第27話 枢機卿は国王にガチギレする
私は聖女として、それなりに修羅場をくぐり抜けてきたつもりだが、それでも直属の上司と密着して並ぶのは緊張を覚える。
枢機卿ヨハナ・アッシャー。私と一緒に、扉の隙間から謁見の間を盗み見ている女性の名前だ。
「さて、行くとしようか、アストリッド。あの魔王がバカ国王にお灸をすえてくれたが、それはそれとして、私たちも言っておかなければならないことがある」
彼女はすらりと背が高い。私はそう特別小柄ではないはずなのに、頭一つ分も違う。よく手入れされた髪と相まって、後ろからだと若い女性に見える。
実際はもう六十歳を過ぎている。顔や手のシワは年相応だ。しかし正面から見ても美しい。老いを隠しているのではない。人は美しく老いることができるという見本だった。
「はい、ヨハナ枢機卿」
私が返事すると同時に、彼女は扉を勢いよく開けた。
国王と宰相は、窓際から玉座に戻る途中だった。
天井と床に大穴が空いて、随分と風通りがよくなっている。
なのに異臭を換気しきれていない。
「うわ、くっさ」
私はつい、鼻をつまんでしまう。
すると国王は顔を真っ赤にして私を睨んだ。
「こ、これは余の匂いではない! 漏らしたのは宰相だ!」
「陛下!? いくらなんでも無茶がありますぞ。二人一緒ではありませんか!」
「う、うるさい! たとえ余が漏らしていたとしても……余のは無臭であるはずだ!」
どうでもいい主張だ。
二人ともウンコ野郎なのは間違いないのだから。
「お取り込み中、失礼します。約束の時間になったので、勝手に参上しました」
枢機卿は堂々とした様子で言う。
この臭い中でも真面目な表情を崩さないのはさすがだ。
「勝手に参上……貴様、余との謁見をなんと心得るか。そもそも、あのセシリーとかいう娘の魔法で、余と宰相以外は動けないはずだ!」
「ええ、セシリーはそう言っていましたな。耐性のない者は、しばらく夢見心地……と。このアストリッドは聖女だし、私もかつては聖女だった。魔法に対する耐性があったのかもしれません。それで失礼とは思いましたが、扉を少し開けて中の様子を見学させていただきました」
「なっ! 見ていたならなぜ助けに来ない!」
「陛下、私たちはあなたの兵士ではありません。それに助けるもなにも、あれはオロデイル国王と魔王メグミの対等な交渉だったのでは? まさか陛下ともあろう人が、少女二人に脅されて仕方なく条件を飲んだとでも?」
「そうだ! 見ていたなら分かるだろうに!」
国王は取り繕いもせず白状した。
とても情けない話を力強く語っていると気づいていないのだろう。
「ふむ。ですが、先に手を出したのは陛下でしょう。彼女たちの集落……いや、国に千人も派兵した。いかなる正義のもとに下した判断か、お教え願いたい」
「決まっている! 奴らは勝手に、薄闇の森に集落を作った!」
「勝手に、と言いますが。私の知る限り、薄闇の森はどの国の領土でもありません。陛下に裁く権利があるとは思えませんが」
「うるさい! 余が裁きたかったのだ。ならばそこに正義が生まれる。余は国王なのだぞ!」
正義かどうかはともかく、それが国内の出来事なら通用するだろう。だが領土の外側に押しつけたら戦争だ。そして国王は戦争に負けた。
しかし、この国王には負けた自覚なんてない。戦争を仕掛けた自覚さえないのだから。
「それに奴らは魔法を使うのだ! お前らも見ただろう。ゴブリン・キングを操り、それどころか空を飛んでいった! 禁忌とされる魔法の使い手が百人もいる集落……そうだ、余は女神に代わって天罰を下そうとしたのだ。それが正義でなくなんだという!?」
「女神に代わって……?」
瞬間、枢機卿の目つきが、嘲りから敵意へと変化した。
「ふざけたことを仰る。女神メルディアの地上代行者は、我らメルディア神聖教教団ただ一つ。たかが一国の王が天罰を下そうなど身の程を知れ!」
「「ひぃっ!」」
国王と宰相は悲鳴を漏らす。
無理もない。
私だってヨハナ枢機卿に「聖女の姿でスライムレース場に行くなと何度言ったら分かる!」と怒鳴られるたびに怖くて泣いている。
