第八話 皇帝と夜の決意 前編
第八話 皇帝と夜の決意 前編
午後五時のチャイムが響いた。チャイムが鳴り止むのと同時に扉が開いた。ユリアナママが駆け込んできた勢いをそのままに、俺の体を抱き上げると俺と頬を擦り合わせた。
「僕ちゃん、ただいまです!!今日もママは僕ちゃんが元気に過ごしてくれたみたいでとっても満足です!」
ニコニコと輝かんばかりの笑みを浮かべる義母は美しい。緊張感のない雰囲気がブンブンと振られる尻尾からも伝わってしまう。これで人前では氷のように冷徹な印象を完璧に演出して見せるのだから切り替えが極端にすぎる。
「おかえり、ママ。」
日頃の感謝を込めて抱きしめ返すと感激してくれる。其の様子が可愛らしくてこっちが微笑ましい。
「はい。ささ!冷めないうちに一緒にご飯を食べましょう!今日はテクナイと一緒ですね。」
チラと俺の背後を見た彼女はセキウの名前の部分だけ器用にいつもの威厳に満ちた声で読みあげるみたいに呼んでから俺を抱いたまま席に向かう。
「三時のお茶会ぶりですね。陛下は今日も勤勉であらせられましたよ。大変優秀ですから我が帝国の未来は殊更に安泰でございますな。」
お世辞か本気かはさておき心から俺のことを大事にしてくれていることは伝わる。俺は尻の座りが悪くなった。何もしてないのにこれだけ甘くされては甘やかされてる方が申し訳なくなる。いつもありがとうございます。
「ふふーふふ。そうでしょう、そうでしょう。何と言っても可愛い可愛い僕ちゃんですから、ね?私の最高の宝物です。何をしても最高に決まってます。異論は認めません。」
義母は俺を抱いた途端に言葉のレパートリーが減る。語彙力を蒸発させた彼女はとにかく俺を褒めたくて仕方ないらしい。目の前に並ぶ晩餐の品々から立ち上る湯気を吹き飛ばすような勢いで話している。
「ママ!ご飯冷めちゃうよ?」
せっかくの三人での食卓である。流石にずっと自分のことを如何に素晴らしいかについて議論されるのはたまらない。俺はいちおう常識人でいたかった。
「ふふ。すいません。ささ、僕ちゃんは私の膝の上に座りましょうね〜。私があ〜ん、しますから。」
はい!今日もきました!いつものやつですねわかります!いつもなら脳みそを砂糖で溶かされてるみたいな声で即答しただろう…だが、今日の昼にセキウと共に決意を固めた俺はすぐに頷かない。
「あ、あの!そのことなんだけどね!」
俺を抱える義母の膝の上に乗ったまま、見上げるように彼女と目を合わせる。
「どうしたんですか?僕ちゃん?そんなに真剣なお顔をして…可愛くて仕方ありませんね?膝の上はお嫌ですか?(上目遣いッ!!た、たまりません!)」
心の声が聞こえた気がしたが捨て置くことにした。ここは俺の分水嶺だ。
「いや、嫌なわけないよ!ただね、その…。」
うーん。なんと伝えれば良いか…成長したと伝えるべきか、反抗期なのだと伝えるべきか…彼女が母であることに違和感を抱いていない俺がいることに俺は気づいていない。
「…ツェーザル総監。陛下は自ら羽化を果たされ、飛翔することを望まれているのだ。」
セキウの口から援護射撃。ナイス!と言いたいが少し詩的過ぎやしないかな?
