第十一話 最強の陰陽師、飲む
結論から言えば、全然足りた。
むしろ足りすぎたくらいだった。
あの鹿の抜け殻はすべてが上位の魔石だったらしく、扉と床代を弁償しても、ちょっとびっくりするくらいの額が手元に残った。
おかげでいきなり生活に余裕が出てしまった。
しかしながら、ギルドの人にはめちゃくちゃ怒られた。
曰く、アイテムボックスにモンスターをそのまま入れるな、そしてギルドでそのまま出すな、と。
まったくもってその通りだったので、ぼくは平謝りするしかなかった。
ちなみに、あのモンスターのことは誰も知らないようだった。
だが何が起こっていたかは、なんとなく想像がつく。
おそらくあの鹿型モンスターは、魔石の殻で全身を覆うことで位相の過酷な空虚さを耐えていたのだろう。
前世の獣で、同じことをできるものはいまい。なるほどおもしろい化生がいたものだ。
というようなことを嬉々として語っていたら、アミュたちには呆れられてしまったが。
そんなわけでいきなりトラブルから始まった冒険者生活だったが、その後は順調そのものだった。
徐々に足を伸ばす先を広げ、中堅向けのダンジョンでも安定して潜れることがわかってからは、そこが主な狩り場になった。
たぶんこの子らならば、もっと上位のダンジョンでも問題ないだろう。
だが無理をすることもない。
冒険の帰り。
夕暮れ時の路上を歩きながら、アミュたちが話す。
「なんていうんだったかしら? これから行くお店」
「『金糸亭』だよ。高そうな名前だよね」
「たのしみ」
いい加減ギルドの酒場の味にも飽きてきたので、今日は別の店に行ってみようという話になっていた。
たまにはこのくらいの贅沢もいいだろう。
やがてたどり着いた金糸亭は、古そうだが格式のある、立派な店構えをしていた。
だが扉を開けて、ぼくは思わず眉をひそめる。
「ギャハハハッ! オークみてぇなツラしやがって!」
「で、そのバカが死んでからよぉー……」
店内は、冒険者の客であふれかえっていた。
いくらか高い店ならガラの悪いのもいないかと思っていたが……考えが甘かったようだ。冒険者の街なんだから、稼げるタイプのごろつきだっていくらでもいる。
「……店、変えるか」
ぼくが言うと、イーファとメイベルが賛同する。
「そ、そうだね……」
「うるさそう」
だが、アミュは首をかしげる。
「え、どうして? ちょっと混んでるけど、いいじゃないこれくらい。今から別の店探すの大変よ?」
と言って、普通に店の中に入っていく。
仕方なく、ぼくらもあわてて後に続く。
空いている席を探して店の中を見回していると、ぼくらを見てあちこちのテーブルからざわめき出した。口笛を鳴らしているやつもいる。
おそらくあの内の半分は、ぼくらのことを知っている連中だろう。
モンスターを放ってギルドを破壊し、あっという間に中堅向けの狩り場に顔を出すようになった新入り四人パーティーは、すでに一部で有名になっていた。
だが、もう半分は……単に見目の良い若い女を見て、ちょっかいを出したくなっている連中だろう。
「おい、そこの赤髪!」
壁際のテーブルに座っていた、禿頭の小男が叫ぶ。
「こっちに来て俺様の相手をしろ! なぁに、金は持っているからよぉ!」
と言って、下卑た笑い声を上げる。
こちらの世界では、女だから非力、とは限らない。
訓練次第で、魔力は身体能力に変えられる。たとえ少女だろうと、場合によっては大男をねじ伏せる。女の冒険者が決して少なくないのは、それが理由だ。
あの位置から、アミュの提げている杖剣が目に入らなかったはずはない。
だからあれはきっと、度胸試しの冗談のようなものなのだろう。
これがあるから店を変えたかったのに……とゲンナリしていると、アミュが小男を鼻で笑って言う。
「あら、ゴブリンが何か喋っているわね。上位種かしら? よく見たらハゲてるし」
酒場が爆笑で包まれた。
顔を歪めた小男が、椅子を蹴って立ち上がる。
「てめぇ言いやがったなッ! 言ってはいけないことをッ!」
アミュはというと、嬉々とした表情を浮かべていた。
「酒場で喧嘩! あたし一回やってみたかったのよね!」
「か、かんべんしてくれ。出禁になるぞ」
あと物壊したら弁償しなきゃいけなくなる……!
