第70話 中学受験で得た物

貴也の家に着いてすぐに“見舞い”の意味が理解できた。


「なんだ、その手は」


思わず大きな声を出してしまった。

貴也の手が包帯とギブスで固定されていた。しっかりと固定された様子から骨折したのだと見ただけで分かった。


「うん? あー、眠気覚まし」


左手を見せながら平然と答えた。


「ごめんなさいね。引くよね」と貴也の母がリビングに案内しながら言った。


何も答えられずに、憲貞と共に案内されたソファーに座った。対面にあるソファーに貴也が座った。


「この子ね、眠気覚ましと言って金槌で骨を折ったのよ。しかも試験の朝」


ため息をつきながら貴也の母は、憲貞と貴也の前に紅茶とケーキを置いた。紅茶からは上品な香りがしケーキも美味しそうであった。そして、貴也の母は相変わらず美しく見惚れるほどであったが、それがどうでもよくなるほど驚いた。


「仕方ないよ。俺の身体のくせに言うこときかないだから」


ニコリと笑顔で答える貴也が怖かった。

受けた中学すべてから合格をもらっている貴也が羨ましいという気持ちが吹き飛んだ。


「あはは」


乾いた笑いしかでなかった。思い返せば彼をそういうに人間であった。塾であった時も手に怪我を負っていたし、食事や睡眠時間のことで心配した。


しかし、自分の骨を折るとまで思っていなかった。


クレイジーだ。

自分と違う世界で生きている。


その時、真横で泣き声がしたので首を動かすと憲貞がボロボロと涙が流して泣いていた。


「すまない。私のためにそこまでしてくれて。なのに、私はダメだった……」


ここで“憲貞を家に帰さない計画”を思い出した。自分で計画したことだが、受験で頭いっぱいになり忘れていた。


「大丈夫だよ」


貴也は優しい声で憲貞に伝えると、立ち上がり憲貞の横に座るとタオルを渡した。ヒクヒクとしながらタオル受け取るとそれで顔を抑えた。


「良い結果が出た。指なんて大したことない」

「そんなことない」


憲貞が叫ぶと貴也の包帯に触れた。それをまるで愛しい人でも見るような顔を貴也はしていた。

なんとも言えない空気を破ったのは貴也の母だ。


「で、今後ことだ」

「はい」


憲貞と貴也は同時に返事をして貴也の母の方を見た。遅れて和也が視線だけ送った。


「憲貞君はお母さまから連絡あった?」

「……」


貴也の母の質問に、憲貞は何も答えずに困った顔をした。

全員が憲貞の答えを何も言わずに待つ。静まりかえり、壁に掛かっている時計の音がはっきりと聞こえた。


「えっと……」


憲貞は鞄からスマートフォンを取り出すと、ソファーの間にあるローテーブルの上に置いた。

スマートフォンの画面にはメールが映っていた。


「父からです」小さな声で憲貞が言った。


憲貞以外の人間がスマートフォンの画面を見て眉を寄せた。


『お前の不合格で母が錯乱している。落ち着くまで帰宅をすることは許されない。江本さんと話をつけた』


文章を読んで和也はひどく打ちのめされた気分であった。

自分の両親やここいる人間は、憲貞が御三家のどこにも受からなかったら家に連れ戻されると思っていた。だから、貴也は実績を出して自分が教えると説得するつもりだったのだ。


まさか、捨てるとは予想外だ。


貴也の顔を見て背筋が凍った。今にも人を殺しそうな顔している。貴也の母も険しい顔をしている。

憲貞は落ち着かないようで目をキョロキョロと動かしていた。


「話しね」と貴也の母が呆れたような口調で言った「難関校全てを受かった貴也に憲貞君をお願いしたいと憲貞君のお父様が言ってきたよ」

「そうですか」と憲貞は寂しそうに答えた。


貴也の母が言ったことは納得できる内容であったが違和感があった。憲貞に送られたメールからは息子を心配する様子がまったくない。


だから“捨てた”と思った。


しかし、貴也の母の話だと息子の成績を心配しているようであった。本当に心配しているなら“成績がいいだけの子ども”に息子は任せるとは思えない。


様々な憶測が思い浮かんだがどれも確証がないため、部外者の自分が口を出すのは憚(はば)れたので心に止めておいた。


「で、どうする?」

「よろしくお願いします」と憲貞は頭を下げた。


「あの、そんなプライベートなこと僕が聞いていいですか?」


和也はずっと疑問であったことを口にした。ここに来たのは“貴也の見舞い”だ。

部外者がいるのに天王寺家のプライベートに関わる話をしている。


「当たり前だ。ことの発端は君じゃないのか?」

「へ?」

「貴也が自発的に私に頭を下げて、願い事をするなんてありえないね」


ニヤリと笑って貴也の母が貴也を見ると彼はバツの悪そうな顔をした。


「全てを自分でやろうとするというか、出来ると過信しているしプライド高いし」


ボロクソに言われて貴也は小さくなっていた。


「君には感謝しているよ。今回のことでこの愚息も勉強以外のことをたくさん学んだだろうしね」


豪快に笑う彼女に和也は小さく頷いた。貴也は何かを考えているようで眉間にしわをよせていた。


「さて」と言ってゆっくりと貴也の母は憲貞の方を向いた。彼は目が会うと息を飲んだ。


「憲貞君は先ほど“宜しくお願いします”と言ったが本当にいいのかい? 私と息子の意見は、君にここにいてほしいと思っている。桜華への進学や金銭面については憲貞君の親御さんから援助があるから心配しなくていい。ただ、ここでは心休まないと言うなら他に方法はある。天王寺さんはマンションを一室用意すると言っていたからそこで暮らしてもらっても構わないよ」

「ここで宜しくお願い致します」


憲貞が即座に頭を下げると、貴也の母は静かに頷いたが貴也は嬉しそうな顔をした。


その時突然、貴也は立ち上がると和也の前に立ち頭を下げた。


「え?」あまりに唐突な出来事に和也は目を大きくした。


「ありがとう。俺は本当にいい友人を持った。叶がいなければ今のここで笑っていられたかったかもしれない」

「いや、思ったこと口にしただけだし……」


改めて礼を言われ戸惑った。


「叶のお父さんにのりちゃんの勉強見てくれるように頼んでくれたじゃないか。あの行動力には驚いたよ」

「あの時はのりちゃんが倒れたと聞いて父に相談しただけだ。実際に考えて動いてくれたのは父と江本のお母さんだ」


あの案は全て父と貴也に母が考えたものだった。和也は、「助けてほしい」と頭を下げただけで、計画をして多方面に声を掛けたのは父だ。それを貴也にあたかも自分が考えたように言ったのだ。


今、考えると恥ずかしい。


「俺は、俺やのりちゃんを思って全力で力を貸してくれた叶に感謝しているんだよ」


頭を上げた貴也が優しく笑った。その瞬間、自分がやってきたことが全て報われた気がした。

結果、中学受験は第一志望に受からなかったが得た物は大きいような気がした。

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