第18話 聖女の戦いに魔王乱入(前半)

 誰かが襲われていても見捨てる。それが合理的。

 分かっていたはずだった。実際にそうするつもりだったはずだ。

 なのに私はどうして、こんなにボロボロになっているのだろう。


 決まっている。

 この私、聖女アストリッド・アトリーが馬鹿だからだ――。


 ゴブリン・キングと、五匹のロードを追いかけつつ、定期的に位置情報を枢機卿へと送っていた。それだけを続けていればよかったのに。

 進行方向に、馬車を発見してしまった。

 馬車の主は巨大ゴブリンの群れを見て、慌てて馬にムチを打つ。

 その怯えた様子が、嗜虐心を煽ったのかもしれない。ゴブリンたちは嬉しそうに大声を上げた。


 馬車の主は街道よりも、遮蔽物が多い場所を行ったほうが逃げ切る可能性が高いと思ったのか。それとも恐怖に支配された馬が、持ち主の指示を無視したのか。明らかに馬車に向いていない、森の奥へと走って行った。

 それを追いかけて、巨大ゴブリンたちも森に消えていく。


 手を出すべきではない。

 手を出したところで私は殺され、その次に馬車の主も殺される。

 なら、なにもしないほうがいいに決まっている。考えるまでもない。なのに、なぜ私は迷っているのだ。


 ――ああ、そうだ。馬車を見捨てるにしても、ゴブリン・キングを見失ってはいけない。追いかけなければ。

 そう、追いかけるだけだ。

 助けるわけじゃない。


 へし折られた木をたどっていけば、追跡は簡単だ。

 そして三匹のゴブリン・ロードに囲まれる青年を見つけた。二十代半ばくらいだろうか。人生まだまだこれからという年齢。未成熟な子供ではなく、それでいてまだまだ成長する余地を持つ世代。けれど私は見捨てる。


 馬車がいない。はぐれたのか。ゴブリン・キングはそちらを追いかけたか。なら、ますますここに私がここにとどまる理由はない。しかし今なら相手はロード三匹だけだ。キングがいないなら私だけでも勝てる可能性があるかもしれない。

 ――なにを血迷っている。馬鹿な考えだ。やめろ。

 けれど戦いは各個撃破が基本。せっかく相手のほうから二手に分かれてくれたのだ。そこに付け込むべきだろう。

 ――違う。欲を出すな。

 ロードの脚が青年を踏み潰そうとしている。終わる。一つの命が。

 見ていられない。私は目を閉じた。はずだった。

 気がつけばロード三匹の背中に、氷塊を一撃ずつぶつけていた。


「こちらを見なさい、ゴブリン・ロード! 私は聖女アストリッド・アトリー! 無力な人をいたぶるより、私を相手にするほうが楽しいとは思いませんか!? さあ、かかってきなさい!」


 そう叫び、私の身の丈より大きな氷柱を三つ空中に作り出し、先端を敵に向ける。

 私の誘いに乗って、三匹のロードはこちらを振り返る。

 青年は無事だ。信じられないという顔で私を見ている。

 私だって信じられない。こうするつもりはなかった。

 しかし、やってしまったからには勝つしかない。


 結果。

 私は瞬時に両腕を折られた。内臓も損傷しているようで、咳とともに血が溢れ出す。

 当然だった。考えるまでもない。一匹相手にあれだけ苦戦したのに、なぜ三匹と同時に戦って勝てると思ってしまったのだろう。


「聖女様、聖女様! どうかお逃げください! 私のような商人のために、あなたが犠牲になってはいけません!」


 青年が叫ぶ。


「いいえ……私は虐げられる全ての人々を救いたくて聖女になりました……」


 嘘だ。

 たまたま見いだされただけだ。売春婦になるよりずっといいと思った。自分のためだった。人々なんて頭の片隅にもなかった。


「ここであなたを見捨てたら、聖女の存在意義が問われます……」


 嘘だ。

 聖女は一人一人を助けるためにいるのではない。メルディア神聖教という組織の道具だ。私が本当に聖女の役目を果たしたいなら、やはり姿を見せるべきではなかった。


 私は聖女という肩書きを持っている。だが、実際はただの小娘だ。

 私は役目を果たさず、目の前の一人を救おうとした。それさえできずに死のうとしている。

 私がゴブリン・キングの位置情報を送らなかったばかりに、これから町や村がいくつも滅ぶかもしれない。

 偽善者だ。

 よく、寄付をする金持ちを偽善者呼ばわるする人がいる。

 しかし本当の偽善者とは、私のことだ。


「逃げてください。お願いします。私の命に賭けてあと一分稼ぎます。せめてあなたが生き延びてくれたら、私の死にも意味が生まれますから……」


 私は恥知らずにも、呪いのような言葉を青年にぶつけた。

 本当に自分のことしか考えていない。

 青年は私の死に意味を与えるため、震える脚で立ち上がろうとした。

 が、ゴブリン・ロードが一瞬だけ振り返る。

 その睨みに気圧され、青年は短い悲鳴を上げて腰を抜かした。


 さっきからこれだ。

 ロードたちは私の両腕を指先で何度も何度も潰して関節を増やす遊びをしながらも、青年を逃がするもりがない。


 仮に青年が勇気を振り絞って走り出せたとしても、この森にはまだ二匹のロードと、ゴブリン・キングがいる。

 絶望しかない。

 痛みで意識がもうろうとしてきた。血反吐が地面に落ちる。

 ああ、女神メルディア様。

 私の命はいいので、せめてあの青年だけはお助けください――。

 ゴブリン・ロードの指が私の左腕を、人形のようにつまむ。肩の関節が外れた。更に捻っていく。筋肉からブチブチと音が鳴る。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 死にたくない。私だって助かりたい。誰でもいい。お願いします。なんでもしますから。


「誰か、助けてください!」


「任せて!」


 聖女としての体裁を捨て、恐怖を剥き出しに私が叫ぶと、空から声が降ってきた。

 私を掴んでいたロードの腕が切断された。それも刃物ではなく、小さな影による蹴りで。

 そして少女が降り立つ。

 黒いローブと黄金の髪を揺らし、私とゴブリン・ロードたちの間で仁王立ちする。

 その小さいはずの背中が、異様に大きく見えた。


「魔王メグミ参上!」

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