第十一話 一帝国民の日常 後編
第十一話 一帝国民の日常 後編
「部長!今日はお昼ご一緒していいですか!」
昼のチャイムが鳴ると同時にウサギ耳の部下が白氏を誘った。
「んー。誘ってくれてありがとう。けど、昼食の前に次長んとこに行っとこうかな。」
顎を撫でながら白氏は部下からの誘いを断った。
「そうですか…わかりました!お先に失礼しまーす!」
シュンと耳を垂らした彼は鞄を持って職場を後にした。残された白氏は昼休みの一時間が始まってから更に十分間ほどペンを動かした。
十分後。
「よし!それじゃあこれから僕は次長の峙金さんのとこに向かうので…取材の皆さんも来ます?」
それまで午前の取材内容をまとめていた取材陣に声をかけた白氏。職場の隅に用意していただいた折り畳みの机で記事を書いていた面々は顔を見合わせると是非にと即答した。
「それでは行きますか!」
呂文白氏は白森族(ライトエルフ)の中でも背が低く、165cmほどである。左脇に先程書き上げた書類を抱えて、商会内の社食で買ったサンドウィッチを右手に持って食べつつ、テクテクと歩く姿は可愛らしいと評判なのだとか。
今日もいつもの通りに移動しつつ昼食をとる白氏。
忙しげな毎日を教訓に最近では栄養食や癒しグッズの開発も考えているらしい彼は、次長室の前に来る頃にはお気に入りの南蜀名産の大山鳥の照り焼きサンドウィッチを食べ終えていた。
「それじゃあ、これからは次長の指示に従ってください。僕としては何聞かれても特に問題ないと思うんですけど…うん。何かマズイ話があったら記事にしないでもらえると助かります。」
口元に指を立ててシー!のポーズをとる白氏。女性人気が高そうである。
「はい。わかりました。問題ありません。」
真剣な話だったので事務的に返答する取材陣。白氏は気持ちホッとした様子。
「うんうん。ありがとうございます。では、行きますか。」
ガチャ。ノックもなしにいきなり開けるそれは二人の関係性からのものなのか。
「おぉ、来たな。昼飯は食ってきたか?」
次長のプレート。椅子に深く腰掛けていたのは壮年の白森族(ライトエルフ)の男性だった。知的な印象を与える角縁のメガネをかけている。白氏の物と同じ黒古木の机の上には綺麗に食べきられた食器が机の右手脇に置かれている。森威(シンイ)で広く使われている独特の食器、箸は口にする部分が右を向いていた。筆記具や書類は左手に置かれており、インク汚れが左手に目立つ。彼は左利きなのか。
「はい。来ながら食べてきたので問題ありません。あと、こちらが取材陣の方々です。」
サラッと返しながら取材陣を迎え入れる白氏は左脇に抱えていた書類を峙金氏に渡している。
「はいよ。あー、特に記事にしちゃダメみたいな話は無いからいいよ。入っておいで。」
書類を見ながら、空いている手をひらひらとさせながら微笑している峙金氏を他所に、次長の机の前、応接用のガラステーブルを退かした白氏は黒革張りのソファーに浅く腰掛けると話を切り出した。
「次長。それで、話とは何ですか?」
白氏は今日一番に瞳が鋭い。
「…さっきそっちにも報告が入っただろ?」
返答する峙金氏の声も一段低くなっている。
「あぁ…やっぱり南の話ですか?」
空気が変わった。
「南方はマケドナ公国の舞台だ。あそこはもともと獣人(ランドノーム)達の宅配制度で通商路を開拓した。財務畑のやつらも多いから、帝国でも一段と数字に煩い。そんなトコとの国内交易を任されてるのが第四都市の南蜀(A-04)だ。」
峙金氏は机の引き出しから茶具を取り出すと、取材陣の一人を手招きしてお茶を頼んだ。流石次長。人を使うのが上手い。
「南方の暑さは値切り合いからくる熱気だ…みたいな格言もあるくらいですからね。南に行けば行くほど金と物が動く量も速さも段違いに早いと言えます。」
冷徹な知性が宿る瞳のままで白氏は語り始める。軍武官の名門出身にしては珍しい学者風の喋り方から、彼が南部に関して造詣が深いことも窺える。
「あぁ。南方はそもそもの話北や西と違って平地が多い。山岳地帯が天然の要塞になってる上に、そこを百年かけて岩盤掘ってまで城塞線を築いてきたんだ。生真面目に守らなきゃならない前線が広い南と比べれば必要な兵員も物資も格段に抑えられる。」
次長の峙金氏もまた、本題の前のジャブとばかりに南方の情勢について確かめ合う。
「対して南は主戦場になりうる前線が広いからこそ外交と商業に力を入れているわけですからね。金と物と人間の国…南ですから東西マネルワ王国ですか?そこの情報が行き来してる。商人と人間社会学研究者にとっては夢の国な訳です。」
南で何かしらが動いていることは少し前からわかっていたことだ。彼ら二人はその変化を機敏に感じ取っていた者達の一部だ。
「そうだな…だが物流と外交を重視するが故に、中央の策定した厳格な外交要綱より内部情報や交易品目の扱いが緩いところがあるのも事実だ。」
「つまり、南には何かしらの手が回っていると?そう言いたいのですか?その手が引き起こした作用の一つが、鳴かず飛ばずの商品が急に大量発注を受けた背景だと…。」
じっ…と次長の顔を見る白氏。視線を向けられている次長は手元の書類から目を離さない。
「まぁ…そうなるな。少なくとも、発注数が異常だ。ついでに言うと交易の場に選ばれた都市が少しずつ北に…西方諸国連合との国境地帯に近づいてる気がする。」
