第二十話 最強の陰陽師、教える

 翌日。


「何日か居てほしい、と言われてもなぁ……」


 朝日の差し込む魔王城内を歩きながら、ぼくは一人呟いていた。

 昨夜リゾレラに頼まれはしたが、実際のところ、ここに長く滞在する意味は薄い。


 これ以上あの子らから何か聞いたところで、状況は変わらないだろう。

 もう少し魔族の社会について知りたいとは思うが、その程度は何も王から聞く必要はない。

 手元に置いておく以上は安全に気を配る必要があって大変だし、さっさとそれぞれの王宮へ帰した方がいい気がしてくるが……。


「……ん?」


 ふと、昨日話をしていた円卓のある大部屋の前に差し掛かると、中から話し声が聞こえてきた。

 なんだろうと、ぼくは扉を開ける。


「だから言っているじゃないか、優れた法が必要なのだと。法に逆らうことが不利益だとわかれば皆自然と意識も変わる。僕ら鬼人オーガに必要なのはまずそれだよ」

「そなたはわかっておらぬ。そんなことでは人は動かぬぞ。理屈ばかり通っていても実現できなければなんの意味もなかろう」


 何やら言い合っているのは、ヴィル王とプルシェ王のようだった。

 大部屋には他の王たちもそろっていて、皆それぞれの態度で二人の様子を見守っている。

 ぼくは近くにいたアトス王に訊ねる。


「えっと、どうしたんだ? みんな集まって」

「あっ……おはようごっ、ごっごっごっございます……」


 アトス王がそう言って、ぺこりと頭を下げる。

 ただの挨拶だが、まともに言葉を聞いたのは今のが初めてかもしれなかった。

 アトス王はそれから、すぐに銀の悪魔へと耳打ちする。


「『皆、自然とここに集まりました』と、王は仰せでございます」

「え……どうしてまた」

「『きっと、皆まだ話し足りなかったのではないでしょうか』と、王は仰せでございます」

「そうだっ、魔王様はどう思われますか?」


 唐突にヴィル王が話を向けてきた。

 王たちの視線がぼくに集まり、思わず戸惑う。


「い、いや、急に言われても話が見えないんだけど……」

「僕ら、どのようなまつりごとをすべきかについて話し合っていたんです」


 朝からまたずいぶんと重たい話題だった。

 ヴィル王は続ける。


「僕は、鬼人オーガに必要なのはまず正しい法だと思うんです。正しい法とはつまり、それに沿って暮らしていけば自ずと発展できるという規範です。教育による啓蒙は時間がかかるので、私闘のような誤った慣習をまず法で矯正していく。それによって、社会は望ましい形になると思うんです。人間の国では私闘の禁止なんて常識なんですよね?」

「ふん。魔王よ、言ってやるがよい。そのようなやり方で人は動かんとな」


 プルシェ王が鼻を鳴らして言う。


「闘争は鬼人オーガの文化的基盤じゃろう。望まれぬ法を無理矢理押しつけられ、誰が従う? いやそもそも、定めることさえ難しい。宰相や家臣たちの反発をどう抑え込むのじゃ。人心をないがしろにしては、国を統べることなどままならんぞ」

「だからと言って、君のように宮廷政治にばかり力を入れていたって何も変わらない。魔王様、そうですよね?」

「どう思うのじゃ、魔王よ!」

「ええ、そうだなぁ……」


 重たい問いをぶつけられ困惑するぼくだったが、前世の知識から参考になりそうな格言をなんとか引っ張り出してみる。


「えーと……はるか昔、人間の思想家がこんな言葉を残している。『君子、信ぜられてしかして後に其の民を労す。未だ信ぜられざればすなわもっおのれをましむと為す』と」

「き、聞いたこともない言語ですね……」

「遠い国の言葉なんだ。で、この意味は、『立派な者は十分に信頼されてから人々を従わせる。もし信頼が足らないまま従わせようとすれば、人々は自分を苦しめようとしているのだと受け取るだろう』という感じだな。孔子は……まあ、この人間の名前なんだが、プルシェ王と似たような意見だ」


 聞いたプルシェ王が、ふふんと言って胸を張った。

 ぼくは続ける。


「一方で、『民はこれにらしむべし。これを知らしむべからず』とも言っている。『人々を法によって従わせることはできるが、その理由までもを理解させることは難しい』というような意味だ。これに沿えば、啓蒙は時間がかかるから、まず法から……というのは正しい方法論のように思える」


 ヴィル王が得意げな顔をする。


「ほら言ったじゃないか。だいたい、言って聞くような者たちなら僕だって苦労してないよ」

「わかっておらぬな。信頼とは理屈を説いて得るものではない。根回しに賄賂、そして何より礼を尽くすこと。味方を作る道などいくらでもある」

「君は本当にそればかりだな……味方を作ったところで別に何もしないくせに」

「……でもさ、なんかおもしろいよな。おれ、人間の格言なんて初めて聞いたよ」


 感心したように言ったのは、シギル王だった。


「なあ、他にもっとねーの?」


 ぼくは少し考えて答える。


「『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』などはよく引用されていたな。『度が過ぎることは、足らないのと同じくらいによくない』という意味だ」

「おお、確かにそうだな。いいこと言うじゃんそのコーシってやつ!」


 気に入ったのか、シギル王は喜んでいる様子だった。

 ユキが耳元で囁くように言う。


「論語でございますか……ずいぶんと懐かしく思います」


 古代の思想家、孔子の言行録である論語は、貴族の子の教養のようなものだ。

 ぼくはあまり好きではなかったが、これくらいは知っておいた方がいいだろうと、弟子たちにはよく教えていた。


 もう二度と、こんなものを教える機会なんてないと思っていたのだが……。


「なあ、他には?」

「僕ももっと知りたいです。人間がはぐくんできた思想には興味があります」

「それはかまわないが……」


 断る理由も特に思いつかず、ぼくはうなずいていた。

 どうやら、教える機会がまた訪れたらしい。



****



 それから、授業のようなものをすることになった。

 とは言っても、論語や書経などから、彼らにも共感されそうな内容を少し摘まむだけだ。


 それでも退屈かなぁと思っていたのだが、意外にもヴィル王、シギル王、アトス王のみならず、フィリ・ネア王、ガウス王、プルシェ王も興味深げに聞いていた。


「フィリ、いつも勉強はちゃんとしてるよ。家庭教師って高いもん」

「オレはバカだから、人一倍勉強しねーとな!」

「ふん……まあ、聞かんでもないの」


 本人らはこんな風に言っていたが、ぼくはなかなか感心していた。

 まじないの勉強はともかく、こういった学問はつまらなそうにしていた弟子も多かったのだが……。


「『その、コーシという人間は、』」


 アトス王の耳打ちを受けて、従者の悪魔が言う。


「『人の本性を善なるものと捉えていたのですね。他人の内なる善性に期待するような言葉が多いように思えます』と、王は仰せでございます」


 アトス王の的を射た指摘に、ぼくは薄く笑って答える。


「ああ……だからぼくは、正直あまり好きではなかったんだ」


 弟子たちとも何度か、これと同じようなやり取りをしたものだった。

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