イヨと卑弥呼

 イヨはこの宣旨会、他の<御子みこ>たちと共に大神殿の前の地上の白砂のところで手を付いて頭を垂れていただけである。

 となりには、大男のムノベ。

 大神殿側の隣には盲目のトゥアが同じ姿勢で控えている。

 他の成長した巫女は宣旨会に参加できたが、<御子>たちにはまだそんな<御力みぢから>はない。

 見てくれだけは最低に整えられ、綺麗な赤い衣装を着てただただかしこまっているだけである。


 折々の四季の前に行われる宣旨会は、銅鏡の反射による<御力>の与配よはいが最大のイベントではない。

 ここから先が民衆の最も楽しみにしている一種のなのである。

 

 姫巫女が大量の銅鏡に囲まれて悠然とまた静々と大神殿から降りてきた。

 民衆が姫巫女を女王・卑弥呼を見入る。

 大神殿の二段目は白い布が幕として覆ってある。

 イヨたち<御子>はかしずいたまま。

 姫巫女は、銅鏡に囲まれたまま地上に降り立つや今度は大神殿の正前にゆっくりと回る。

 イヨや国主、国老、民衆が待つ白砂にである。 

 姫巫女が銅鏡からの反射で民衆の注目を集めている間に、人が横たわった程度の大きさの黄金や銀色がまぶされた大岩、神岩しんがんが置かれている。

 イヨやマキヒコでさえ神岩しんがんの正体は知らない。

 砂金や銀が混じった巨大な軽石にも見えるが、大の大人が二、三人かからねばおそらく動かすことは出来ない大きさである。

 神岩しんがんはその全てではないがあちらこちらがキラキラ光っている。

 年に四度、姫巫女がこの神岩を手を使わずに持ち上げて見せるのである。

 一人の女性が手や足を使ったとしてもこの大きさの岩は動くことはない。

 それを距離を置いたまま<御力>のみで触らずに動かし持ち上げるのである。

 姫巫女は神岩まで数歩の距離でその歩みを止めた。

 姫巫女の周りの銅鏡を持っていた巫女がさっと四方に散る。

 卑弥呼は白砂に構わず両膝をついた。

 上腕や衣の胸元があらわになるほど腕を曲げ高く構える。

 

 数刻の間があった。 

 

「きぃえええええええええええええええええええええええ」


 突然、卑弥呼の絶叫が始まった。

 絶叫は晩秋の天高い青空を切り開く。

 マキヒコは聞き飽きている姉の絶叫である。

 国主、国老、民衆、この聖場内の全員が見入る。

 神岩がほんの少し動いた。

 いや、そう見えただけかもしれない。


 <御子>のイヨやムノベ、トゥアは手を付き頭を垂れたままだったが、トゥアがものすごく小さい声で言った。


「イヨ、やめて」 

 

 イヨは咬頭したままトゥアの方を見た。

 目の不自由なトゥアには見えるはずがなかったが、トゥアにはしっかり見えた。

 イヨがしたり顔で微笑んでいるのが。


「ぎぃえええええええええええええええええええええええ」


 卑弥呼の絶叫が更にもう一段高く大きくなる。

 神岩はピクリとも動かない。

 イヨの口角が更に高くなる。もうイヨは頭を下げてすらなかった。

 神岩を正面に見すえて、狂ったような笑顔を浮かべながら笑いにらみ続けていた。

 

「そうだね」


 弱々しい声でムノベが言った。


「イヨォ」


 体が不自由なサムリも言った。<御子>たちだけにはわかっているようだった。

 イヨは小刻みに小さく震えながら呪文のようにブツブツ言っていた。

 イヨはもうひざまずいてすらなく、立っていた。


「これはガウの分、これはガウの分、これはガウの分、これはガウの分、これはガウの分」


「イヨ、ほんとにやめてっ。押さえつけるのだけは止めて」


 トゥアが小声だがしっかり芯のとおる声を上げるとイヨの右足を持っていた白杖で強く叩いた。

 イヨの<御力>の集中がそこで途切れた。

 すると、神岩がちょこっとだけ動いた。

 と同時に卑弥呼は弾かれるように後ろに尻もちをついた。

 ここからはいろいろなことが一度に起きてマキヒコにも何が起きたのかわからなかった。

 

