第30話 頂上で思い出した記憶の回

「ヒカル、大丈夫か?」

「はあ……っ、だ、大丈夫……っ」


 九合目まで来たところで、ガタガタの岩場のような登山道を登る俺の足腰に疲れが見えてきた。あんまり賢太郎を意識し過ぎて、ずっと動悸が治らなかったせいもあるのかも知れないけど。


「おにぃちゃーん! がんばれぇー!」

「きゃはははっ!」


 下から登ってきた小学校に入ったばかりか、もう少し小さい女の子と男の子が登山道の端で座り込む俺を抜かして行った。後から来たのは子どもたちの祖父だろうか、六十代くらいの男性がしっかりとした足取りでペコリと会釈をして通り過ぎていく。


「あんなに小さい子に負けるとか、俺ってめっちゃ恥ずかしいよなぁ」

「きっとこの山を登り慣れてるんだろ。お前は無理するなよ。もう少し休むか? この上が頂上だから」

「いや、大丈夫。頑張れる」


 座り込んだ俺に手を伸ばす賢太郎の手を素直に取って立ち上がった。可愛い子どもたちの登る姿を見たら、やる気が湧いてきた気がする。

 ここからは巨石や倒木が登山道の横にゴロゴロ転がっている。木々の合間からは煌めく木漏れ日が射し込んでいて、あの美しい異世界の森を思い起こさせた。


「なぁ賢太郎、この辺りの風景ってあの森に似てるよな。湖のそばの丸太小屋から少し行ったところにある、あの青々とした森にさ」


 苔が生えた倒木からは、小さな木の芽が顔を出している。そこに木漏れ日が射し込む様子は幻想的で思わず見惚れてしまう。古く朽ちた物から新しい生命が生まれているのだと思えば、涙が出そうなほどに感情が昂った。


「……そうだな。この辺りは自然が手付かずに残ってるから。……確かにカイル達の住んでいる森に似ているかも知れない」


 賢太郎はどこか慎重に言葉を選んで答えているように感じた。この景色を見て、俺の知らない思い出を思い出しているのかな。

 この登山を無事に終えたら、賢太郎と一緒に失った記憶を取り戻す。そうやってもう一度自分を奮い立たせた俺は、頂上に向かって足元の悪い登山道を一歩一歩進んでいく。


「賢太郎、頂上だー! 着いたー!」

「よく頑張ったな! おつかれ」


 急に開けた場所に出て、近くの手作りらしい看板には『頂上!お疲れ様でした!』と書かれてある。先程すれ違った子どもたちと年配の男性が、少し先の展望台にあるベンチの辺りでオヤツを食べている。


「あ! さっきのおにいちゃんだー!」

「遅いよー!」

「きゃははは!」


 遠慮なく声を掛ける子どもたちに男性は焦ってどうにか静かにさせようとしていたが、俺が笑顔で手を振ればまたペコリと会釈した。

 俺と賢太郎は彼らから少し離れたところにあるベンチに腰掛けて水分補給する。


「写真撮ろうよ! 登頂記念! はい、また賢太郎が撮って」

「ここならリュック下ろして撮った方が上手く撮れそうだけどな」

「あ、そっか。もう下ろしてもいいもんな」


 ベンチにそれぞれのリュックを下ろしてパパッと髪型を整えたら、俺と賢太郎は山頂からの景色をバックにして並んで写真を撮った。リュックが無い分賢太郎が近くに寄っているのでやっぱり緊張したけど、登頂を成功した喜びが表情に表れている。初めの強張った物よりは良い写真が撮れた。


 まだ午前中の山頂の広場には、俺達と先程の子どもたち、それと男女の老夫婦がいるだけで寂しいものだった。だけどお陰でのんびりと景色を眺めたりする事が出来そうだ。


「あの子どもたち、何歳くらいなんだろうな?」

「さぁ? 四、五歳くらいかな」

「兄妹かなぁ。仲良しだなぁ」


 落ち葉を拾って山を作ったり、綺麗な景色を指差して笑い合ったりする子どもたちを見ていると、いつもの頭痛と共にまたどこか見覚えのあるような記憶が流れ込んでくる。


 今日は抗わない。この頭痛だって、きっと俺が記憶を受け入れる事を決心したら堪えられるはずだ。何故かそういう確信があった。

 そのままスッと目を閉じる。隣に座った賢太郎の肩に寄り掛かってれば安心だろうと。


――カイル、カイルはここにいてシャルロッテに「おかえり」って言うんだよ。そうしたら「ただいま」って言うから。


 男の子と女の子か? まだ小学生にも満たない幼児くらいの子どもが二人、森のような場所で一生懸命に話している。男の子はTシャツに短パン、女の子はフリフリのワンピースを着ていた。


――分かった。それからどうしたらいいの?


 男の子はまだ小さいのに、やんちゃそうでキリッとした瞳が印象的で。目の前のクリッとした瞳が印象的な女の子に、真剣な表情で尋ねている。


――えっとね、シャルロッテが籠の中のキノコを見せるから。そしたらシャルロッテをギュッてするの。


 女の子は手に持った赤い小さな手提げカバンに、沢山の木の葉や木の実を詰め込んでいる。籠もキノコも手に入らなかったのかな? どうやらそれを代わりにするみたいだ。


――ギュッてするの⁉︎ 俺が? ひ……シャルロッテを?


 ギョッとした顔で、でも顔を真っ赤にして照れた様子の男の子は一歩後ろに後ずさる。そんな逃げ腰の男の子に女の子はズイッと近付いて、凛々しい顔つきで言い放つ。


――カイルはシャルロッテの事を好きなの! だからギュッてするの! 私と賢太郎も好き同士でしょ? だからギュッてするの!


(け、賢太郎⁉︎ ってどういうことだ?)


 自分の動揺なんて関係ないかのように、どんどんと目の前の映像は流れてく。その頃には頭痛は僅かな痛みだけになっていた。


――そりゃあヒカルのこと、好きだけど。


 男の子は急な事に戸惑いを隠せずに、それでもちゃんと目の前の友達に「好きだ」と伝える強い意志はそのキリッとした瞳にも表れている。


――そうだよね。だって賢太郎と私はケッコンしてずっと一緒にいるって約束したもんね。じゃあちゃんとやって! さぁいくよ!


 さあさあ、と賢太郎と呼ばれた男の子の手を引っ張るフリフリのワンピースを着た女の子は……幼い頃の俺だ。

 俺は賢太郎の事が大好きで、賢太郎も俺の事を好きだと言ってくれてたから将来は当たり前みたいに結婚できると思ってた。好き同士は夫婦になって、死ぬまで一緒にいるってカイルとシャルロッテが話してたから。

 

 ああ、そうだ。全部思い出したよ、賢太郎。

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