「皆さん、今のうちに予備兵をこちらにっ、すぐに隊列を立て直して下さい……っ」

 思わずノイシュが叫ぶと、高等神官旗下の術戦士達が急ぎ崩れた隊列へと駆け込み、傷を塞ぐように戦列が修復されていく――


「そこにいるのは、ヴァルテ小隊の諸君か」

 ノイシュが振り向くと、顔に傷の残る男がこちらを見ていた。


「高等神官様、ご無事でしたか……っ」

 ケアドは強く眼をつむり、息を吐いた。

「すまないっ、私の智力が及ばずに……」

 ノイシュは眼を細め、かぶりを振った。

「そんな事……それよりも、今のうちにどうかお逃げ下さい」

 ケアドが瞼を開けた。その瞳には悲愴なほどの決意を宿していた――


「それは出来ない……私が退き、後衛の術士達が大損害を受けてしまったら我が国はもう終わりだっ」

「しかし……っ」

「この作戦を立てたのは私なのだ……ならば私はここに残り、敵の進撃を喰い止めなくては……っ」

 ケアドが敵部隊へと視線を向け、そのまま歩を進めていく。


「いくぞ、レポグント戦士どもっ」

「ケアド様……」

ノイシュは思わず眼を細めた。


「――ノイシュ」

 不意に少女の声がしてノイシュが振り向くと、ミネアが不安げな表情でこちらを見据えていた。

「ごめん、ケアド様をおいさめできなかった……」 

 ノイシュはそっと義妹から視線をそらした。

――本当にごめん、君は戦いを避けたかっただろうに……――


「うぅん」

 優しい声音を含めた義妹の声を聞き、ノイシュが視線を戻すと彼女は静かに微笑んでいた。

「最後まで戦おう、一緒に……――」


 不意にまばゆい閃光を感じ、ノイシュは眼を庇いながらも視線を向けた。視線の先では光芒が高等神官を包み、更に膨張を続けていく――


「レポグントの戦士達よっ、リステラ王国にケアドありと呼ばれた我が霊力、とくと見るがいい……っ」

 ケアドが大喝した瞬間、その巨大な燐光が無数の狭長した形状となって上空へと飛翔していく――


「降り注げっ、無限墜槍ッ」」

 ケアドがかざした手を振り下ろした瞬間、膨大な量のきらめく槍が落下していく。風切り音を立てて迫り来る攻撃に対し、敵戦士隊から恐慌の声が上がる。仲間を押しのけて逃げる者、勇敢に盾を構える者、ひたすら神に祈る者――


刹那の後、神に代わる者の審判が地に降り注がれた。視界の先では次々と光槍が地表に殺到していき、敵戦士達の身体を容赦なく穿うがっていく。


 ノイシュは思わず義妹を抱き締めて視線を隠した。光槍の地に突き刺さる音と敵戦士達の大絶叫が重なっていく。眼前の惨状に圧倒されて顔を背ける事さえ出来ない。ノイシュは肌が粟立つのを感じた。湧き上がる地響きに耐えられず片膝をついた。やがて地に突き刺さった無数の光槍が激しく閃光し出す。余りの強い明度にノイシュは思わず両眼を手で覆った――


――これが、大神官の後継者となる者の術力……っ

 やがて少しずつ光彩が落ち着きを取り戻していき、ノイシュは義妹を離すと正面を見据えた。眼前には変わり果てた姿で転がっている無数の敵戦士達がいた――


 やったぞっ、と言う声がどこからか聞こえ、それを呼び水に少しずつ味方の戦士達が歓声を上げていく。次第に激しく武具を打ち鳴らし、歓声を上げる声をノイシュは聞いた――


「凄まじい破壊力だな……」

 突如として傍らから響く声に眼を向けると、そこにマクミルの姿があった。


「隊長、無事でしたか……っ」

 思わず声を上げた後、ノイシュは眼を細めた。マクミルの顔や服には血染みや土埃ほこりが多量に付着しており、彼の戦い振りが生々しく感じ取れた――


「油断するなよ、まだ戦いが終わった訳じゃない」

マクミルは鋭い剣幕のまま前方を見据えた。

「でも……」

 とっさにノイシュは息を呑むと、無理に自らの言葉を遮った。高等神官の霊力がここまで強大ならば、敵軍の奇襲を押し返せるのではないか――


「……皆さん」

 不意に語気を強めた声が響き、ノイシュが振り向くとそこには厳しい表情をしたケアドの姿があった――


「ここからが、本当の戦いです……っ」

 静かに高等神官がそう告げると、顔を上方へと仰いでいく。いつの間にか周囲からの喚声は止んでいた――


「ケアド様、それは一体……」

 ミネアが不安と緊張を混ぜた声を発した直後、辺りに甲高い哄笑が響く。ノイシュは高等神官の見上げる先に視線を合わせ、そこで静止する何かを見つけた――




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