「おっと。申し訳ない。つい熱くなってしまった。しかし今のはメルディア神聖教の総意と受け取ってもらって結構です。あまり勝手にメルディア様の代わりなど言わぬように。陛下の身の安全のためにも」
「余を脅すつもりか……」
「はい」
枢機卿が誤解の余地がないほど短く答えると、国王は言葉を詰まらせてしまった。
「それと。魔王の国アイントラハトには女神像があるのですよ。このアストリッドが洗礼を行いました。人々はその前で祈り、すでに結婚式を挙げた者もいます。つまりアイントラハトはメルディア神聖教の同志。ますます勝手に裁いてもらっては困ります」
「だ、だが……奴らは魔法を使う……」
「あれが魔法だったのか現時点ではハッキリしていない。我々が知らない方法で神の奇跡を授かったのかもしれない。そもそもご存じないでしょうが……メルディア神聖教は魔法の使用を禁止していないのですよ」
「ば、馬鹿な! かつて愚かな魔法師たちを倒したあと、魔法にかんする本や書類を燃やし、魔法師を処刑したのはお前たち教団だったはずだ!」
「そう、かつては。何百年も前のことです。確かに教団は、魔法を禁ずると教義で定めた。
そして魔法が完全に途絶えたあと、その教義を消しました」
「な、なぜわざわざ……」
「さて。私が生まれる遙か以前なので理由は分かりません。とにかく、魔法師だから裁くとか殺すとか、今の教団はそういうことをしていないのです。もっとも魔法師が消えてしまったので、やりたくてもできなかったでしょうが」
「教団の決まりなど関係ない……余が殺すと決めたのだ!」
「はて。オロデイル王国では魔法師は死刑、などという法律があったのでしょうか? あったとしても、薄闇の森はオロデイル王国の外です。そして陛下はアイントラハトを独立国として認めると宣言した。枢機卿と聖女が聞いてしまったのだから、これは女神メルディアの前で宣誓したも同然」
「しかし魔法は危険だ! 危険だと奴ら自身が証明した! 見ろ、この天井と床の穴を! 放置していいはずがない! お前たち教団であの者たちをゴブリンのように全滅させろ! 消した教義をもとに戻せ!」
「無理です。教義は関係ありません。私の権限が及ぶ範囲で聖女とパラディンをかき集め、最強の部隊を編成しても、アイントラハトには勝てないでしょう。いや絶対に勝てない。その理由は陛下が身をもって味わったはず。彼女らは強すぎる。下手に手を出したらどうなるか分からない。ところがアストリッドの報告を聞く限り、メグミもセシリーも猫耳族も善良のようだ。少なくとも侵略の意図はない。ならばこちらとしても友好的に接し、お互いの利益になる関係を構築したい」
「聖女とパラディンをかき集めても勝てない……」
「陛下もせいぜい彼女らを怒らせないようにすることです。メグミとセシリーは夕方に書類を取りに来ると言っていた。ならば嘘偽りなく用意すべきです。小細工など考えるべきではない。メグミはともかくセシリーはあなたを殺すでしょう。そういう目をしていた。直接渡すのが怖いなら、誰かに渡して門の前で待機させておきなさい。渡せばメグミとセシリーは大人しく帰るでしょう。陛下はなにも損をしない。もともと無関係だった森の中に、同盟国が誕生するだけです。とにかく彼女らを刺激しないようお願いします。この国が滅びるだけで済めばいいが、最悪、世界が危ういと私は思っている。もしそうなったら私は、それこそ女神の名の下に、陛下を処刑しなければならない。思いつく限りの拷問を加えてからね。それでは、ごきげんよう陛下。よい一日を」
枢機卿はポカンとする国王を放置し、踵を返した。
私もそれに続く。
まったく実に迫力ある上司だ。こういう年の取り方をしたいと同姓として思う。迫力ある説教が私に落ちなければ、完全に理想の上司だ。
「さて。大聖堂に戻って、あの正直な商人を安心させてやるか。彼がいたから我々の動きも素早かった」
枢機卿は廊下を歩きながら言う。
そう。
国王がメグミさんのところに出兵したとこれほど早く把握できたのは、あの商人が大聖堂まで馬を走らせてくれたからだ。
