第十六話 最強の陰陽師、看破される


 冥鉱山脈には、希少な魔石の鉱脈が大量に眠っていると噂される。

 麓を流れる川の砂にすら、多種多様な魔石が混じる。秘境の奥地へ分け入り、鉱脈の一つでも見つけ出すことができれば、どれほどの富を得られるか……と、山師たちの間ではよく噂されているそうだ。


 それを実行に移す者は、滅多にいない。

 いても、たいていは帰ってこない。


 魔石が大量に眠っているということは、その分魔力にも満ちているということだ。

 ここ冥鉱山脈には、ヒュドラ以外にも厄介なモンスターが多数出現する。


「あっつ!」


 パイロリザードの吐く炎を、アミュがあわてて避ける。

 ぐるりと頭を回し、再び口を開きかけた深紅のトカゲを、イーファの風魔法が吹き飛ばした。安堵するイーファを、今度はキメラが空から強襲する。だが、ルルムの放った矢が翼を貫き、瞬く間に氷で覆って地に墜とす。

 前方では、ノズロがホブゴブリンの蛮刀をへし折り、流れるように蹴り飛ばしていた。その横合いから襲いかかろうとするスケルトンナイトを、メイベルの戦斧が鎧ごと粉砕。同時に投剣を放ち、ルルムの方へ抜けようとしていたゴブリン二体のうち一体を刺し貫いた。もう一体には、すでにアミュの火炎弾ファイアボールが浴びせられている。


 ずいぶん、戦闘がせわしない。


「はぁ、はぁ……これで、全部? なんなのよもうー!」

「こ、こんなにモンスターが出るんだね……」


 モンスターの群れが途切れたのを確認してから、アミュとイーファが堪らずこぼした。


 無理もない。モンスターの数も種類も、ここはラカナのダンジョンよりずっと多い。


「ヒュドラなんて関係なく、こんな場所でのんびり採掘なんてできないんじゃないの? 危な過ぎるわよ……」

「それでも、力のある冒険者ならなんとかなる範囲だ。採掘は簡単にいかなくても、モンスターを倒して素材を集める場にはなる……ヒュドラさえいなければ」


 複数の頭を持ち、毒の息吹ブレスを吐く亜竜。

 出会ってしまえば助からないと言われるこのモンスターがいるせいで、冥鉱山脈には冒険者も含めて誰も立ち入りたがらない。


 ヒュドラさえ討伐できれば、この山は人間にとって資源を生む土地になる。

 群を抜いて高額な報酬は、将来に渡る収益が見込めるからこそだろう。


 だが……それにも関わらず、この依頼は何年もギルドの掲示板の片隅に留まっていたのだという。

 その事実が、ヒュドラ討伐の困難さを物語っていた。



****



 山に入って、数日が経っていた。


 未だ、討伐対象のヒュドラは見つからない。式神を可能な限り広範囲に飛ばしても、それらしい痕跡すら掴めていなかった。

 広い山であるからある程度は覚悟していたものの、このままでは期日を迎えてしまう。あと二日も粘ってダメなら、ケルツへ引き返す必要がありそうだ。


 簡易に作った寝床を抜け出したのは、二つの月が明るく照らす深夜だった。

 皆から離れた場所で、ユキと話したかったのだ。

 管狐の使う神通力は、人間の持つあらゆる技術と異なる。ユキの力に正直あまり期待はしていなかったが……せめて少しでも可能性を上げるため、あらかじめ索敵を頼んでおきたかった。


 夜の山の、草地を歩く。

 辺りは静かだ。


 この辺りはぼくが広く結界を張っているので、モンスターは近寄らない。だから、普通なら必須の見張りも立てていない。

 戦闘は任せきりなのだから、これくらいはしてもいいはずだ。


 と、その時――――微かな水音が聞こえた。

 ぼくは足を止める。


 確か、近くに水辺があった。

 だが、この辺りにはモンスターどころか獣も近寄れないはず。


「……」


 式神を飛ばしてもよかったが、ぼくはわずかな逡巡の後、自分で向かうことにした。

 視力に劣り、力の流れも見えない鳥獣の目を通して確認するよりも、直接見る方が早い時もある。


 ぼくは歩みを進め、やがて――――その光景が目に入った。


 湧き水によって作られた、清冽な泉。

 その中心に、一つの人影があった。

 しなやかな曲線を描く裸身。細身だが、胸には豊かな膨らみが見て取れる。黒く長い髪。月明かりに照らされた肌は死人のように白く、そして……全身に、入れ墨のような黒い線が走っている。