どう止めようか迷っていた、その時。
「ランプローグ君か?」
聞き覚えのある、落ち着いた声が耳に入った。
思わず顔を向けると、仲間と共に酒場の一角を占めていたロイドが、柔和な笑みでぼくへ杯を掲げてみせる。
「最近調子がいいようじゃないか。どうだい、こっちで飲まないか」
ロイドがそう言うと、酒場が少し静かになった。
禿頭の小男も、小さな舌打ちと共に腰を下ろす。
穏やかそうな男に見えるが、さすがにラカナ第二位のパーティーの長ともなると、それなりに顔が利くらしい。
「え、ええ、ぜひ!」
渡りに船とばかりに返事をして、ちょっと残念そうなアミュを引っ張ってロイドの卓へと向かう。
他の者たちが詰めると、ちょうど四人分ほどの空きができた。
「いやぁ、助かりました」
卓につきながらそう言うと、ロイドが苦笑して言う。
「揉め事は勘弁してくれよ? この店は結構気に入っているんだ」
「ぼくにそんな気はないんですが」
「……なによ。あっちが先に喧嘩売ってきたのに」
「揉めるなとは言わない。ただ、喧嘩は外でやってくれ。それもこの街のマナーだからね」
ロイドが平然と言う。
いや、それはマナーなのか。
「久しぶりだねえ、嬢ちゃん! みんな、酒は飲めるのかい?」
アミュの隣に座っていた、筋骨隆々の大女がにこやかに言う。
リビングメイルの森で前衛を務めていた、鎚使いの重戦士だった。
アミュが少ししどろもどろになって答える。
「ま、まあ、普通にね?」
「わたし、飲んだことないです……」
「私も」
「ぼくもですね」
今生では、だけど。
「この店は火酒がおすすめですぞ」
僧衣を纏い、頭を丸めた男が言う。
女重戦士と並んで前衛を担っていた僧兵だ。
「拙僧の故郷に伝わる秘酒に勝るとも劣らぬ……」
「バカ、いきなり蒸留酒なんて勧めるやつがあるか! 初めは果実酒にしときな。ここの酒はどれも旨いよ」
女重戦士が注文し、ほどなくして四つの杯が運ばれてくる。
口を付け、ぼくはわずかに目を見開いた。
「へぇ……」
「わ、おいしいよこれセイカくん!」
「甘い」
「! ふ、ふーん」
てっきり葡萄酒かと思ったが、木イチゴか何かの酒のようだった。
甘い味付けをしているのか、かなり飲みやすい。
アミュが一気に杯を呷ると、快活に笑って言う。
「あっはは! いけるわねこれ! すみませーんもう一杯!」
「おっ、いい飲みっぷりだねぇ」
女重戦士がアミュの背を叩く。
「今日の収穫はどうだった? 稼げたかい?」
「まあまあね! 今日行ったダンジョンは――――」
アミュが上機嫌で答えると、周りの冒険者からも質問が飛んでくる。
どうやら皆、何かと話題だったぼくたちのパーティーのことが気になっていたらしい。
イーファとメイベルも楽しげに会話に参加する中、ぼくは時折相づちを打ちながら、静かにその様子を眺める。
「おい、聞いたかよ? 帝都の騒ぎ」
その時ふと、横手のテーブルから気になる会話が聞こえてきた。
ぼくは、二人の冒険者の会話に耳をそばだてる。
「なんでもめちゃくちゃ強ぇ魔族が、単身で帝城を襲撃したんだと」
「マジかよ、やべぇな……! あの皇帝、ぶっ殺されちまったのか? まさかとは思うが、何百年前みたいな大戦でも始まるんじゃねぇだろうな」
「それがよぉ……その魔族、詫び入れて何もせず帰ったらしいぜ」
「は?」
「ぶっ壊した城壁も全部魔法で直して。行商人の話じゃあ、どこが壊されたのかもわからないくらいなんだとよ」
「なんだそりゃ。与太話か?」
「それが、宮廷が正式に布告してる内容らしいぜ。それに帝都の住人の中には、確かに先月の夜、ぶっ壊された帝城の城壁を見たって奴が結構いるそうだ」
「嘘くせぇ……どうせ仕込みだろ。あの皇帝、またなんか始めようとしてるんじゃねぇの?」
「ギャハハッ、そうかもなぁ!」
冒険者二人は笑い合い、すぐに別の話題に移った。
聞き耳を立てていたぼくは……いたたまれない気持ちでいっぱいになる。
フィオナ……す、すまない……。
