第23話 2度目の後悔

「…なんて、言った?」


 隣のキッチンから響く、サナが食器を洗う水音。

 ささやかなそれに掻き消されかねないほど弱々しいカナタの声。


 正面のタブレットから真横にいるオミの顔へ。見開いた目と引きつった頬、微かに歪む口角を、首ごとゆっくりと回す。

 

「だから、カナタのパルクール動画」


 笑顔でカナタを見ていたオミは、得意げに自分に向いた目を覗き込み、改めてその爆弾を繰り返した。

 たっぷり5秒はかけて状況を理解したカナタは、口元を抑えて項垂れる。その目は小刻みに揺れていた。


(ヤバい…、それはヤバい…!)


 カナタにウェブの知識は無い。それでも、ニュースになった事件くらいはいくつか知っている。


 SNSでの特定個人に対する誹謗中傷。

 掲示板への犯罪予告の書き込み。

 著作物の無許可拡散。


 インターネットに絡むそんなニュースを、カナタは何度も見たことがあった。逮捕者が出ている事も知っている。それは即ち、インターネットに情報をアップした個人を、警察なら割り出すことができるという事だ。


 そして、アップしたのはカナタではない。

 辿り着かれたとしたら、その矛先はオミに向く。



――巻き込んだ…っ!



 カナタは、脳髄のうずいが凍て付くほどの後悔にさいなまれていた。



 そんな少年の様子に気付かないまま、オミはタブレットに指を伸ばす。そこには、データの読み込みが終わり、動画の再生が可能なことを示す三角マークが表示されていた。


「昔母さんと動画で稼いでみようって話をしててさ。広告収入付けられるまで条件整えたアカウント作ったんだ」

「あの人そんなことしてたの?家事もしないで?」

「やったのは全部僕だよ」


 洗い物を終えたサナが、エプロンで手を拭きながら二人の手元を後ろから覗き込んだ。ていされた苦言に、オミは「結構大変だったんだから」と不満げに息を吐く。サナはサナで、母に対する複雑な思いから眉間にしわが寄るのを抑えられずにいた。


「姉ちゃんも見る?」

「そりゃ見たいけど」


 後ろにサナ、横をオミに囲まれて俯いていたカナタは、動画の再生ボタンがタップされるのを、睨みつけるように凝視していた。

 投稿者が特定されかねないことの他にも心配事はある。それは動画の中身だ。編集方針について確かに相談はした。だが、現物をカナタはまだ見ていないのだ。サナの容姿やカナタ自身の姿など、個人の割り出しが可能なものが映り込んでいないか、気が気ではなかった。


 ほどなくして動画が始まった。真っ黒な画面にローマ字のタイトルが流れる。


「MUSASABI.parkour play …、ムササビ?」

「"猿"も"猫"もありきたりでさ。微妙に空のイメージがある動物ってことでコレにしたんだ」

「男の子って…」

「モモンガの方が良かった?」

「どっちでもいいわよ」


 BGMのスタートと同時に文字が消えると、徐々に画面が明るくなり、ビルの屋上が映し出された。上下する画角から、撮影者が走っていることが伺える。景色の流れは非常に速く、ほとんど全力疾走だ。

 速度を落とさないまま、すぐにビルの端が近づき、隣のビルへと華麗に飛び移る。

 その直前、効果音と共に光が溢れ。



 ポーズを決めた裸の女がカットインした。



 サナが目を丸くして絶句する。ロールプレイングゲームにおける必殺技の如き演出。ただし、絵面が見事にそぐわない。

 その後も、ビルを飛び移る度、やたらスタイリッシュな効果音と共に、ポーズの違う痴女が次々と現れる。

 目に見えてすすけていくサナ。やがて、最大の見せ場であるビルを駆け下りたシーンに至る。

 直前に、ひときわ卑猥なカットインこそあったものの、ここは流石に格好良かった。撮影者の圧倒的な身体能力と、高所から高速で駆け下りる疾走感が遺漏なく表現されている。


 問題は、地上に降り立った直後にやってきた。


 着地して振り向いた先には、自転車にまたがったスレンダーな女性。カットインではない、通行人の映り込みだ。

 その顔にはモザイクがかけられている。それは良い。むしろ必須の配慮だろう。




 同時に股間にもモザイクがあった。

 途端に卑猥だった。




「オミぃぃぃいいい!!!」


 自分の姿を、事実無根の露出狂に装飾されたサナが吠えた。それに対しオミは、ドヤ顔でサムズアップを決める。


「一番人気があったシーンだよ。やったね姉ちゃん」

「何も嬉しくない!!」

「それとごめんカナタ。チクビって効果音だけ、フリー素材が見つからなかった」

「あの卑猥な相談、全部本気だったの!?」


 サムズアップしたまま姉からカナタへ視線をスライドさせるオミ。その発言に、サナは一昨日の夜に聞いた卑猥カナタを思い出した。

 事実、このシーンに関するコメント数は群を抜いている。『唐突に痴女がいるww』『そんなバカな』『明らかに服着てるけど』『なんでそこにモザイクかけたの???』『新しいモブ活用ww』『無駄に洗練された無駄のない無駄なモザイク』などなど、枚挙にいとまがない。

 その後の尺は短いものの、映り込む人は全て顔と股間にモザイクがかけられていた。時々乳首の位置にも★がある。降下シーンが息を飲むほど衝撃的だっただけに、その後のふざけた演出は思いのほかウケていた。


