第7話 朝のひととき

 チハルの朝は早い……とは言い難い。早い日もあれば遅い日もある。

 というのは彼女の睡眠時間に原因があった。

 

「んー。おはよー」


 お世辞にも良いものとはいえない子供用のベッドで目覚めたチハルは「んー」と伸びをする。

 欠伸をすることも、目尻に涙をためることもなくすとんとベッドから降りるチハル。

 きっちり八時間。一分一秒のズレもなく睡眠をとったチハルは今日も元気一杯だ。

 先に起きていたカラスが小さな丸いテーブルの上で黄色い楕円形の果物を突いている。

 

『甘いが、種が大きいなこの果物』

「マンゴーだよ」

『ちゃんとマナは入ってる。問題ない』

「おいしい?」

『まあ。悪くはない』


 喋りながらもカラスはマンゴーと呼ばれた果物を突く動きを止めない。

 テーブルの上に甘い汁が飛び散っているが、チハルは特に彼を咎めることもなくにこにこと見守っている。


『チハルは喰わないのか?』

「食べるよ」


 チハルは昨日ギルドマスターに包んでもらったサンドイッチを出してきて、ちょこんと椅子に腰かけた。

 サンドイッチはボアのハムにレタス、チーズが挟んでいる特別性だ。マスターは牛乳まで持たせてくれていた。

 保温の魔道具がないチハルの家では日持ちさせることができないこともちゃんと考慮されている。まさに、マスターの気遣いが詰まった一品であった。

 残った料理はもちろんこれだけではないが、大半は外にいるソルの胃袋に収まっている。残った料理はチハルがほうばるサンドイッチでおしまい。

 

 食事を済ませ、窓を開けたら、窓枠にふさふさの体と同じくらいの尻尾が特徴的なリスが鼻をすんすんさせていた。

 

「リスさん。ほっぺたが膨らんでないね」


 「待っててね」と言い残したチハルは、キッチン近くに吊るしてあった袋に手を伸ばす。

 んーと背伸びしても届かなかったので、椅子を持ってきて袋に手を突っ込んだ。

 彼女はクルミを握りしめて、リスの前に置く。

 両前脚でクルミを挟んこんだリスはお礼なのかふさふさの尻尾をふりふりしてから去って行った。


「ソル―」

「グルルル」


 獲物の鹿を咥え戻ってきたソルに手を振るチハル。

 リンゴを買いに行かなくちゃ。

 うんうんと首を縦に振り、チハルの一日がはじまった。

 

 ◇◇◇

  

「魔法のリンゴあります! いかがですか!」 


 探索者ギルドのチハルのために用意された椅子に腰かけ、チハルは元気よく探索者たちに声をかける。

 今日からソルも一緒にいても良かったのだが、クラーロが探索者たちがビックリするといけないというので彼はこの場にいない。

 彼は今頃マスターの部屋で欠伸をしているはずだ。マスターにとってはいい迷惑かもしれないが、意外にも彼は防犯にもなると喜んでいた。

 彼女も見知った顔が増えてきている。

 チハルは一度見た人の顔を忘れない。人との出会いは大切なひと時なのだから、と教えてもらった。

 だから、彼女はリンゴを買ってくれた人だけでなく、できる限り探索者の顔を見るようにしている。もっとも、顔は分かっても名前を知らない人が大半であったが……。

 

「チハルさん、今日も尊いっす!」

「おはよう。チハルちゃん。リンゴを一つ頂けるかしら」

「はい! 100Gになります!」


 本日最初のお客さんはトンガリ帽子の美女ことアマンダと快活なシーフのルチアだった。

 チハルの手にお金を乗せたアマンダがバスケットからリンゴを一つ取る。

 

「護符もどうぞ」

「護符は持っているから大丈夫よ」

「もう使えなくなっているから、どうぞ!」

「そう。じゃあ、古いのは処分しておくわね」

「うん!」


 うんしょとルチアに護符を向けたチハルだったが、肝心のルチアが両手を胸の前で合わせたまま受け取ろうとしない。


「こら、ルチア」

「くうう。天使、天使の微笑みっす」

「ごめんなさいね。この子、たまにこういうところがあって」

「ううん。はい! アマンダさん」

「え、えええ。ま、待ってくださいっす!」


 チハルから護符を受け取ったアマンダに抗議の声をあげるルチアであった。

 しかし、既に護符は彼女の手にあり、踵を返した彼女を追いかけることしかできないルチアである。

 

 彼女らが去ると待ってましたとばかりに次のお客さんがチハルに声をかけてきた。

 チハルはこの人たちを知っている。彼らのリーダーらしい群青色の革鎧を纏った青年がチハルの目線と合わせるように膝を折り、彼女に問いかけてきた。

 

「リンゴは二つ以上買うことはできないのかな?」

「パーティで三個までになります!」

「じゃあ、三個もらえるかな」

「はい。300Gになります!」


 革鎧の青年ではなく法衣の青年がリンゴを三つ手に取り、チハルの手にお金を乗せる。


「もっと手前から攻めてみようかと相談したんですよ。迷宮に慣れるまでは2Fまでしか行かない。万が一落とし穴に落ちても3Fです」

「ん?」

「すいません。つい、あなたを見ていると口に出ていました。もっと慎重に、確実に、進もうとパーティで話し合ったんですよ」

「うん!」

 

 チハルがこくこくと笑顔で頷くと法衣の青年も頬を緩め優し気に微笑んだ。

 そこへ、まるで昨日のデジャヴとばかりにカラスが飛び込んできた。

 

「クラーロ」

『そろそろ時間じゃねえのか? ツンツン頭が』

「ん、アクセルくん」

『おう、ちらっと見て来たぜ』


 カラスが言うにはどうやらツンツン頭の少年がチハルを待っているらしい。

 でもまだ売り始めたばかりでリンゴが半分以上バスケットに残っている。

 どうしようと悩むチハルにギルドマスターが声をかけてきた。

 

「いいぜ。受付嬢に渡しておくから、行ってきな」

「ありがとう。スタンさん!」


 ギルドマスターの好意で受付嬢が販売を代行してくれることになったチハルはすぐにカラスを連れてギルドを後にする。

 後ろで「やっぱり、あのカラス……」と呟く群青色の革鎧を纏った青年の声がチハルの耳に届くことはなかった。

 

 ◇◇◇

 

『そういやチハル』

「ん?」

『アクセルと何か約束していたんだっけか?』

「うーん」

『何だ、あいつが展望台のところにいたからてっきり、会う約束でもしたんだとばかり。すまん』

「いいよ。魔道具屋さんに行かなきゃだったし。アクセルくん、クレアさんの息子なんだって」

『丁度いいってことか。くああ』

「あはは。そうだね」


 歩きながらカラスのクラーロと会話をするチハル。

 クラーロの勧めでソルは探索者ギルドで待たせたままである。

 しかし、展望台に到着する前に丘から降りて来たアクセルの姿が見え、チハルが両手をぶんぶんと振って彼を呼ぶ。

 

「チハルじゃないか。また探し物?」

「ううん。魔道具屋さんに行こうと思ってたの」

「そうか。ちょうど母ちゃんもいるし、行こう。俺も帰るところだし」

「うん!」


 アクセル共にチハルは魔道具屋へ向かう。

 太陽が昇り切るまでには今少しの時間がありそうだった。

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