どうやら彼女は、本当に苦労して、ぼくの起こした騒ぎを隠蔽してくれたらしかった。
こんな無理のある話を通すのがどれだけ大変だったかを想像すると、さすがに切なくなる。
これはいつか、あらためて詫びを入れるべきなのかもしれない。
「ちょっとセイカぁ! 聞いてるのっ?」
「えっ? ああ、はいはい……」
酔っ払いの呼びかけにあわてて返事しつつ、ついでに追加の酒を注文する。
客はやかましいが、高い店だけあって酒の味はよかった。この子らにとっても、初めて飲むにはいいところだっただろう。
これからいろいろな苦労があるかもしれないが……せめてこんな時くらいは、楽しんでくれればいいと思う。
そんなことを考えてから、二、三刻後。
「どうせあたじは弱いわよぉ~」
「……」
アミュが真っ赤な顔で、卓に突っ伏して泣いていた。
ぼくはそれを呆れ顔で見下ろす。
「……君、酒弱いな」
「はぁ~? チッ! うっさいわね、あんたに比べたら誰だって弱いに決まってるでしょ!? あたし、天才って言われてたのに! あんたたちより冒険者の先輩なのに! エルダートレント程度に後れをとるなんてどこが天才だとか思ってるんでしょ!? ふぁあああああん!!」
「……」
アミュの隣では、メイベルが頭を傾けたまま微動だにしない。
どうやら寝ているようだった。
ぼくは溜息をつく。
「……そろそろ帰るか。イーファ、二人を運ぶの手伝ってくれ……イーファ?」
反応がないので隣を見ると、イーファは満面の笑みでこちらを見つめていた。
「え~? えっへへへへへへへへへへへ!!」
……ダメだ。この子らの酔いが醒めるまで待った方がいいかもしれない。
溜息をついて席に座り直す。
周りを見ると、ロイドの仲間たちもだいぶできあがっているようだった。
「ランプローグ君は、かなり飲めるようだね」
ロイドが、ぼくを見て意外そうに言った。
試しに頼んでみた火酒の杯を傾けながら答える。
「ええ、まあ。そうみたいですね」
前世では体質のためか、いくら飲んでも酔えなかったことを思い出す。
まさか今生の体でもそうだとは思わなかったが。
「でも、あなたもだいぶ強いようで」
言われたロイドが、苦笑して答える。
「私は水しか飲んでいないよ。意外かもしれないが、下戸でね」
「え、そうなんですか……名の通った冒険者は、てっきり全員酒豪なのかと」
「ひどい偏見だな。酒と冒険は関係ない。私がその証明だよ」
確かに、ラカナ第二位のパーティーリーダーが言うのなら説得力がある。
「ところで今さらなのですが、今日は何かの集まりだったんですか? ずいぶん大人数で飲んでいたようですが」
「ああ……ちょっとね」
ロイドが意味ありげな表情を浮かべて言う。
「近々、大規模な冒険を計画している。その打ち合わせだよ」
「へぇ、大規模な。というと?」
「東のボスの討伐さ」
ぼくが黙っていると、ロイドが続ける。
「私のパーティーも、だいぶ精鋭が揃ってきた。ボスの居場所や、周辺の地形などの情報も集まっている。入念な準備を重ねればきっと達成できるはずだ」
「……いくつか疑問があるのですが」
ぼくは静かに問う。
「東のボス……というと、ラカナの東にある山の、ボスモンスターのことですか?」
「ああ。以前言ったラカナの周辺にある三つの山は、それぞれが一つの巨大なダンジョンになっていてね。北、南、そして東に、一体ずつボスモンスターが存在する。彷徨いの森のような付属ダンジョンのボスは、実は中ボスのようなものなんだ。それらとは次元が違う強さだが、決して倒せないほどではない」
「ボスモンスターを倒すと……ダンジョンは、力を失ってしまうのでは? ダンジョンが生み出す資源で成り立っているこの街にとって、ボスの討伐は禁忌ではないのですか?」
「それは、ボスモンスターがダンジョンの核だった場合の話だね。この辺りにあるダンジョンの核は、ボスモンスターではないよ」
「なぜそんなことがわかるんです?」
「簡単なことさ。過去に何度か、ボスモンスターが倒されたことがあるからだよ」
「……」
