キャッチ

混沌加速装置

ホスト風の男

 夜の繁華街を歩いていると様々な人間が声をかけてくる。この年末の時期は特に。それらのほとんどは飲み屋や風俗のキャッチだ。当然そんな連中に耳を貸しはしない。連中はただ金が欲しいだけ。関わるのは時間の無駄だ。


「あ、お兄さん。居酒屋どうすか?」


「遊んでいきません? 大学生の子いますよ?」


 コートの下にスーツを着てはいるが仕事の帰りじゃない。俺は無職だ。例のクソッタレなウイルスのせいで職を追われ、今は失業手当で食いつないでいる。来年で三十だというのに貯金もない。自業自得と言われたらそれまでだが、一体誰がこんな未来を予想できたというのか。誰でもできる仕事で適当に稼ぎながらダラッと生きる計画が台無しだ。


「わかります。どうか、私に助けさせてもらえませんか?」


 心を読まれたのかと冷やっとし、思わず足を止めそうになる。が、気づかぬふりをして早足で通り過ぎる。なんのことはない。宗教勧誘の手口だ。思い詰めた顔にでもなっていたのだろう。悩める子羊に藁を掴ませて金を毟り取ろうという魂胆が見え透いている。神様だって賽銭を取るのだ。他人を無償で助ける物好きなどいない。


「すいません、ちょっといいですか?」


 そんな曖昧な言葉で立ち止まる者はいない。見ず知らずの他人に声をかける目的は限られている。大抵の場合は金だ。路上で商売する連中が求めるのは利益だけ。金にならないことはやらない。


 連中の言葉の裏は欲望に直結している。通行人をボッタクリ居酒屋や風俗に誘うのは、客として楽しんでもらいたいという殊勝な考えからなどではなく、ただ単に自分たちが遊ぶための金が欲しいからだ。だから手っ取り早く他人を貶めて利益を得ようとする。連中は声をかけた相手になどはなから興味がないのだ。


「あのぅ、道をおたずねしたいんですけど……」


 今時分、都会の繁華街で道を訊ねてくる若い女性など、創作物のなかにすら存在しえない。たとえ何らかのトラブルで携帯が使えないのだとしても、早足で歩いている三十路手前の男に声をかけてくるのははなはだ妙だ。すぐそばに交番だってあるというのに。


 出歩いている人が少ないせいか今日はやたらと声をかけられる。相手など選んでいられないのだろう。一歩進むごとには言い過ぎだが、煩わしいと感じる程度には多い。目についた通行人に片っ端から声をかけているのかもしれない。


「あれ? なにか落としましたよ?」


 今度は若い男の声だ。咄嗟にコートのポケットに手を当てる。


「スマホですね。あなたのですか?」


 入れたはずの携帯がない。足を止めて振り返ると、アッシュグレーの肩まである長髪に緩いパーマのかかった、ピンストライプの黒いスーツに身を包んだ男と目が合った。俺のものと思しき携帯を右手で摘み上げている。襟元から覗く光沢のある赤いシャツからして、夜の商売に携わる者であることは明らかだ。おそらくホストあたりだろう。


「あなたのですか?」


「そう……かな。あ、いや、そうみたいです。ありがとうござ」


 礼を言って携帯を受け取ろうとすると男が手を引っ込めた。


「あの」


「これって去年出た機種で、まだ十万くらいしますよね?」


「え? いや、さぁ……ちょっとよくわかんないですね……」


「これ、僕が拾ってあなたに声かけなかったら、きっと誰かに拾われて売られちゃってましたよ?」


 返して欲しくば謝礼を払えというのだろうか。まさかこの歳でカツアゲに遭おうとは。幸か不幸か、現金は数千円しか持っていない。


「はぁ……でも、あなたが拾ってくれたので助かりました。ありがとうございます。急いでいるので、返してもらえませんか?」


 急いでいるというのは嘘だ。


「いいですよ」


 あっさり承諾してくれたことに驚いた。さっきまでの勿体ぶった態度はなんだったのか。


「そのかわり、僕の話を聞いてその通りに実行してもらってもいいですか?」


 話を聞くのは構わない。だが、実行しろとはなんなのだ。よくわからない命令を聞くくらいなら金を払ったほうがマシに違いない。


「えっと……お礼をお渡ししたいので、そこのコンビニのATMまで一緒に来てもらえませんか? あいにく現金の十分な手持ちがなくて」


「いえ、もう代金はもらっているので、僕の話を聞いてそれを実行してもらっていいですか?」


 男は頭を斜め後ろに傾けながら、丁寧な口調とは裏腹に俺を見下すような格好で同じ台詞を怠そうに繰り返した。

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