第2話 ブローチを探すの

 チハルの小さな体では大人の足の二倍ほどの時間がかかる。探索者ギルドから高台の上にある展望台までは大人の足でも30分ほどの距離にあった。

 彼女が展望台に到着した時には太陽が真上に差し掛かろうとしている頃となる。

 展望台の周囲は落ちないように木製の柵があり、街を一望できるこの場所は警備兵の巡回場所の一つとなっていた。

 お昼時だからか、高台にはチハル以外の姿はない。


「ブローチ。どこかな?」


 チハルは「ブローチを探す」ことは紙面で読んだが、どんなブローチでどの辺りで落としたのかを聞いていなかった。

 これでは何を探せばいいのか分からない。しかし、彼女は困った風でもなく、展望台を見上げ「おお」とノンビリとした声を出す。

 そこで、柵の向こう側からひょっこりトンガリ頭が見え隠れした。

 誰だろう?

 とてとてと柵のところまで歩いたチハルがしゃがみ込もうとしたところで、トンガリ頭が「うわあ」と驚きの声をあげ柵に手をかけて登って来る。

 トンガリ頭はチハルと同じくらいの歳に見える少年で、じっと見つめてくるチハルから顔を逸らし鼻を指先でさすった。

 

「何だよ。お前」

「ブローチ、探しているの」

「え? お前もブローチを探しているのか?」

「うん! これ!」


 少年に依頼の紙を見せると、彼は「これ」と目を見開く。

 

「母ちゃんの字だ。母ちゃんがお前に依頼したのかよ」

「お前じゃないよ。チハルだよ」

「すまん。母ちゃんもまずは自己紹介からって言ってた。俺はアクセル。よろしくな」

「うん!」


 「自己紹介の後は握手をするんだ」と過去に教えてくれたことをちゃんと覚えているチハルは、アクセルの手を両手で握り、ぶんぶんと手を振る。

 「な、なんだよ」と頬を赤くした彼はパッと彼女から手を離した。

 チハルはと言えば、「ん」と顎を少しあげ何やら思いついた様子。

 

「そうだ。アクセルくん。ブローチってどんなのなの?」

「そこからかよ。よく探そうとしたな」

「えへへ」

「実は母ちゃんのブローチはもう見つけたんだ」


 「だけどよ」と言いながら、アクセルが手すりに手をかけ下を覗き込む。

 チハルも彼の真似をして踵をあげて体を前のめりにする。彼女の動きが危なっかしかったからか、アクセルが慌てて彼女を支えた。


「落ちたらただじゃすまないぞ。ほら、あそこ。取ろうと思ったんだけど、あの崖じゃあなあ」

「大丈夫だよ。わたしに、ううん」

 

 チハルが顔をあげた目線の先には空を飛ぶカラスの姿が。

 切り立った崖であってもカラスにとっては容易い事である。

 

「クラーロ。あれだよ!」

「くあああ!」


 分かったとばかりに力強く鳴いたカラスのクラーロが一直線にキラリと光るブローチを足で掴む。

 クルリと弧を描いた彼はチハルの足もとに降り立った。

 

「やったー。クラーロ、ありがとう」

『俺なら簡単なお仕事だ』


 チハルは得意気に嘴をあげるクラーロの頭を撫でる。

 続いてその場でしゃがみ込んだ彼女はブローチを拾い上げ、それにはめ込まれた鮮やかな青色の輝きに「わあ」と簡単の声を漏らした。

 光に当たるとキラキラと輝くその石は彼女も良く知っている石だ。

 

「はい」

「助かったよ。この石、綺麗だよな。ラブラトライトって石に似ているんだけど、別物なんだってよ」

「うん。それは魔晶石だよ」

「へえ。チハルも知ってたんだな。すげえ高い石らしくてよ。母ちゃんが血相変えてた」

「見つかってよかったね!」

「だな!」


 えへへと笑うチハルとへへんと笑うアクセルの声が重なった。

 ひとしきり笑った後、アクセルが彼女を誘う。

 

「家まで来るか? 母ちゃんから依頼を受けたんだよな?」

「ううん。明日にお店まで行くね」

「お。店の場所を知っているんだな。分かった。母ちゃんに言っとくよ」

「うん!」


 アクセルの母が経営する魔道具屋はチハルの住処からもそう遠くはない。

 探索者ギルドでリンゴを売った後に少し遠回りすれば、寄って帰宅することだってできる場所だ。

 「でも、今日はソルたちが待っているから」とチハルの脳裏に涎を垂らした豹の姿が映る。

 