 神魔の女が、ふと横目でぼくを捉えた。


「何? 覗き?」


 眉をひそめて言うルルムに、ぼくは慌てて後ろを向く。


「いや、悪い……水音がしたから、様子を見に来たんだ」

「ふうん。別にいいけれど」


 ちゃぷん、と。

 ルルムが泉を泳ぐ、微かな水音が聞こえてくる。


「……しかし、そんなところで何をしているんだ? こんな深夜に」

「決まっているでしょう。水浴びよ」

「何も、こんな時間にやらなくても……」

「あの子たちと一緒にならないようにしたかったの」


 ルルムが、微かに笑う声が聞こえる。


「人間にとって、私たちの見た目は恐ろしいでしょうから」

「……」


 ぼくはその時になってようやく気づいた。

 ルルムもノズロも、体の紋様を隠す染料をぼくたちの前で落としたことは、これまで一度もなかったことを。


 この国で暮らす魔族は少ない。

 それも一部の獣人程度のもので、神魔となると聞いたことすらない。

 かつて人間と、最も苛烈に敵対していた種族の一つなのだ。


 正体が露見してしまえば、おそらくかなり面倒なことになる。

 いつどこで誰に見られているかわからない以上、迂闊なことはできなかったのだろう。


「もっとも、中にはわざわざ覗きに来る物好きもいるようだけど」

「……いつになく楽しそうだな」

「そうね。どうしてかしら? まさかあなたが、こんなことをするとは思わなかったからかもしれないわね」

「……」

「得体の知れない人間だと思っていたけれど、意外と男の子らしいところもあるのね。ふふ」


 くすくすと、ルルムが笑う。

 完全にからかわれていた。

 見た目は二十にも満たない娘だが、長命種なだけあってやはりそれよりはずっと長く生きているのかもしれない。


「それはそうと、あなたもそろそろ水浴びをするべきだと思うわよ。あの子たちに嫌われたくないのなら」

「そうだな、考えておくよ。それじゃあ……」

「それに」


 歩き去ろうとするぼくの背に、ルルムは言った。


「頭の上のモンスターにも、逃げられてしまうかもね」


 ぼくは歩みを止めた。

 振り返りもしないままに――――不可視のヒトガタが、ルルムを向いて密かに宙へ配置されていく。


「そんなに怖い顔をしないで」


 背を向けるぼくへ、ルルムは変わらない調子で言う。


「秘密にしていたのなら、誰にも話さないわ。あの子たちにも、ノズロにもね」

「……」

「ねえ、どんなモンスターなの? 見せてくれないかしら」

「……」


「セ、セイカさま……」


 髪の中でもぞもぞするユキに、ぼくは嘆息して告げる。


「挨拶しなさい、ユキ」

「は、はい……」


 ユキが、ぼくの頭の上から顔を出す。


「あの、ユキと申します。こんにちはぁ……」

「……えっ!?」


 ばしゃりという水音と共に、ルルムが驚いたような声を上げた。


「か……かわいい!? しかも、言葉がわかるの!?」

「ひぇぇ……」

「それ、なんというモンスターなの? あなたのペット?」

「ペット……まあ、そのようなものだな」

「セ、セイカさまぁ……」

「悪いが、これ以上質問に答える気はない」

「そう」


 ぼくが言うと、ルルムはあっさりと引き下がる。


「じゃあ、今度撫でさせてもらえる?」

「機会があればな」

「えええ……」

「ふふ」


 ルルムが小さく笑う。

 ぼくは視線だけで、神魔の女を振り返る。

 ルルムは体を泉に沈め、仰向けに目を閉じているようだった。


「なぜわかった」

「私には、力の気配のようなものが見えるのよ」


 ルルムは微かに目を開け、説明する。


「土地に流れる力や、器物に込められた力……もちろん、モンスターや人が生まれながらに持つ力も」

「……それは、魔力がわかるということか?」

「魔力もわかるわ。でも……きっとそれだけじゃない。なんなのかと言われると、自分でもよくわからないけどね」

「……」


 龍脈や呪力の流れを見る技術は、前世ではありふれたものだった。

 多少の才があれば、修業によって習得できる。風水師など、相占を扱う者ならば誰でもこれができた。

 だが、こちらの世界では聞いたことがない。

 力の研究が進んでいないせいで、ルルムも自分で何が見えているのかがわかっていないのだろう。


「あなたのペットのことも、それで気づいたのよ。何か違う気配があるなって。もっとも、小さくて最初はわからなかったけどね」

「ああ、なるほどな……」

「だから」


 ルルムが、静かに言った。


「あなたが持つもう一つの秘密も、私にはわかる」

「……!」


 ぼくは、動揺と共に身構えた。

 ルルムは、ややうしろめたそうに続ける。


「別に、脅そうというつもりはないの。あの子たちも知らないのよね? このことも、誰にも言わないと誓うわ」


 そうは言うが――――とても信用できるものではない。

 何に気づかれたのかはわからない。だが……その内容によっては、消さなければならないかもしれない。

 下手をすれば、前世の二の舞にもなりうる。


「本当なら知らない振りをするべきだったのだと思う。だけど……私たちが探している人にも関係するかもしれないから、どうしても確かめたかったの」


 そして、ルルムは言った。


「セイカ。あなたは――――神魔の血を引いているのでしょう?」

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