「カタリだぁ」


 野次とも落胆からくるため息とも聞こえる言葉が狗奴国の国衆がいる辺りから飛んだ。

 最初は聖場内を走ったのは言葉にならない程度のざわめきだった。

 民衆、<国主>関係なく、ささやきとざわめきが広がっていく。


「動かなかったぞ」

「何が起きているんだ」

「なにもおきなかったぞ」


 遠くから見ている聴衆は一番訳がわかっていなかった。

 姫巫女が後ろに倒れただけである。


「カタリだぁ」


 もう一度、大きく野太い声が上がった。

 マキヒコは狗奴国の一団をめつけたが、誰が声を上げたかまでは確認できなかった。

 下賤のものの発音に近かったが身分の高いものが下賤のモノマネならいくらでもできる。

 そう考えているうちに声は四方八方から上がりだした。


「カタリだ」

「動いていないぞ」

「あをあざむいたのか」

「どうなっているだぁ」

神岩しんがんが怒っているぞ」


「ぎゃっ」


 次に卑弥呼が短く悲鳴を上げた。

 マキヒコが姉を見やると、卑弥呼は額を左手で抑えていた。 

 指の間からは小さな赤い血が流れていた。

 誰かがつぶてを投げたのだ。

 それがきっかけだった。今度はもう言葉でなく、ドロや小石、つぶてが卑弥呼に対し投げつけられ始めた。

 汚いない言葉も続く。


「動いていないぞ」

「神岩の代わりだぁ」

「なんだ、今回は宣旨会は」

「どういうことだ、これらのために食うのも我慢して貢物を収めているのは俺らだぞ」


 罵声、ドロ、つぶては次々と卑弥呼だけでなく、前列に居る邪馬台国の<国老>や<国主>、要人に投げつけられだした。


「直営隊、直営隊。盾を持て。盾だ。姫巫女様をお守りしろ」


 マキヒコはありったけの大声で命じた。

 その場を離れようとする他国の<国主>に国老、<被後見人>に巫女たち。

 身分の高い要人たち全員が聖場内から逃げようと出口に殺到し救援に来た増波の直営隊とぶつかった。

 ただ、宣旨会に参加しただけの民衆も逃げようとしていた。

 あたりは騒然となった。

 叫び声と怒号が飛ぶ。

 マキヒコは姉のもとに駆け寄り手で覆いを作った。

 石や泥は容赦なく、この姉弟を襲った。

 マキヒコの小指の付け根に痛みが走った。

 投げつけられた岩か礫が手に当たったと思った。

 が、違った。

 まるで岩のようなひょうや氷の塊が天からバラバラ・ボコボコ音を立てて降り注いでいた。

 マキヒコが空をミ見上げると今まで真っ青な空があったはずのところはすべてが真っ黒い雲に覆われていた。

 あたりは、ゴロゴロと雷鳴まで聞こえ始めた。

 偶々近くに居た直営隊の隊員がどうにか盾をマキヒコと卑弥呼の上にかざした。


「イヨじゃ、、、イヨなんじゃ」


 卑弥呼は小さな声で狂ったように口走った。

 マキヒコはさらに指示をだす。


「<巫女>と<御子>も守れ。<国主>衆は内城の迎賓館へ」


 その時、更に大きな影がマキヒコと卑弥呼に掛けられた。

 直営隊の暴徒鎮圧用ではなく、戦場いくさばで用いられる大盾だ。

 ランナという邪馬台国の軍事全般を担う<大戦頭>の息子が自身の体と大盾で卑弥呼とマキヒコを守っていた。


「司台国殿、姫巫女様、どうか我が身の影へ」


 ランナは言った。

 マキヒコは静かに頷き近くでオロオロしていたリフアもその大盾の中へ引き入れた。

 大盾にはひょうと氷の塊、巨大な雨粒がバラバラと襲いかかっていた。

 

 カッ。


 マキヒコの近くでなにかが光った。


 ドーン。


 ものすごい音がした。

 一人の男が光の中に捕らわれて硬直したようになると、倒木のように倒れた。

 落雷である。

 位置は丁度、狗奴国の国衆が居た場所。床几はバラバラに散乱していた。

 そこに容赦なく黒雲から大雨が降り注いでいた。


「あの<御力>を、思い知ったかぁ」


 マキヒコの姉が額から血を流しながら言った。

 落雷を受けた男は判然がつかないほど真っ黒になり倒れたままだった。

 黒雲と大雨の中、姉と弟はランナの盾に守られて逃げた。

 マキヒコにとっては幼い頃から何度も経験していることである。


 時折大粒の雹が降る大雨の中、たった一人立ち尽くしている<御子>が居た。

 イヨである。

 他の<御子>トゥアやムノベはみな直営隊やおのが足で逃げ、聖場内には居なかった。

 ボサボサの短い髪の毛は額に張り付き、赤い衣はずぶ濡れ。

 足元にはイヨの右足を打擲したトゥアの白杖が落ちていた。

 季節は晩秋である、寒いぐらいだった。

 しかし、これぐらい心地よい雨もなかった。

 イヨは笑みを浮かべていた。今までにないぐらいの悠然とした笑みを。

 小さな女の子の笑い声がイヨの頭の中を駆け巡った。

 仔犬を指導士に殺されたときより大きく、しっかりと聞こえた。

 まるで頭の端から端を通過するように幼い女の子笑い声は響いた。

 イヨもそれに合わせるように笑っていた。

 まだ雨粒は落ちていたが、すでに西の空はやや光が戻りつつあった。

 女心おんなごころと秋の空。

 イヨのむらでもそんな言葉はあった。


 気がつくと、目の前にもうひとりずぶ濡れの女が立っていた。

 巫女なのに着飾っていなかった。

 長い髪は海苔のように頭皮に張り付き薄い眉毛から涙のように雨粒がポタポタ落ちていた。

 衣服は肌着が透けて見えるほど完全に濡れそぼっていた。

 姫巫女と同じように貧弱な胸に大きく黒い乳首と痛々しいほど痩せてみえる肋骨あばらぼね

 そして、何を考えているか全くわからない松の葉より細い目。

 スルアである。

 スルアも、イヨよりは小さかったが微笑みを浮かべていた。

 この女が笑っていることは珍しかった。

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