有翼のリヴァイアサン

ヤン・デ・レェ

御伽噺

御伽噺



途方もなく巨大な大地があった。


未だかつてその大地の果てに辿り着いたものは国産みの神話や寝物語の中で勇躍する探訪者に数名を数えるのみだ。


人間がいつからそこに暮らしを営んできたのかを知るものはなく、爾後数千年は解明されまいとも思える。


雄大な大地はしかし決して限りないものではなく、また一思いに描き切れるほど小さくも無いものだ。


数多の探訪者が海を越え、山を越え、内海を越え…切り拓き、発見して人々は営みを絶やさずにきた。しかし、他の大陸は未だ発見されておらず今後も発見の見通しは立っていない。雄大で、孤独な大陸であった。


有史以来のみを数えて2000年を迎えた孤独な大陸、人呼んでオセアノス大陸。大小数十の国家といくつかの覇権勢力が身を横たえるそこに、初めて異物が紛れ込んだのもまた有史2000年を迎えた大陸に訪れた穏やかな春のことであった。


突如として大陸中央に出現したその国は、前人未踏の魔の領域と呼ばれる古の大森林を完全に掌握した魔なる者共により建国が宣言され、瞬く間に前代未聞の強国へと登り詰めた。バルカン帝国と呼ばれるその国家は異質に尽きた。


いや、そもそもの事柄にも先んじて、その大陸において国家という格を誇る全ての他と比較した時に決定的に異質であった。この大陸にあって全ての国家には国産みの神話がある。それは例え人の手によって齎されたとしても同じであり、必ず一柱の神による祝福と民との契約により建国と相なるのが慣例にして暗黙の儀礼であった。


しかし、ことバルカン帝国にはそれが無い。


建国宣言が執り行われた古の森の奥深く、古代文明の遺跡が転がるそこに深く杭打たれた黒錆の鋼鉄柱には短く"バルカン帝国ここに建つ ツェーザル家の末娘ユリアナ"と刻まれるのみだ。


大々的な式典も華やかな叙勲式もなく、ただ国産みの母であり建国以来100余年に渡り辣腕を振るい続けることとなる女宰相ユリアナ、そして彼女と共に神なき国を打ち立てた金城鉄壁の軍団が軍靴の音も淑やかに出来たばかり国城への道を行進して見せたのみである。


神なき国と自ら称して憚らないその姿勢は、一国一神一民族を信奉する宗教国家や、同一民族、同一神の名の下に連帯と血の道を辿ってきた連邦諸国家にも強い衝撃を与えた。


もとよりその正当性を顧みることなく戦働きと遥かなる深慮遠謀により奇しくも大陸中央の広大な大森林に国を築いてみせた女ユリアナがそんなことを憚るはずもなし。大陸に住まう何人から見ても異質な国家が生まれた。


そして、国産みの荒業の詳細こそ詳らかに刻むことが難しいこの国は建国100年目にして名前を変えたことでも広く知られることとなった。


新たな国名は"バルカン=テトラ神聖帝国"となった。以後からも周辺国より変わらずバルカン帝国や森林帝国と呼ばれていくことになるが、正式名称は件の女傑ユリアと彼女と共にその名を我が国の誇りと推す国家の重鎮たちにより断固としてバルカン=テトラ神聖帝国と定められた。


さて、では肝心のテトラにはなんの所以があっての熱望なのか?常人には計り知れぬ雄大な神聖が宿る祝詞であるのか?はたまた決意を新たにするという誓いの言葉であったか?


果たして、その答えはその名を望んだもの達にとってはどちらの意味合い以上のものを持っていたが、世間一般が知る帝国におけるテトラが持つ意味合いは唯一無二の御名である。


テトラ・バルカン・ドラコニウス・ノトヘルム=ノトガーミュラー・バシレウス…御年6歳の可愛らしい男の子にして、バルカン=テトラ神聖帝国の政治権の長たる宮廷府執政総監を務める国産みの女ユリアナ・ツェーザル・ディクタトラの一人義息子である。


バルカン帝国建国100年目…波乱を呼ぶ大陸暦2100年の暮れのことであった。

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