第57話 胸を刺した喀血の美女の回

 結果だけ述べると、体育館で発表された劇『ロミオとジュリエット』は大成功だったと思う。劇の終わりには拍手喝采が起こり、ところどころから悲鳴のような声と「喀血の美女!」という声援が聞こえた。


「『喀血の美女』って……。ラストは短剣で胸を刺すシーンだったんだけどな……」

「まぁまぁまぁ! とにかく大成功だったんだからいいだろ。他のクラスの奴から、ジュリエット役は誰だって聞かれたぞ。人気だな、ヒカル」

「え、やだよ。もう女装とかしないからな」


 何故か劇が終わってからも暫くドレスを着ていてくれとクラスメイトの女子に頼まれ、散々写真撮影された後にやっと解放された。姉ちゃんは劇を見終えてから「アンタ、人気なのね」と言って笑いながら帰った。


「なぁ、まだコレ脱いだら駄目なのか? 歩きにくいし、いつまでも女装してるの恥ずかしいんだけど」

「いいからいいから! ちょっとここで待ってろよ」

「なんだよ。おい! どこ行くんだよ! ダイ!」

「とにかくそこでじっとしてろー!」


 文化祭が終わるまではまだあと一時間ほどあるが、ダイは俺を人の少ない別館に連れてきた。そのうち保護者の休憩用に解放された教室に放置して居なくなる。いつまでも真っ白なドレス姿は照れ臭く、さっさと着替えたいのに何だというんだ。


(荷物は教室だからスマホも無いし、困ったな)


 ウイッグの長い髪をクルクルと手で弄びながらダイが戻るのを待っていると、暫くして教室の引き戸がガラガラと開く。ぼんやりとした視線を床の木目から音のした方へと向けると、そこには呆気に取られたような顔をした賢太郎が一人で立って居た。


「え? ダイは?」


 何故第一声がそれだったのか分からない。突然の賢太郎の登場に照れ臭い気持ちがあって、思わずそんな言葉が飛び出した。


「……くそ。ダイの奴」

「へ?」

「ダイが、ヒカルの事で大事な話があるから来てくれってDMを寄越したんだよ」


 なるほど、ダイはまんまと俺と賢太郎をこの恥ずかしい女装姿で引き合わせる事に成功したらしい。アイツの悪戯好きも大概だ。


「……ジ、ジュリエット、頑張ったんだけどさ。何でか『喀血の美女』とか呼ばれて写真撮られまくったんだよな。ラストは胸を刺すシーンなのにさ」

「喀血の美女?」

「何か体育祭の時の鼻血をそう言ってるらしい。変な風に有名になんてなりたくないよな」


 賢太郎は記憶の彼方から体育祭の時のことを思い出したのか、「ああ、あの時の」と呟いた。そして俺の方へと近付くと、ウイッグの髪を物珍しそうに触る。


「これ、カツラ?」

「そう、ウイッグ。女装なんて、小さい頃だけで十分だよなぁ」


 そっと触れられた事で急に胸が高鳴った事を誤魔化すように「ははは」と乾いた声で笑うと、目の前の賢太郎は優しく穏やかな眼差しを向けてきた。


「でも、懐かしいよな。昔は毎日ドレスみたいな服着てたから。『ヒカルちゃん』って皆から呼ばれてさ」


 あんまり嬉しそうに目を細めて見てくるものだから、ついツンとした物言いで照れ隠しをする。


「賢太郎は、俺に女装して欲しいのか?」

「女装? まぁヒカルなら似合うだろうけど、俺はいつものヒカルでいいよ。でも、本当に懐かしいなと思って」

「……似合ってる?」


 少し意識して女みたいな上目遣いで賢太郎を見た。ドレスの下はヒールのないパンプスだから、いつもと同じくらいの身長差があって、賢太郎の方が十センチは背が高いから。


「うん、ヒカルは綺麗だ」

「……そっか」


 自分から聞いておいて、賢太郎が微笑みながらでも真剣に答えるからつい顔を真っ赤にして身を捩る。すると賢太郎が突然俺の頬を片手で掴んで、少し強引に柔らかな唇を重ねた。


(あ……、久しぶりの賢太郎の匂いだ)


 賢太郎の家の柔軟剤の爽やかな香りと共に唇はすぐに離れた。同時に目の前で熱っぽい表情をされたから、思わず自分からもう一度唇を合わせる。賢太郎はすごく驚いた顔をしてたから、何だか嬉しくなった。


「文化祭終わったら、また遠足部でどこか行こう」


 触れるだけのキスの後にそう伝えると、賢太郎は俺の耳元で仕返しするみたいに甘く囁いた。


「やばい、久しぶり過ぎてもっと色々したくなった」

「な……っ!」


 意表をついてもやり返されて、結局俺は賢太郎に敵いそうにない。


 教室に帰ってからはこちらを見てニヤつくダイに思いっきり肩パンチを喰らわせたけど、反対に色々聞かれそうだったからさっさと着替えて後片付けに励んだ。


「よしみんな! 打ち上げ行くぞー!」


 実行委員のダイは片付けを終えたら皆に声を掛けていく。これからクラスで打ち上げをするらしい。


「ほら、ヒカルも早く支度しろよ」


 急かされながらリュックを背負って、多くのクラスメイトと共に学校を出た。


 

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