「まだラカナが、こんな立派な街ではなかった頃の話だけどね。それでダンジョンが消滅したかというと、見ての通りだ。今も変わらずに富を生み出し続け、倒されたボスとは違うモンスターが、現在のボスとして君臨している。北の山も、南の山も、東の山も。おそらく核はボスモンスターではない、別の何かなんだ。それが何かまではわからないがね」
ぼくは懸念を頭の隅に追いやって、別の質問を投げかける。
「なぜ……わざわざそんなことを? 危険を冒してボスを倒し、いったい何が得られるんです?」
「名声だよ」
ロイドが静かに続ける。
「これまで調子のよかった『連樹同盟』も、最近はメンバーの増加に陰りが見え始めている。この辺りで大きな、誰の目にもわかりやすい戦果をあげる必要がある。いつまでもラカナ第二位のパーティー止まりでは……私の組織は、真の完成には至らない」
表情こそ変わらないが、その目には燠火のような意思が見て取れた。
ぼくは何か言おうとして口を開きかけ、そのまま閉じる。
そんなぼくへと、ロイドが微かに笑みを浮かべながら言う。
「正式にパーティーに加入してくれなくても構わないから、できれば君たちにも手伝ってもらいたいくらいなんだが……いや、いい。わかっているよ。君が名声や報酬に釣られて動く類の人間だとは思っていない」
「すみませんね」
視線を逸らしながら、ぼくは言う。
パーティーに入れと言われるよりも、それは受け入れがたい提案だった。
確証はないものの、ボスの討伐はかなりまずい事態を招きかねない。
ただ、だからといってこの男を止める言葉を、今のぼくは持ち合わせていなかった。
仕方なく話題を変える。
「そういえば、ラカナ第一位のパーティーはどんなパーティーなんですか?」
そう訊ねると、ロイドはわずかに苦い顔をした。
「『紅翼団』というパーティーだ。どんなパーティーかと言われれば……」
その時、不意に酒場の扉が開いた。
装備を鳴らす音と共に、五つの人影が店内に入ってくる。
ただそれだけで……酒場全体が、一瞬静まり返った。
彼らの姿を見て、ぼくも察する。
重戦士、剣士、盗賊、魔術師、神官。
よくある職種の、よくある編成だが……その装備や立ち居振る舞いが、他の冒険者とは一線を画している。
噂をすれば影が差すとはよく言ったものだ。
これが『紅翼団』――――ラカナ第一位のパーティーか。
「おい、麦酒を五つだ! 料理は適当に持ってこい!」
重戦士の大男が店の奥へ乱暴に叫ぶと、仲間たちと共に空いている席へどっかと腰を下ろす。
不意に、微かな血生臭さが鼻を刺した。
こいつら、ダンジョン帰りか。
「ん? おう、ロイドじゃねぇか!」
リーダーらしき大男がこちらを見て、でかい声で叫んだ。
ロイドは一瞬顔をしかめた後、大男に向けて杯を掲げてみせる。
「どうも。ご無沙汰してます、ザムルグさん」
「はっ、ロイド。それは水か? いつになったらお前は酒が飲めるようになる。お守りしてる半人前共にも示しが付かねぇぞ、なあ? ガッハハハ!」
殺気立つロイドの仲間たちには構わず、ザムルグと呼ばれた大男が続ける。
「そっちのガキ共はなんだ、また勧誘か。明日にでも死にそうなひよっこまで拾おうたぁ、お前も見境がねぇな。パーティーと女のケツの違いはわかってるか? でかけりゃいいってもんじゃ……」
「彼らは、市長の顔見知りでしてね」
ザムルグの言葉を遮って、ロイドが微笑と共に言った。
「ラカナのことを教えるよう頼まれていたもので。それだけですよ」
「……チッ。おい! 酒はまだか酒は!」
厨房へ叫ぶザムルグから顔を戻し、ロイドがうんざりしたように言う。
「『紅翼団』がどんなパーティーか、という話だったね。見てのとおりさ。酒と金と暴力を愛し、自由と名誉に何より執心する、要するに――――」
ロイドはまるで、その存在を嫌悪しているようだった。
「――――典型的な、冒険者のパーティーだよ」
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