彼は宰相に尋問され、フルーツの出所がメグミさんだと教えてしまった。もしかしたら殺されるかもしれない上、新しい馬車を勝ってもお釣りがくるほどの金銭を渡されては、白状するしかなかったのだ。
それに、しょせんはフルーツの産地だ。メグミさん自身に逃げも隠れもするつもりがない以上、白状して損をするのは商人本人だけ。独占商売できなくなるのは惜しいが、いずれメグミさんたちが外と本格的に交流すれば、おのずと広まる情報だ。それが少し早まっただけ――。
商人は最初、そう気軽に考えていた。
ところが、薄闇の森に向けて兵士たちが歩いて行くのを見て、自分がしたことの重大さを知った。この国は果樹園ごと手に入れるつもりなのだ。
命を救ってくれたメグミさんたちに迷惑はかけられない。だが自分には兵士を止める力はない――。
そこで商人は、王都から馬を丸一日走らせて大聖堂に急いだ。
大聖堂の門番は商人を怪しんだが、私の名前を出したので、念のため取り次いだ。
おかげで私を通じて、情報がヨハナ枢機卿へと伝わった。
彼が宰相の尋問に負けたのは、仕方がないと思う。むしろ、こうして報告してくれたのだから賞賛されるべきだ。
なのに商人は、命の恩人を売ってしまったと私の前で泣いていた。本当に誠実な人だ。
「宰相からもらったお金をメルディア神聖教に寄付するとか言い出してましたからね。それで商品を仕入れてメグミさんのところに持っていったほうが恩返しになると言ったら、考え直してくれましたけど」
「あの誠実さは取引相手として安心できる。本人は苦労するだろうが、続けていれば信用を得て、いつか成功を収めるだろうさ」
「私もそう願っています。ところで枢機卿。メグミさんたちの国……アイントラハトの調査はどうするんですか? まさか私の報告だけで事が済むとはいきませんよね?」
「無論だ。いずれはこの私が直接行かねばならない。そして、ほかの枢機卿や教皇猊下とも情報を共有し、アイントラハトの扱いを決める。しかし、さっきも言ったが、下手に刺激してはならない。慎重に進める必要がある」
「あの、枢機卿。メグミさんたちは正真正銘、いい人たちですよ?」
「アストリッド。お前は死にかけたところを助けてもらうという劇的な出会いをし、一晩寝食をともにしたから気にならないんだろうが……私は正直、あの二人が恐ろしくてたまらないんだよ」
こんなときに妙な冗談を――。
私はそう言おうとしたが、隣を歩く枢機卿の肩が少し震えているのに気づいた。
恐ろしい? このヨハナ枢機卿が? あのメグミさんとセシリーさんを?
……いや、確かにそうだ。
ゴブリン・キングを倒したばかりか、その死体を操るなんて、冷静に考えれば常軌を逸している。恐怖を感じて当然。
けれど、それでも私は敢えて言いたい。
「直接お話すれば、枢機卿もメグミさんたちの人柄が分かると思います」
「お前がそう言うならそうなのだろうな。そうだと信じたい。なんにせよ、近いうちに赴くさ。ところでアストリッド。お前は魔法にどんな印象を受けた?」
私はその質問への返答を持っていた。むしろ、いつこちらから言おうかと迷っていたほどだ。しかし、すぐには答えなかった。
「どんな、と言いますと?」
「聖女やパラディンが使う神の奇跡と、メグミたちの魔法にどんな差を感じたかと聞いているんだよ」
「……これは私の印象ですし、そう何度も魔法を見たわけではないので確信はありません……けれど、私たちに宿る奇跡と、魔法は、とても似ていると思いました」
本当は、似ているどころではない。けれど、私の口から断言するには、あまりにも大きすぎる。
「……なあ、アストリッド。メルディア神聖教は魔法を禁ずる教義をわざわざ消したと言っただろう? その消した時期と、教団が奇跡を人間を宿らせて聖女やパラディンを生み出すようになったのは同時期なんだ」
「枢機卿……それはつまり……」
「奇跡と魔法は同じもので、教団はそれを隠しているのではないか……なんて私の口からはとても言えんよ、アストリッド」
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