パサリと次長机に広げられた書類の内容は端的にいえば南方マケドナとの国内交易拠点である南蜀支部からの受注数と品目である。
「魔導軽量ブーツが六万足、魚人(アクアノーム)の背苔を加工した最高品質の浄水フィルターを十万セット、野外魔導着火装置を十万セット。」
去年累計で一万足も売れていなかったのだ。それは異常な数値である。
「ついでに、どうやら向こうでは食料品、特に保存食品とかの買い付けも盛んの様だな。西マネルワは日照りが続き不作のため、東マネルワも食糧不足を理由に小麦や米の買い付けをかなり手広くやってる。まぁ、こっちは中央の介入で差し止めになったけどな。あからさますぎるからって。」
昨年からの西方諸国連合との不安定な状況は変わっていない。故に、警戒を怠る気などさらさらないあの優秀な外務省が手を打たない訳がなかった。特に、外務省も財務省と管轄を共にしている対外通商免許の監査は例年にも増して厳格な措置がとられている。前提として国民たる森人(フォームレスト)は皇帝に絶対の忠誠を誓っている。彼らが過つとすれば、それは何らかの絡め手や勘違いが原因になることが殆どだ。罷り間違っても自分から忠義に悖る愚を犯そうとすることは無い。
「…結果としては巧妙になった搦手に引っ掛けられた可能性が浮上していると、だから日頃は受けない取材なんか受けたんですね?」
お茶の用意を律儀にしていた取材陣の一人が戻ってきたところで、二人の顔がメモ取りに勤しんでいた取材陣の面々に向いた。
「…南方の異変は流通の専門の目から見ると明らかな作意が潜んでいる。中央は急ぎ規制線を各地の市場にはられたし。」
突然水を向けられた取材陣の面々は筆を止めている。彼らの瞳は氷のように澄んでいて、鍛えた鉄のように不動だ。いつの間にか密着取材に興奮を隠せない記者の面持ちを捨てた彼らは次長からの言葉を受け止めている。淹れたてのお茶を面々に配るのに夢中な一人を除いてそこは有能な国士の集いと化していた。
「父呂文桓と兄呂文篤にも至急連絡いたします。恐らく、それでも国防軍の初動は後手に回るでしょう。僕の予想では、人間は僕達を共通の敵と見做して共同戦線を組もうと画策しているのかもしれません…或いは外交上のみでの取引で南は僕達への圧迫を演出しているだけかもしれませんが…どちらにせよ、僕達には陛下に万全の路を御用意する使命があります。」
「貴方達が財務省か外務省…はたまた内務省何れかの情報部から取材を通しての監察を担われていることは理解しております。何卒、お早めにご報告をよろしくお願いします。」
…。沈黙。そして、首肯を一つ。
午後一時から再開された仕事は部長の一声で早めに切り上げられることとなった。基本的に午後五時で終業となるが、今日は午後三時で終業となった。
「密着取材は終わりになります。今日は一日有り難うございました。」
次長にお茶汲みを任されていた取材班の一人…彼が班長だったらしい…も真面目な顔で、揃ってお礼の言葉を述べた。呂文白氏はこれから実家に帰って直ぐに父と兄に報告をとるらしい。
確かに、現職の軍団長二人からの上申は大手とはいえ民間商会の部長からの上申よりも重みがあるかもしれない。
「それではお疲れ様でした。またそのうちお会いするかもわかりませんし、これ名刺です。」
<猛猛電機商会 呂文白 本社開発部部長>
「これは丁寧にどうも。上司にも私から報告させていただきます。」
<内務省親衛庁親衛軍 誉洸 情報部第一班班長 軍使>
「こちらこそ。ご丁寧にありがとうございます。それでは、誉洸殿。良い午後を。」
「はい。それではまた。」
質の良い紙をやり取りした二人はそれぞれの使命を果たすべく動き始めた。人間は意外と骨がある奴が潜んでいる。呂文白はふとそう思った。父と兄はきっとすぐに行動し始めるだろう。父は特にだ。建国以前の戦争期、大陸北東で北のロマノフスカヤと東の錦に挟まれた草原を支配する人間の遊牧民族に苦しめられたとよく話していた。流通が騎兵の攪乱作戦でよく滞ったためにひもじい思いを重ねたそうだ。耳なタコができるほど聞かされた流通と戦略の怖さ教訓は、気づけば流通に関わっていた呂文白にとって金言に等しい。
息子が覚えるほど話した体験を当事者の父が忘れるとは思えない。きっと中央に働きかけてくれるだろう。
帰路の際にはいつも帝国の公共交通機関を利用する。一人でに動く大きな箱。大型魔導トロッコに揺られながら窓の外を見た。
燃えるような夕日が差し込んだ。眩しさに目をほそめつつ、ふと思う。
国は生きている。誰か、それこそ自分のような存在のほんの小さな気づきが大きなものを動かしていく。ほんの小さなことが大きな火を生む火種となっている。昼間に食べたサンドウィッチは呂文白を生かし、次長がお昼に食べた砂虎ステーキと南蜀原産筍定食は次長を生かした。数えきれないほどの意志が積み重なり巨大な龍を胎動させる。陛下は龍だ。陛下は民を背負うのではなく、民という翼で大空に覇を唱えるのやもしれない。
直感とも、感動とも。家の最寄りの停車駅に着いたに気付いて慌てて席を後にした。
国家は生きている。戦争の足音がかすかに聞こえてきた不穏な空気を一瞬だけ忘れて、白は自分が生きている国が穏やかな息吹を吐き出していることに少し満足を覚えたのだった。
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