第6話 犯行目録

 9月14日 水曜日

 放課後、図書室で潤井さんと勉強をした。

 数学が苦手なようで、数Ⅰから復習をし直した。理解できたかどうかはわからないけれど、彼女はなんだか楽しそうだった。

 私はまた、あの音を聞いた。

 この気持ちは何だろう。

 

 9月15日 木曜日

 家庭科の調理実習はチーズケーキを作った。

 可もなく不可もない味で、特筆することはない。

 潤井さんは別の班で、ラムネを入れたがっていたみたい。さすがに合わないと思ったのか、結局は入れなかったよう。

 この前に田中さんと仲良くしていたことが影響したのか、他のクラスメイトも歩み寄って、楽しそうに作っていたらしい。

 その笑顔を想像しても、少しも満たされることはなかった。

 むしろ……

 この気持ちはなんだろう。

 

 9月16日 金曜日

 田中さんとの"おはなし"から一週間が経過した。あれから田中さんは潤井さんおろか、私にも近づいてくることはない。

 それだけではない、いじめていた彼女らも近づいてくることはなかった。少しずつクラスの輪に溶け込んで行けているみたいで、今日の彼女は楽しそうだった。そこに私が居る必要は、ないのかもしれない。

 痛い、痛い。胸が痛い。

 この気持ちはなんだろう。この気持ちはなんだろう。この気持ちは――愛?

 

 9月19日 月曜日

 衝動で買ってしまった不必要な水色ノートの使い道として日記を書いていたけれど、それも今日で終わりにしよう。

 文字は呪文で、言葉は呪いなんだということを知った。

 見返すたびに心は満たされて、見返すたびに痛みを知って、見返すたびに、それの正体がわからなくなる。

 愛 愛 愛?

 私は私のためにやっていてはずなのに、どうして傷つくの?

 今の潤井さんを見ているだけで、辛い。

 戻さなきゃ、戻さなきゃ、前のあの子に、戻さなくては

 

 …………

 ……

 …

 

 9月22日 木曜日

 今日は先に書いておくことにした。

 潤井さんのノートをあの子たちの机に入れることにした。放課後の教室には誰もおらず、委員長の私は仕事があるからと合法的に残ることができるから、ボロなんて出ないだろう。

 明日が楽しみだ。

 

 放課後の教室は私の筆音だけが響いていた。これは私にとって必要なことなのだ。

 潤井さんの机から適当なノートを取り出して、これを書いている。

 楽しみ、なんてよく書けたものだ。人が傷ついているというのに。

 歪んでいる。私は間違いなく歪んでいると、そう確信できた。

 こんな形でしか満たされないのだから。

 ノートも手に入れたことだし、早くやってしまおう。そう思った矢先――


「空木野さん? まだ帰ってなかったの?」


 扉は開いていた。入口に立つ潤井さんは不思議な顔をしてこちらをじっと、見つめていた。蛇に睨まれた蛙というのは、まさにこのことだろう。


「え、えぇ、どうしても終わらせておきたい問題があって、ね」

「ちょっと数学ノート忘れちゃってて、えへへ……って、空木野さん」


 ――どうして私の机に座っているの?

 冷汗が止まらない。不自然なくらい冷たいなにかに包まれているみたい。けれど身体は火照ったように暑く、頭がうまく回らない。


「こ、ここの席、日が良く当たるから借りてしまっていたの」


 それよりも


「ノート、たぶんこれよね」


 机から適当に引っ張ったノートを差し出して、彼女の鞄に押し込んだ。

 早く、早く出ないと、ここから居なくならないと。


「せっかくだから、一緒に帰らない?」

「私これから先生のところにプリントをもらいにいかなければならないの。だから、きょうはごめん」

「良ければ靴棚で――」

「大丈夫! まだかかりそうだし、今日は先に行って」


 とにかくここから逃げ出したかったけれど、今は彼女の隣にも居たくはなかった。

 鞄を置いて教室を出る。用もないのに職員室へその足を向け、歩き続ける。


「そ、そっか。じゃあ、またね」


 返事も何も、できなかった。

 

 


 帰宅してからも体の火照りは収まることを知らず、まるで頬は焼け焦げてしまいそうなくらい、暑かった。

 鞄から水色のノートを取り出して、日記でも罪状でもない、自戒を書き連ねることにした。

 すぐに見れるよう一番後ろのページにそれを書く。

 もっと対策を考えておくべきだった。懸念点を洗い出しておくべきだった。うまくやるべきだった。

 扉は閉めるべきだったし、あんなところにずっといるなんてことも、するべきではなかった。

 冷静になれなくては、落ち着かなくては、満たされなくては。

 書ききった後に昔の記録を探し、ページを捲る。

 そこには日々の記録なんてなくて、あるのは雑に惹かれた直線と数字の羅列だった。

 書いた覚えのない文字に私のものでもない筆跡がそこにはあって、私は恐る恐るその水色のノートの表紙を見る。

 そんなはずはあるわけない。あるわけない。あってはいけないのに。

 そこに書かれていた文字は、私の終わりを告げているようにも思えてしまったのだ。

 数学Ⅱ

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