第62話、墜ちたルース


 あいつはとことん墜ちた。


 そう囁かれることが、この上ない屈辱だった。


 ルース・ホルバは、全てを恨んだ。


 拠点である家を失った。これまで貯めてきたお金と品々を失った。仲間を失い、精悍で、異性をも虜にする美貌を失った。


 冒険者のランクが一一気にEランクに降格した。仲間を見捨てた罪は重い、とギルドスタッフに言われたが、ルースは抗議した。


 逃げたのではなく、負傷による離脱だと訴えた。だがギルドは、ルースの訴えに聞く耳を持たなかった。


 パーティー『シャイン』のメンバー2名が戦闘不能となり、さらに残った1名は脱退。


 ――ヴィゴめ……!


 脱退したメンバーは、かつてルースが追放したヴィゴの下に引き抜かれた。さようなら、と彼女はヴィゴについた。


 裏切られた。奪われた。


 ルースが栄光から転落していくのと引き換えに、ヴィゴは上級冒険者の道を駆け上った。


 ――あいつが……あいつさえいなければ……!


 それは逆恨みだ。ヴィゴが活躍するようになったのも、ルースが追放しなければ、そもそもなかったのだ。


 だがルースは、それを知らない。自分がきっかけになったなどと思いもしていない。


 ただ事実として、ヴィゴに光が上がり、自分が転落していたということだけが、ルースの中ではっきりしていた。


 ――あんな、雑魚顔の奴に……! 僕が負けるだとぉっ!


 認めない。ヴィゴが優れているなど。ルース・ホルバが劣っているなどと。


 冒険者ギルドから降格を告げられ、冒険者票を取り上げられ、Eランクのものを押しつけられた。


 追放されないだけ寛大な処置だ、と、応対した中年ギルドスタッフは見下すように言った。


 武器を失ったと言えば、レンタルしろと返された。『ちゃんと返せよ』と言われたが、ルースは、ギルドから借りた剣をそのまま所持している。……返すつもりなどなかった。


 傷が痛む。応急手当をされた程度で、完治とはほど遠い状態だった。教会で魔法による治療を受ける手もあるが、金がないので無理だった。


 満身創痍だ。


 そんな状態だから、ルースは荒れた。真面目に働く気力も湧かなかった。


 周りの冒険者たちから、冷めた目で見られている気がした。仲間を見捨てた男の烙印は、冒険者という職業において負の遺産でしかない。


 まして、降格によりDランク程度のクエストしか受けられない。Bランクまで上がった男が下級ランクの仕事を求めて掲示板の前に立つなど、恥辱でしかなかった。


 空腹を抱え、盗みを働いた。浮浪者のようなぼろいフード付きのマントを羽織り、日中は路地裏など日の当たらない場所にいた。


 ここはオレの縄張りだぞ、と言ってきたクズは返り討ちにして、身ぐるみを剥いだ。馬鹿な奴だと思った。上級冒険者に一般人以下の雑魚が勝てるわけがない。


 太陽を恨み、ヴィゴを恨み、ギルドを恨み、王都も、そこに住む民を恨んだ。何故自分がこんなに惨めな生活を送らねばならない? 子供の笑い声さえ、恨めしかった。


 そんなある日、王都で魔獣騒動が起きた。ルースはこれ幸いと、留守になった家に忍び込んだ。いわゆる火事場泥棒だ。


 王都の人間が魔獣に襲われるところを見たが、ルースは平然と見送った。天罰が下ったのさ、と笑った。


 だが泥棒をしていたのを、守備隊に見つかったのが運の尽きだった。


『貴様! さては魔獣をバラまいた連中の仲間だな!?』


 爆破事件と魔獣騒動。その裏で暗躍していた者のひとりと思われたのだ。冒険者票は見せなかった。


 泥棒をしていたのを目撃されたのだ。今回の騒動を引き起こした事と関係がないとしても、犯罪は犯罪。


 Eランクに降格された上に犯罪では、もはや冒険者も追放。それどころか犯罪者として逮捕、収監される。


 それがもし人の耳に入ったら、あのクソ冒険者ギルドのスタッフも、冒険者たちも、ヴィゴも、イラも、ルースをあざ笑うだろう。


 それには耐えられない。


 だから、ルースは、その兵士を殺した。ギルドからの借り物の剣で。


 だが他にもいた兵士と戦ううちに、元々弱っていたルースは傷を負い、追い詰められた。


 絶体絶命。


 しかし、ルースは危機を脱することになる。


「城の兵と戦っていたとは、貴様はいったい何をしたんだ?」


 兵士たちを殺した、黒いマントの男。さらに数人がその後ろにいた。


 ――どうだっていいだろう、そんなこと!


 そう返したいところだったが、声にならなかった。腹を刺され、息も荒ぶっていたから。


「ふむ……貴様、激しい憎悪が見えるぞ。この世の全てを憎んでいるような」

「……だから、何だ」


 ようやく出たその言葉。男は言った。


「貴様のその恨み、晴らすつもりはないか?」

「な、に……?」

「我々と来れば、貴様に力を与えてやろう」


 力。恨みを晴らす力。


 そうだ。理不尽に奪われた栄光、容姿、財産、仲間――その全てを奪った人間がのうのうと生きているなど許せない。


「……本当に、力を……」

「約束しよう。共に来るか?」

「ああ……、ああ、ボクは貴方についていく……!」

「よかろう。……おい、こいつの傷の手当をしてやれ」


 はっ、と後ろにいた白マントのひとりが、ルースに治癒魔法を使った。ルースは黒マントの男を見上げる。


「あ、貴方の名前は……?」

「ボーデンだ」


 その男は名乗った。ボーデン……、そう呟いた時、ルースは疲労から気を失った。



  ・  ・  ・



「よろしいのですか、ボーデン様?」


 白いマントの男――キールは言った。


「王城は奪回されました。我らも早く王都から脱出しませんと」

「わかっている。だが……こいつは、いい拾いモノだと思わんか?」


 浮浪者じみた戦士の周りには、彼がひとりで殺しただろう兵士の死体が複数転がっていた。


「戦力を失った今、戦える手駒が欲しかった」


 ボーデンは唇の端を吊り上げた。


「呪血石を埋め込んだら、果たしてどうなるか……。見物だろうな」


 所詮は拾いモノ。実験動物程度にしか思っていないボーデンだった。

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