 ◇◇◇

 

 チハルの住む内陸都市「ザパン」は別名「迷宮都市」とも呼ばれていた。

 元は炭鉱街だったのだが、巨大な古代遺跡が地下に埋まっていることが分かり、今では多くの探索者が集まる街として有名になっている。

 この古代遺跡は他とは隔絶した規模を持っていた。そのため、この古代遺跡はザ・ワンや大迷宮と呼ばれることもある。

 チハルの家は、ザパンの城壁の中にはない。

 城壁の外は廃鉱がある北側と別の街へ続く街道がある南側と西側。東側はすぐに深い山脈となるため、切り開かれていなかった。

 彼女の住処はというと、廃鉱の東側の裏手にある小さな小屋である。長い間、空き家になっていた家で、チハルと彼女の「おともだち」の手で住めるように整備済みだ。

 

 膝下くらいまでの草が一面に生い茂り、小屋に続く細い道の部分だけが整備されている。

 チハルはその道ををてくてくと歩いて行く。

 地面を踏みしめる小さな音に気が付いたのか、小屋の裏手から黒い影が飛び出してきて一直線にチハルへ向かって駆けてくる。

 黒い影は豹に似た姿をしていた。しかし、その大きさは虎より二回りほど大きい。

 

「ソル―」

「グルル……」


 チハルに飛び込んできた黒豹ことソルが喉を鳴らす。チハルは両手を広げて彼の首筋に抱き着き、ポンポンとふかふかの黒い毛に右の手の平を埋めた。

 「くああ」とカラスのクラーロも空から舞い降り、ソルの頭の上に乗っかる。

 クラーロが頭に乗ってもソルは嫌な顔もせず、逆に目を細め彼に「おかえり」と行っているようだった。

 チハルがソルのふかふかの毛皮から体を離すと、ソルが首を下げ両前脚を少し屈める。

 しかし、彼女は「ん」と小首をかしげ、歩き出そうとした。

 するとソルがチハルを救い上げるようにして持ち上げ自分の背に乗せる。

 

「おうちが目の前だよ」

「グルルル」


 チハルを背に乗せたソルは首をあげ、彼女の様子を窺っているようだった。


「うん。お散歩しよう!」


 バスケットをその場に転がしたチハルがソルの首に覆いかぶさる。

 ソルは嬉しそうに吠え、一面に広がる草原を駆け出した。

 グングンあがるスピードにチハルの長いプラチナブロンドの髪がなびく。

 ちゃっかりクラーロもソルの首元に掴まって風を楽しんでいるようだった。


「はやいね、ソル!」


 金色の目を細め、チハルがんんんと可愛らしく息を吐く。

 しばらく草原を駆けたソルはバスケットを口で咥え、小屋の前でチハルを降ろす。

 グルオオオと吠えた彼は、獲物を狩りにあっというまに見えないところまで駆けて行った。

 

「ただいまー」


 カラスを肩に乗せ小屋に入ったチハル。しかし、小屋の中には誰もいない。

 小屋の中は仕切りがなく、小さなベッドとタンスにテーブル、あとは食糧の保管用であろう箱とキッチンだけとシンプルなものだった。

 テーブルの上に置いたバスケットには布が被せてあり、ちょこんと椅子に座ったチハルがそれを摘まんで脇に置く。

 バスケットの中には丸いパンが入っていて、これがチハルの昼食となる様子。

 彼女はパンといくつかのフルーツにたっぷりのバターとジャムを乗せて、満足気に微笑む。


 昼食を楽しんだ彼女は、ゴクゴクと牛乳を飲んでから小屋の外に出た。

 んーと伸びをしたチハルはてくてくと歩き始める。向かう先は探索者ギルドだ。

 

「お仕事あるかなー」


 のんびりと一人呟いた彼女は夕焼け空が広がる草原を進んで行く。もう間もなく街の入口に差し掛かろうとしていた。


「こんばんわ!」

 

 探索者ギルドに入った彼女は中にいる人全員に向けて挨拶をする。

 そんな彼女に真っ先に向かったのはハゲ頭のいかついギルドマスターだった。

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