第三十一話 最強の陰陽師、鬼人の王都へ向かう
続いて向かったのは、
通されたのは議場ではなく、王太后メレデヴァの待つ巨大な一室だ。
「ドムヴォから、すでに便りは届いていたわ」
ヴィル王の母メレデヴァは、寝台に巨大な体を横たえたままで言う。
「でも、できればあなたから聞きたかったわ、陛下。魔王様と共に、その場にいたのでしょう?」
「ええ」
ヴィル王が、自らの母を正面に見据えて言う。
「ドムヴォからそこまで報告を受けているのなら、僕が何を求めているのかもすでにご存知のはず」
「麓の集落の者たちを避難させろと言うのでしょう? それは認められません」
寝台の上で、メレデヴァが首を横に振る。
「噴火の危機を伝えるくらいはいいでしょう。ですが避難場所の確保や、食糧に住まいの融通はできません。それは
「いったい何が……
「強き者が生き残り、望む物を手にする……ということですよ、陛下。言うまでもなく」
「……そうですか」
ヴィル王が、一歩前に進み出る。
「ならば、僕が今ここで力を振るい、望むものを手に入れようとしても――――母上はそれを受け入れるのですね」
「はぁ……ヴィル。まったく、仕方のない子」
メレデヴァが嘆息すると同時に、背後に控えていた一人の兵が、その前に歩み出た。
屈強な
メレデヴァが、失望したように言った。
「この私が、その程度も覚悟していないと思って?」
兵が踏み込み、同時に槍の石突を振り上げた。
王でもある息子へ、メレデヴァは力を振るうことをためらう様子もなかった。
介入するべきかと、ぼくはヒトガタを掴み一瞬迷う。
思いとどまったのは――――ヴィル王が目前の兵を、まったく恐れていない様子だったためだ。
彼の大きな手が、掴んでいた一冊の本を開く。
「――――昏き湖底より来たれ、【アビスクラーケン】」
ヴィル王の呟きと共に、本を中心に猛烈な力の流れが湧き起こる。
そしてページからにじみ出た光の粒子が――――吸盤の並ぶ太い触手となって実体化した。
「む……っ! ぐぅっ……!!」
触手は瞬く間に衛兵を捕らえると、宙へ持ち上げて締め上げる。
その間にも、実体化は続いていた。
黒く
それは蛸や烏賊にも似た、水棲の強大なモンスターであるようだった。
水と闇属性の上位モンスター、アビスクラーケン。
あの本は、そいつと契約を結んだ魔導書なのだろう。
ただ、意外ではあった。
「勝負はついたでしょう」
ヴィル王が呟いて、本をぱたりと閉じる。
その瞬間、衛兵を口に運ぼうとしていた大蛸が消失。光の粒子となってページの間に吸い込まれていく。
どさりと床に落ちた衛兵は、防具が歪んだためかうまく立てないでいるようだった。
手の本に目を落とし、ヴィル王が言う。
「空の上はこの魔導書を解析する時間が取れてよかった。それにしても、この程度の魔力量でアビスクラーケンを喚び出せるなんて……契約の内容が本当に洗練されている。やはり人間の知恵と工夫はすばらしい」
「ああ、本当にこの子は」
そんなヴィル王を見て、メレデヴァ王太后が嘆くように言う。
「なんて戦い方をするの。せっかく、大きな体に産んであげたのに」
「母上からは、何よりこの頭脳をいただきました。それは今見せたとおりです」
「……」
沈黙するメレデヴァ王太后に、ヴィル王は言う。
「これで満足ですか、母上」
「……」
「このような決着で、本当に満足なのかと訊いているんです。道理もなく、意見の優劣を鑑みることもなく、単なる暴力の比べあいで物事が決まったことに……母上は納得できるのですか」
「……やっぱり、あなたは何も分かっていないわ。ヴィル」
メレデヴァは困った子を見るように微笑んで言う。
「納得するもしないも、関係ないわ。だって世界は最初からそういうものだもの。
「……」
「多くが発展と共に社会の奥底へ埋没させてしまったその構造を、
「……それでも、僕たちは変わらなければならない」
「あなたにそれができる? ヴィル」
メレデヴァ王太后は穏やかに、しかし苛烈に問いかける。
「今、暴力に頼ってしまったあなたが。母に人間の魔導書を向けたあなたが、いつまでその理想を語っていられる?」
「母上は勘違いしているようですが……僕は別に平和主義者じゃありませんよ」
目を瞬かせるメレデヴァに、ヴィル王は言い放つ。
「争いは結構。僕だって他人に勝ろうと努力してきました。それが
そして、ヴィル王は告げる。
「そのために、もう手段は選びません。力比べを望むなら受けて立ちましょう。それが僕の覚悟です」
メレデヴァは目を閉じ、しばしの間沈黙していた。
だが、やがて口を開く。
「いいでしょう。好きにしなさい」
ぽかんとして目を丸くするヴィル王に、メレデヴァは告げる。
その口元には、穏やかな微笑が浮かんでいた。
「あなたは母に勝ち、その権利を手に入れたのですから」
****
翌日。
ぼくたちは蛟に乗り、
「少し……意外だったよ」
ぼくはヴィル王へと言う。
「君があんな風に母に立ち向かうだなんて」
てっきり、論戦でも仕掛けるものかと思っていた。
ヴィル王は、暴力の野蛮さを唾棄していたように思えたから。
「ああでもしなければ、母も聞き入れないと思っただけです」
ヴィル王がそっけなく答える。
「以前プルシェ王に言われ、僕も少し反省しました。闘争が
「そうか……」
「まあ、あとは」
付け加えるように、ぽつりとヴィル王が言う。
「鍛錬だ一番槍だとしょっちゅうのたまっていた図体のでかいバカに……いくらか影響されたのかもしれませんね」
「しかし、よかったのうヴィルダムドよ」
愉快そうに、プルシェ王が言う。
「要求が通ったばかりか、あの恐ろしげな母御もどこか嬉しそうにしておった」
「え……そうかな。予想以上にあっけなくて、僕には何を考えてるのかよくわからなかったけど……」
「人心に敏い余にはわかる。あれは頭でっかちな息子をずっと心配していたようじゃ。これからはきっと助けてくれることじゃろう」
「頭でっかちは余計だよ。でも……そうだといいけどね」
「それより、問題は次だよな」
やや不安そうな声で、シギル王が言う。
「おーいガウス、いけそうか?」
「……ん!? なんか言ったか?」
ガウス王が、聞いていなかったようにガバッと顔を上げる。
その手元には、ヴィル王から借りてきた本が開かれていた。
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