「……僕ちゃん…。ママ…鬱陶しかったですか?間違っちゃいましたか?もしそうなら…教えて欲しいです。ママは僕ちゃんに辛い思いはして欲しくありません。それは絶対なんです。…僕ちゃんはママから離れることを望まれるのですか?」
何かを悟ったかのような顔を引き締めた義母の顔が近づいてきた。顔を反射的に引きそうになるが、ここは我慢と目と目を合わせ続ける。
「違うんだ!ママのことが…いや、母さんのことが嫌なんじゃない!僕は…!」
俺は詰まりながら言葉を紡ぐ。セキウに打ち明けた話だ。さりげなくママよびから母さん呼びに転換しつつ、俺は母さんに想いを伝える。母さんは俺の話を聞いてくれるらしい。
「…僕は母さんたちから貰ってばかりだから!皇帝にしてもらったのは僕だから、僕は皇帝として立派になりたいんだ!そしたら母さんやセキウ達に恩返しできるし…それに、僕だけがこんなに、何も知らずにのほほんと幸せな生活をしてるのは何か嫌なんだ!」
俺の心の中を言葉にして母さんにぶつける。けど、それを母さんは静かに受け止めてくれる。今の真剣な顔はいつもセキウや他の大人達に向ける冷徹なものだ。緊張が高まった。
「……」
でも、何も言わずに聞いてくれるらしかった。俺は思いと、そしてちょっとした子離れをお願いする。
「それに…贅沢って言われるかもしれないけど、何だか僕だけ何もしないのは少し寂しいんだ!だからね、これから母さん達にはいろんなことを教えて欲しいんだ!」
俺の思いは、ひょんなことから転生して、気づけば座っていたこの皇帝とした大層な椅子に、しっかりと自信を持って座れるようになりたいということだった。もともとデカい墓が欲しいとかそういう壮大なことにはそこまで惹かれない。けど、そこにいて元気にしていることが誰かの安心や穏やさの継続に繋がるようならば皇帝というものになろうと努力することも悪くないと思った。努力の多寡はしれてるけど。それでもやらないよりはずっといい。自己満足もあるけど、素直に恩返しがしたかった。
「………」
いつの間にか母さんの表情からは冷徹さが抜けていた。…例えるなら授業参観で我が子の思わぬ成長を目にして感動した母親の表情をしている。或いは夫のステキな一面を新たに発掘した新妻の、女の顔である。前半はいいが後半はどうにかなりませんかね?俺はこれからいうことを思い少し顔を俯けた。
「僕は母さん達が皇帝としても誇ってくれるような、そんな存在になりたい!だから…」
言葉を切ってから俯けていた顔を上げる。二人の顔を交互に見る。
「だから!!僕が本当の皇帝になるために力を貸して欲しいんだ!」
義母の慈愛に満ちた顔と、そして義姉セキウの俺を誇らしげに見る満足げな微笑みを確かめてから、勇気を振り絞って明日の朝から始まる最初の試練について畳み掛ける。いい雰囲気の中でいえば大丈夫だ!
「そのための第一歩として、明日からは母さんに頼らず一人で起きることにすr「それは少しお話ししましょうか?」あっ、はい。」
冬の吹雪よりも早い拒否に俺は身を固めた。母さんはいつぞやの粘着質な、いっそ妖艶の妖を煮詰めたような笑みで語りかける。今度は母さんの番だ。
「明日の朝からのテトラちゃんのお務めのことについて、ママは反対です。」
「ど、どうして?」
あまりにも毅然とした物言いに俺はたじろぐ。そして気づいたことは母さんの背後にドス黒いオーラが立ち上っていること。…いや、違った。恐ろしいくらいゆらりゆらりと左右に揺れる黒龍の尻尾が赤黒い紫の波動を放っているのだ。俺の控えめな問いに彼女はその豊かな胸で俺の頭を拘束してから語りかけるように説明する。
「あのですね、テトラちゃん。ママはテトラちゃんがいないと死んでしまう病に罹ってしまってるんです。」
「エ!エー!ソ、ソレハタイヘンダー!!!」
絶対嘘だ。すこぶる健康でしょうに。理由は明らかに他にある。現に、俺の耳元にまで母さんのフンスフンスと荒い息がかかっている。
「そう!そうなんです!大変なんです!あれ?そういえばさっきテトラちゃんは言ってくれましたよね!ママ達に恩返しをしてくれるって…ママはテトラちゃんの成長が嬉し過ぎて呼吸を忘れてしまいました…そこでです!早速、テトラちゃんからの恩返しをママにしてくれませんか?もちろん無理なお願いなんてしません!ほんのすこーし、ほんの少しだけママのお願いを聞いてください!ね?お願いします!」
「な、なにかなぁ?」
あまりにも早い要求。俺でなければ見逃していただろう…いや、というよりは見逃したいけど見逃すことなど許されない。母さんは爛々として俺と目を合わせると鮮やかな赤い舌をちろりと口の中から覗かせつつ、色気を大体六歳児(実年齢一年)の男一人に全て流し込むようにして要求する。
「今日から毎晩。ママとおねんねしましょうね?」
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