「ガチとボケの融合とか、動画素材の無駄遣いとか、いろいろ言われててさ」

「アレが私だって特定されたらどうする気よぉ…」

「大丈夫だよ。ガラスへの映り込みや人の顔、その他個人が特定されそうな特徴的な要素は意識して全部消したから。モザイク除去もできないツール使ってね」


 いい仕事したと言わんばかりに、得意満面で語るオミ。

 一方、サナはカナタの影響著し過ぎる弟に、両手を付いてすすり泣いた。




 そんな姉弟とは真逆。ただ一人、カナタだけは画面から眼を離さなかった。

 冷や汗を流しながら眉間に皺を寄せ、口元を手で隠し、必死に思考を回している。




(落ち着け…!元から奴らの姿は映っていない!サナやそれ以外の通行人の顔も全てモザイクで隠れてる!確かに、個人が特定できそうなものは何も無かった!撮影者視点のただのパルクール動画だ!)


「昨日昼にアップしたんだけど、今朝時点で30万再生超えてるんだ」

「…それはすごいの?」

「メチャクチャすごいよ」


 サナはカナタの背中しか見えず、オミは画面に集中しており、誰もカナタのその様子に気付いていない。その間にも、カナタは思いつく限りの問題を洗い出す。


(動画の中身からは、たぶん身元は分からない…!けど、奴らがコレを見れば、誰が撮った動画かは流石に気付く!そうなれば、投稿元を躍起になって探すだろう…!辿り着かれたら、この二人が危ない!)


 "人に見せれる形に整える"


 オミは確かにそう言った。そう。見せるための編集なのだ。"誰に見せるのか"ということに、なぜ思い至らなかったのか。

 カナタは、己の浅はかさに反吐が出る思いだった。顔を抑えた掌の下で歯を食いしばる。


「でさ。アカウント確認したら、広告収入が5万円超えてたんだ」

「広告収入って?」

「動画と一緒にCMを流すことで、広告料が入ってくるの。簡単に言えば、僕らは5万円稼いだってこと」

「…1日で?」

「そう」

「ご、5万円も!?」

「うん」


 そんなカナタを尻目に、サナとオミはその成果で盛り上がっていた。


(問題は本当に投稿元へ辿り着けるのかどうかだ!可能性があるなら対処しないと!でないと…!)




 この二人が危ない。




 そう考えたカナタは、背後で騒ぐ二人に一瞬だけ目線を向ける。

 瞬間、その視線を敏感に感じ取ったサナが、肩を震わせて反応した。


「…カナ、タ?」


 誰にも聞き取れないほど小さな声で呼びかける。その相手から漂うのは、尋常でない程の焦燥だった。口元は手で隠され、表情が伺えない。しかし、前髪の隙間から僅かに覗く目は最大限に見開かれ、小刻みに揺れている。

 その姿に、サナは既視感を抱いた。


 空から降ってきた黒づくめに感じた、懸命に逃げ回る被食者の気配だ。


 他者の良くない意識に敏感なサナだからこそわかる緊張。事実、オミはカナタのその様子に気付いていない。


「でさ、この収入が母さんの口座に入ってくるんだけど…、カナタ?」

「え、あ…な、なんだ?」

「…どうしたの?」

「いや…」


 不意にかけられたオミの声に思考の世界から引き戻されたカナタは、結局自分の知識ではこれ以上の判断がつかないことを悟る。口元に手をやったまま目を細め、僅かに逡巡しゅんじゅんすると、そう言った知識がありそうなオミへ体ごと向き直った。


「…このアカウントって、投稿してる奴を特定されたりはしないのか?」

「ん?ヤクザのこと気にしてるの?まず不可能だと思うよ」


 あっけらかんと答えるオミに、カナタは毒気を抜かれる。


「…なんでだ?」

「登録メールアドレスは専用の捨てアカで、紐づいてる個人情報は全てデタラメ。アップロードに使ったタブレットは所有者不明のジャンク品で、MACアドレスは毎回ランダム変更。ネットへの接続はフリーWi-FiでIPは変動」


 自分の手を見ながら、一つ一つ指を折るオミ。一頻り理由を並べ立て、目線をカナタに戻して言った。


「ね。ただのヤクザじゃ無理でしょ?」

「ごめん。何言ってんのか全然わかんねぇ」


 判断がつかないことに変わりなかったカナタは、眉をハの字にした。

 ただ、オミの知識とスキルが尋常でないことは分かる。動画の編集も、そこらのクリエイター顔負けだった。

 身元がバレないのであれば、広告収入は確かに魅力的だ。というか、初投稿で30万再生は確かに凄まじい。今後も収入が少しづつ伸びていくことまで期待できる。

 目先の利をとるか、不確かなリスクを避けるか。


 そこまで考えた時、カナタは思い至った。




 30万もの閲覧を稼いだ現状、すでに取り返しなどつかないということに。




 今更動画を削除しても意味がない。転載、保存、SNSでの拡散。ネット上からこの動画を完全に消し去ることは、もはや不可能だ。


 即ち、に探られる可能性がある限り、この二人も引き返すことができない。


 何をどうすればいいか、皆目見当のつかない程に迷走する状況。気が付けば塞がれていた選択肢。

 知らなかったでは済まされない、己の無能。

 



――どれだけ巻き込めば気が済むんだ、俺は…っ!!――




 あまりにも浅慮な自分に、カナタは心の底から嫌気が差した。

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