第150話、ゴブリンに対する仮説


 ディーは、ネムをゴブリンだと言った。ちょっと待ってほしい。


「ゴブリンにメス……女がいるの?」

「ボクも見たことも聞いたこともないですけど――」


 白狼族の少年は耳をピクリと動かした。


「でも、オスしかいない生物なんて、存在するのでしょうか?」

「自然界において、状況によって性別が変化する生き物はいるわ」


 アウラは指摘した。


「オスがメスに変化する、逆もあるけれど、大抵は子孫を残すパターンよね」

「ゴブリンも?」

「いえ、ゴブリンは別と考えられているわ」


 ドリアードの魔術師は唇を尖らせた。


「メス個体が確認されていない。性別が変化する生き物なら、発見されていてもおかしくないのにね」


 そもそも、とアウラは腕を組む。


「オスが他の種族を襲って、そこで子供を作っているのよ? 生き物として他に種族のメスを必要としているって例もおかしな話だけど、それができちゃうなら、ゴブリンにメスはいらないって説にならない?」

「だけど、ディーは、ネムがゴブリンのメス……女性だという」


 俺は庭で、スリングを練習しているネムを見やる。……耳は少し尖っているけど、その顔立ちや体つきは人間のそれだ。一般的なゴブリンと違う。


「オスとメスで体つきや構造が違うのはよくある話だけれど」


 アウラは視線をディーに向けた。


「根拠はある?」

「体臭が、ゴブリンのそれです」


 ディーが鼻をひくつかせた。


「最初は、ゴブリンに暴行されてニオイが移ったのかと思ったんですけど、さすがに2週間も経って、ゴブリンのニオイが取れないなんて、考えられますか?」

「うちでは毎日お風呂入ってるものね」


 シィラが風呂好きなのが影響したか、ネムもよく一緒に入る。泥だらけになることが多いから、ルカから洗ってきなさいって怒られているのもあるかもしれないけど。もうお母さんなんだよな、言動が。


「最初はまあ、酷いニオイだったけれど……。ワタシたちにはもうわからないくらいになってる」


 だが、ディーは獣人である。白狼族の鋭敏な嗅覚は、まだそのニオイを嗅ぎ分けているようだ。


「ニオイ以外に何か根拠は?」

「状況証拠になってしまうので、はっきりと断定できないですけど、彼女の成長速度、いえ物覚えのよさですね」


 ディーは解説した。


「ゴブリンは比較的短命な種族です。ホブなどの上位種ならともかく、一般的なゴブリンは身体能力が人間の子供にケが生えた程度で、個々では弱く、戦えば倒されてしまうことが多いです」


 まあ素人だったら、戦い慣れたゴブリンに返り討ちにあうこともあるけどな。


「ですが、ゴブリンはその分、狡賢い生き物で、一度見たやり方を覚えて、次の機会ではさっそく使ってきたりします」


 異常な物覚えのよさ。弱いからこそ群れる。そして二度と同じ手は食わない。ゴブリンは放置するとその分手強くなるから、二度目は与えるな、必ず始末しろ――という話は、初心者冒険者が先輩からよく聞かされる。


「確かにここにきてわずかな間で、ネムは普通に喋られるようになったし、武器の使い方もあっという間に覚えたわ」


 確か、シィラが褒めていたな。ネムは物覚えがいいって。


 俺が彼女から覚えていた違和感の正体もそれだったかもしれないな。ダンジョンで暴行されたショックで記憶がとんだとか関係なく、ここで一から学んだことを覚えていった感じ。最初会った時は何も知らなかったから赤ん坊のようなもので、ゴブリンの種族習性でわずかな間で順応、成長していったってやつ。


「言われてみれば、彼女の行動や戦闘スタイルって、ゴブリンのそれに合致している気がするわね」


 隠れながらの行動。汚れも気にしない。筋力はないが、弓矢やスリングなどの投射攻撃を多用する奇襲行動――ゴブリンアーチャーだ。


「あと、比較的薄着なのも、ゴブリンの特徴かも」


 ダボッとした服を、ネムは嫌っていたな。野生の、というと変な感じだが、一般的ゴブリンも、粗末ながらパンツじみたズボンを穿いていた。上は着ていない場合がほとんどなんだけど。


 まあ、これも他のゴブリンもそうだからっていう状況証拠みたいなもので、確定じゃない。人間にだって、薄着や厚着の好みはそれぞれだし。寝るときは裸族ってのもあるからな。……何故か、俺のベッドに潜り込んでいたルカを思い出してしまった。でかかったな、でかかったな。


「ネムがゴブリンの女性だったとする」


 俺は考えを口にした。


「これまで発見されてなかったってだけで、ゴブリンにも女性がいた。ただし、その数は物凄く少ないだろうな」


 千にひとり、万にひとりとか、もっと数字上、差がある割合で。


「もしかしたら、ゴブリンが、人間とかエルフとか、人型種族を襲うのって、ゴブリン女性が人間とかに近しい姿をしているからじゃないかな?」

「どういうこと?」

「要するにさ、ゴブリンの男は、ゴブリン女性と、人間の女性やエルフ女性とかと見分けがついていない」


 アウラはハッとし、ディーも驚いた。


「つまり、ゴブリンのオスは、同族のメスだと思って人型種族を襲っているってこと?」

「ネムを見て、彼女がゴブリンだというなら、そうかなって思っただけだ」

「そういえば、ボク。ゴブリンってエルフ女性を特に狙うとかって聞いたことがあります」


 ディーは自身の耳を指した。


「エルフも耳が尖っているから、なおゴブリンの女性と思い込んでいるとか……?」

「かもな」

「……それをエルフが聞いたら、さぞ機嫌が悪くなるでしょうね」


 アウラが皮肉げに言った。美形の多いエルフである。醜いゴブリンと似ているとか言われて不愉快な思いをするだろうことを想像するのは難しくない。


「ゴブリンの女性は、ゴブリン男性と違って美形だな」

「繁殖力が強いのも、メスが極端に少ないっていうなら納得ね」


 アウラは腕を組んだまま、首を傾けた。


「そして他の人型種族にまで自分たちの種族の子供を孕ませるのも、メスが少なく、短命ゆえに進化した形かもしれないわね。……もっとも女としては、嫌すぎる話だけれど」


 べぇー、と舌を出すアウラ。


「っていうか、ネムがゴブリンだとしたら、オスどもが同族女性すら拘束して暴行まがいの子作りしているってことでしょ? いくらメスが少ないからって、凄まじいまでの男尊女卑種族じゃない?」


 子孫を残すことに必死だった、というのはゴブリン視点なんだろうけど、人間からしたら、ちょっと受け入れ難い話ではある。他種族のことを、人間の尺度でどうこういうのは間違っている気もするけど。


「……彼女、どうします?」


 ディーが聞いてきた。どうするって――


「ネムがここにいたいなら、それでいいんじゃないか。まさかゴブリンの巣を探してどうぞ、なんて、いくら自然界が正しくても、俺たち的には許容できないし」


 巣穴でまた暴力的子作りの道具にされてしまうのは、な……。


 そもそも、ゴブリンが増えるのを現在の人間社会は求めていない。むしろ根絶やしにしたいとさえ考えているだろう。そう考えるなら、ゴブリンたちの元に戻すのはナシだろう。


 ああ、人間の勝手だ。自然の形としては正しくない。俺にできることは、認められる範囲でネムが幸福に暮らせること。極力彼女の意思を尊重してあげることくらいだ。


 あぁ、間違ってる。たぶん、間違ってるだろうけれども。

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